所在地 笹畝坑道 岡山県高梁市成羽町中野1987
広兼邸から吹屋ふるさと村へ行く途中、吹屋にある銅山笹畝坑道を見かけたので立ち寄りました。江戸時代から大正時代まで操業した銅山を復元し、坑内を見学できるようにしたものです。
吹屋銅山の坑道の一部を公開されているので、冒険心をそそられ神秘的な坑内は、年中15度前後とヒャ~と天然のエアコンが効いているようです。
昭和54年11月から一般に公開している。坑道の復元延長は320mで中央部は蜂の巣のように採掘されており,また鉱石搬出用軌道も残されております。突然 人形たちが現れ びっくり
こちらにも リアルな人形が、一人で歩いているとびっくりするね~
入り口にはヘルメットがありましたが、天井が低いので背の高い人は安全のためヘルメットをかぶって、見学開始した方が安全かな~
吉岡(吹屋)銅山は、大同2年(807年)に発見されたと伝えられ、古書に備中の産物に関する記載があり、吹屋の銅山としての記録は、戦国時代尼子氏と毛利氏の争奪戦以来、江戸時代初期一時、成羽藩の支配下にありましたが、大部分の間は、天領幕府直轄地で代官の支配下で稼いでいました。明治以降三菱金属(株)の経営となり、周りの小山を吸収合併し、自家発電所を設け、削岩機を使い精錬等の作業を機械化し、日本ではじめて洋式溶鉱炉を造り、日本三大鉱山の一つとなりました。
一般に公開されているのが笹畝坑道ですが、これ以外の坑道は閉山時に三菱が全部埋めて帰ったそうで、出口に通じる階段を上っていくと、入口の上の山腹に出てきます。
出口を出て階段を100mほど行くと、出口の上に元祖(?)の露頭があります。斜坑が口をあけています。半分崩れているようですが~
吹屋地区の鉱山としては笹畝鉱山のほかに、吉岡鉱山、本山鉱山、大竜鉱山、相山鉱山、人次鉱山、雉子谷鉱山、坂本鉱山などがあり、合計8つの鉱山があったようですが、そのほかにも小泉鉱山というのが岡山県川上郡成羽町大字小泉にあり、昭和中期頃まで操業していたようです。涼しかったですが、この先の見学場所へ
次回をお楽しみに では またね
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