網干の町並み 2013.02.28 2013年03月01日 17時30分35秒 | 歴史・遺跡・伝説 所在地 網干の町並み 兵庫県姫路市網干区苅屋・浜田・興浜地区 今日は、山陽電車に乗って、姫路市網干区にある網干の町並みを歩きます。ここから南へ この付近は、古い町並みも点在して楽しみです。しばらくすると、今見ごろの「蝋梅」の花が家の庭に美しく咲いています。 余子浜の町並みを歩きます。 橋本商店街の中にある「旧網干銀行本店」、現在は婦人服飾の店になっています。「都市景観重要建築物」です。 レンガを引き締めたような綺麗な新在家地区の町並みです。 片岡家は 元禄15年(1702年)、赤穂浪士討ち入りの頃に建設されたという姫路市最古級の大庄屋です。今は地域の子供たちが寺子屋教室として利用しています。 網干区興浜と網干区新在家の区境に境橋があって、丸亀藩と竜野藩の文字通りの境目であった。今は、通りの辻に欄干の一部と親柱が残されています。 姫路市の西南端にあたる網干でもさらに西よりの集落興浜に鎮まる金刀比羅神社は、西讃を治める京極家の領有であることから海上交通を守護する讃岐の[金刀比羅宮]を勧請したもようです。 ここ興浜には、旧讃岐・丸亀藩の飛び地領当時の名残をとどめる陣屋門がある。龍野藩主京極高和が明暦3年(1657)、丸亀藩移封の後、揖保郡28ケ村などを治めるために設けられた『網干陣屋』の正門にあたり、推定建築年代は寛文年間(1661~1672年)。陣屋が明治3年の廃藩置県で取り壊された後も、興浜村の檀尻庫として生き残っていました。 大正時代に建築された母屋や土蔵を有した建築物で、戦前まで材木問屋を営んでいました。柱や梁等に用いられている材木は豪壮で、歴史的な風格をゆうしています。その前を通ります。 浜田西の屋台が参加しますと、「世界遺産にチョーサ」というサブタイトルからも網干方面の屋台はチョーサの掛け声に合わせて差し上げる屋台練りに特徴があります。これがその格納庫です。 龍門寺の前を歩きます。臨済宗妙心寺派の禅刹で、「不生禅」を説かれた盤珪国師の根本道場として寛文元年(1661)に創建され、当時の遺構をそのままに350年の法灯を持続している。 中川の中川橋を渡ります。この辺に来ると潮の香りが こんなところに「道しるべ」の石碑が 苅屋公民館のところまで来ました。 次回をお楽しみに では またね « 須磨綱敷天満宮の梅の開花 ... | トップ | 網干・龍門寺 2013.02.28 »
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