三木・教海寺の念仏水とみころもの滝 2014.07.05 2014年07月09日 09時26分37秒 | 公園・名所・名勝 所在地 教海寺 兵庫県三木市細川町脇川354 寺伝では白雉2年(651年)、法道仙人によって開基された。 延暦14年(795年)、当寺で空海が三年間修行したことから、寺号を「教海寺」とした(空海は一時教海とも名乗っていました)。中世を通して、坊舍四十八坊寺領の50石があったが、天正8年(1580年)三木合戦の時、兵火によって焼かれました。 「脇川の念仏水」は、細川町脇川の教海寺庫裡の少し手前にある井戸にこんこんと湧き出ている清水のことです。ここは、弘法大師が衣を洗ったといわれている池です。 昔、弘法大師が老婆に水がほしいと頼んだところ、乏しい水がめから水を汲み出してくれました。大師はそのお礼に杖で山裾の窪みを突き刺したところ、そこから水が湧き出て、それまで水に困っていた村民を助けたという大師伝説が残っています。 地元の人たちはこの井戸を“念仏井戸”と呼び、その上にお堂を建てて祭っています。そこには『念仏を唱えると水泡湧き上がり、願望成就す』という脇川集落発願の立て札が建てられていて、今も水が湧き出ています。集落名の脇川も、この湧き水からでたといいます。現在でもこの水は地元の人の飲料水となり、井戸から流れ出た小川の水は、野菜洗いなどにも使われています。 「念仏井戸」の道には、「大師みころもの滝道」の石碑が立っていましたので、石段を降りていきました。 すると、衣池の水が岩盤から滴り落ち、不動明王を衣の様に包み込んでいるように水滴が「ぽたぽた」と落ち水量が少ないのでちょっと滝にはみえなかったです。この滝の上には念仏水という銘水が湧いていてかなりの人が水を求めて訪れるみたいです。滝の前はのどかな田園風景が開けています。 少し離れたところに本堂が、三木合戦のときは、籠城中の別所長治軍に教海寺の寺僧は城内の兵を助けるために、米を詰めた竹筒を美嚢川支流の脇川に流し、羽柴秀吉軍の目を盗んで三木城に送ったが、竹筒の栓に、同寺周辺にしかないコウヤマキを使ったため送り主が発覚し、寺は焼き打ちに遭ったとされました。 檀家らの熱心な寄進により、徐々に再建が進み元和元年(1615年)、大師堂が建立されました。 教海寺の境内には「半夏生草」があります。名の由来は半夏生のころに花をつけるからとも或いは葉の下半分が白くなりその白い部分を半分化粧した姿に譬えたともいわれています。 境内には紫陽花の花が、時々降る小雨に濡れて生き生きとした花が綺麗です。 次回をお楽しみに では またね « 軍師竹中半兵衛の墓 2014.... | トップ | 秀吉腰掛石のある極楽寺 2... »
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