治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

花風社HPに「発達障害、治るが勝ち!」アップしました。

2017-07-19 09:44:55 | 日記
花風社HPに「発達障害、治るが勝ち!」 詳細アップしました。直販ご希望の方、購入可能になりました。
今回のおまけは、特製ミニクリアファイルです。一冊のみご注文の方への梱包を考えると、A5版がいいかなと思いました。A4の書類を二つ折で入れられるサイズです。
複数冊ご購入の場合(既刊も含む)は買った本の数だけミニクリアファイルがつきます。知人友人にプレゼントしたいという方、ぜひこの際にお求めください。

クリアファイルは限定500部です。花風社の直販は他の本も同時にお買い上げの方が多いので、500部は「大急ぎで申し込まなくてはならないほどではないけど、わりと早めになくなりそう」な数です。なくなったらこれまでのハガキをおつけいたします。ミニクリアファイルご希望の方は急いでいただいた方がよさそうです。

一応花風社の関係者向けには一定数を確保してあります。ですので著者関係の方、ご希望があれば早めにお知らせください。

おっとミニクリアファイルの話ばかりになってしまいましたが

沖縄から戻ってまた、大幅修正していました。目次も変わっています。ぜひリンク先をご覧の上、お早めにお申し込みください。

沖縄に行っていた間に読んでもらった人から、貴重なアドバイスをたくさんいただきまして、大幅な書き直し(とくに前半部)をしました。

後半に関してもかなり新しい考えを入れました。どうぞお楽しみに。

同時に買う本としては、最近のヒット作三作(『人間脳の根っこを育てる』『愛着障害は治りますか?』『人間脳を育てる』)ももちろんですが

猫本(『支援者なくとも、自閉っ子は育つ』)をお読みでない方はぜひこの機会にお読みください。「治るが勝ち」でもこの本のことには二度触れています。

また『愛着障害は治りますか?』のヒットに伴い、「脳みそラクラクセラピー」が売れ行き好調です。もうすぐ在庫がなくなると思いますので、迷っていた方はお急ぎください。在庫切れの場合にはご容赦ください。

また「身体アプローチの威力を知ってもらいたい」と願う方々の間で、「まず芋本を贈る」という方法がいいようだ、と「エピソード」が積み重なっています。こちらもご検討ください。

Amazonで予約ご希望の方、これからアップします。アップしたらまたお知らせいたします。

どうぞよろしくお願いいたします!


ギョーカイが自己肯定感を育めない理由

2017-07-18 11:38:52 | 日記
二次障害と自己肯定感を振り回して自分たちの死んだふりを正当化するギョーカイ。二次障害について考え直そうよっていうことは「発達障害、治るが勝ち!」でもずいぶん暴論を書いたんですけどまた追っていきたいですね。インサイダー情報ですが(っていうかここにもう書いてしまってますが)9月23日に都内で講演することになりそうです。出版記念講演を開いてくださるというありがたいオファーをいただいたのですが、ここでは来てくださる方のために本に載っている以外の情報も出すつもりなので、二次障害について深めてみましょうかね。

昨日のブログにいただいた373さんのコメントも大きなヒントですね。
そして新刊も考えるよすがになると思います。

さて自己肯定感。
かねてよりギョーカイのいうような「褒めれば育つ」はウソだろうと思っていましたが、今朝こよりさんからいただいたメールに大きな気づきがありました。
こよりさんは今回の沖縄行きとそのあとのことで大きな気づきを得た。それは「子どものころから今まで理不尽を受け入れてきたなあ」ということ。そして今ゴールドのスリッポンを履くたびに「理不尽を受け入れなくていいのだ」というメッセージを受け取っている気がするそうです。
足だけじゃなく心もらくちんになるそうです。

そうそうそれなんですよ。それが自己肯定感の根っこのはずなの。でもギョーカイはむしろ理不尽を押し付けるじゃないですか。そういうギョーカイに自己肯定感が育てられるわけがないですね。

ギョーカイとかかわる前からまっとうな自己肯定感を持っていた私は、自分に無礼な真似をする人を許しません。やられたらちゃんとお(倍)返しをする。でも猿烏賊やらギョーカイやらの浅見いじりを見ていると「やり返される」ことを想定していなかったみたいな感じですよね。

新刊にも書いてやりました。
何しろ「あの人たち」は新刊も買わないからね。一生読まないだろうから安心してありのままの姿を描きましたよ。

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 こっちの主張が気にくわないと「おまえのところの本なんか二度と買わない」と言われる。それが脅し文句になると思っているのである。そして零細版元の考えを揺るがそうと「不買運動起こしてやる」とか医師や臨床心理士、大学教授や発達障害者支援センター長、といったリッパな人たちが脅しをかけてくる。だから私は言い返す。「わかった。じゃあ二度と買わないでね。私はこれからもいっぱいいい本出すよ。評判になるのもあるかもよ。中には読みたい本もあるかもよ。読みたいんだけど花風社だから買わない、と唇かみしめて我慢してね。買わないと自分で決めたんだから絶対買うなよ!」と。
 一回当事者らしき人から電話がかかってきて「もう花風社の本は絶対買わない!」と言われたので「わかった。ぜーったい買わないでくださいね。死ぬまで花風社の本は、ただの一冊も買わないでくださいね! どんなに読みたい本が出ても買わないでくださいね」と言ったら、わっと泣いていた。

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自分たちがちきんだから脅せば黙ると思っているんですよね~。
それで平気で理不尽を押し付ける。

私はこれまでギョーカイの本音は「健常者に人権なし」なんだと思ってきましたが当事者ただ働きさせたり暑い中車の中に置き去りにしたり結局当事者も大事にしていないじゃないですか。「支援者だけに人権あり」が彼らの本音ですね。

さて

理不尽と言えば私は愛知県自閉症協会(こよりさんの個人情報持っていたはずの組織)のブレインとして君臨する吉川徹センセに投げかけて答えてもらっていない質問があるのを思い出しました。

私が「自閉症を治そう」と願うことを彼は咎めたのだけど(医者が治すのを咎めるなんて不思議な話ですね)

私は自閉症者の加害による被害を受けた立場なわけです。
ちゃんと司法が「有罪」と認めた事件の被害者なわけです。

その私がなぜ「自閉症は治ってほしい」って思っちゃいけないの? という問いかけ。

数年答えてもらっていません。死んだふりをされています。

つまり吉川センセはギョーカイの一員として「理不尽を耐え忍ばせる」のに慣れていらっしゃるんでしょう。
当事者保護者相手にもそうみたいですから。

でもね

一般社会はもっと自己肯定感高いもんですよ。
そして自己肯定感の根っこは「理不尽なことをされることは許さない」という精神だと思います。

こよりさん論 トラウマ処理

2017-07-17 10:11:44 | 日記
こよりさんのトラウマ処理を電話でお手伝いした愛甲さんは、「治りがよかった」と言っていました。すでに言葉によるセルフケアは済んでいた感じ。だから言葉以前のアプローチを五分くらいしただけですっと取れました、と。

「こよりさんは栗本さんのコンディショニングで糖尿治ってしまうくらい身体が素直な方ですからね」と私は言いました。

これからも何度かよみがえるかも知れませんが、そのたびに愛甲さんの教えてくれた方法で取ればいいかららくちんですね。そしてこれが私たちの理想なのです。生涯にわたる支援ではなく支援者が必要なのは入り口と急性期だけ、という。そしてリソースは、本当に生涯にわたるケアが必要な人に手渡す。それが「発達障害、治るが勝ち!」のテーマでもあります。

そしてそれが可能なのは「言葉以前のアプローチ」にたどりついたからです。

ここから先は私の暴論です。

こよりさんはその生い立ちの中で、虐げられなれていた。少なくとも浅見基準では。
そしてそれを淡々とこなすことによって生きてきた。
それはそれで強みなのですが、ギョーカイに虐げられたとき、気づかなかったのですね。

一方で基底の充実があった私は、すぐに気づいたのです。そしてすぐに怒りの声を上げた。
それが様々な本に結実しました。

「ぼく、アスペルガーかもしれない。」
「発達障害は治りますか?」
「自閉っ子と未来への希望」
「脳みそラクラクセラピー」
「自閉症者の犯罪を防ぐための提言」
「30歳からの社会人デビュー」
「治ってますか? 発達障害」
「自閉っ子の心身をラクにしよう!」
「芋づる式に治そう」
「人間脳を育てる」
「愛着障害は治りますか?」
「人間脳の根っこを育てる」

ギョーカイは治さない。その理由は利権だけではありません。ギョーカイ人は恐怖麻痺反射の塊。自らの空洞を埋めるため、ずっと治らない障害者を必要とする。陰謀論? とんでもない。陰謀なんて張る胆力も能力もない人たちが支援側にいる。そしてその人たちが「自閉の子は天使」「ありのままでいいのです」に涙してあがめてきたのですね。

それは違う、とこよりさんは佐々木先生に直接意見していらしたそうです。佐々木先生は黙ってきいていた。そして数多くの講演をこなす中で、バリエーションの必要も感じたのでしょう。こよりさんを使ったのですね。そのお話を聞いて奥様は「佐々木家の子育ては失敗だった」とおっしゃった。こよりさんは初めてそれを沖縄で話してくれました。

そして沖縄でもてなされお仕事の対価をきちんともらう中で、自分がいかに今までギョーカイに無礼なことをされてきたかやっと気づいた。そしてトラウマが来た。

ここでたぶん二次障害回避原理主義者のギョーカイ人だったら、活動させないことを選ぶと思うのです。
でも私はこよりさんをお連れした。それが沖縄の人のためだから。そしてこよりさんは気づいてしまった。「でもお連れした方がよかったですよね」と私は愛甲さんにききました。「それに気づいてしまったんだし。それが運命。だったらこれまでの運命同様、こよりさんには淡々と受け入れてもらうしかありません」

「気づけてよかったですね」と愛甲さんは言いました。

過去のこよりさんが淡々とギョーカイの無礼さを受け入れてしまったのは、生い立ちに原因があると私は思います。私は大事にされることを知っていたから、ギョーカイの無礼さに気づくのが速かった。まあノーギャラはありませんでした。そういう方面で無礼な扱いは受けませんでしたが、裁判を起こす前に「健常者に人権なし」をさんざんやられましたからね。

私は特にフェミニストではありません。むしろフェミニスト的運動にはどっちかというと引いている方です。でも私は生涯において男尊女卑的な文化の中で暮らしたことはこの年の日本女性にしては少ない方だと思います。まあ若いころは今よりずっと、男尊女卑でしたがそれでも日本社会ではマシな方だったと思います。私の周辺にショービニストはいない。だから森嶋氏がショービニストだとすぐに気づきました。同じように気づいた人はいました。でも彼のそばの女性たちは気づかないのでしょう。ずっと虐げられてきた人は気づかないものです。

そして発達障害者の人、その家族は、知らず知らずのうちに虐げられなれしている人が多くて、支援者はそこに付け込んでいると思います。佐々木先生もそうだったかもしれない。あれほど皆さんが涙する佐々木先生の本に私がただの一度も心を動かされなかったのはだからだったのかもしれません。

でもこよりさんは気づいた。それが今度の旅の大きな意味だったと思います。

そしてこよりさんはこれから

周りに大事にされる人へと発達したのだと思います。

トラウマにさいなまれているこよりさんを見て、だんなさまは好物を買いに行ってくれた。通院で忙しい中、お子さんたちが夕飯を作って待っていてくれる。沖縄から戻った夜も、キャベツ入りのパスタだそうです。そう、キャベツ。内側の柔らかい葉っぱのパスタですね。

そう考えると私が沖縄で取った謎の行動にも説明がつきます。

こよりさんから一日遅れで戻る当日の朝、私はホテルで荷物を整理していて、前日アウトレットで買った二足の靴を見ていました。両方ともクロックスのアウトレット。ひとつはピンクの鼻緒つきのサンダル。もう一つはシルバーゴールドのスリッポンです。

両方とも三秒くらいしか迷わずに買いました。そしてその朝よく眺めていて、なんだかこのゴールドのスリッポンはこよりさんにも似合うなあと思ったのです。クロックスだからはきやすいし、リウマチがあってもおしゃれな靴。

っていうかこれ、私きっとこよりさんのために買ったんだ、とまで思いました。

だからこよりさんにもらってもらえますか? とメッセージをしてみました。
こよりさんも前日私が買うのを見ていたからどんなものかわかっているのです。

喜んで、というお返事がきたので、送りました。

おしゃれだし、歩きやすいし、そして見分けがつきやすいし(病院の靴箱とはは黒い靴ばかりでわかりにくいそうです)言うことなし、と喜んでくださいました。


沖縄に二人で出かけたいい記念になると思いました。

先日のブログを見て、岩手の方たちも動いてくださっています。


愛知県自閉症協会は、どうせ死んだふりでしょうけど(ブ)。

こよりさん論 佐々木正美先生信者からの攻撃

2017-07-15 08:35:22 | 日記
こよりさんは私に「佐々木先生の講演で壇上に上っても講師料はもらえなかった」とかねてから愚痴を言っていたわけではありません。私はそんなこと全く知りませんでした。沖縄に行って、「仕事をしたらギャラが生じる」という私としては当たり前のことを真顔できかれて、これまで受けてきた扱いを知ったのです。

逆にこよりさんは私が「そんなの当然でしょ」と思っていたことにショックを受けた。

そしていかに今まで大切にされてこなかったかわかった。
フラッシュバックが起こった。

ということをブログに書くと、こよりさんに無言電話やら匿名の罵倒メールやら送る人がいるということで、改めてギョーカイの民度の低さを知った次第です。とくに佐々木先生の信者、慈悲の心に涙した方々だと思っていましたので、そこまで民度低かったとは驚きです。

こよりさんの個人情報を知る人は限られています。これまでの講演先。所属していた愛知県自閉症協会。先日、すっかり客足の鈍った「自閉症カンファレンスNIPPON」の申し込み書が送られてきてびっくりしたとおっしゃっていたこよりさんですが(一度も出たことも出たいと言ったこともない)、きっと危機感から自閉症協会やなんかが宣伝協力しているのでしょうね。ご苦労様です。でもどうなのかな、それ。規約がわかりませんが、個人情報の流用といえば流用ですよね。

まあともかく、こよりさんちはナンバーディスプレイになっているので、いたずら電話は全部番号控えてあるそうです。そして電話がかかってくると何県からかかってきたか教えてくれる電話なんだそうです。岩手県からもかかってきたんですって。

岩手県。遠い。講演に行ったことあるのですか? ときいたら
・行きました。
・佐々木先生の関係ある主催者さんですがそのときは単独講演でした。
・旅費も講師料もきちんと払っていただきました。

とのことでした。

なんていうツイッターのやりとりを見てこういうブログを送ってくださる方もいました。
これでわかるのは、岩手にも信者はいるのだなあ、ということですかね。

あと京都府からもいたずら電話が来ているそうですが、京都は身に覚えがないそうです。

いずれにせよ

卑劣な行為は辞めた方がいいですよ、佐々木正美信者の皆さん。
故人を貶めるだけです。その程度の民度の人に慕われていただけなんだって。

そして今回どうして私のところには言ってこないんでしょうね?

神田橋先生のときには私に集中した。
今回はこよりさんに。
なんだかんだ「より弱そうな方を攻撃する」のがお好きですね皆さん。
強弱を見分けるだけの社会性もお持ちだし、弱者の味方じゃなさそうですね。

佐々木先生のご遺族がこよりさんに何か言ってこられたら、私に振ってくださいと言ってあります。
ご本人では言いにくいだろうけど、未払いのギャラは払っていただけるよう、お願いするつもりです。
手数料? 取りません。
これが正しいただ働きです。
身体にも不具合を抱えた人を呼び出してしゃべらせて送迎もつけない交通費も自腹ギャラも払わあない、というのは正しくないただ働き。立派な社会福祉法人がこういう真似をするわけです。
それに対し交渉ごとになれている人間が代わりに交渉して事態を正常化させるのは正しいただ働きです。

愛甲さんもただ働きしてくれました。
こよりさんの状況を説明すると電話していいですよと言ってくださいました。
そして五分ほど「言葉以前のアプローチ」をしてトラウマ取ってくれました。
次回からはこよりさんが自分でやればいいのです。
こうやって支援者は最小限のかかわりでいい。公金もいらない。それが花風社のやり方です。

花風社クラスタはこういう風に力を合わせてこよりさんを守っています。
いやがらせしている佐々木先生クラスタの皆さんもいい加減「ありのまま」はやめてくださいね。
「ありのまま」でいい時代は終わりましたから。

こよりさん論 キャベツ爆弾

2017-07-14 06:14:02 | 日記




おしゃべりのシャンパンタワー@沖縄でわかったこと。

こよりさんのご実家が苦労された時期があり
しかもそれは、お父さまの高潔な決断とそれを受け入れたお母さまが選んだ結果であり、そのことをこよりさんが誇りに思っていることはこの記事でわかっていました。

それでも、困窮というものが具体的にどのようなものか、私にはわかっていなかったと思います。

こよりさんには子どものころから、未診断の発達障害がありました。
それはお母さまにとって理解しがたい面を持っていたと思います。たとえば相貌失認。
こよりさんは下のごきょうだいの出産後久しぶりに会ったお母さんがいつまでも帰ろうとしないので「おばさんもここのうちの人?」ときいたそうです。
預けられていた親戚のおうちには皆に「おかあさん」と呼ばれるおばさんがいて、「この人がお母さんになったのだ」と思っていたので、これまで見なかった赤ちゃんを連れて自分を迎えに来た人がお母さんだとはわからなかったそうです。
お父さんは比較的髪型も服装も変わらないしタバコや作業着のにおいがしたけど、お母さんは覚えにくかったそうです。

貧しい生活を余儀なくされる中、そのような理解しがたい娘をもつと、親の方は悪気がなくても虐待気味になります。
もっともそれも現代的な視点での虐待判断なのかもしれませんが。
どういうことかというと、子どもを食べていくための共同作業者にしようとます。
これも口減らしのために奉公に出した昔なら珍しくもないことだたったでしょう。
ただ愛甲さんが「脳みそラクラクセラピー」に書いたような「子どもは子どもらしく」は無理なことになります。
家が困窮していることを、お母さまはごきょうだいには隠そうとしていたそうです。
けれども長女のこよりさんにはいろいろ命じたそうです。
お金が払えなくてライフラインが止まり、督促状を持って支払いに行く。コンビニ払いなどなかった時代、「バス代が子ども料金だからいってきて」とこよりさんが督促状を持って支払いに行ったそうです。
各種支払いを必死の思いで済ませ、ごきょうだいの給食費の袋にお金を入れ、そしてこよりさんが給食費の袋を差し出したときには、お母さまは限度だったのでしょう。こよりさんをぶったそうです。
そして今日の夕ご飯がない、というとき
こよりさんに命じて、スーパーにキャベツの葉っぱを拾いに行かせたそうです。この話したとき山城さんはぴんときてなかったみたいですけど私は主婦だからわかります。キャベツ買うとき、一番外側の固い葉っぱを捨てる箱がおいてあること多いですよね。あそこにみんなが捨てた葉っぱを拾いに行く役目を負っていたそうです。じゃないとその日、食べられるものがない。



いつインフラが止まるかわからない状況の中、お風呂に次いつ入れるかも不確かだったということ。
だから結婚して面倒見るべき高齢者が四人いる状況でも、毎日お風呂に入れることが確信できる生活になって、ほっとしたそうです。
結婚後は四人の高齢者にごはんをよそい、お茶を出し、食べ終わるころにやっと自分はご飯にありつける。そうすると「いつまで食べてるんだ」と叱られるような、そんな生活だった。私は初めてこよりさんと食事をしたときに、食べるのが速くてびっくりしたものです。でもゆっくり食べていられない生活を長年続けてきたのですね。
きっとそれがのちの糖尿病とかにつながったかもしれません。そして栗本さんのコンディショニングを受けて、糖尿病は治ってしまったのですけど。

まあともかく、あまり年齢の違わないこよりさんから繰り出される昔話は「これが同じ国の同じ年ごろの人の話だろうか」というようなものでした。
私はすっかりキャベツ爆弾にやられてしまいました。

でもわかったのです。
皆さん猫クイズを思い出してください。

努力するかしないか。
その判断基準をこよりさんは○○においていらっしゃいましたね。
要するに「サバイバル」です。

そしてそれはこよりさんの中で全く抽象的な話ではなかったのだと実感したのです。

人の捨てていったキャベツの一番外側のごわごわした葉。
それを拾わないと今晩食べるものがない。
だったら拾うでしょう。

具体的に「生きるか死ぬか」の状況を経験した人だからこそ
修行の大切さがすっきりとわかるのだと思いました。

そして

未診断の発達障害と貧困。子どもらしく生きられなかった子ども時代、が必然としてもたらす愛着障害。

と重なると、問題が起きないほうが不思議です。
こよりさんは場面緘黙だったそうです。

そしてそれが治ってしまったのは
就職がきっかけだったそうです。

中卒後集団就職で名古屋に出てきたご両親。
苦しい生活を経て、こよりさんとごきょうだいを立派に高校卒業させました。
ただそれ以降の進学は難しかった。
働かないといけません。

そして場面緘黙だと仕事なんかできないから
そこでこよりさんはしゃべれるようになったそうです。

つまりこよりさんは、「生きるか死ぬか」の状況とともに
「必要があれば障害特性は超えられる」ことも身をもって知っていたわけです。
それを娘時代に知り尽くし
そしてお母さんになったわけです。

とりとめのないシャンパンタワーを聴きながら、私の中で翌日の講演の構成が変わり、
「この話はしてもらわないといけない」と思いました。

そして講演は、実りのあるものとなっただけではなく
感動を呼びました。

「伸ばさないで重く判定された方がトク」というおせっかい親仲間にどう対抗するか?

2017-07-13 05:46:00 | 日記
昨日の記事にtaimyumachineさんからいただいたコメントを貼ります。

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Unknown (taimyumachine)
2017-07-12 05:16:40
福祉こそ儲け主義、発達させないことが彼らのメリット、という見方には賛成です。
でも、「親御さんの立場とは真逆」かというと、実はそれに該当する親は案外すくないのではないかというのが、私の問題意識です。
「この子は私が一生面倒みないといけない。だから、この子より1日だけ長く生きたい」とか言うのは、その子が成長しない前提でものを考えているということで、そのニーズにこたえているのが、いまの福祉のあり方なんじゃないかと思っています。
ある支援学校の前向きな先生が、子どもを伸ばそうとする取り組みをしようとしたら、別の先生から「そこまでやる必要ない。親御さんもそこまでは望んでいない」と言われたそうで、これも象徴的な話だと思いました。
放課後デイでも、多くの親は、活動内容よりも少しでも長い時間預かってくれることを望むようです。だから、子どもを伸ばそうとしなくても、親が望むだけ子どもを遅くまで預かってくれるところは利用者が多く集まり、お金も落ちる。本気で子どもを伸ばそうとしているけど、預かり時間を延長しないところには集まらない。
子どものニーズと親のニーズはちがっています。親のニーズにこたえれば、お金になり、子どものニーズにこたえるとお金にならないようなしくみになっているように感じます。
だから、子どものニーズを考える親の場合には、「支援者なくとも、自閉っ子は育つ」となるんじゃないかと思いました。

うちの場合、今回の就職でも、親元を離れてグループホームに入居したときも、子どものニーズを考えている支援者さんにお世話になりました。

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前回のコメントでもtaimyumachineさんは「親のニーズ」と「子どものニーズ」を別個のものと考え、今の特別支援教育等が親のニーズにしか応えていないことを指摘されていましたね。なるほどと思いました。
縮小再生産に現場が走るのは、それが多くの親の望みだから。
ただし私が見ている現実が若干taimyumachineさんと違うところがあるとするならば、ここですね。

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だから、子どもを伸ばそうとしなくても、親が望むだけ子どもを遅くまで預かってくれるところは利用者が多く集まり、お金も落ちる。本気で子どもを伸ばそうとしているけど、預かり時間を延長しないところには集まらない。
子どものニーズと親のニーズはちがっています。親のニーズにこたえれば、お金になり、子どものニーズにこたえるとお金にならないようなしくみになっているように感じます。

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私の見るところでは、預かりも大事だけど、伸ばすことを大事にしている親御さんもそれなりに数はいる。だから伸ばすことを大事にする人たちの放課後等デイなどの事業もまた繫栄しています。花風社クラスタもまた、伸ばすことを望む人たちでしょう。

栗本さんみたいな無名のおっさんがなぜこれほど短期間で人気者になって全国各地に呼ばれるようになったか。それはそれだけ伸ばしたい人が多いからです。


それを「健全な分断」と私は呼んでいるわけです。
だから今必要なのは連帯ではなく分断だと言っているわけです。
「治りたい人だけ治ればいい」と私は思っているのです。

そして報酬改定とかあって、たとえ今取りざたされている数字(現行の六割くらいらしい)になったとしても、預かりだけだったら十分じゃないの? なんて思うわけです。
子どもひとり数時間預かって六千円。別にいいんじゃないでしょうか。
ただその時間お母さんがパートに出て六千円稼ぐのは苦しいだろうから、だったら事業所に六千円払うよりお母さんに給付した方がいいような気もしますけどね。

でも一律に減額されて、伸ばすところが苦しくなるのはもったいないから、なんか差別化してくれるといいな、というのが個人的な私の望みです。

昨日の記事にFB方面に寄せられたコメントにやはり、親の方が重くなるのを喜ぶことへの違和感を書いた方がいました。伸ばしたい、努力を教えたいという親御さんもそれなりに数がいるけれども、健全に分断されていないと、そういう人たちに「重い方がいいわよ」とささやくおせっかいな猿烏賊スペクトラムの方々がいるわけですね。

この人たちにどう対抗すればいいか、私は新刊「発達障害、治るが勝ち!」に書きました。
原稿には書きました。
本になったときにどれくらい残るか? さすがにこれは突っ込みが多くわからない状況なので、生原稿をここに貼っておきますね。
私は「重い方がいい」と望む親が出てくるのは必然だと思っています。
歴史を考えればわかることです。
ただ、現代の人ならそれを乗り越えていくべきだとも考えています。
歴史にからめとられる人がいるのは仕方ありません。
ただ、その人たちが「伸ばしたい」という親仲間におせっかいしないことだけを望むものです。
そしておせっかいされたとき「こう解釈すればいい」と書いておきました。
先に言っときますが、かなり暴論です。
だから本に残すかどうか、まだわからないのです。
残るかどうか、お楽しみに。

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 保護者の中にも、年金の額が違う、受けられる支援が違う、などの理由でわが子をできるだけ重く認定されたい人たちがいる。なるべく重度に判定されるような検査結果を得るため、検査の前日子どもを寝かせなかったりするという。これはどう考えても児童虐待なのだが、そして第三世界の物乞いのように子どもを不具にして金を得ている非人道的な行為であるわけだが、実際に手足を折らないせいか、罪の意識もないようだ。
 そればかりではなく、堂々とそうした方法で重い認定を取ることを他の親にも勧めるのである。そしてなんとかわが子を伸ばしたい、少しでも治って自由度を広げてほしいという親たちにもおせっかいをかけてくる。重い方がいいわよ。重い方が支援が手厚いし年金がいいわよ。
 実に卑しい、と「私は」思う(これはあくまで、私の意見だ)。あまりに卑しいと感じるので、その歴史的背景を探ってみたくなる。いったいどういうルーツがこの卑しい考え方にあるのだろう。そうするとこの国の歴史の中では「子どもを売る」のは珍しいことではなかったことに気づかされる。
 この国ではほんの百年前まで、子どもは家の存続の犠牲になった。小さいうちから口減らしに奉公に出され、飢饉のとき娘たちは苦界に沈められた。時代は豊かになったかにみえるが、親がこうやって家畜のように子どもを金銭と引き換えにし、子どもの伸びしろを否定し、人権を侵害することは時代を超えても身体にしみついていても不思議ではない。できるだけ重い障害に認定されたいと願う親たちは、「わが子を金に換える」という飢饉に見舞われた昔の農民と同じ行動をとっているだけ。ただ、現代ではこれがモラルハザードと呼べるだけなのだ。
 この本の読者が「できるだけ重い認定を取ろうとする親たち」に同調しないのなら、それは現代的な人権意識が身についているということでなんら引け目を感じることではない。だから「重い方がいいわよ」と言われてうっとうしい思いをしたら「貧しい時代の飢饉のときの農民みたいだな~」と心の中で思っていればいいのである。

=====

さてどれくらい残るでしょうかねここは。

「発達障害、治るが勝ち!」
直販はお盆前
書店発売(ネット書店を含む)はお盆後の予定です。
直販分には
「治るが勝ち!」特製ミニクリアファイルをおつけします(予定)。
今デザイナーさんが鋭意デザインしてくださってますよ。

福祉が金の話ばかりしている件(閲覧はお早めに)

2017-07-12 04:35:41 | 日記
放課後等デイが報酬改定とかあるかもしれないという話で
これで儲け主義のところが消えてなくなるのだろうかという話が出て
「儲け主義のとこ?」って思いました。

そして一部お母さんたちの間では
「儲かるから進出してきた株式会社等=儲け主義」で
従来からの福祉クラスタは儲け主義ではない、という誤学習が広がっているのを知りました。

意外と浸透していないんだなと思いました。

私が指摘し続けているのは、福祉こそ儲け主義だっていうことです。
で、それも仕方ない面もある。みんな食べていかないといけないから。
でも福祉が

・よりたくさんの人が
・より重い障害に
・より長い期間

とどまってくれればくれるほど儲かる事業
すなわち当事者を生ける屍状態にして固定資産となってもらって
「生涯にわたる支援」を提供することで繁栄する事業である以上
そこからの身の引き時を考えなければいけないよ、と警鐘を鳴らしているわけです。
福祉的にはグレーゾーンの子がどんどん黒くなると万々歳なわけです。
「発達させない」ことが彼らのメリットになるわけです。
でもお子たちの親御さんの立場とは真逆でしょ、これ。

むしろ私なんかは、塾産業から進出してきた人の方が信じられる面もあります。
だって塾は成績伸ばさないとお客集まんないでしょ。

それでも報酬改定でいなくなるのでしょうね。

ちょうどFBで、福祉クラスタが金の話ばかりしている記事がシェアされていました。

地球マークがついています。
つまり外からも見える。
リンクします。

自分のウォールにシェアして「福祉は金の話ばかりしているよ」とコメントしたら

「すごい! 見事に人の話は出てこない」というコメントがありました。

そうなのです。

このウォール主は見たことも聞いたこともない人ですが(私は)誰かがご忠告して閉じちゃうかもしれませんから、閲覧はお早めに。
福祉クラスタは福祉クラスタで金の話ばかりしているのがよくわかると思います。

福祉にとっては治らない障害者がおいしいのです。
だから「ありのまま」「二次障害回避原理主義」が好きなのです彼らは。
そして福祉の中では、主体的な生など望めないのです。
だからこそ「治るが勝ち!」なのです。


こよりさん論 謎の見張り合い社会

2017-07-11 09:21:21 | 日記




こよりさんただ働きの件につき「確認しなかったのが悪い」というもっともらしい人がいますが
これこそ「いじめはいじめられている方が悪い」と同じく筋の悪い議論だということはご自覚くださいね。
いじめはいじめられている方が悪い、っていう人がいたら集団でそろって非難しそうな人たちが同じ口で確認しなかったらただ働きも仕方がないみたいなことを言う。
佐々木先生の名誉を守りたい気持ちはわかりますがこれとそれとは話が別。
多くの親御さんが佐々木先生に癒しを見出したことを否定するものではありません。私は一度もご本に心を動かされたことはありませんが、ちゅん平さんでさえ弱っていた時は癒しを見出したようなので、弱っている人にはちょうどいいコンテンツを提供していらしたのでしょう。
そして昨日の記事にいただいたコメントによると、当事者の方にも冷たかったようですね。というか少し、面倒だと思っていらっしゃったのかな。面倒ごとを避けたい、というギョーカイのDNAをしっかりお持ちだったのかもしれません。だったらまあ、YTの件は死んだふりするのは当たり前でしたね。

今回こよりさんのただ働きを知り、ちゅん平さんもフラッシュバックがあったそうです。
それは、謎の罪悪感。
「私はこれまで講演をしたらそのたびに報酬をいただいてしまった」という謎の罪悪感です。
でもニキさんもこの点思考回路は似ている。
他人と比べて恵まれている自分をずるがるんです。
私には謎。だから自閉由来かと思っていたのですが、どうやら見張り合い社会(当社比)を知っているとこういう思考回路が定型の人でもできあがるようなので、必ずしも自閉由来ではないようです。

そしてちゅん平さんがこれまで報酬をもらいそこねたことがなく、こよりさんはもらえないこともあった、主催者にひどいこと言われたこともあった、という事実から皆さんは何かを学べると思います。ギョーカイがどういう人たちなのか。

弱者の味方? とんでもない!
バックがある人とない人ではころっと態度を変える。(精神的な)田舎者の集まりです。

見張り合い社会に関してはむしろ私の方がレア。諸条件が重なって、育ちの中でうまいことそういう見張り合い社会を避けてきたんですね。だから猿烏賊山が初の出会いだったわけです。
だからその卑屈さにびっくりした。でも傍で見ていて「ああいう集団はどこにでもいます」という感想を持った人も多かったのですね。

さて。

セントレアからのこよりさんの便と羽田からの私の便は同時刻に那覇空港に着くはずでした。まあ理論的に。現実には無理です。着陸は一本ずつでしょ?
でも羽田のテイクオフはお約束どおり飛行機がラーメン屋に並ぶ人間のように並んで順番待ち。10分遅れで那覇空港に着きました。電波入れていいと言われたとたんにこよりさんと山城さんからメッセージが。山城さんは車をどこに停めてあるか教えてくれていて、看板を目印にしていた。でもこよりさんは目の病気で視野に欠けもありますから看板を目印はきついかな、と思って予定通りの場所で待っててもらうことにしました。そしてそこで荷物をたくさん持った上に杖をついているこよりさんをピックアップして車を探します。

車内では最初こよりさんの独演会。これはまあ、自閉っ子あるあるです。初対面の緊張を解くためなのか、沈黙の時間を作ってはいけないという謎の義務感なのか、会った直後の自閉圏の人が独演会を続けるのは羽田のテイクオフ待ちと同じくらいあるあるな現象です。いったんは独演会のシャンパンタワーを満たしたほうがいい。というわけで私はじっと聞いていました。山城さんも聴いていた。きっと勉強になったと思います。

私はこよりさんの子育て方面等の話はもう結構聴いていますが、改めて聞く生い立ちと、そして現在のお友だちづきあいが新鮮でした。

実は今回の話が決まるとき、山城さんとメッセージを光の速さでやりとりして、さっと私のスケジュール→こよりさんのスケジュール→会場という順番で抑えました。その速いやりとりの中で私がきいたのは「この日私と一緒に沖縄に行けますか?」ということで、「行けます」という返事がきました。そしてしばらくしてきた質問は「ところで沖縄はなんのために行くのでしょう? 観光ですか?」というもの。

いや、そんなわけないでしょう。私がこよりさんを誘ったら、お仕事以外にないじゃないですか・・・

と思ったのですが、これが「あのさ~それくらいわかるだろうふつ~」という「モンダイな想像力」かもしれません。こよりさんは家庭の主婦。そういう人を費用も時間もかかる沖縄観光旅行に気軽に誘ったりしません。でも佐々木先生は何十万円もするノースカロライナへの旅行に誘ったそうですけど。

まあともかく、沖縄に行くということで、息子さんからもだんなさんからもこよりさんはお小遣いをもらってきたそうです。だからお土産を買わなくてはと言っていました。そしてそのお小遣いに関してもお友だちはぶつぶつ言うらしいのですね。

こよりさんの話を聞いていると、周囲のお友だちの民度の低さ(ブ)にびっくりすることがあります。でもそれがスタンダードな世界もあるんでしょう。

そしてニキさんとかは、その世界で「なんとか叩かれまい」と必死になって自責に走る感じ。ちゅん平もそっち系なのかも。ニキさんほど自責的ではないけど。でも「私は報酬もらえなかったことなかったごめんなさい」みたいなのはそっち系の発想ですね。

私はそもそもそういう世界を知らないから、レアな出会い(猿烏賊山)があると「なんだこいつら」と蹴散らす感じ。「○○さんだけ報酬もらってずるい」とか言う人がいたら「仕事したら報酬が発生するのは当たり前。ひがみっぽくてやだね!」って言い返す感じ。

そしてこよりさんはもっとのらりくらりとやり過ごして喧嘩もしないけど同化もしない感じです。
決して無理していない。でも喧嘩もしなければ同化もしない。

これはなんなんだろうなあ、と私はこよりさんのおしゃべりを聴いていました。

あ、ちなみにこの「シャンパンタワーを満たすおしゃべり」についてあるときニキさんに言われたことがあります。

「浅見さんは大して真剣に聞いてないんだよね。だから気軽にしゃべれるんだ」

ばれてたのか~と思いました。

こよりさん論 プロローグ ギョーカイの大スキャンダル

2017-07-10 08:58:01 | 日記
豪雨に見舞われている地域の皆様にお見舞い申し上げます。

一方で関東は梅雨の気配もありません。水に苦労する夏になりそうです。日本列島を覆う雨雲は、バランスが悪いですね。

週末は関東の水がめであるはずの北関東に行ってきました。雨の気配もなく、暑くて蝉が鳴いていました。

そしてその週末の間にこよりさんが深いフラッシュバックを抱えられたそうでした。
沖縄できちんともてなしを受け、お仕事の報酬をもらった。普通に親切にしていただいたことで、逆に、これまでギョーカイにどれだけひどいことをされてきたか改めて自覚し、負の芋づる式に佐々木先生や主催者にされたひどいことがよみがえってきて、フラバにとらわれてしまったのでした。

沖縄での良い思い出が、つらかった記憶を呼び出してしまうわけです。ここで二次障害回避原理主義者だったら「やはり沖縄に連れて行かなければよかった」となるのでしょう。とにかくつらい記憶を抑えつけておくように。そうやってぼんやりと生きがいも何も与えず障害者の生活を消化試合にするのですね。そして、その人が持っている資質を社会に役立てようという動きも全部封じてしまう。二次障害を避けない、という私たちのやり方はそれに真っ向から反対するものです。トラウマは処理しましょう。そして出てしまったフラッシュバックは有効利用しましょう。ということでまずは当面のつらさを取る方法を愛甲さんにご相談。こよりさんから愛甲さんにお電話していいということでした。電話でできるトラウマ処理があります、と。そして功を奏したようです。よかった。

あとは私のギョーカイトラウマ同様、活用していけばいいのです。それが「治る」ということです。さっそくこよりさんが書いてくださったこと。それはギョーカイの大スキャンダルでした。佐々木正美先生の奥様が「佐々木家の子育ては失敗でした」と満場のお客様の前でおっしゃったという衝撃の事実です。



でも奥様は勇気がある方だと思います。こよりさんのお話を聞いて、そう認められたのですから。そして「ありのままでいいんだよ」の被害を自分のうちだけにとどめようという志をお持ちだったのでしょう。当たり前です。どこのおうちも佐々木先生のような高収入のお父さんがいるわけではありません。そしてその高収入の一部は、こよりさんからの搾取で成り立っていたのです。

大久保さんのツイートを貼らせていただきます。



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親なき後を想うからこそ、親御さん達は子育てに悩み、必死にあなたの話を聞いて、本を読んでいたのに、当のご本人の子育ては、結局、「親なき後のために、お金を貯めておきましょう」
15:43 - 2017年7月9日

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今回こよりさんを沖縄にお連れして、最初の日に「講師料はいただけるんでしょうか?」ときかれたときにむっとしました。当たり前のことをきくからです。そして「いや、お金がないかと思って」と言われたときには、なんて出過ぎたことをとまたむっとしました。

でもそれでわかったこと。こよりさんはこれまで佐々木先生とお仕事をしたときでも報酬が生じるとは限らなかった。交通費さえもらえなかったこともあった。リウマチがあり杖を使っていて目の病気のせいで視野に欠けもある。そういう身体で出かけているにもかかわらず、送迎さえ手配されないこともあった。佐々木先生にはそういうこよりさんを自分の送迎者に同乗させるだけの思いやりもなかった。

そんな人の言葉にみんな慰められていたなんて、大笑いです。

そしてそういう無礼な待遇を主催者から受けても「いや、うちお金ないんで」とか言われてきたんでしょうね。そしてそれをハイパーりちぎに受け止め「じゃあ仕方ないな」と思ってきたのでしょう。それが向こうの方便だとも知らずに。だから「今回もお金がないのならもらえないな」と思いながらやってきて、ああいう言葉になってしまったのでしょう。

悪気はないのに他人の建前をそのまま信じて別の他人に失礼なことを言ってしまう。自閉っ子あるあるです。私はむっとした。でも悪いのはこよりさんじゃないですね。こよりさんを無料で無礼に使役してきた佐々木先生とこれまでの主催者です。

じゃあなんでそんな目にあうんでしょうね?

それは環境とご本人、両方に原因があるような気がします。
あ、でもこよりさんは悪くないですよ。一万パーセント悪くないです。
でも「付け込まれる資質」は育ててきてしまった方だとは思いました。

そして今、それを治す道が始まったと思います。

不定期になるかもしれません。
二泊三日でわかったこよりさんの姿を私なりに描いてみます。
プロローグはまず、ギョーカイの大スキャンダルからでした。


底の知れた障害者支援

2017-07-08 06:18:45 | 日記
こよりさんのブログ。




を受けたねこ母さんのブログ




佐々木先生も腐ってますが、これまでこよりさんにこういう仕打ちをした主催者も腐っていますね。
地域では名のある社会福祉法人やなんかでしょ。世間に向かって障害者の権利擁護を声高に叫んでいるんでしょ。佐々木先生を呼んでのセミナーもその一環でしょ。その足元で障害当事者にこういう扱いをしている。無料で使役したあげくひどい言葉を浴びせ、経費も払わず、リウマチもあるその人に送迎もしない。

本当に腐ってます。

皆さんわかったでしょう?

これが福祉の実態ですよ。

っていうと、「自分のところは違う」っていう方々も多いでしょう。知っています。私も心ある方とたくさん出会ってきましたから。

思うに私自身が権威ではないから、私に興味を持ってくださる方は内容重視なのでしょう。そうすると肩書のない当事者を無料で使役するようなことはしない。私はね、著者と出かけた講演で著者より多くいただいたことはありません。だいたいは山分け。予算に限りがあるときは、つねに著者を優先してもらいました。

権威を持たないのもメリットがありますね。その分客筋がよくなります。

一方で佐々木先生を呼ぶようなところは権威がお好きでしょうから、肩書のない当事者には冷たくするのでしょうね。そして異様に先生をあがめて、車に同乗すら遠慮させるのですね。

田舎者だなあ(ブ)。

だいたいね、医者だからえらい、なんていうのは田舎者のメンタリティですよ(ブ)。

医者なんて治せなければただの浮世離れした役立たずのおっさんです。

TEACCHを持ってきてくれてありがたい、っていうのは当然そうでしょうけど

TEACCHくらい力のあるプログラムはね、誰かが早晩持ってきたんですよ。

本当にみんな、自分の頭を使って考えてください。
誰が信頼に足るのか。
多くの人は私から見ると、驚くほど自分の頭を使って考えませんね。

そして昨日も書きましたけど
自分の対談相手にきちんとした処遇を確保する交渉力もない人がお子たちを社会に送り出すことは無理ですね。

私は佐々木先生に皆さんがどれくらい慰めを見出されたのか全くわかりません。
慰められるために集まる人たちの気持ちも皆目わかりません。

でも

佐々木先生の一生は終わってしまったけど、おそらく

これまでの栗本さんの方が一次障害を治した人は多いんじゃないでしょうか。
権威なんてないどころかミーハー話の分マイナスかもしれないおっさんですが。

そして栗本さんの一生はまだまだ続くから、これからも増えるでしょう。

どっちを選ぶのも自由。
皆さんが決めることです。
医者だからえらい、なんていうのは思考停止の田舎者です。