石垣方面を台風が通り過ぎたようですが、沖縄本島は暑い一日でした。
私は山城さんの事業所のスタッフお二人とともにお城に登り、海辺を散歩しました。
途中で海の修行のことなどをきいて、またたくさん気づきをもらいました。
もちろん栗本さんや画伯や山城さんの悪口もたくさん言いました。
私がギョーカイの死んだふり、当事者の主体性無視を見て傷ついてきたように、支援する立場で「何をやってもどうせ無駄」と思っている親御さんを見るのは傷つく体験だろうなあ、と思いを馳せました。
じゃあなんで親御さんは「どうせ無駄」って思ってしまうようになるのでしょうね?
なんていうことをつらつら考えて、すとんと降りていた答えはこれです。
一応の努力はしたのですよね、「どうせ無駄」に至るまで。
なんとかセンターに行って、いろいろ習うのです。
トークンを使うこととかね。
ところがそれが誤学習を育ててしまい
むしろ悪くなるのです。
そうすると「専門家に習った方法やったのにますますダメになる」という体験を積み
「どうせ無駄」になっていくのです。
じゃあなんでその方法ではうまくいかなかったのか?
結局下位の脳を無視していたからですよね。
なんとかセンターで教わるのは、上位の脳への働きかけだけ。
それでもそういうどうせ無駄段階に至った親御さんの心をほぐすのは難しいでしょう。
でも、栗本さんやなんかの知見を採り入れて
本当に小さなことでも一次障害が治ったら
そのとき親御さんのどうせ無駄も治るかも知れません。
それが近道。
っていうか唯一の道かも。
そして言葉以前のアプローチでは治せるもんね。
応援しています。
沖縄の皆様、ありがとうございました。