治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

ジャニーズのセクハラ騒動と医療福祉教育

2023-03-10 11:24:30 | 日記
最近、大久保さん@てらっこ塾のYouTubeをみると、そのあとにおすすめが続きます。
だいたいはH田先生とかいう、発達障害ギョーカイ人大物のYouTubeをおすすめされます。きっと大久保さんの動画を見たことにより紐づけされたのでしょう。
ちなみに私はYouTubeの有料会員?ではないので、広告もばんばん出てくるし、そのとき見たガジェットによっておすすめ内容が違います。あるガジェットでは犬猫が出てくるし、別のガジェットでは筋トレが出てくる、みたいな感じです。

ところでコロナ禍を経てギョーカイの啓発活動はH田先生に一本化されたのかな? これまではそれぞれのローカルでギョーカイメジャーがいましたが、その手の人が金太郎飴的に出てくる啓発講演とかはコロナでなくなり、今後はH田先生が全国配信すればそれで事が足りますもんね。
たくさんのギョーカイ人が啓発方面で失業しそうだし、そうなるといいな、と思います。
自治体がアリバイ的にやる啓発講座で「一生治らない」と洗脳される人が気の毒すぎますので。

さて、前置きが長くなりましたが
大久保さんの動画の後、H田先生動画をリジェクトするので、時事問題がいっぱい出てきます。
その中で最近割とよく見たのが
・ジャニーズセクハラ問題
・三浦瑠璃氏方面
・幸福の科学の教祖が亡くなりご長男が活躍している件

です。
この中でジャニーズセクハラ問題がとても日本的にいやらしく、また医療福祉教育という私の嫌いな三大産業の世界のトラップと結びついているので、これを取り上げようと思います。

BBCの番組自体は見ていませんが、番宣を見ました。
短い中に、BBCのジャーナリストが憤っているのがわかりました。
なぜこれほど長期間に続いたセクハラを皆が知っていながら日本社会は無関心なのか、と彼はどうしても理解できないようでした。

日本社会が、ジャニオタ以外の人々も含め、ジャニー氏のセクハラに死んだふりしてきたにはいくつか理由があると思います。

・セクハラに寛容である(対欧米比)
・男色に寛容である(同上)

という文化の特殊性に加え、

・長いものには巻かれろ

の処世術がわりと「賢い」と評価される社会。
それと多神教。
小暮画伯が最近、クジラを食うなという欧米の押しつけを一神教の押し付けと論じていてそれはそうかもしれないのですが、多神教にも弱みがあり、それはすぐその場で人を神に仕立ててその人に従ってしまうことです。
最近の言葉でいうと「施設管理権」とか。
法的根拠がなくても貼り紙はってあるとマスクしちゃう、みたいな感じ。神をその場でインスタントに作ってそれに従う。
そしてジャニー氏などは、間違いなく斯界において、神だったでしょう。

でも私がジャニーズ関係のセクハラに死んだふりしてきた理由は上記のものより下記が強いです。

・セクハラされていた男の子たちも覚悟の上入ったんでしょどうせ。
・男の子たちも野心を満たすためにジャニーさんの性欲を利用したんでしょどうせ。

という見解だったので、つまり「された方にもメリットはあったはず」とみなしていたので、とくに気にせずジャニーズコンテンツを消費していました。パパ活とかそういうのと同じ感じで基本的には個人の自由だろうと。
といってもジャニオタでもなんでもない私はNHK受信料以外には課金したことなく、ただテレビに出ていると見るだけの消極的な消費者ではありますが。
ともかく私もこのBBCの記者が憤った「無関心な日本人」の一人でした。

そしてこの「何らかの利得のために、被害を甘んじて受け入れる」処世術が日本ではとてもお利口なこととされています。
福祉産業に家族を預けている人などはとくにそうでしょう。
医療と教育でも、消費者がやけに提供者に忖度し、そして機嫌を損ねると悪いことがふりかかるかのように振舞います。
でもそれって本来おかしいと思いませんか?
あっちも金取ってやっているのです。プロなのです。

例えば教育現場におけるコロナの過剰防衛で苦しんだお子さんは多いですが、それをなんとかしようとする親御さんたちも「子どもを預けているのだから言いかたに気をつけよう」みたいな共通理解をしており、オブラートにくるんだような言いかたをお利口とする風潮がありました。私にはそういう「お利口な」手段は使えないなあと思いました。
「10年目の自閉っ子、こういう風にできてます!」に書いたとおり、人はそれぞれ問題解決の仕方が違い、私は「強行突破」だからです。そしてこの「強行突破」をやりすぎることでお利口な人たちからはバカ扱いされてきたのが私の歴史です。

多神教文化の中でその場の神の機嫌を損ねないよう立ち回る処世術がお利口だとしたら、私は大変にバカなのです。そういう使い分けができない。

でもきっと、ジャニーズに入って名声や富を得たい男の子たちは私よりずっと生き方が賢いはずなので、セクハラされてもそれにひきかえるものの大きさから我慢ができるのだと思っていました。
それと同じで私は「私って言いかたとか考えて立ち回りうまいでしょ」みたいな人には一ミリも魅力を感じないのです。悪いけど。

ジャニーズに入っても、セクハラを我慢できない子もいたようで、インタビュー等答えています。
生理的な嫌悪感を我慢できない子たちの方を、私は健全だと思います。

同じように福祉や医療や教育がけしからん真似をしたときには、それを正面から指摘するしか私にはできません。
それが現在の「治そう」路線につながりました。

だから私はバカだったけど
私がバカだから助かった人も多かったのです。

バカとはさみは使いよう、の一例でした。

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