
さて、ちょっと間があいてしまいましたが50歳若返る旅の続きを書きますね。
帰る日の朝、未明に星を見ていたこともあり、朝焼けは寝過ごして見逃しました。
朝食後、夫はzoomで会議だそうです。
私は邪魔しないように、海に出ることにしました。昨日思い出した潜水をもうちょっとやってみるためにおでこに水中眼鏡をのっけます。
「今日はもう帰るんだから、あまり遠くに行くなよ」と夫にくぎを刺されました。
そうだよねえ。みんなに心配かけてもいけないし。
というわけで私は湾の中で浮いたりもぐったりして遊ぶことにしました。
会議はわりとすぐに終わったようです。
やがて蛍光色海パンの夫が出てきました。ホテルの人が部屋にきたそうです。
本当は11時にチェックアウトして送ってもらう予定だったのだけれど、先方の都合で12時になった。ので一時間のレイトチェックアウトはホテルのサービス。それで送ってもらって、空港で簡単にランチして飛行機に乗るという予定になったそうです。つまり、一時間多く遊べる。ラッキー。
私は潜ったり浮かんだりを繰り返して遊びました。
上下に動くのが面白いと思いました。
そしてたしかに潜るのにはフィンがあると便利だと思いました。
よく離島が大好きな人が集うSNSとかでは、岩の間を人魚姫みたいに泳いでいる人たちがいるけど、ああいうのはやはり(とくに知らない海では)一人では怖いし、習わなきゃいけないんだろう。でもまあ、それは来年以降の話。来年はいったい日本はどうなっているんだろう? と思いました。
2019年の年末、タイから戻るとき、また夏に来るつもりでいました。でもそれは無理だった。
2019年の春、五稜郭の桜が散ったあとに函館に出かけ「また来年来ればいい」と思った。でもそれは無理だった。色々無理だった経験を積んでくると、本当に来年どうなるかわからない。だからこそ今を楽しもう、と私は海遊びの回数券を使い切るつもりで遊びました。
くねくねと浮かんだり潜ったりするのは気持ちよかったです。
それと潜って小魚の群れと出会ってそれを追いかけたとき、気が付いたのです。
ヒトの身体機能はなんのために発達してきたか?
それはまず、生き残るため。
なぜ視覚が発達してきたか?
その第一の目的は、捕食行動だったはずです。
人間は獲物を探し、見つけ、それを目でとらえて、身体をそちらに動かして獲物をとってきた。
生き残るために身体は発達したのです。
今私が魚を追っているのは食べるためじゃないけど、それは私が今飢えていないから、空港に着いたらなんか食べ物が手に入ることがわかっているからであり、遠い祖先は魚を見たら食べ物に見えたはずです。
大久保さんは新刊「医者が教えてくれない発達障害の治り方 1 親心に自信を持とう!」の中で、就学前にどういう身体機能がそろっていたら授業についていけるかと、そこまで発達するまでにたどる道筋をコラムにしてくれています。その中には「黒板を見るだけの目が育っているか」のコーナーもあります。
そして私は身体で実感したのでした。黒板を見るだけの目が育っているかどうかは、今は学習上の課題にすぎないけど、遠い祖先にとっては死活問題だったのだと。
そういうものがプログラム化されたビジョントレーニングで育つわけはないのです。やはりそこには子どもの自発性がないと育つわけがない。
さんざん遊んだあと、太陽の位置から11時を過ぎたなと思った私は、引き上げ、シャワーを浴び、荷物をまとめました。
空港に送ってもらい、軽く食事をして機内でうとうとし、気づいたら成田でした。
遊びきった旅でした。
そして浮いたり潜ったり色々なものを見たことで
自分の中の生き物の原点みたいなことに気づいた旅でした。
これは次の本、栗本さんと一緒に作る本に活きるはずです。

翌日。唇が腫れています。
たしかにここには日焼け止めを塗らなかった。だから唇だけ腫れている。
最近はそんなにサプリも盛りませんが(コロナ禍始まってから)、私は日焼けしたあとに定番のCを取りました。あとEとAがあればいい。AはあったけどEは切れている。でも冷凍庫には鰻があるから、あれでいいわ。別にサプリ買う必要もない。
荒れた唇は水泡ができ、それが割れて血が滲み、そして正常になりました。全治三日でした。
ワセリンを時々塗っただけでした。
そして耳に違和感を感じ手をやると、耳たぶの皮がむけました。
たしかにここも日焼け止め塗らなかった。耳なし芳一状態。
その他の場所は無事でしたけど、とりあえず身体のごく一部とはいえ粘膜が弱っている状態の時には室内の人ごみに行きませんでした。まあ帰ってきた翌々日🚴は30キロくらい走りましたけど。
私はノーガードに見えるかもしれないけど、コロナが始まってからメガビタミンはしていない、極端な糖質制限もしていない、身体のことを考えてマスクはしない、など、気を使っていると思うのですよね。ただそれが、分科会とか医師会とか飛沫担当大臣の言いつけと違って自分の体感を指針にしているだけ。今回の旅から戻って結局二週間以上経ちなんにも起きていないし、百歩譲って不顕性感染があったとしても周囲にも私からうつった人などいないし、どうやらデルタ株の最盛期も乗り切った。それは多くの皆さんもそうだと思うのです。もっとみんな一年半無事だったことに自信を持てばいいのじゃないかしら。
そして日焼けもすっかり落ち着き、私がこの旅のご報告の連載を始めたあとになって、夫が言い出しました。
自分の休暇とホテルの空室が重なっている日があと年内三日だけある。
とっても人気の宿で、本当に取れないのです。今この時期も満室続き。
でも開いている時期がある。泳げる時期じゃないかもしれないけど。
ちょうど感染の波は収まる時期だね。
だったら予定入れておこうか。
というわけで
少なくとも来年までさよなら、と思っていたけれどもあと年内に一度予定を入れてあります。
もちろん自分が体調悪かったり、情勢が大きく変化して先方に断られたりしたら行きませんが。
私たちはこの一年、医療ファシズムの中で自由が奪われる人々を目にしてきました。
というか、自ら恐怖に駆られて自由を受け渡す人の多さにびっくりしたジャパンですよ。
その中で私は自由に生きられる境遇にあります。
でもそれは一朝一夕で培ったものではない。
たとえばみんなが「生まれつきの脳機能障害で一生治らない」とギョーカイに洗脳されていた時それに沿っているような自分の頭で考えられない人だったら、今も尾身爺や西村飛沫担当大臣の言うとおりにして一年半どこにも行かなかったかもしれません。
そして「50歳若返る旅」とかのんきなレポートしている若くない女に怒りを感じていたかもしれない。
でも私は自分の頭で考える人だった。
自分の身は自分で守ってきた。
それが公式見解と違ったときには自分の体感を信じた。
そして二十代の頃から、いつでもどこでも仕事ができる体制づくりに励んできた
それが一挙に花開いたのがこのコロナ禍なのです。
私は感染自体が悪いことだとは全く思いません。
感染した人がいたら「お大事に」という以外の言葉を持ち合わせません。
それは私の不幸を願ってやまない人に対しても基本同じだと思います。
でも
自分たちが凡医や政治家の押し付けてくる過剰対策をまんま受け入れて
そして実は不幸で仕方なくて
それを守らない我々を糾弾していた人がかかったら、ほんの少しざまあみろと思うかもしれませんね。
自分で自分を大切にせず、こっちを大切に思っているわけがないえらい人の言うこときくからいけないんだよ。
この秋、政局もあり
今後どういう展開になるかもわかりません。
全世界が自由を取り戻しつつある今、なぜ日本人だけが自粛やマスクを強いられるのか、皆さんよく考えたほうがいい。
さらに自由を縛る動きも取りざたされていますが
そしてSNS等では反自粛派も先取りの不安に駆られていますが
意外と花風社クラスタ不安を感じていない。
それこそが身体アプローチの成果だと思うのです。
私の今の偽らざる気持ちとしては
「お手並み拝見」でしょうかね。
私は感染しないようにはしようと思います。
それは以前より強く思うようになりました。
なぜなら凡医ズや政治家の言いつけは守らず感染しなかった人という生きたエビデンスになるつもりだからです。
日本はファクターXも調べもせず注射をはじめ、副反応を続々と出していますので、誰も調べないだろうけど、ファクターASAMIがあると思われます。
マスクせず、自粛せず、県境跨ぎ放題で、以前に比べて減ったけど時には宴会的なものも出るのにかすりもしないファクターASAMIがあると思われます。
それもどうせ調べないんだろうな。
それにきっとこれは特別なファクターですらない。
皆さんは自粛やマスクに守られていると思っているかもしれないけど、実はやんなくてもかからないんですたいていの人は。
この冬は大変になると思います。
優先接種した人たち、すなわち高リスクな職場にいたり高年齢の人たちはどんどん抗体が切れるでしょう。
次々と打った人たちは、免疫の弱った状態で気温の低下を迎えます。
打たなかった人たちはシェディングに対応しながらなんとか株に対応することになります。
何十年かあとには黒歴史になる中を私たちは生きています。
その冬を乗り切るために何をするか。
一人一人が考えましょう。
自分の頭で。
生き残りのために。
私たちはそうやって生き残ってきた人類の子孫なのですから。
完

帰る日の朝、未明に星を見ていたこともあり、朝焼けは寝過ごして見逃しました。
朝食後、夫はzoomで会議だそうです。
私は邪魔しないように、海に出ることにしました。昨日思い出した潜水をもうちょっとやってみるためにおでこに水中眼鏡をのっけます。
「今日はもう帰るんだから、あまり遠くに行くなよ」と夫にくぎを刺されました。
そうだよねえ。みんなに心配かけてもいけないし。
というわけで私は湾の中で浮いたりもぐったりして遊ぶことにしました。
会議はわりとすぐに終わったようです。
やがて蛍光色海パンの夫が出てきました。ホテルの人が部屋にきたそうです。
本当は11時にチェックアウトして送ってもらう予定だったのだけれど、先方の都合で12時になった。ので一時間のレイトチェックアウトはホテルのサービス。それで送ってもらって、空港で簡単にランチして飛行機に乗るという予定になったそうです。つまり、一時間多く遊べる。ラッキー。
私は潜ったり浮かんだりを繰り返して遊びました。
上下に動くのが面白いと思いました。
そしてたしかに潜るのにはフィンがあると便利だと思いました。
よく離島が大好きな人が集うSNSとかでは、岩の間を人魚姫みたいに泳いでいる人たちがいるけど、ああいうのはやはり(とくに知らない海では)一人では怖いし、習わなきゃいけないんだろう。でもまあ、それは来年以降の話。来年はいったい日本はどうなっているんだろう? と思いました。
2019年の年末、タイから戻るとき、また夏に来るつもりでいました。でもそれは無理だった。
2019年の春、五稜郭の桜が散ったあとに函館に出かけ「また来年来ればいい」と思った。でもそれは無理だった。色々無理だった経験を積んでくると、本当に来年どうなるかわからない。だからこそ今を楽しもう、と私は海遊びの回数券を使い切るつもりで遊びました。
くねくねと浮かんだり潜ったりするのは気持ちよかったです。
それと潜って小魚の群れと出会ってそれを追いかけたとき、気が付いたのです。
ヒトの身体機能はなんのために発達してきたか?
それはまず、生き残るため。
なぜ視覚が発達してきたか?
その第一の目的は、捕食行動だったはずです。
人間は獲物を探し、見つけ、それを目でとらえて、身体をそちらに動かして獲物をとってきた。
生き残るために身体は発達したのです。
今私が魚を追っているのは食べるためじゃないけど、それは私が今飢えていないから、空港に着いたらなんか食べ物が手に入ることがわかっているからであり、遠い祖先は魚を見たら食べ物に見えたはずです。
大久保さんは新刊「医者が教えてくれない発達障害の治り方 1 親心に自信を持とう!」の中で、就学前にどういう身体機能がそろっていたら授業についていけるかと、そこまで発達するまでにたどる道筋をコラムにしてくれています。その中には「黒板を見るだけの目が育っているか」のコーナーもあります。
そして私は身体で実感したのでした。黒板を見るだけの目が育っているかどうかは、今は学習上の課題にすぎないけど、遠い祖先にとっては死活問題だったのだと。
そういうものがプログラム化されたビジョントレーニングで育つわけはないのです。やはりそこには子どもの自発性がないと育つわけがない。
さんざん遊んだあと、太陽の位置から11時を過ぎたなと思った私は、引き上げ、シャワーを浴び、荷物をまとめました。
空港に送ってもらい、軽く食事をして機内でうとうとし、気づいたら成田でした。
遊びきった旅でした。
そして浮いたり潜ったり色々なものを見たことで
自分の中の生き物の原点みたいなことに気づいた旅でした。
これは次の本、栗本さんと一緒に作る本に活きるはずです。

翌日。唇が腫れています。
たしかにここには日焼け止めを塗らなかった。だから唇だけ腫れている。
最近はそんなにサプリも盛りませんが(コロナ禍始まってから)、私は日焼けしたあとに定番のCを取りました。あとEとAがあればいい。AはあったけどEは切れている。でも冷凍庫には鰻があるから、あれでいいわ。別にサプリ買う必要もない。
荒れた唇は水泡ができ、それが割れて血が滲み、そして正常になりました。全治三日でした。
ワセリンを時々塗っただけでした。
そして耳に違和感を感じ手をやると、耳たぶの皮がむけました。
たしかにここも日焼け止め塗らなかった。耳なし芳一状態。
その他の場所は無事でしたけど、とりあえず身体のごく一部とはいえ粘膜が弱っている状態の時には室内の人ごみに行きませんでした。まあ帰ってきた翌々日🚴は30キロくらい走りましたけど。
私はノーガードに見えるかもしれないけど、コロナが始まってからメガビタミンはしていない、極端な糖質制限もしていない、身体のことを考えてマスクはしない、など、気を使っていると思うのですよね。ただそれが、分科会とか医師会とか飛沫担当大臣の言いつけと違って自分の体感を指針にしているだけ。今回の旅から戻って結局二週間以上経ちなんにも起きていないし、百歩譲って不顕性感染があったとしても周囲にも私からうつった人などいないし、どうやらデルタ株の最盛期も乗り切った。それは多くの皆さんもそうだと思うのです。もっとみんな一年半無事だったことに自信を持てばいいのじゃないかしら。
そして日焼けもすっかり落ち着き、私がこの旅のご報告の連載を始めたあとになって、夫が言い出しました。
自分の休暇とホテルの空室が重なっている日があと年内三日だけある。
とっても人気の宿で、本当に取れないのです。今この時期も満室続き。
でも開いている時期がある。泳げる時期じゃないかもしれないけど。
ちょうど感染の波は収まる時期だね。
だったら予定入れておこうか。
というわけで
少なくとも来年までさよなら、と思っていたけれどもあと年内に一度予定を入れてあります。
もちろん自分が体調悪かったり、情勢が大きく変化して先方に断られたりしたら行きませんが。
私たちはこの一年、医療ファシズムの中で自由が奪われる人々を目にしてきました。
というか、自ら恐怖に駆られて自由を受け渡す人の多さにびっくりしたジャパンですよ。
その中で私は自由に生きられる境遇にあります。
でもそれは一朝一夕で培ったものではない。
たとえばみんなが「生まれつきの脳機能障害で一生治らない」とギョーカイに洗脳されていた時それに沿っているような自分の頭で考えられない人だったら、今も尾身爺や西村飛沫担当大臣の言うとおりにして一年半どこにも行かなかったかもしれません。
そして「50歳若返る旅」とかのんきなレポートしている若くない女に怒りを感じていたかもしれない。
でも私は自分の頭で考える人だった。
自分の身は自分で守ってきた。
それが公式見解と違ったときには自分の体感を信じた。
そして二十代の頃から、いつでもどこでも仕事ができる体制づくりに励んできた
それが一挙に花開いたのがこのコロナ禍なのです。
私は感染自体が悪いことだとは全く思いません。
感染した人がいたら「お大事に」という以外の言葉を持ち合わせません。
それは私の不幸を願ってやまない人に対しても基本同じだと思います。
でも
自分たちが凡医や政治家の押し付けてくる過剰対策をまんま受け入れて
そして実は不幸で仕方なくて
それを守らない我々を糾弾していた人がかかったら、ほんの少しざまあみろと思うかもしれませんね。
自分で自分を大切にせず、こっちを大切に思っているわけがないえらい人の言うこときくからいけないんだよ。
この秋、政局もあり
今後どういう展開になるかもわかりません。
全世界が自由を取り戻しつつある今、なぜ日本人だけが自粛やマスクを強いられるのか、皆さんよく考えたほうがいい。
さらに自由を縛る動きも取りざたされていますが
そしてSNS等では反自粛派も先取りの不安に駆られていますが
意外と花風社クラスタ不安を感じていない。
それこそが身体アプローチの成果だと思うのです。
私の今の偽らざる気持ちとしては
「お手並み拝見」でしょうかね。
私は感染しないようにはしようと思います。
それは以前より強く思うようになりました。
なぜなら凡医ズや政治家の言いつけは守らず感染しなかった人という生きたエビデンスになるつもりだからです。
日本はファクターXも調べもせず注射をはじめ、副反応を続々と出していますので、誰も調べないだろうけど、ファクターASAMIがあると思われます。
マスクせず、自粛せず、県境跨ぎ放題で、以前に比べて減ったけど時には宴会的なものも出るのにかすりもしないファクターASAMIがあると思われます。
それもどうせ調べないんだろうな。
それにきっとこれは特別なファクターですらない。
皆さんは自粛やマスクに守られていると思っているかもしれないけど、実はやんなくてもかからないんですたいていの人は。
この冬は大変になると思います。
優先接種した人たち、すなわち高リスクな職場にいたり高年齢の人たちはどんどん抗体が切れるでしょう。
次々と打った人たちは、免疫の弱った状態で気温の低下を迎えます。
打たなかった人たちはシェディングに対応しながらなんとか株に対応することになります。
何十年かあとには黒歴史になる中を私たちは生きています。
その冬を乗り切るために何をするか。
一人一人が考えましょう。
自分の頭で。
生き残りのために。
私たちはそうやって生き残ってきた人類の子孫なのですから。
完
