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さて、浅見処方について説明してきた。
私の脳が、私の資質に基づいて編み出したトラウマ処理法なので、一生使える浅見処方。
それを見つけた経緯を具体例に基づき説明してきた。
これは、もちろん皆さんに
・それぞれのトラウマ処理法を見つけてほしい
・と同時に、私が過去の悔しい体験とそれを乗り越えてきた具体例を出すことによって、支援者という人たちの実態を知って身の振り方を考えてほしい
という動機もあるのだが
この浅見処方の発見は、私の残り少ない人生を平和なものにするので、自分でも備忘録を書いておけば役に立つのである。
そして本丸、「医クラとアンチ」に切り込みたいのだが、その前に報酬系について書いておく。
今まで浅見処方の対象として、二つの例を挙げた。
1 「すぎやませんせ」対応
2 小田原の大先生対応
の二例である。
1の場合には
「おまえのところなんて書きたくない。安いし」→無料でも書いてやる→かつていじめた出版社に尊敬する神田橋先生が書いてしまった→2023年現在誰にも知られていない。治っている人すらもうその名前を知らない。
という経緯をたどった。
2の場合には
「医師会と仕事するから花風社いらねえ」→どうせこれで花風社の身体アプローチは終わりだろ花風社のメールは全部無視するけどよその業者には返事をするぜ→松島さん療育整体を引っ提げて登場、全国で売れっ子に→医師会認定医のドクター登場、花風社がやってることは正しい! 一緒に仕事をしよう!→小田原の大先生、大好きな医師会ドクターと仕事をするチャンスを逃す
という経緯をたどった。
つまり「浅見をバカにする」やつに「倍返し」していると(ここまでは「浅見処方 仮」)
↓
↓
↓時の流れ
↓
↓
「どうだ、ざまあみろ」
とこっちが言える事態が起きるのである。
これで浅見処方は完成。
これは運がいいとも言える。
でも運がいい、っていうのは私の持っている数はそんなに多くない強みの一つであり、活用して生きてきた。感謝もしている。きっと前世の行いがよかったのであろう、と言ったら神田橋先生に爆笑された。
でも、自分の強運が浅見処方を完成させていることに気づいたのは最近である。
それまでは歯がゆい思い、悔しい思いもしてきた。
なぜか?
「バカにされる」→「やり返す」のあと
「どうだ、ざまあみろ」になるまで、時間がかかっている。
すぎやませんせの場合には20年、小田原の大先生の場合にも一年数か月かかった。
その間もちろん、すぎやませんせのことも小田原の大先生のことも忘れている時間帯がほとんどなのだが、時々思い出し怒りは湧いてくる。プチフラッシュバックである。
でもふと「ざまみろ事態」がすでに成立しているのを知ると、報酬系が満たされる。それでトラウマ処理が完了する。
ことに最近気が付いた私は、この経路を短縮化させることにした。
誰か私をバカにしてくるやつがいたら、やり返しながら
「どうせこいつはざまみろ事態になるんだぜ」と報酬系に先に教えてあげるのである。
そうするともうそいつにイライラする必要もない。
平たく言うと
「私をバカにするやつはバチが当たるのが分かった」ということだが
もともと本当に赤心から「治ってほしい」と奔走してきた私を邪心の持ち主と思うこと自体見る目がないのだし
しかもそれを言いふらすなんて意地悪なのだから
その報いを受けるのだろう。
さて、長々とアンチをやってきた人たち。
そして気がつけば
2019年のハッタツ大戦で、突然そのアンチに担ぎ出されるような感じで騒ぎ立てた医クラ。
に対しても「浅見処方」は成り立っているではないか。
彼らが自由を失い、注射を打たれ、口枷奴隷と化したコロナ禍でじゅうぶん「浅見処方」は成り立った。
その間私は、自由な民間人として自由な選択をし、空いている交通機関と宿を安く使い、方々で遊んだ。
自転車という趣味も見つけ、新たな喜びを知った。
外食は減ったが、その分早寝早起き自炊が上手になり経済的にも老後を乗り切る方法がわかってきた。
未接種、完全ノーマスク民として、美味しい空気を吸い、副反応になど一日も悩まされることなく、未感染でパンデミックを乗り切った。
その間にも威張りまくっていた医療従事者たちは
感染するかも、感染させるかも、という強い圧の中で仕事する日々を送っていた。
昼には口枷をそっとずらしてカップ麺をすすり、またマスクをして勤務、マスクをして通勤。
こんな不自由民の医療従事者は、まあ私からみると奴隷みたいなもんである。
あんなに威張っていたのに、生活は奴隷。
ざまあみろ。
が大いに成り立ったのだが、ここにきて
まさか財務省まで浅見処方を応援してくれるとは思わなかった!
医療のダウンサイズが始まりそうである。
さて、次回はいよいよ本丸かな。
続く
私の脳が、私の資質に基づいて編み出したトラウマ処理法なので、一生使える浅見処方。
それを見つけた経緯を具体例に基づき説明してきた。
これは、もちろん皆さんに
・それぞれのトラウマ処理法を見つけてほしい
・と同時に、私が過去の悔しい体験とそれを乗り越えてきた具体例を出すことによって、支援者という人たちの実態を知って身の振り方を考えてほしい
という動機もあるのだが
この浅見処方の発見は、私の残り少ない人生を平和なものにするので、自分でも備忘録を書いておけば役に立つのである。
そして本丸、「医クラとアンチ」に切り込みたいのだが、その前に報酬系について書いておく。
今まで浅見処方の対象として、二つの例を挙げた。
1 「すぎやませんせ」対応
2 小田原の大先生対応
の二例である。
1の場合には
「おまえのところなんて書きたくない。安いし」→無料でも書いてやる→かつていじめた出版社に尊敬する神田橋先生が書いてしまった→2023年現在誰にも知られていない。治っている人すらもうその名前を知らない。
という経緯をたどった。
2の場合には
「医師会と仕事するから花風社いらねえ」→どうせこれで花風社の身体アプローチは終わりだろ花風社のメールは全部無視するけどよその業者には返事をするぜ→松島さん療育整体を引っ提げて登場、全国で売れっ子に→医師会認定医のドクター登場、花風社がやってることは正しい! 一緒に仕事をしよう!→小田原の大先生、大好きな医師会ドクターと仕事をするチャンスを逃す
という経緯をたどった。
つまり「浅見をバカにする」やつに「倍返し」していると(ここまでは「浅見処方 仮」)
↓
↓
↓時の流れ
↓
↓
「どうだ、ざまあみろ」
とこっちが言える事態が起きるのである。
これで浅見処方は完成。
これは運がいいとも言える。
でも運がいい、っていうのは私の持っている数はそんなに多くない強みの一つであり、活用して生きてきた。感謝もしている。きっと前世の行いがよかったのであろう、と言ったら神田橋先生に爆笑された。
でも、自分の強運が浅見処方を完成させていることに気づいたのは最近である。
それまでは歯がゆい思い、悔しい思いもしてきた。
なぜか?
「バカにされる」→「やり返す」のあと
「どうだ、ざまあみろ」になるまで、時間がかかっている。
すぎやませんせの場合には20年、小田原の大先生の場合にも一年数か月かかった。
その間もちろん、すぎやませんせのことも小田原の大先生のことも忘れている時間帯がほとんどなのだが、時々思い出し怒りは湧いてくる。プチフラッシュバックである。
でもふと「ざまみろ事態」がすでに成立しているのを知ると、報酬系が満たされる。それでトラウマ処理が完了する。
ことに最近気が付いた私は、この経路を短縮化させることにした。
誰か私をバカにしてくるやつがいたら、やり返しながら
「どうせこいつはざまみろ事態になるんだぜ」と報酬系に先に教えてあげるのである。
そうするともうそいつにイライラする必要もない。
平たく言うと
「私をバカにするやつはバチが当たるのが分かった」ということだが
もともと本当に赤心から「治ってほしい」と奔走してきた私を邪心の持ち主と思うこと自体見る目がないのだし
しかもそれを言いふらすなんて意地悪なのだから
その報いを受けるのだろう。
さて、長々とアンチをやってきた人たち。
そして気がつけば
2019年のハッタツ大戦で、突然そのアンチに担ぎ出されるような感じで騒ぎ立てた医クラ。
に対しても「浅見処方」は成り立っているではないか。
彼らが自由を失い、注射を打たれ、口枷奴隷と化したコロナ禍でじゅうぶん「浅見処方」は成り立った。
その間私は、自由な民間人として自由な選択をし、空いている交通機関と宿を安く使い、方々で遊んだ。
自転車という趣味も見つけ、新たな喜びを知った。
外食は減ったが、その分早寝早起き自炊が上手になり経済的にも老後を乗り切る方法がわかってきた。
未接種、完全ノーマスク民として、美味しい空気を吸い、副反応になど一日も悩まされることなく、未感染でパンデミックを乗り切った。
その間にも威張りまくっていた医療従事者たちは
感染するかも、感染させるかも、という強い圧の中で仕事する日々を送っていた。
昼には口枷をそっとずらしてカップ麺をすすり、またマスクをして勤務、マスクをして通勤。
こんな不自由民の医療従事者は、まあ私からみると奴隷みたいなもんである。
あんなに威張っていたのに、生活は奴隷。
ざまあみろ。
が大いに成り立ったのだが、ここにきて
まさか財務省まで浅見処方を応援してくれるとは思わなかった!
医療のダウンサイズが始まりそうである。
さて、次回はいよいよ本丸かな。
続く