治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

浅見処方の完成 続・どいつもこいつも元々魚 その5

2023-11-19 11:38:55 | 日記
まあ、小田原の大先生が完全な無名からどんどん全国に呼ばれるまでになるのを、私はとてもうれしく見守ってきたわけだ。

私ですら七年間の正社員経験があるけど、そういうのが一切ないので、ちょっと常識を知らないところもあったけど、それは一回一回注意したりして、彼もどんどん仕事人として成長していったと思う。

彼の未来には、応援の気持ちしかなかった。

ついにはお嫁さんまで来た。
うれしくて仕方なかった。
コロナ禍で色々お祝いはできなかったけど、ちょっと規制が緩んだとき、親しい読者の方に集まっていただきささやかな宴を開いて花嫁さんにブーケを渡したり。

これからも楽しい関係が続くのだろうな、と思っていた。

世の中の感染対策という児童虐待は止まらない。その中で私は、危機感を共有している大久保さん@てらっこ塾と一緒に『ポストコロナの発達援助論』を出した。

はたしてポストコロナ時代には、あのおしとやかな愛甲さんがおズボンで出勤するまで子ども達の様子が変わってしまった。だからあの本は出しておいて本当によかったのだ。



でもその間もずーっと小田原方面が気になっていた。たしかに人的交流が難しい時代ではあるが、最近は「栗本さんにみてもらいました」みたいな書き込みをみない。第一本人が発信していない。以前は彼が何か身体に関する情報をツイートし、それがどんどんリツイートされて小田原に出かけた人とかがいたけど、そもそもツイートはみない(知らなかったのだがアカウントを消していた)。

こういう時代だからこそ、これから小児への接種とかも始まっちゃうからこそ、子どもたちの体調管理は重要になる。大先生には引き続き活躍してもらわなくてはならない。健康な体づくりについて発信してもらわなくてはならない。

というわけで、『ポストコロナの発達援助論』を戻したその日にメールをした。今仕事どうなっていますか。一回会いましょう。

会えない、と彼は言ってきた。なぜなら「医師会の講演会の準備で忙しい」そうである。

何回も連続講演なわけ? ときいたら一回きりだという。でもその準備で忙しくて会えないそうだ。

私がここで腹を立てた論点は二つ。

・医師会って・・・。シャンパーニュ中川んとこだろ。そこの仕事に集中するために、ずーっと一緒にやってきた花風社ないがしろにするんかい。
・たった一回の講演のためにそれだけ準備がかかるって、自由業としてやってけないんじゃないの? そもそもなんとか宣言出たら講演なんか吹っ飛ぶぜ。そっちに全振りしていいの?

男子っていうのは権威が好きなんでしょうね。小田原の大先生なんて怪しげなことを教える人としてさんざん標準医療には色物扱いされてきただろうに、声がかかるとうれしいのね。ほいほい行っちゃうのね。花風社をかなぐり捨てて。

そして一切返事が来なくなった。
何を言っても、一切。

一切返事をしない人と仕事はできないので、これで終わりだった。

何度も言ったことだが、私の仕事の仕方は基本受け身である。世の中の要請があれば働く。それでやってくるうちに引退が全くおかしくない年になった。これから何冊も一緒に本を出す予定だった小田原の大先生と切れたのならそれが潮時だ。

さて引退するか。

ということで2022年の夏、私は普通に遊んですごした。
次の本の予定は全くなかった。


それでも毎日どっとこむみたり、ツイッターみたり、FBみたりはしていた。そうしたら後光のさしたおじさんがよく新横浜駅を起点に全国に出かけていた。

このおじさんならあっちが会いに来る気はなくても、改札口でつかまえればいい。ということで、そのおじさんの講座のウェブチケットを買ってみた。

それで受講して、「この人はうちでやろう」と三秒くらいで決めた。

それが『療育整体』になった。



それまで小田原の大先生も私も、「すでに関係が途切れている」ことを公表していなかった。

だから夏の始まりの時、某事業所から「そろそろ研修再開できるので週末に栗本さんに来てもらいます。ご報告遅れましてすみません」というメールが来た時

「わざわざありがとうございます。でももう栗本さんとうちは関係ないので今後はご連絡結構です」と返した。

もともとそこの事業所との縁は花風社を通じてできたものだったので、義理堅く知らせてくださったわけだけど

どういうことかいぶかる事業所に私は説明した。「御社で研修すると言うことは、オファーなり、日時の調整なり、双方で連絡を取り合わないと無理だと思います。そして私のメールには一切答えないのでもううちとは無理なんです」

驚いていた。当たり前だ。

その後も何か所かで講演をしていたようだけど、講演を開かれている事業体は栗本さんから返事をもらえる事業体だということ。花風社はそれに該当しなくなった。

でも

松島さんが現れた。
花風社は、以前よりもっとシンプルで体系化された身体アプローチを出版できることになった。

これが一つ目の浅見処方@小田原の大先生完成。
「どうだ、ざまあみろ」である。

よその事業所には返事をして、花風社には一切返事をせず、「花風社の身体アプローチの息の根を止める」くらいのつもりだったのだろう。でもきちんと次の人が現れるんだよ。それが、私の持っている運。そしてなぜこういう運がついてくるかというと、他人のために仕事をしているからだ。

医師会に声かけられてしっぽふって恩人に不義理をするような、そういうふざけた仕事をしていないからだ。

自分の名誉のためではなく、承認欲求を満たすためでもなく、社会に貢献することを第一義にあげているからだ。

本当に「治って自由に生きられる子が増えればいい」を目指して仕事しているから、

そういう志を持った人には、神様はちゃんと次の縁を運んできてくれるんだ。

どうだ、ざまあみろ。

というわけで『療育整体』は世に出て、元々松島さんがやっていた地道な人脈づくり+花風社の支持者 が重なり大きなムーブメントになった。
小田原の大先生は自分の客なんて一人も連れてこなかったけど、松島さんはすでに支持層を築いていた。

これで「浅見処方」は完成だと思っていたのだが、その次があった。

2023年初夏、私は脳神経内科医の田中伸明先生と交流を始めた。田中先生は標準医療の立場から、発達障害治療の国際標準は今や身体アプローチなのだと教えてくださった。

私は先生の本を出すことにして、最後の最後に、著者紹介をいただいた。専門医、の資格は複数お持ちで、中には「医師会認定なんとか」もあった。



「医師会認定なんとか」は花風社の本にはのっけないことにした。シャンパーニュ中川を思い出させるので避けた方がいいと判断した。

でも、ふと気づいた。
あのまま花風社と交流していれば、小田原の大先生も医師会認定医と仕事ができたのに。
だって田中先生は花風社の著者たちと仕事をする気がおありなのである。

医師会医師会としっぽを振って、結局医師会の先生と仕事をする大きなチャンスを逃してるでやんの。

どうだ、ざまあみろ!

これにて小田原の大先生に関する浅見処方は完成したのである。
「すぎやませんせ」にたいしては20年かかったけど、小田原の大先生に関しては2年もかからなかった。

さて、次の会は、ちょっと浅見処方から離れてスピンオフ。

実態としては「小田原の大先生が花風社に後足で砂かけて出て行った」わけであるが、これを逆に解釈する人たちがいる。

つまり「花風社が小田原の大先生を見捨てた」と解釈する人たちがいるのだ。この人たちを私はとても不思議に思っていた。どこをどう解釈すればそんなに逆に取れるのだろう。

これもまた、田中先生とお話するうちに理由がわかったのだ。
次回はそれを書こうと思う。

続く

追伸 つい先日、一年半以上ぶりにメールに返事がきました。インボイス制度に関してです。こういうことには返事をするんだな、とわかりました。

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