治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

浅見処方の完成 続・どいつもこいつも元々魚 その6

2023-11-22 08:28:16 | 日記
社会活動は大脳皮質だけでやっているのではない。
『発達障害治療革命! 脳神経内科医からの提言』を読むとそれがよくわかる。

魚の脳は危機管理をし
爬虫類脳は情報を振り分け
哺乳類脳で意思を持つ。
そして人の脳がそれを言語化する。

社会活動を成り立たせている上で、言葉による説明っていうのは最後の最後だ。

小田原の大先生と花風社が仲良くやっている間には顕在化しなかったけど
この2セクションが分かれるにあたり
元々小田原派だった人には「なぜこっちにつくか」という言葉による説明が必要になる。

小田原の大先生が後ろ足で砂かけて出て行っても
自分たちがそっちを選ぶ以上
言葉による正当化が必要になってくる。

田中先生は、「内面のもやもやを説明するために症状が出る」と教えてくれた。
だからたとえば慢性睡眠不足で、薬がないと眠れないような人が厭世的になっていくのは説明がつくそうだ。
その機序が私の中で、様々な現象をひもとくヒントになった。

実際には小田原の大先生が花風社を足蹴にして出て行ったのだけれど
なぜか「花風社が切り捨てた」と思い込む一群がいたのも、不思議だったけど理解できるようになった。
そう結着せざるを得なかった人たちがいた。生体防御反応だ。

あの人たちの中では、小田原の大先生はヒーローなのだ。
ヒーローは無謬。だとすると花風社に責めを負わせないといけないことになる。
それを言語化すると「花風社が切り捨てた」になり
嘘が出来上がる。

これは全くアンチと同じである。
「生まれつきの脳機能障害で一生治らない」という公式見解にしがみつきたい人が、そこに異を唱える花風社と、それを支持する一群をみたとき、「公式見解に真っ向から対抗している扇動者とそれに騙されている一群がいる」という説明で自分を納得させる。
それが「花風社は詐欺」だ。
嘘のいっちょあがり、である。

こうやって人々の自己正当化の中から誹謗中傷ができあがるのだなあ、と私は納得した。
つい先日まで愛読者だった人と、ずっとアンチをやっている人の脳みそ構造が共通なのが面白いが、どっちも人間の脳をもっているのだから当たり前と言えば当たり前だ。

小田原の大先生は花風社と付き合いがあった歴史を全消ししてしまった。HPからも花風社のリンク、著書情報も消したし、今後は講演会でも著書があることをひた隠しにしてやっていくつもりらしい。

花風社と離れたからこそ、新規営業が必要であり、そのためには著書を持って歩いた方がいいくらいである。むしろ、どんどん著書を使えばいい。著書があることの強みは新規営業がしやすくなることなのだ。なのに、変わった人である。

でも彼の場合には、そうやって花風社との過去を全消ししないと脳みその整理ができないのだろう。それもまた、彼の神経系が呈するバリエーションである。

今後世の中が正常化するにつれ、自治体とかが講演会を企画するようにまたなるかもしれない。そういうときに依頼が来るのは著書経由が多い。うちに問い合わせがきたら、小田原に連絡するように教えてあげるだろう。

そしてそういう経緯で講演が開かれることになり、たとえば告知文書に著書のことを書かないでくれ、なんて言ったら担当者は困ってしまうのである。

でも今のところ大先生は、著書をひた隠しにするのに協力してくれる面々と仕事をしているようだ。

これは自戒をも込めていうのだが、我々発達障害に関わってきた者たちは、ある程度の非常識さを許すところがある。

これはいいところでもあるのだけど、世間には通じないだろうなということもある。

世間では物をもらったらお礼を言うのが常識だし、恩人から夜逃げみたいな逃げ方をしたらたしなめるのが常識である。でも、発達関係の人々は、色々許してしまうみたいなのだ。

そういうサークルで仕事をする限り小田原の大先生は今後も、著書をひた隠しにするという希望を叶える縁に恵まれることだろう。

でも縁が広がって、著書を紹介したい主催者と仕事をすることになったとき、

ひた隠しにする理由を私のせいにしないでほしいな。私はどんどん著書があることを売りにすればいいとずーっと思っているんだから。

私は彼の残して行った本たちを隠していない。『発達障害治療革命!』でも田中先生のアドバイスに従って花風社の社史を短く書いたとき、黄色本と芋本については触れた。本が来たら最初の見開きに載ってますから皆さんお楽しみに。

だが、カメラロールの整理をするとき(定期)、さすがに彼の映っている写真は全部削除した。

一枚だけ削除する気になれないものがあった。それはあのささやかな宴のときの新婚夫婦の写真。

幸せそうなお二人。これは削除できないが、持っておく理由もない。

ということで共通の知人に送り、託した。今は切れてしまったけど、こういう会もやったんだよ、と。それから削除した。

そこで気づいた。そういえば私としては心づくしの宴を開いたつもり、新妻を関東に大歓迎したつもりだったのだが、二人ともSNS等には一切アップしていなかったな。写真どころか、宴があったことも。読者が集ってくれたことも。

二人にとっては大して嬉しくなかったんだろう。そしてこれも隠しておきたかったんだろう。あの頃からすきま風の前兆はあったんだな。私は気づいていなかったけど。

奥様が長年勤めた勤務先を辞し、関東に出てきてしばらく休むときいたとき、私はならば余計に大先生が張りきらなきゃ、と思っていた。

そしてこれだけ子ども受難の時代に、大先生の需要はますます高まる、と思っていた。いまこそ身体を整えることが子ども達に大事。

だから奥様が中休みでも大先生は休んでいるわけにはいかない、と思っていた。
ますます仕事頑張らないと。
コロナがあったからこそ、全国で引っ張りだこになるだろう。

そして私の予感は当たったではないか。
全国で、引っ張りだこになっているではないか。

松島さんが。

需要はあるのだから

奥さんのためにも、子ども達のためにも
発信し続けて仕事をし続けなければならない。
それを言いたかった。顔を見て言いたかった。
だから会おう、と言ったのである。

でも彼は一緒にやってきた花風社を捨ててシャンパーニュ中川を選んだ。
国民には強い口調で自由を制限し、自分は銀座で寿司食ってたシャンパーニュ中川を選んだ。

そしてその後花風社には一切の返答をせず
その間に花風社を媒介としてつながった事業者にはきちんと返事をし、仕事をしていた。

悲しかったし悔しかった。
それでも悩んでいる人がいると、栗本さんを勧めた。
必要な人に必要な援助が届くように。
自分の悔しさより困っている人が困らなくなる方法を見つけることを優先させた。

そういう心掛けだと、次の縁に恵まれるんだねきっと、と今思った。

銀座と言えば

先日銀座で行われた小暮画伯の個展に行ったら、お母様がいらした。

相変わらずお若くてお元気そうである。
うちの母より年上だが、こうやって息子さんと一緒に個展を開いていらっしゃる。素晴らしいことだ。

画伯お母様から、先日松島さんに自宅にきてもらった、というお話をきいた。
松島さんと花風社がつながって、小暮画伯と松島さんがつながって、そして小暮画伯がお母様に松島さんを紹介した。
お母様は施術を喜んでいらした。

こうやって元気の輪がつながる。
私の周りではつながっている。
大先生去っても花風社は続く。

ざまあみろ、である。

さて、では次はいよいよ「医クラ」ですね。
医クラとその信奉者への浅見処方の完成です。
連載続けているうちに、財務省まで浅見処方に応援してくれるようになったとは(笑)。

続く



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