治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

カーブの先の上り坂 ミッション×2の鹿児島旅行ご報告 その1

2023-09-10 10:38:52 | 日記
9月7日から9日まで、二泊三日で鹿児島に行ってきました。
今回の鹿児島旅のミッションは二つでした。
第一のミッション、大事な方。
これは去年の6月に話が遡ります。

子どもの頃、よく一緒に遊んだある女性。
消息不明になっていました。
うっすらと「結婚後病んだらしい」「精神病院に入っているらしい」みたいな噂を聞くことがありました。
それをきいて思い出すのは、子どものころからものすごく小食だったり偏食だったりしたこと。
おそらくなんらかの発達の基盤に何かが重なったのだろうと思っていました。
「どうしてるんだろうなあ」と時々考えていました。

その彼女が、本を手掛かりに、会社に手紙をくれたのが去年の6月。
結婚、出産後統合失調症の診断。症状が強くなって入院したのを機に夫に離婚され、子どもとも会えなくなった。どうしても会いたいと電話したところ、家裁で調停になったこと。「24歳になるまでは一切連絡しないこと」「その後、子どもには連絡先を教えるが病気が治らないうちは会わせない」等の条件を押し付けられ、実印を手にためらっている彼女の手から元夫が実印をとり捺印してしまったこと。そんなことがつづられていました。

つまりその元夫氏は、「統合失調症なんて一生治らない病気」という凡医療業界の公式見解に洗脳され「病気が治らないと会ってはいけない」と言質をとっておけば一生厄介払いできると思ったわけですね。

ところが花風社がやってきたことをちょちょいと応用すれば、統合失調症は治る病気です。

「要するに統合失調症が治ればいいんでしょ」と私は思いました。
そして本人にその気があるのなら、治すためのプロジェクトを組んであげるといいました。ただし、費用はかかります。愛甲さんにお願いするつもりでした。いくら親しくても、無料でお願いするわけにはいきません。ただ愛甲さんは、心理士にはめったにいない「治す心理士」だけど、法外な吹っ掛けなどはしません。だいたい相場がわかっているので、大丈夫だと思っていました。本人には今障害者年金しかなくても、バックグラウンドを知っていたので、実家と交渉すればいいと思っていたのです。

そしてプロジェクトが始まりました。
自分は一生病人だ、と思い込んでいた彼女は、病院を出てGHにいましたが、絵にかいたような人権侵害の嵐をされていて、そしてそれに一言も抗議することもなく暮らしていました。「病人だからやられても仕方ない」という、自己肯定感の欠如した状態でした。

私たちは、病気は治ること、薬は減らせること、薬を減らすことによって治っていくこと、を伝えました。どれも彼女にとってはびっくりする情報のようでした。

そして、人権侵害されたままでは治るものも治らないので、GHにもがんがん申し入れをしてだいぶ自由を確保したりしました。というか、最初から超法規的な人権侵害を福祉がすることはわかっていたので、正論を言えば相手は譲らざるを得ない。

そして一年。
色々ありましたが、結論から言うと、統合失調症の診断は取れました。
どうやったら診断が取れるか。それは次回の花風社の本でも詳しくわかると思います。

ここに寄与してくださったのは愛甲さん、神田橋先生のご紹介くださった関東に来ているお医者さん、そして遠方からいろいろアドバイスくださった神田橋先生でした。

人権侵害GHは自法人の生活介護に彼女を囲い、30万円ほどの売り上げを上げていました。GHの売り上げも含めると、彼女は年に
600万円生む金のめんどりだったので、「他に行くところはない」と思い込ませることは、彼らの経済的原理に合っていました。
自社GHから自社生活介護に通わせ、重度認定して加算をつけ、「あなたには就労Bは無理だ」という刷り込みをしていましたが、元々有名企業に勤めていた人です。本人に合ったB型に移れるように個別支援会議が開かれ、そこには愛甲さんも(お仕事として)出席してくださり、人権侵害GHに対し本人の権利擁護をしてくださいました。

そしてとうとう、その刑務所的GHを出る算段がつきました。
そういうタイミングでの初めての神田橋先生受診でした。
神田橋先生の判断も「健常者として生きていく方が健康」ということでした。
今後一時的には生保に頼ったりするかもしれませんが、外国語という武器もあり、なんらかの仕事ができるといいなと思っています。

治療の仕上げとして、今までさんざん遠隔からお世話になっていた神田橋先生の元へ向かうことになったとき、私は夫を誘ってみました。
ブロンプトンを買ったときから、これで桜島を走るのが夢でした。
島っていうか山である桜島はミニベロで走るにはきついと夫は言っていましたが、平らなところだけでも走りたい。
というわけで「私、彼女を鹿児島に連れていくけどいかない?」と言ったら「いいね」とついてきました。

そんなわけで三人+二台のブロンプトンで、私たちは鹿児島に向かったのです。

続く



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