さて、最近の米欄に寄せられる知的重度のお子さんを持った親御さんの存在を知り
私は本当にしみじみと感動しています。
「まことの母」さんのコメントを改めて二つご紹介させていただきます。
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社会に送り出す (まことの母)
2011-10-17 15:44:41
息子のまことは重度の知的障害があるので人の手を借りないと生きていけないと診断されましたが、何とか自立させたいと思いながら育ててきました。18歳の春に向けて、早々に就職を決め、4月には生活自立支援施設から通勤するように準備を始めています。いずれはグループホームに移る予定でいます。
まことは自立の道を探しましたが、自立を考えていないお子さんには支援されっぱなしの施設もあるようです。そらパパさんのお家はそういう所を目指しているのではないでしょうか。
そらパパさんは立派な療育方針のある方ですから、今から「名誉健常者」といわれるようなスキルの習得はしないでしょうし、自立を目指した療育もしないと思います。挨拶しなくても、食事のマナーが守れなくても、オムツをしていても、パニックを起こしても放っておいてくれる施設もあるようです。そして時には外出としてマクドナルドなどで食事をして社会と接点を持つそうです。
こういう所を目指しているお父さんと、白くま母さんや花風社の読者とは重なる部分はないように思います。
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このコメントに対して、皆さんから賛同やお祝いのコメントが寄せられ、こう答えてくださいました。
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皆さんありがとうございます。 (まことの母)
2011-10-18 08:32:48
ここでお祝いの言葉をいただけるとは思っていませんでした。
小さい時は、排泄物で遊ぶ。パニックを起こせば自傷。多動でしかも衝動性。やっと恵まれた子供が重度の自閉症と診断されて、あまりにも大変な子育てにこの子を連れて死のうと思った事もありました。大変だと思っている時は悪い事ばかり考えていましたが、楽しもうと思って肩の力を抜いてからはまことも落ち着きました。勉強をしない分は家事をさせました。主人が趣味のサッカーやバスケットボールに連れて出歩きました。あとは、しっかり躾とマナーは繰り返し教えました。他は特別な事はしていません。就職も実習でまことが気に入ったクリーニングの工場。中等部、高等部も実習先に選ばせていただき、夏休みや冬休みには体験学習という名目で受け入れてくださいました。そこにそのまま障害者雇用で決める事が出来ました。工場長さんが、卒業したら勉強に来れなくなるから、そのままの工場で働く人になりませんか?と、まことに言ってくださいました。私どもは当たり前の事を、面倒とか出来ないと思い込まずにやり続けただけです。
重度と診断を受けた子でも、まことと同じように勤め先を決めていく子が他にもいます。割と施設から通勤とか、グループホームからとか、親元を離れて生活するように準備している方が多いように思います。
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大地君の本を出したことに関し、「先見の明が」と言った言葉が米欄にちらちら見えますが
私はむしろ絶望的な気持ちであの本を出しました。
このままではダメだ。
だからこの本を出さなくちゃいけない、と。
当時発達障害の言論の世界を覆っていた「ありのまま」「社会の理解を」「傷つけないように」では
共存なんてとても無理だと。
山岸があるとき、公になっている以外の私のコンタクト先(携帯とか個人のメアドとか)を知ろうと
方々の関係団体に迷惑電話をかけていたことがあります。
そのとき、自閉症支援団体はびびって、何もできませんでした。
彼が怒鳴るのに「知らない」と繰り返すのが精一杯。
けれどもある老婆に電話をかけたとき
「あなた、いきなり知らない家に電話かけてきて、そんなこと聞くなんてなんて非常識なの! 恥を知りなさい恥を」と一喝。
山岸は「すみません・・・」とか細い声で言って電話を切ったそうです。
自閉症支援に全然関係のない市井の一老人ができる普通の大人としての対応を、どうして支援者ができないのだろう。
言えばわかる。言わなきゃわからない。それが特徴なのに。だれも教えてあげない。
私はますますこの世界に深く絶望していきました。
でも「まことの母」さんは、そのころからまことさんを人間として育ててらした。
障害のあるお子さんである前に、人間として。
そして今
palleteさんのような先生にめぐり合った方もいる。
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お手本とさせてください (pallete)
2011-10-17 18:40:57
私の息子も診断がついた時には「非常に重症な知的障害があります。」と説明されました。しかし小学校に入学した時に先生からは「社会で役割を持つ子にしましょう。」と言われて驚きました。小さい時から社会で自立する準備をすれば、親が死んだ後も自分で生きていけるとも言われました。逆に準備していなければ常に誰かの世話にならないと生きていけないとも言われました。
まずはオムツを外すことと、フォークやスプーンで食事をすることから始めましょうと言われました。それから「親が覚悟が出来ていない!」と叱られ、「自閉症としてあるがままではなく、人としてあるがままの子に育てなくてはいけない。」と言われて頑張っているところです。
夏休みにオムツが取れ、フォークやスプーンで食事するようになりました。まだ修行は始まったばかりですが、積み重ねていくことでまことさんのような青年になれるのだと希望を持てました。私は息子を支援されっぱなしの施設には入れたくはないので頑張りたいと思います。
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言論の場で活躍する先生たちが浮世離れしたことしかおっしゃらない時代でも
きちんと子どもを普通の人間として育てていた志ある方々がいたのですね。
だからこそ、今そうした方が成人になりつつあるのですから。
よかったです。
私にまだ、なんらかの役目があるとするならば
言論の世界にもこういう潮流があるよ、って知らせることでしょうかね。
私は本当にしみじみと感動しています。
「まことの母」さんのコメントを改めて二つご紹介させていただきます。
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社会に送り出す (まことの母)
2011-10-17 15:44:41
息子のまことは重度の知的障害があるので人の手を借りないと生きていけないと診断されましたが、何とか自立させたいと思いながら育ててきました。18歳の春に向けて、早々に就職を決め、4月には生活自立支援施設から通勤するように準備を始めています。いずれはグループホームに移る予定でいます。
まことは自立の道を探しましたが、自立を考えていないお子さんには支援されっぱなしの施設もあるようです。そらパパさんのお家はそういう所を目指しているのではないでしょうか。
そらパパさんは立派な療育方針のある方ですから、今から「名誉健常者」といわれるようなスキルの習得はしないでしょうし、自立を目指した療育もしないと思います。挨拶しなくても、食事のマナーが守れなくても、オムツをしていても、パニックを起こしても放っておいてくれる施設もあるようです。そして時には外出としてマクドナルドなどで食事をして社会と接点を持つそうです。
こういう所を目指しているお父さんと、白くま母さんや花風社の読者とは重なる部分はないように思います。
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このコメントに対して、皆さんから賛同やお祝いのコメントが寄せられ、こう答えてくださいました。
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皆さんありがとうございます。 (まことの母)
2011-10-18 08:32:48
ここでお祝いの言葉をいただけるとは思っていませんでした。
小さい時は、排泄物で遊ぶ。パニックを起こせば自傷。多動でしかも衝動性。やっと恵まれた子供が重度の自閉症と診断されて、あまりにも大変な子育てにこの子を連れて死のうと思った事もありました。大変だと思っている時は悪い事ばかり考えていましたが、楽しもうと思って肩の力を抜いてからはまことも落ち着きました。勉強をしない分は家事をさせました。主人が趣味のサッカーやバスケットボールに連れて出歩きました。あとは、しっかり躾とマナーは繰り返し教えました。他は特別な事はしていません。就職も実習でまことが気に入ったクリーニングの工場。中等部、高等部も実習先に選ばせていただき、夏休みや冬休みには体験学習という名目で受け入れてくださいました。そこにそのまま障害者雇用で決める事が出来ました。工場長さんが、卒業したら勉強に来れなくなるから、そのままの工場で働く人になりませんか?と、まことに言ってくださいました。私どもは当たり前の事を、面倒とか出来ないと思い込まずにやり続けただけです。
重度と診断を受けた子でも、まことと同じように勤め先を決めていく子が他にもいます。割と施設から通勤とか、グループホームからとか、親元を離れて生活するように準備している方が多いように思います。
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大地君の本を出したことに関し、「先見の明が」と言った言葉が米欄にちらちら見えますが
私はむしろ絶望的な気持ちであの本を出しました。
このままではダメだ。
だからこの本を出さなくちゃいけない、と。
当時発達障害の言論の世界を覆っていた「ありのまま」「社会の理解を」「傷つけないように」では
共存なんてとても無理だと。
山岸があるとき、公になっている以外の私のコンタクト先(携帯とか個人のメアドとか)を知ろうと
方々の関係団体に迷惑電話をかけていたことがあります。
そのとき、自閉症支援団体はびびって、何もできませんでした。
彼が怒鳴るのに「知らない」と繰り返すのが精一杯。
けれどもある老婆に電話をかけたとき
「あなた、いきなり知らない家に電話かけてきて、そんなこと聞くなんてなんて非常識なの! 恥を知りなさい恥を」と一喝。
山岸は「すみません・・・」とか細い声で言って電話を切ったそうです。
自閉症支援に全然関係のない市井の一老人ができる普通の大人としての対応を、どうして支援者ができないのだろう。
言えばわかる。言わなきゃわからない。それが特徴なのに。だれも教えてあげない。
私はますますこの世界に深く絶望していきました。
でも「まことの母」さんは、そのころからまことさんを人間として育ててらした。
障害のあるお子さんである前に、人間として。
そして今
palleteさんのような先生にめぐり合った方もいる。
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お手本とさせてください (pallete)
2011-10-17 18:40:57
私の息子も診断がついた時には「非常に重症な知的障害があります。」と説明されました。しかし小学校に入学した時に先生からは「社会で役割を持つ子にしましょう。」と言われて驚きました。小さい時から社会で自立する準備をすれば、親が死んだ後も自分で生きていけるとも言われました。逆に準備していなければ常に誰かの世話にならないと生きていけないとも言われました。
まずはオムツを外すことと、フォークやスプーンで食事をすることから始めましょうと言われました。それから「親が覚悟が出来ていない!」と叱られ、「自閉症としてあるがままではなく、人としてあるがままの子に育てなくてはいけない。」と言われて頑張っているところです。
夏休みにオムツが取れ、フォークやスプーンで食事するようになりました。まだ修行は始まったばかりですが、積み重ねていくことでまことさんのような青年になれるのだと希望を持てました。私は息子を支援されっぱなしの施設には入れたくはないので頑張りたいと思います。
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言論の場で活躍する先生たちが浮世離れしたことしかおっしゃらない時代でも
きちんと子どもを普通の人間として育てていた志ある方々がいたのですね。
だからこそ、今そうした方が成人になりつつあるのですから。
よかったです。
私にまだ、なんらかの役目があるとするならば
言論の世界にもこういう潮流があるよ、って知らせることでしょうかね。
息子が生きていくためには社会が自閉症という障害を理解し、受け入れてくれることだと考えて色んな活動をしてきました。しかしどんなに頑張っても息子が大きくなればなるほど、社会の目は冷たく次第に私自身も対処できなくなっていきました。横浜や北海道によい先生がいると聞き、家族で会いに行ったこともあります。「治らない。現実を受け入れて過ごしやすい環境つくりをしなさい。」と言われました。
私は何もしてこなかったわけでわけがありません。お金をかけて様々な療育法を取り入れました。先生たちにお願いしたものもあります。一つ解決すれば次の問題行動が現れ、小さい頃は可愛かった特性や問題も、10歳を過ぎれば親も戸惑いました。思春期に入り自分の体の変化に違和感が出てきたのか性器いじりを始めるようになりました。排泄が自立できていなかったので大変なことになりました。他にも問題がたくさんあったので息子は居場所がどんどんなくなっていきました。そんな時に明石洋子さんのお話を聞く機会がありました。明石さんは「地域の中に幸せがある。」と考えて、社会のルールや人との関わり方を幼いころから教えてきたことを聞きました。明石さんの息子さんはお母さんが育てたように立派に社会で生きています。
私は明石さんが言う生きるすべというものを教える事が出来ませんでした。そして息子の癇癪を抑える事が出来なくなり、社会のルールを習得していない息子をそばに置けなくなりました。今は施設に入れています。人として大事なことをきちんと教えていれば息子にも違った居場所を見つける事が出来たように思い後悔しています。
周囲が笑って許してくれる小さいうちから、社会のルールや人としてのマナーを覚えることが大事です。出来なかった私の話には説得力はありませんが、自閉症児だって人間です。人の社会で生きていくのが一番の幸せです。地域に居場所を作らないといけないんです。どうか人としての大事なことを子育ての中ではぐくんであげてください。
でも話が出来ません。言葉がきちんと出てきません。こちらの言っていることはちゃんと解っています。IQは80くらいあったのですが、今は60ぐらいに下がりました。
診断が出た小さい頃は「モモちゃんは障害者として人のお世話になっていく。大きく劇的に良くなることはありえない。」と言われましたが、最近の先生たちは「これから出来る事が増えていく。今は少しIQが下がってしまったけど、ちゃんと時期が来たら戻るよ。友達と一緒に遊べるようになる。」と言います。言葉はもしかしたらきちんと話せないかもしれないけど、私も最近の娘の様子を見ているとよくなっていくような気がします。
栗林先生の言葉「自閉症じゃない。人を育てる。」は、私たち夫婦の合言葉です。モモちゃんはケーキ屋さんになりたいそうです。15年後、夫婦でモモちゃんが働くお店でケーキを買うのが私の夢です。そのために今は、親として人を育てたいと思います。昨日、今日のブログのコメに涙が出ました。諦めずに頑張ってくれた人がいたから、モモちゃんが学べる環境があります。ありがとうございます。
いつか、白くま母さんや栗林先生の修行本が出来ると嬉しいです。
先生に教えていただいた話と、大地のことを考えて…大地は成人したら社会へ出そう。そこで自分の好きなことを見つけ、働くのが一番大地らしい。ちゃんと喜びを見つけ幸せを感じるだろう。というのが夫婦で考えた未来の大地の姿です。
先生は、こうちゃんにも同じように話をして、グループホームのようなところから、毎日仕事に行けるようになるのがこうちゃんには幸せだと話し合ったらしいです。
今日は、「前にそういう話をしたよね。」と栗林先生と電話で話をしました。
老年期に入ったら、定型の人と発達障害の人はそんなには変わらない生活になるかもしれない。取り巻く家族や友人という環境は少し違うかもしれないけれど…
でも、青年期は違う。定型の人達だっていろんな人生があるもの。ここをどう生きるのかは、本当に親次第なんだと思う。何が正解で本当の幸せは何なのかはその子によって違うと思う。
私は親として、自分の子にはより実りの多い人生を送ってほしいと考えている。友達とバカなことをして騒ぐのもいい。喧嘩もしてほしい。恋をして、失恋したり、一晩中泣いて過ごす夜があってもいい。泣いたり、笑ったり、怒ったり、そういう事を大切な友人や仲間と経験してほしい。私もそんな時期があった。大地には障害があるが、青年期のその時期にしかできない経験もさせてあげたい。
そういう青年期を送れたら、大地は後の人生の中で幸せだと思ってくれるのではと思っています。
誰よりも「友達と一緒がいい。みんなと一緒がいい。」と思っている子です。でも、それって大地だけじゃないように思います。みんなと一緒がいいのに、みんなと違う自分に傷つく。友達に違うと言われて学校に行くのが怖くなる。「違っていい。」と言われながら、みんなと同じであることを求められる学校。みんなと一緒にいたいと望みながら諦めちゃっている子がいるように思う。
「一緒にいる事の意味」「一人一人違うのが当たり前。」「どの子にも苦手があって、どの子にも必ず良いところがある。」
栗林先生はそういう事を大切に教えてくれました。何度も繰り返し繰り返し教えてくださいました。
確か明石洋子さんは徹之さんに「働きたい」という気持ちを芽生えさせてそれを育てたお母さんだったはず。「特訓はしない。周囲の人が協力してくれた。」と言いながらも、社会のルールを地域の中で教えていったお母さん。
栗林先生も明石洋子さんも、「みんなと一緒。地域の中で」を大切にしているように思っています。
「青年期をどう生きるのか」
何が子供の望みで本当の幸せなのか。どこに居場所を置くべきなのか。改めて考えさせてもらった皆さんからのコメでした。
ありがとうございました。
娘が友達と遊ぶ事すら想像出来ないのに、恋をするとか、働くとか、仲間と経験するなんて誰が考えられますか?
少しでも暴れれば、学校からは薬が足りないのではと言われ、友達に噛み付いては一人にするなと苦情と嫌味の連発。
そういう子供の未来なんか想像して育てるなんて無理です。
白くま母さんって、呑気でいいと思いました。軽い障害だから言える事です。同じ発達障害なのかもしれませんが、実は全く違う障害のように大変さが違います。
そういう重い障害の子供や親の気持ちまでは、一生かかっても白くま母さんのように幸せな人には解らないと思います。
重度と軽度、そして重度同士軽度同士でも、それぞれの苦労は違います。人間はわかりあえないのが普通だと私は思っています。
それと、白くま母さんがのんきだと思ったことはありません。
オムツがとれないのならそれはなぜか、排泄物で遊ぶのならそれはなぜか、白くま母さんは徹底的に分析して検証します。かんしゃくを起こすのならそれも原因を突き止めて対処します。試行錯誤だってします。それでもあきらめません。
そういう普通の母さんです。白くま母さんは。家族の愛情に恵まれているという意味で幸せな人だとは思いますが、大金持ちでも、超高学歴でもない、地に足のついた生活を営んでいる、ごくごく普通の母さんです。
すでに成人し、一般就労をしているアスペルガー当事者です。
こんなに頑張っているのに、こんなに私は苦しんでいるのに、こんなに私はこの子の為につくしているのにと
文章を読んでいてのんのん様の心の叫び声が聞こえてくるようでした。
のんのん様はきっと本当にうんと頑張っているのだと思います。
ただ、もしかしたらご家族の方々は、のんのん様の、心の協力者ではないのかなとも、ふと思いました。
のんのん様は、白くま母さんを『呑気』と言って、今のご自身の状況を自分自身に納得させているのではと
思います。そうでもしないと、のんのん様はのんのん様御自身の事を肯定出来なくなってしまうから。
踏ん張っていられなくなるから。
でもね、白くま母さんをはじめ、このブログをよんでいらっしゃる方々はきっと貴方がどんなに頑張って
きたかをもしかしたら貴方の身近にいる誰よりも、そしてその何倍も理解できる方々だと思いますよ。
貴方と同じように自閉症の家族とともに孤軍奮闘されてきた方々だからです。
一つだけお願いがあります。
どうかあなたのお子様を『そうゆう子供の未来なんか。』とだけはもう言わないでください。
今後も貴方を幸せな気もちにする事は少ないかもしれないけれど、どうぞ決めつけないであげてください。
一歩でも前に進めたその嬉しさは、きっと私と同じだと思うから。
私は「あの人より私は大変だ。」「あの子よりは大地の方が軽い障害でよい。」「あの子は重い障害で不幸だ。」「軽度は重度より大変なことがある。」と考えたり思ったりして嘆いたことがないからです。
のんのんさんが経験している苦労を私は経験がないと思います。でも、のんのんさんも私が持っている悩みや苦労を解ってはいないです。
障害の軽重や有無に関わらず、親ならば子育てをしていて悩みや苦労を抱えているのが普通だと思います。心配したり苦労が多いのが子育てで、でも、子供から小さな幸せをたくさん貰えていると感じています。
のんのんさんは、他の子と違う。これが出来ない。あれもできないと、悪いところばかり見つけてはいないでしょうか。どの子にも良いところと得意があります。絶対にあります。
7歳で支援学級に通い始めた大地が、病気と闘う子。体が不自由な子。いつも喧嘩になるので嫌いなんだという子。お友達みんなの良いところをたくさん見つけてきました。7歳の大地にも出来たのですから、のんのんさんにも見つけられると思います。
そういう発見は幸せな気分になれます。もしかしたら、そこから未来が見えてくるかもしれません。一日中、何気ない普段の様子をビデオに収めてみると、知らなかった新しい発見が出来ると思います。いま、のんのんさんが悩んでいることのヒントがそこにあると思います。繰り返して何十回、何百回でも見てみてください。
栗林先生は仰います「駄目な子なんていない。」
どうか、笑顔でお子さんと関わってあげてください。
子どもたちは二人とも発達障害です。下の子は知的障害を伴う自閉症です。
排泄の自立がなかなかできませんでした。見張っていてもさっと逃げて物陰で用を足すのでいそうなところを探して始末をしました。
夜鳴き・パニック、ひどかったです。夫が怒るので一番離れた部屋で休ませましたが、寝ないので付き合うのが大変でした。
いろんなことがありましたが、私は自分が普通でないし、子どもたち二人とも普通でないので、何が普通なのか比べることができません。
普通の子がいるお母さんをうらやましいとは思いませんし、逆に経済的にも裕福でない私の暮らしを見て、「賢ママさんて何が楽しくて生きてるの?」と言われたこともあります。
大好きな夫と子どもに囲まれて、その成長を手助けしていくのが私の楽しみであり幸せです。
「あそこの子は普通じゃないから」と近所ではうわさになっていますが、本当のことだから気にはなりません。普通でないから見える幸せもあるのですから。
不幸な面を見ていても、人と比べてないものねだりしていても何もかわりません。自分に与えられた環境で精一杯生きていくのが私にはあってるかなと思います。
私は人に慰められるのも好きじゃないし、だから慰め方もわかんない。ただ本当だと思ったことをずばずば言ってると励まされる人もいれば怒る人もいるようなので、励まされる人だけ私に近づいてきてくれたら平和だと思いますね。少なくとも、このブログに来て愚痴言って慰められることはあんまりないような気がします。
あと賢ママさん!「あそこの子は普通じゃないから」って別に本当のことだしねえ。気にするほどのもんじゃないですよね。正しいよ、賢ママさん。
結局ニキさんの言うとおり「配られた手札で勝負するしかない」っていうのが本当で、和気藹々と気が合って楽しくやっている仲間だって、よく考えたらたとえばおうちの経済状況とかさまざまなはずで、それをあそこんちはいいわねとか言うのは時間とエネルギーの無駄。それより自分の持っているものをありがたく使ったほうがいいよね。
画伯の言うとおり、羨望っていうのは妄想なんだと思う。大地君は「僕はそらパパさんの子どもでなくてよかったです」って書いているし、それは本当だと思うけど、藤居が大地君の父親だったら大地君の可能性をつぶしたと思うけど、世の中にはそらパパのような夫を羨ましがっている(療育に熱心なんだとさ・棒)もいるし。本当に彼がいい父親かどうか知ってるのは藤居んちのお嬢ちゃんだけでしょ。
結論:よそんちは関係ない。
以上。
仰る通りです。私には子供の良いところが解りません。怒るってほどではないですが、やはり白くま母さんには余裕があるのだと思いました。私にはビデオを撮る余裕もビデオを見る余裕もありません。寝る時間も食事の時間も作れません。母子家庭なので働いていましたが、保育園から呼び出されることが多く続けられなくなりました。今は家で内職をしています。
今の生活からいつ抜け出せるのか、そういう事ばかり考えています。
娘はまだ4歳です。この子が大きくなるまでと考えたら、気が遠くなりそうでした。
このブログでのことがあって、昨日は思い切って療育センターで自分の思っていることを話してワンワン泣いてきました。溜まっていたことを話して泣いたからスッキリしました。
私が大騒ぎした後、先生が「ここから始まります。お母さんがうつむいているうちは何をしてもうまくいきません。いいですね。始めますよ。」と言いました。
これから療育プログラムを本格的に立てることになるそうです。ここから始まるそうです。昨日は急に相談の時間を夕方に作ってくれました。今日もセンターに行ってきました。トイレ誘導で初めておしっこが出来ました。ぺクスというのをしました。
なんだか楽になりました。
白くま母さんが普通のお母さんなら、私も白くま母さんのようになれるでしょうか。娘の未来を想像できるようになるでしょうか。考えるとまた不安に押しつぶされそうになります。でもまずは私が幸せに思えるようになりたいと思います。
午後から電気屋さんに行ってみようと思ています。
白くま母さんへ
私の娘が大地君のような障害だったら、離婚されることもなかったし、親に「かたわの子供を産んだ。」と勘当されなかったかもしれないです。上手く言えませんが、私には特別なお母さんに見えています。