治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

願わくは 花の下にて 春死なん

2016-03-29 07:27:12 | 日記




実は私
(なぜだか愛甲さん経由で)神田橋先生に教えられていたことがありました。
私は父にとても愛されているのに
それに気づいていないというのです。

その父が呼吸器に不調を抱え、入院。
退院してきたというので、
鹿児島空港封鎖の中福岡から強引に帰ってきた翌日
実家に行きました。
母に何か買って行くものはないかきくと
父の呼吸が苦しそうで、心配で買い物に出かけられないので生鮮食料品を買ってきてほしいということでした。
そういう状態なら、母の負担を減らすためにも何か考えなければいけない。
とりあえず様子を見てこよう。
そう思って実家に出かけました。

会いに行った父は、思ったより元気そうでした。酸素を鼻から通してはいましたが。
寝込んでいるわけでもなく、椅子に座って好きなCSの歌謡曲チャンネルを見ていました。
母に食料品とお小遣いを渡し、父と小一時間一緒に過ごし
「じゃあ帰るね。また来週来るね」と言ったとき
父がぱっと目を見開きました。

帰るな、という目でもなく、すがるような目でもなく。
おそらくあのとき父は、私の姿を目に焼き付けたのだと思います。
そして次の瞬間
見たこともないような柔和な表情になりました。

父はもうあのとき、心のどこかで知っていたのでしょう。

それが今生の別れとなりました。
翌日父は、自宅で、母の腕の中で旅立ちました。
享年84歳。幸せな最期でした。


亡くなる前の夜、私が持って行った生鮮食料品で母が作った心づくしの夕食をたくさん食べたそうです。普通に、食卓に座って。
普段は野菜嫌いなのに、「淳子が持ってきたのよ」と言うと、全部食べたそうです。
そして私が渡したお小遣いを自分の財布に入れたいと行ったそうです。
もう外出もままならないのに。
母が「何に使うの?」ときいたらにこにこ嬉しそうにしていたそうです。

知らせを聞いた私が、病院に駆けつけたとき
父はまだぬくもりがありました。穏やかな寝顔でした。

私は父の頬にふれ、「ありがとう、ありがとう」と言いました。
親だから子どもを愛せるとは限らないとわかりすぎるほどわかってしまったこの時代。
だからより一層、私はありがたい父親を持ったのだとわかるのです。
無償の愛を私に注いでくれてありがとう。
きっとそれが、私の土台を作ってくれたのでしょう。
覚えておこうと思います。一生忘れないでいようと思います。
私は生みの親にまっすぐ愛された人間だということを。

そして、命をありがとう、パパ。
親からもらう一番ありがたい贈り物。
それは、命です。
私の命がどれくらい残されているかわからないけど
せっかくこの世に生んでもらったから
思い切り生きつくして、自分なりに社会のためにできることをして
そっちに行きますね。

そうしたらまた遊んでね。
小さい時のように。
一緒に海に行こうね。

私の性格はどっちかというと祖父譲りで
父はむしろ穏やかで争いを好まない人。
あまりにノリが違うから、気づきませんでした。
まっすぐに愛されていたことに。
神田橋先生に指摘されるまで。

「なぜ気づかなかったの? あの人は宇宙一の淳子ファンよ」と母は言いました。
夫も気づいていたようです。
私だけが気づかなかった。長い間。
半世紀かかって、やっと気づいたから、
私がようやく気づいたことが、最期に会ってやっとわかったから
父は安心して旅立ったのだと思います。

父の旅支度をするとき、
私は写真と本を持っていってもらうことにしました。
二人が大好きだった海の景色。「人間は 力を抜いたら 浮くもんだ」と小さな私に教えてくれたのも海でした。
海とあさみフラワーと、私のコラージュ。
紙焼きにして、棺に入れました。

本も持っていってもらいたいけど、
四半世紀本を作ってきた私の本を全部持って行ってもらうのは無理。
迷った末
「自閉っ子と未来への希望」を入れることにしました。
やはりこの本にしようと思いました。

父に伝えたかったのです。

私はね、パパ
今、こういう仕事をしているよ。
パパが与えてくれたこの命を
こういう風に思い切り活かしているよ。

命をありがとう。
命をありがとう。
パパ、私に命を与えてくれてありがとう。

そういえば「他の誰かになりたかった」を献本した時
「サイン本がいい」って先生はおっしゃってたなあ。
今思うと
喪に際し、それが道しるべとなりました。

せっかくだからサイン本にして持って行ってもらおう。

そうやって本に向き合ってみると
すらすらとメッセージが浮かんできたのでこう書きました。

=====

パパへ
愛してくれてありがとう。
命をありがとう。
また、パパの娘に生まれたいよ。

              淳子

=====

父は安らかな顔で旅立って行きました。
なんの未練もなかったようで
もう遠くに行ってしまったのを感じます。

夫は父の寝顔を見て涙を流し
そして次の瞬間
私の頭を引き寄せてくれました。

人間てすごいです。
一瞬の振る舞いで、それだけのコミュニケーションができる。

愛情と誓いを一瞬で表せる。

言葉だけではない。
愛情は言葉だけではない。

父の肉体は天に昇り
言葉では語らない存在になりましたが

これからもきっと、ずっとずっと
「宇宙一の淳子ファン」として
私を見守ってくれるでしょう。

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46 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (いっちゃん)
2016-03-29 08:10:20
ご愁傷様です。

ご無沙汰しております。

「愛情と誓いを一瞬で表せる。」

そう感じられること、私もわかります。


これからも応援しております。
出版楽しみにしております。
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ご愁傷さまでした (マスオさん)
2016-03-29 09:05:10
以前、花風社イベントでお父さまとお会いした時、本当に嬉しそうな顔をされていたのを思い出します。
幸せな生涯だったと思います。

お母さまはきっとさらに長生きされるでしょうが、支えてあげてくださいませ。喜ばれると思います。

合掌。
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ご冥福をお祈りいたします (淑子)
2016-03-29 09:05:18
お父様のご冥福をお祈りいたします。 私の父も84歳です。なかなか会いに行けないのですが、今日は電話をしてみます…。浅見社長もお母様も、くれぐれもお身体を大切になさって下さい。
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Unknown (くむ)
2016-03-29 09:05:37
この度は、心よりお悔やみ申し上げます。
ぱっと目を見開いて見た、というところで、大好きだった祖父もそうだったことをまざまざと思い出し、読んでいて涙が止まらなくなりました。
お辛いことと思いますが、くれぐれもご自愛下さいませ。
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Unknown (miz)
2016-03-29 09:07:17
他での浅見さんのコメントを読んでひょっとしてと胸騒ぎしたのですが、
最後にお父様と素敵な時間を持たれたのですね。
お父様もお幸せだったことと思います。
「私の姿を目に焼き付けたのだと思います。」という文に、
温かい親子の疎通のようなものを感じて胸が熱くなりました。
天国でも穏やかに過ごされることをお祈り申し上げます。
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いっちゃんへ (浅見淳子)
2016-03-29 16:31:11
あたたかなお心遣いありがとうございます。
今後ともよろしくお願いいたします。
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画伯へ (浅見淳子)
2016-03-29 16:32:40
お心遣いありがとうございます。
母ともしみじみ話しているのですが
一緒に遊ぶのが楽しい人でした。
これからは母が楽しめる機会をたくさん作ろうと思います。
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淑子さんへ (浅見淳子)
2016-03-29 16:34:30
お心遣いありがとうございます。
なかなか会えなくても、思いが通じ合うのが親子だと思います。
お父様大事になさってください。
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くむさんへ (浅見淳子)
2016-03-29 16:35:58
お心遣いありがとうございます。
おじいさまもそうだったのですね。
あの時の眼差しが忘れられません。
教えてくださってありがとうございます。
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mizさんへ (浅見淳子)
2016-03-29 16:38:14
お心遣いありがとうございます。
父はのんびりした人でしたので
天国は大好きだと思います。
今はきっと目を輝かせて遊んでいると思います。
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