治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

カーブの先の上り坂 ミッション×2の鹿児島旅行ご報告 その4・完

2023-09-13 08:48:06 | 日記
次の日、なんとなく「自転車はもういいや」の気分。
チェックアウトまでゆっくりと温泉に入り、荷物を預けて街に出ました。
買い物をし、お寿司を食べます(回転系)。
そして「水族館に行こう」ということになりました。

『発達障害は治りますか?』を出してから、コロナ前、多くの人が鹿児島を訪れました。
お子さんもたくさん。
そしてその人たちは、神田橋先生に受診してすっかり心が軽くなって、鹿児島観光も楽しんだようです。
水族館の素晴らしさもいっぱいきいたことがあるのですが、そういえば私自身は行ったことがなかった。

見ごたえのある水族館でしたね。
南西諸島にまで及ぶ鹿児島県の海は多様です。
さまざまな海の生き物が見られました。
屋久島からやってきたばかりの海亀の赤ちゃんがかわいかったですね。

今回の旅のミッションは二つ。彼女の受診と、ブロンプトンでの桜島上陸。
彼女は健常者として生きていくことになり、我々は上陸どころか一周を成し遂げ、思った以上の成果でした。
おまけに水族館まで初訪問できてしまった。

ここまで一年半かけて、統合失調症の診断を外した。
その経緯をさらっと書いておきましょう。

それにはまず、凡医ズがなぜ病んだ人に統合失調症の診断を下すか。
それを知っておく必要があります。
いわば凡医を出し抜くには、セオリーオブ凡医ズマインドを知っておく必要があります。

私はこれを、次の本を作りながら学んだのでした。

ここには実は、みんなが大好きな(そして私が大嫌いな)アレがかかわってきます。
そうです。国民皆保険です。

国民皆保険の、一見よさそうで実は融通が効かない医療のもとでは
診断は「どんな薬を出すか」によって決まります。
保険病名というやつです。
それに則って診断をする精神科の凡医たちは「統合失調症の患者」というよりも「統合失調症の薬を出したい患者」を統合失調症と診断するのです。
実体ではなく「凡医がどの薬を出したいか」が診断名を決めます。
ここ大事ですから、よく覚えておきましょう。
たぶん発達障害も同じです。

そしてそのあとはなぜか、たんなる処方都合の診断名が独り歩きしてしまうところから悲劇が始まります。
処方都合の診断名を真に受けると、医療福祉の養分として消化試合を送らされることになるのです。

日本の医療の融通が効かないことは、皆さんも三年半でわかったでしょうが
コロナ禍の当初、医療の大原則は「発熱患者お断り」でした。
そして「民には自粛させ、病床は増やさない」でした。そしてひたすら注射を待つ。
注射が始まると医者たちは群がりました。儲かるからです。そして発熱外来に加算が着くと群がりました。儲かるからです。

精神科医療も同じです。

統合失調症の基本治療は「一生服薬させる」です。その結果その人の将来が消化試合になろうと、安定してめんどりになってくれたら医療にはそれが一番お得。そしてなぜか、発達障害は統合失調症モデルを押し付けられました。
だから凡医ズは必死に「生まれつきの脳機能障害で一生治らない」という嘘を叫んでいたのです。統合失調症モデルに味をしめたのでしょう。それをもう一個増やそうとしたのですね。第〇波を煽り立てる医クラをうさんくさく思う人は増えましたが、「生まれつきの脳機能障害で一生治らない」はあれと一緒です。

ともかく、統合失調症と診断された彼女は、一生薬漬けにされるところでした。
そして刑務所的GHから同法人の生活介護事業所に送られ、16時に垢の浮いたお風呂に知的障害の人を介助しながら入り、週に1~2度しか外出できず、栄養療法を教えてもコンビニにすら自由に行けない、みたいな生活をこの先一生続けるところでした。

元夫との調停によると「娘が24歳になるまで連絡先を教えない。病気を治さないと娘には会わせない。障害者施設が連絡先なら娘には連絡先を教えない」。
つまり、凡医の言うことを聴いていたら一生会えないところでした。

でもここで逆回転が起きました。
統合失調症の薬を処方するための統合失調症という診断。
これは大きなヒントです。
どうせ処方のための診断名ならば
薬が不要になれば診断名は外せます。
薬が不要で、しかも症状が出なければいい。
そしてその方法は、私たちいっぱい持っているじゃないですか。

硬直した国民皆保険下での統合失調症という診断。
ならばその硬直性を逆に利用してやれば、逆回転は起こせるのです。
それは私たちが発達障害でいっぱいみてきたエピソードですよね。
それと同じことをやりました。

というわけで統合失調症の診断は取れた。
そのあとには別の問題が出てきた。カーブの先はまだ平坦な道ではなかった。
それは愛着の問題だったり、パーソナリティの問題だったり、そして長年のみつづけた薬の副作用による内科的な問題であったり。
それをひとつひとつ治していけばいいだけ。

その仕上げの鹿児島旅行でした。

統合失調症という診断で一生めんどり飼い続けるつもりだった精神科医療。
「障害者である限り娘には会わせない」とのたまった元夫。
自由を放棄させれば一生縛り付けておけると思っていた慢性違憲状態の刑務所的GH。
本当にみんなえらそうなんだよ。何様のつもりなんだ。

こいつらを私たちは全部出し抜いてやりました。
カーブを曲がったらまだ上り坂だっただけなのに、地形がそうなっているだけなのに、いちいち薬を増やす精神医療、本当に迷惑。
元夫なんて、本当に偏見に満ち満ちているのだけど、その偏見を私たちは逆に利用した。治るためのインセンティブを提供してくれたことにもなるので。
来年、娘は24歳になる。そのときお母さんは、独り立ちした働く健常者として堂々と連絡することになるでしょう。そうしたらどうするんだろ元夫。あんたが出した条件だ。守りなさい。


私たちは明るい気持ちで水族館を見学し
そして再びフェリーに乗って桜島に向かいました。
船の上、二人で島をながめながら
「あんな大きなところを走り切ったんだねえ」と満足。
そして島に上陸し、昨日食べられなかった灰をかけたソフトクリームを食べました。
これを食べるためだけにもう一度来たのです(笑)。

本土に戻り、荷物をピックアップし、空港へ。
そして機内へ。羽田に着いて、帰宅。
楽しく、そして二重に有意義な旅でした。
買ってきたさつまあげで乾杯!

後日知ったこと。
私たちが帰った後噴火があったらしい。
さすがに心拍数が上がったとき、灰は吸い込みたくなかったので、助かりました。でもブロンプトンはそれなりに汚れましたよ。やっぱり活火山だってよくわかりました。

そして彼女は帰ってきてすぐに派遣会社に面接に行き
会社を一個紹介してもらえて
営業の人と面接に行くということ。

カーブの先に何があるかわからない。
でもきっと、縁があるところが見つかるよ。

「今は人手不足だから大丈夫」と思っていましたが
もう年齢も病気も関係ない時代が来るという意味ではいいですね。
発達障害の人たちも、じっとしている余裕はないですよ、もうこの国には。
逆にそれがチャンスということです。

彼女にもきっと発達の基盤があるのだろうからと
私は発達障害の人に対するようなコミュニケーションを心がけていましたが

これまで発達の人と旅をしたときより、ラクな面がありました。
それは基本的な体力です。

病んでいた時期が長くても
これまで私が一緒に旅をしてきた発達の人たちよりはずっと体力と運動機能があることを発見。

ここらへんは、さすがに私と血がつながっている人だなあと思いました。

そうなのです。
血縁者なのです。
だからまあ、色々家族にもお願いしやすかったのですが。

幸多かれと願います。
これからも色々めんどくさいことはあるでしょうが。

愛甲さんに感謝。
神田橋先生に感謝。

そして夫にも感謝です。
一人だったら私は、桜島一周できなかったでしょう。







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