治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

どいつもこいつも元々魚 新刊と海水浴効果 その1

2023-09-27 06:22:56 | 日記
9月13日の午後、母のうちに行きました。小笠原クルーズ関係の書類が送られてきているかな、と思って。
一応今回はスポンサーが母なので、母のうちに書類がくるように手はずしております。さすがにメールはこっちで受けるようにしてありますが。

で、来ていない、ということで、普通に帰ってきました。
翌日、羽田空港を歩いていると、電話が鳴りました。
「やっぱり書類、来てたの」
「締め切りはいつ?」
「22日」
「じゃあ帰ったら行くから。今羽田」
「どこ行くの?」
「奄美大島」

前日、母のうちから帰ってから、突然思い立った旅でした。

なんか行き詰まっている。
引退したい感が強い。
この「引退したい感」がずっと通奏低音のように私に付きまとっています。
裁判を抱えたとき、ギョーカイに誰一人かばってくれる人がいなかったとき、こんな世界からは去りたいと思った。
そのときに出てきてしまったのが神田橋先生。
治さないギョーカイの中で、その被害者だった私だからこそ、「医者なら治せんといかんわな」と言う先生の本は出したいと思った。


そしてそこから花風社の治そう時代が本格的に始まった。
まず身体からのアプローチだ、と考え、本を出して行った。身体アプローチが本格的に回りだした。小田原の大先生を発掘し、原始反射がやってきて、愛甲さんや大久保さんの本も出した。
治るラインナップが揃った。
神田橋先生以前は、「こんな腐ったギョーカイ去りたい」だったのだけれど、それ以降は「こんなに治る本を出したからもう作らないでいいのでは」という気持ちが強くなっていった。

そして小田原の大先生が去っていったとき、「もう私の仕事は済んだんだな。引退でいいや」と思った。小田原の大先生は「医師会の仕事があるので花風社の仕事は後回し」という失礼なことを行って新横浜に来ようとしなかったけど、よく新横浜を通って色々なところに行っている印象的なヘアスタイルのおじさんがいたから、オンライン講座をとってみて、奄美から帰ったつぎの日、受けてみた。考えてみれば、あれも奄美から帰った翌日だった。そうしたら「これは出さないといけない」ということになった。
こうやって『療育整体』が出て大評判になった。


そしてまた自転車に乗って遊んでいた。
そうしたらまた療育整体を読んで、「花風社がやっていることの正しさを医療の立場から裏付けられるよ」という脳神経内科医のドクターがやってきてしまった。

で、また本を作っているのですが、心のどこかで「私はもうとっくにここを去っているはずの人間だ」感がずーっとある。
私は発達障害ギョーカイが大嫌いだから。基本的に。


ここから去りたい、去りたい、とずっと考え続けながら、なぜか逆にこのギョーカイに新しい知見を紹介する方に回っている矛盾した仕事をしています。

なぜ去りたいかというと、私は基本的に、発達障害にまつわる人のほとんどが大嫌いだからだと思います。
治さない医療従事者たち。
伸ばさない療育家たち。
アリバイの特別支援教育の現場。飼い殺しで支援者の就労支援しかしていない就労支援。
当事者はストーカー。保護者は「ありえない恐怖感」。
支援者たちは揃って権威主義で安定志向。資格ビジネスにはめられ、そして自分たちも資格ビジネスの胴元になるのがお好き。
行政はしたり顔のとっちゃんぼうやぞろい。ソフトに、人当たりよく、消化試合の人生を受け入れさせるのがお仕事。
そして最近各地方に出現している、公金チューチューしながらいっぱしの起業家のつもりの各種福祉事業者の偽善トーク。
どこを見渡してもそんなやつらがはいて捨てるほどいる!

ただその嫌いな人種の中にときどき気の合う人がいて、その人たちとだけ付き合っていれば幸せな私。でも気の合う人以外には基本近づいてきてほしくなくて、暴言を吐いて防御しています。神田橋先生に「ギョーカイトラウマだいぶとれたね」と言われたのだけれど「この世界にまだいられると思います。誰とも付き合わなくていいのなら」と言ったのはコロナ前のことでしたね。

ものすごく暑かった今年の夏。その夏、私は文系頭の私にとってとっても難しい勉強をしていて、一方で自転車で三浦半島や桜島を走ったりした。脳も身体も疲れていてもおかしくありません。
台風でリスケした奄美旅行。
なんでリスケしたかっていうと、夫がシンポジウムの司会とかの予定が入っていてやっていて、リモートでこなせる仕事ではなく、万が一にも帰れないと困るから保守的に判断。
でも予定通り海で泳げなかったことで、なんか調子が狂ったかもなあ。

神田橋先生の養生法に「ちょっと死んでみる」があるのをご存じですか。
希死念慮がある人に勧める「ちょっと死んでみる」。それを応用して「ちょっと引退してみる」をやってみればいいかな、と思って、急遽奄美に飛ぶことを決めました。

宿のシングルユースが空いていた。奇跡。
LCC満席。でもJALの優待券持っている。羽田からだと楽だな。
というわけで羽田を歩いていた私でした。

母との電話を切ったあと、シウマイ弁当を買いました。
なぜ羽田まできてシウマイ弁当を買うかは謎ですが、それもハマっ子の遺伝子にインプリントされた行動なのかもしれません。
そしてゲートでお弁当を食べながら、出発を待ちました。
途中メールが入り、対応するために、PCを開き返事。
PCは持ってきたのです。何しろ編集作業の途中の旅だからね。
それと今までできたところの紙原稿は持ってきていた。
二泊三日の短い海水浴旅行。どれくらい仕事をするかはわかりませんが。

結果的に言うと、旅の間PCを開いたのはこれが最後でしたよ。

ゲートを入るとき、写真を撮りました。
ちょうどハングル語が出ている時だった。
何書いてあるかわからない。まるで韓国行くみたい(笑)。




LCCは満杯でしたが、JALは空いていた。
私は窓際の席に座り、離陸後すぐ見えた江ノ島を撮りました。
そして機内WIFIでFBにアップすると、湘南の友だちが反応してくれました。私は横浜と湘南のハーフで、あの江ノ島のすぐ近くには父が眠っています。
俺たちの相模湾だね。
今日はわざわざ遠くまで海水浴に行くけれど。



飛行は順調で、着陸態勢に入ってからのこと。
突然奄美空港滑走路閉鎖、という放送が。
機内は全然動揺していません。
ネットで検索してみましたが、とくに事故の情報はなし。
5分くらいすると閉鎖が解除されたということで、5分遅れで着陸。隣にへんな乗り物が二機います。両側にプロペラ着いていて、まるでオスプレイだよ。

そしてお迎えの車でホテルに向かいました。
実はお迎え頼まずに、ブロンプトンで行こうかと思っていました。
でも編集途上だからPC持って行くから荷物が多くなる。ブロンプトンのキャリーバッグでは無理。
ということで自転車は持ってきませんでしたが、空港に下りたときの暑さで、持ってこなくてよかったと心から思いました。

自転車には暑いけど、海水浴には最高です。
私は早速海に出て、日が暮れるまで泳ぎました。
飛行機の中で、海上保安庁からのお願いとして、荒れた海には入らないで、一人で泳がないで、と言っていた。
荒れた海には入りませんが、一人で海水浴旅行に来たので、一人で泳がない、は守れません。
せめて他のお客に心配かけないよう、50メートル以上沖合には行かないようにしよう。この海は50メートル範囲内にもサンゴ礁はあるし。



っていうか、シーズンオフにはほとんどつねに私一人しか泳いでいない海。今日は十人くらいいます。まだまだ夏なんだな。
浮いたり泳いだりもぐったり。
心ゆくまで海を楽しみ、くたくたに疲れました。

泳いでいてお相撲は見損ねました。
でも本場所中に奄美にいると「郷土力士の活躍」が報道されていて面白いのです。
奉納相撲の伝統が生きている奄美ではお相撲が盛んらしく、小さな島なのに、関取もたくさん出ています。そしてローカル放送では、取的から関取までその日の郷土力士の勝敗を教えてくれます。
それをみていたら、「オスプレイ奄美空港に緊急着陸」のニュースをやり始めました。
滑走路閉鎖はこれかあ。
っていうかあれ本当にオスプレイだったんだ。あんな近くで見たのだから、写真撮っておけばよかったよ。

満天の星が見える奄美。
今日は宇宙ステーションが通過するそうです。
それをみんなでみたりするみたいですが、私はもう無理。
20時にはもう寝ていました。
そして早朝起きて、星空を見てから、原稿に向かいました。

ドクターの語る内容はとても難しいけど、一般の人にわかりやすく、というリクエストには十分こたえられている。
こんなにわかりやすくなるのか、とドクターも喜んでくださっている。
でも何か足りないんだよなあ。
まだ日が昇らない早朝の奄美大島で、私はじっくりと紙原稿を読み込みました。

続く

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