治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

拒絶しないのは公教育だけ

2011-09-07 09:05:00 | 日記
憲法っていうのは、国民の義務を規定したものではない。
公権力の国民に対する約束だ。
ここを間違えて理解している人って意外と多い。

公権力っていうのは、国民に平等に接し
約束を守らなくてはいけない。
自分のiPhoneを取り上げる子のその場への参加を拒否しないのは
教師が公教育に携わる公務員だからだ。

民間はそうではない。
官と民の違い、それは民は「相手を選ぶ」ということである。

公教育という場を離れたとたん、人は選択の対象にさらされる。
大学だって会社だって、選ばれなければ入れない。
障害のある人だって、例外ではない。
就労先は言うに及ばず、作業所、デイケア、入所施設、病児保育
全部向こうに選択権がある。
だから人気のある就労移行支援施設なんていうのは
結構いっぱいでしょ。

積極的な療育を「マッチョ」とかこきおろしたり
社会の中で生きようと努力している障害者を「名誉健常者」とおぞましい名で呼ぶその人たちも
公教育を離れたら、選択される、あるいは拒否される対象になる。

食べ終わったあと、お椀を犬のようになめようと
人前で性器露出しようと
教師のiPhoneを取り上げようと
障害があるからといって文句を言われない世界。

そういう世界を構築したいのなら、ネットの世界を飛び出して、そういう夢のような世界の構築のため、努力すればいい。
ただその間も、「今あるこの世界」で生きていくために
修行している人たちがいるというだけのこと。

他人の修行をこきおろすものは
自分が将来「選ばれない」ことを選んでいる。
そして
聞き分けのない子どものような無知蒙昧なクレーマーとしての発達障害者の親、という姿をさらすことによって
他の発達障害者をも偏見にさらしている。
そのことに自覚的になったほうがいい。

官と民の区別がつかないのも、認知の弱さゆえのことなんだろうが
こういう知識がないばかりに
余分に恨みをつのらせて
ますます厭世的になっていくんですね。

で、勝手に社会を恨まれても

それで「社会が冷たい」とは思わないなあ、私は。

バカだなあ。
もっとちゃんと勉強しろよ、って思うだけ。

ていうか、この病児保育の事業所に対するクレームなんか読むと

拒否したくなる人増えると思うよ、発達障害児。
保護者の認知が偏ってて、めんどくさそうだもん。

そうじゃない親御さんたちと
選び選ばれている関係を築いている花風社です。




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