治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

自閉症と私2 (岩永先生にやってほしかったこと)

2013-02-22 07:30:50 | 日記
私が岩永先生にお会いして、「これはお願いしたい」と思ったことは
まずニキさんやちゅん平
そして同じように、へんてこな身体感覚で生きにくい人を、生きやすくしてほしいということです。
それは様々なかたちを取るでしょう。
へんてこな身体感覚の説明をし、周囲にいる人に理解を促すこと。
適切なトレーニングを教えてもらい、本人がそれに取り組んで、マシになること。
自分の特性をはっきりと自覚し、それに沿った環境を整えるヒントとすること。

つまり原点は「目の前の人がラクになるのなら、岩永先生の本を出したいなあ」という気持ちだけでした。
くどいけど私は善意の人です(くどいけど、別に納得しなくていいよ。アンチに翻意を促す気持ちは、私にはありません。一生アンチでいてください)。

以前ある読者の方が
岩永先生の本に「感覚統合」というタイトルが入っていないのは検索に引っかからなくて不便だ、と言ってきたことがあるのですが
少なくとも「続」と「続々」を出した時点では「感覚統合」より「自閉っ子、こういう風にできてます!」の方がブランド力高かったでしょ、と言いました。
そうですね、と納得されていました。

ていうか私には、実を言うと
「感覚統合の本を出している」という意識すらなかったのです。
「ニキさんやちゅん平や、その他へんてこな身体感覚で社会に出にくい自閉っ子たちを救うことができるのは岩永先生のようだから、岩永先生の本を出している」という意識しかなかったのです。
「自閉っ子、こういう風にできてます!」で気づいたへんてこな身体感覚をなんとかしてくれる人が見つかった。
だったら続と続々を出そう。
解決編につなげていけばいいと思いました。
感覚統合、っていうのは岩永先生についてきたおまけみたいなもんです。(ごめんなさい)

ところが知らず知らずのうちに私はここで
自分が本来さほど興味のなかった一領域に足を踏み入れてしまったようです。

それはなんでしょう?

感覚統合?

いえ、違います。

実を言うと、「ああ、私、これやりたくなかったんだ」って気がついたのは
先日ABAなるものをテレビで見てからなのです。

私が、実は興味がなかったもの。

それは「療育」です。

私は「療育」には興味がなかったんだ。

私の興味があるのは
「異文化交流」であり(何しろもともと翻訳出版の人だったのですからね)
異文化交流の結果知った、「生きづらさ」であり
それをどうにかすることという方向性から

私が興味あったのは「脳の可塑性」なのだと
「療育」じゃないんだと
自覚したんですよね。

それは「ABA」にとことん興味がわかないことを突き詰めて考えた結果
ようやく気づいたことなんですけど。
それ以前にも、自分がよくあるタイプのSSTに興味がないことには気づいていたんですけど。

ようするに「療育」っていうのは党派心の争いの場であり
素人でありながら、そこに勝手に参戦して闘ってる物好きな親たちもいるわけです。
そこに私は足を踏み入れてしまったわけですね。
私が岩永先生の本を出した動機は「ニキさんとちゅん平と、その他似たようなへんてこな身体感覚の人たちがどうにかならないもんか」だったんですけど。
岩永先生の本を出したことで、私は知らず知らず戦場に足を踏み入れていた。
人生のモットーは「専守防衛」なんだけどね。

なんでABAやSSTといった「療育」に興味がないか。

それは一次障害に働きかけがない(あるいはあるように私の目には見えない)からです。

っていうか、皆さんは期待しないんですか?
一切期待しないんですか?
一次障害への働きかけ。

本当に本当に期待しないんですか?

本当に「二次障害は治るけど一次障害は治らない」
って思っているんですか?




続く(不定期更新です)