さて。
前回の記事はこう終わりました。
=====
本当に本当に期待しないんですか?
本当に「二次障害は治るけど一次障害は治らない」
って思っているんですか?
=====
皆さんが(当事者や保護者の皆さんが)
どこまで一次障害を改善したいかどうかはともかく
そういうこと言い出せない雰囲気がありますよね。
療育なるものにつながればつながるほど。
ギョーカイ活動に熱心であれば熱心であるほど。
だって「二次障害は治っても、一次障害は治らない」っていうのが統一見解だったでしょ。
これに疑義をさしはさむとね、すっごいバッシング食らうし。
それが怖くて言い出せないひとも多いでしょ。
でもウソだったみたいだ。この統一見解。
いや、今このときも、研究者の先生たちが生物学的な研究をして
(「とりわけ傷つきやすい人々」への配慮からなかなか表には情報出てきませんが)
やがて一次障害へのソリューションが発表されるのかもしれません。
でも少なくともこれまでは、上記のものが統一見解でした。
表向きには。
ギョーカイの本音は違います。
「二次障害は治せるけど、一次障害は治せない」
これはギョーカイの本音ではありません。
私は真実を知るきっかけに恵まれました。
愚かにもずっとこう思っていたもんですのでね。
「自閉症は持って生まれたものかもしれないけど
『ニキ・リンコはいない。浅見淳子が商売のために偽の自閉症者を演じている』みたいな妄想は、どう考えても持って生まれたものではないので(だって彼が生まれるときにはまだ私たち生まれてなかったもん)
治るんですよね、二次障害だから。
名医がついているし。」
って安心していたんですけど、
医療が解決できないことがはっきりして、ついに法的措置に踏み切るとき、ギョーカイメジャーに「どうして予約何年待ちの名医がついていながら治してくれなかったんだろう?」と言ったら
ギョーカイのヒミツを教えてくれました。
「治りっこない」そうです。
なぜなら
・大人になったら治らない。
・治す気がない人は治らない。
だから彼は治らないんだそうです。
そのときギョーカイの本音を知りました。
ああ、そうだったのね。
ギョーカイは「早期介入、早期介入」と言いますけど、
なんで早期介入にやっきになってるかっていうと
「大人は手遅れ」って思っているからかもです。
実は、一次障害どころか二次障害も治らないと思っているからかもです。
じっさいにめったに治っていかないでしょ。
だからちゅん平が貴重なわけでしょ。
自分たちの介入で治った人がめったにいないのなら
「障害は治らない」ことにしておいたほうがラクですよね。
(あ、ちょっと話ずれますがこの変則技で
「治ったら偽者認定」も「治らない」派の人たちがよく出してくるヘリクツですね)
さて
一次障害どころか二次障害も治らない。
これがギョーカイの本音です。
そうわかると、謎が解けるでしょ。いろいろ。
二次障害回避原理主義で、知的障害のない子に能力を伸ばすチャンスも与えず障害者としての生き方をすすめるのも
従って支援校がいわゆる軽度の子でぱんぱんになって、重度の子たちの居場所を奪いつつあるのも
そしてきちんと大学出た人に単純労働しか用意しないのも
子どもの療育なるものに熱心なギョーカイメジャーが多くて成人支援は手薄なのも
企業を集めた就労支援セミナーでギョーカイメジャーが堂々と「この人たちに努力させてはいけません」とかのたまって一般社会をあきれさせるのも
全部「大人は手遅れ」「二次障害も治らない」と考えられているからです。
治らないのは一次障害だけではない、とギョーカイは考えているのです。
ん、でもなぜ二次障害になるか
そこで「親のせい」にはできないもんだから(何しろギョーカイ神社のご本尊が「親のせいではない」と涙で書かれたお札なもんですからね)
他のもののせいにしなければなりません。
とりあえずとばっちり食らうのは「社会」。
「社会のせい」にしとけばギョーカイは安泰です。
「自閉症者は本当は心のきれいな人たちです。いじめる社会が悪いのです」
「自閉症者は頑張らなくていいのです。社会が理解すべきなのです」
言ってるギョーカイ人も、自分たちがいいことやってるような気がして、気持ちよくなるかもですね。
でもね
こんなこと言われて真に受けたら、治る気なんてわいてくるわけないじゃないですか。
治る気をなくすような言論活動をしておいて
「治る気のない人は治らない」と言い放つだけのカンタンなお仕事。
なんで「社会の理解ガー」ばかりに走るか?
考えてみるまでもありません。
自分たちが治せないからです。
なぜ人生の質を切り下げてでも二次障害回避原理主義をすすめるか?
二次障害すら治せないからです。二次障害が「不治の病」だからこそ、人生で多くのものを犠牲にしても避けようとするのです。
「早期介入が大事」というお題目のもとに成人支援はなおざりなのはなぜ?
「大人になったら手遅れ」だからです。
そのようなギョーカイの本音を知った夏
愛甲さんが会社にやってきたのです。
続く(不定期連載です)
追伸
昨晩「一次障害に働きかけないこと前提」のギョーカイ集まりについての記事を見つけました。
強度行動障害に関しての集まりがあったようです。
今朝起きて、それについてついーとしておきました。
ついーと1
ついーと2
前回の記事はこう終わりました。
=====
本当に本当に期待しないんですか?
本当に「二次障害は治るけど一次障害は治らない」
って思っているんですか?
=====
皆さんが(当事者や保護者の皆さんが)
どこまで一次障害を改善したいかどうかはともかく
そういうこと言い出せない雰囲気がありますよね。
療育なるものにつながればつながるほど。
ギョーカイ活動に熱心であれば熱心であるほど。
だって「二次障害は治っても、一次障害は治らない」っていうのが統一見解だったでしょ。
これに疑義をさしはさむとね、すっごいバッシング食らうし。
それが怖くて言い出せないひとも多いでしょ。
でもウソだったみたいだ。この統一見解。
いや、今このときも、研究者の先生たちが生物学的な研究をして
(「とりわけ傷つきやすい人々」への配慮からなかなか表には情報出てきませんが)
やがて一次障害へのソリューションが発表されるのかもしれません。
でも少なくともこれまでは、上記のものが統一見解でした。
表向きには。
ギョーカイの本音は違います。
「二次障害は治せるけど、一次障害は治せない」
これはギョーカイの本音ではありません。
私は真実を知るきっかけに恵まれました。
愚かにもずっとこう思っていたもんですのでね。
「自閉症は持って生まれたものかもしれないけど
『ニキ・リンコはいない。浅見淳子が商売のために偽の自閉症者を演じている』みたいな妄想は、どう考えても持って生まれたものではないので(だって彼が生まれるときにはまだ私たち生まれてなかったもん)
治るんですよね、二次障害だから。
名医がついているし。」
って安心していたんですけど、
医療が解決できないことがはっきりして、ついに法的措置に踏み切るとき、ギョーカイメジャーに「どうして予約何年待ちの名医がついていながら治してくれなかったんだろう?」と言ったら
ギョーカイのヒミツを教えてくれました。
「治りっこない」そうです。
なぜなら
・大人になったら治らない。
・治す気がない人は治らない。
だから彼は治らないんだそうです。
そのときギョーカイの本音を知りました。
ああ、そうだったのね。
ギョーカイは「早期介入、早期介入」と言いますけど、
なんで早期介入にやっきになってるかっていうと
「大人は手遅れ」って思っているからかもです。
実は、一次障害どころか二次障害も治らないと思っているからかもです。
じっさいにめったに治っていかないでしょ。
だからちゅん平が貴重なわけでしょ。
自分たちの介入で治った人がめったにいないのなら
「障害は治らない」ことにしておいたほうがラクですよね。
(あ、ちょっと話ずれますがこの変則技で
「治ったら偽者認定」も「治らない」派の人たちがよく出してくるヘリクツですね)
さて
一次障害どころか二次障害も治らない。
これがギョーカイの本音です。
そうわかると、謎が解けるでしょ。いろいろ。
二次障害回避原理主義で、知的障害のない子に能力を伸ばすチャンスも与えず障害者としての生き方をすすめるのも
従って支援校がいわゆる軽度の子でぱんぱんになって、重度の子たちの居場所を奪いつつあるのも
そしてきちんと大学出た人に単純労働しか用意しないのも
子どもの療育なるものに熱心なギョーカイメジャーが多くて成人支援は手薄なのも
企業を集めた就労支援セミナーでギョーカイメジャーが堂々と「この人たちに努力させてはいけません」とかのたまって一般社会をあきれさせるのも
全部「大人は手遅れ」「二次障害も治らない」と考えられているからです。
治らないのは一次障害だけではない、とギョーカイは考えているのです。
ん、でもなぜ二次障害になるか
そこで「親のせい」にはできないもんだから(何しろギョーカイ神社のご本尊が「親のせいではない」と涙で書かれたお札なもんですからね)
他のもののせいにしなければなりません。
とりあえずとばっちり食らうのは「社会」。
「社会のせい」にしとけばギョーカイは安泰です。
「自閉症者は本当は心のきれいな人たちです。いじめる社会が悪いのです」
「自閉症者は頑張らなくていいのです。社会が理解すべきなのです」
言ってるギョーカイ人も、自分たちがいいことやってるような気がして、気持ちよくなるかもですね。
でもね
こんなこと言われて真に受けたら、治る気なんてわいてくるわけないじゃないですか。
治る気をなくすような言論活動をしておいて
「治る気のない人は治らない」と言い放つだけのカンタンなお仕事。
なんで「社会の理解ガー」ばかりに走るか?
考えてみるまでもありません。
自分たちが治せないからです。
なぜ人生の質を切り下げてでも二次障害回避原理主義をすすめるか?
二次障害すら治せないからです。二次障害が「不治の病」だからこそ、人生で多くのものを犠牲にしても避けようとするのです。
「早期介入が大事」というお題目のもとに成人支援はなおざりなのはなぜ?
「大人になったら手遅れ」だからです。
そのようなギョーカイの本音を知った夏
愛甲さんが会社にやってきたのです。
続く(不定期連載です)
追伸
昨晩「一次障害に働きかけないこと前提」のギョーカイ集まりについての記事を見つけました。
強度行動障害に関しての集まりがあったようです。
今朝起きて、それについてついーとしておきました。
ついーと1
ついーと2