治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
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熊本の幼女殺人、犯人は自閉症傾向との診断

2012-10-24 08:23:17 | 日記
さて、不確かなソースを拡散したくなかったので、ちゃんと様子がわかるまではこのブログでの言及を控えておりましたが
熊本の幼女殺人事件、犯人にASD診断との報道がありました。
小さい頃から診断ついてたのね。
法廷の場で明らかにされたようです。

ギョーカイはまた報道側に文句をつけるのかもしれませんが
差別を助長するのは報道ではありません。

弁護側です。

だって「障害と犯罪は関係ない」んでしょ?
だったら弁護側が、障害を理由に情状酌量を求めるのは変じゃない。
どうギョーカイが「犯罪と障害は関係ない」と言い張ったところで
毎回毎回弁護側がそれを減刑すべき理由として持ち出してくるのなら
世間はそう解釈できませんわね。

繰り返しますが、私の立場は
「自閉症の人は社会のルールを守れます」です。
でも自閉症じゃない人と違う教え方をする必要がある。
だから本を書きましたよ。
私は被害者なのでね。非常に自閉症の特性が良く出た加害行為の被害者なのでね。
その記録をきちんと残しておこうと思ったのですよ。

この幼女殺人犯にも反省の様子が見られないとのこと。

だからね

定型世界の反省と、自閉症者の反省って違うんで。
それをよく司法に知ってもらった方がいいですね。

私の事件の場合、加害者が最後に法廷で口にした言葉を
私は「反省」と受け取った。

ニキさんは被害者の一人でもありますが
安心したそうです。もうやらないんだと。

でも同じ言葉を、裁判官や検察は
「反省の色がない」と受け取ったんですよ。

そして私の友人たちも、自閉症関連ではない人たちはそう言いましたね。
それが反省の言葉だと思えない、と。
私は自閉症知りすぎてるのかな、と思って、なぜそう思うのかきいてみて
「なるほど」と思いました。たしかにそういう視点から見ると、あれは反省の言葉ではない。

そしたらね、ちゅん平がやはり「反省ではない」というのです。
そして理由は、定型発達の人たちが言ったのと同じ。

ちゅん平はどこまでも自閉ですが
人への思いやりは育ってるのだと思いました。

ニキさんや私は被害者だったから
「もうやらない」という時点で安心してしまったのでしょう。

でも司法はそうじゃなかった。
司法は「反省していない」と受け取った。
再犯の可能性を重く見た。
これほど異文化なのですね。それをよく知っておいた方がいいですよ。

いろいろな裁判の経過が報道されるのを見ても思うのですけど

アスペルガーや高機能ASDの場合
弁護側が障害を持ちだして、いい結果になったケースって見たことありますか、皆さん。

法廷戦略として効果もない。
きちんと法を守っている自閉症者への偏見を育む。

ギョーカイの先生がた
どうせ圧力団体活動するのなら

報道側ではなく、弁護側に働きかけたらどうですか?

「情状酌量の理由に障害を使うのはやめてください。
差別と偏見を助長します」

ってね。

さて、今日は茅ヶ崎で講演です。
たくさんの方がいらっしゃるようです。
お目にかかれる方、よろしくお願いします!