太郎は話術の天才<本澤二郎の「日本の風景」(4755)

<国会から野党が消えた!=21世紀の翼賛議会=有り余る国対費?>より、転載させて頂きました。

 「日本の国会は、憲法を中心に据え、与野党が理念・信念を戦わせる言論の府ではない。永田町から野党が消えてしまっていた」

 日本国首相である岸田文雄が、国権の最高機関である国会に黙って、戦争当事国のウクライナに飛び込んで継戦支援をしてきた。非戦の日本国憲法違反・国家犯罪である。むろんのことでワシントンの了解を得たうえでのことだが、対して司法は帰国した岸田ほか随行者を逮捕拘束する責任を放棄した!

 

 帰国すると国会が開かれた。だれひとり「岸田逮捕」を口にしなかった。のみならず法曹界から激しい怒りの告発も起きなかった。日本から憲法も野党も消えてしまっていた。市民デモも起きなかったらしい。

 この国の為政者も主権者である国民も、そして言論界もゆでガエルを決め込んでしまっていた。岸田の帰国報告を兼ねた予算委員会を2023年3月23日の午前、パソコンに国会審議の様子が実況放送されていたのが判って、同日午前は珍しく付き合ってしまった。

 昨日もゼレンスキー土産の広島産しゃもじ論争が、今朝のインターネット情報に氾濫。電通の暴走は相変わらずだ。それにしても自民党から共産党までが、国権の最高機関で、日本の前途を危うくさせる岸田の狂った暴走に釘を刺さなかった。ロシアとのことを無視していた。

 

<死んだ日本を証明した岸田帰国報告予算委員会>

 国会の腐臭は、三権の腐臭として日本列島にまき散らした。行政府も立法府も最高裁など司法府も腐ってしまった日本を、これほど露骨に証明した事例は過去になかった。しかも、これらのことを新聞テレビは報じなかった。日本は死んでしまっていた!

 日本国憲法は、戦前の歴史の教訓を反映した見事な憲法である。その一つは、二度と戦争を起こさない、しないという非戦の宣言である。二つ目がカルト宗教からの分離・政教分離である。双方に厳しいカンヌキをかけて戦後を生きてきたはずだが、現実は全く違った。政府の憲法違反に立法府・司法府もマヒしてしまっていた!

 

 日本国憲法を読んだ法学士は皆知っている。だから怒っている。「腹が立つ」どころの話ではない。法務検察の面々も内心は忸怩たる思いであろう。本来であれば、岸田を国家の破壊者として東京拘置所に送り込む場面であろうから。 

 

<山本質問にあっけに取られる岸田ら閣僚人=漫才聞くより面白い>

 「日本はアメリカの属国ですね」から始まった山本太郎の質問が面白かった。漫才師の演技をはるかに上回っていた。昨日も確認したがYoutube動画には登場していなかった。彼の周辺に人材がいないのか。

ともかくもう一度見てみたい。太郎は話術の天才である。

 ことほど日本政治は落ちるところまで落ちてしまった。歴史の教訓をかなぐり捨てた日本会議・神社本庁・財閥の極右勢力は、腹を抱えて狂喜している様子が目に浮かぶ。

 「既成事実による改憲」を、ドイツのヒトラーも仰天しているはずだ。嘘の連鎖は安倍と高市だけではない。菅も岸田も同じ貉である。主権者である国民は、これほどの仕打ちにも耐え忍んで、これまで通りやり過ごして行くのであろうか。

 

 人間と動物の差異は心・精神の有無にある。過ちを改める。反省もするし謝罪もする。反省謝罪もしない東芝をはじめとする財閥は、人間集団ではない。悪魔の集団である。国家神道の後裔である神社本庁のカルト教団も、だ。反省も謝罪もしないで、日本の戦後の要である憲法を、自公の3分の2勢力で押しつぶしている。野党の維新や立民・国民も束ねてしまった。日本共産党はもはや存在価値を失っている。

 野党の存在価値はゼロだ。太郎を党首にして自公を退治してはどうか。

 

<中山太郎死去と悪辣な憲法軽視の外務官僚に気付け>

 福田・清和会の中山太郎が亡くなったとの報に、むしろ彼の秘書だった有澤志郎君に電話した。彼こそが中山の後継者のはずだったが、世襲議員の太郎は、息子を担いで有澤君を排除した。結局のところ、倅の後継に失敗した。

 何度か書いたが、清和会はA級戦犯の岸信介の色が強すぎた戦前派閥のため、取材する興味の対象でなかった。当たり前のように右翼を嫌った凡人ジャーナリストだった。日本国憲法が要請する護憲リベラルではなかったのだから。

 そうした中で、中山は清和会の中でリベラル色が強かった関係で、彼が参院議員時代から医務所に出入りした。小児科医は命を大事にするという思いも手伝った。しかし、外相になると、彼は突如として改憲を口にした。「日本の常識は世界の非常識」と言いだした。改憲右翼に転じたのだ。

 彼を手なずけたのは外務官僚だった。「武器弾薬がなければ外交は出来ない」という右翼官僚が霞が関に多い。野田英二郎のような真っ当な外交官は少ない。彼らは「天皇の官僚」(データハウス)である。かくして小児科医は、極右に持ち上げられて改憲派の代表格になってしまった。以来、中山との関係はこちらから断った。

 

<秘書の有澤志郎は護憲リベラルの中国通の人だった!>

 しかし、有澤君との関係は違った。彼こそが自民党リベラルを背負っていくべき人物だと判断した。性格は明るく、腰は低い。バランス感覚は自ら培ったものだろう。彼は一緒に中国に行きたいと言い出した。

 外相秘書として鄧小平人脈も手にしていた。既に総理府総務長官秘書官などを歴任していた。「政治はバランス」を信念とする本格派の自民党政治家の資質を備えていたものだから、交流はずっと続いてきた。

 鄧小平の長女・鄧林(画家)や名前を出すことが出来なかったが、鄧小平を「おじさん」と呼んでいた党内事情に詳しい人物との長時間会見など広範囲に及んだ。1955年に駿々堂出版から「中国のニューリーダー」を出版した。有澤君の出版会には、大阪のホテル宴会場を支援者が埋めた。目下の問題人物の森喜朗も来ていた。

 北京取材では日中で活躍するオペラ歌手の左威が通訳ガイドを務めてくれた。中国青年報社長の徐祝慶、清華大学の曲徳林ほか祝智慧、孫文清、何林など今から考えると、実に多くの友人らが、北京の中南海の様子を語ってくれた。久しぶりに今朝、その本を開いてみた。改めて有澤志郎君の北京人脈に感心してしまった。この本は、中国研究の学者らに相応の参考文献となっているはずである。

 

<岸田も同じ手口で改憲派に洗脳されていた=外交は武器弾薬>

 話を戻すと、中山太郎の改憲活動がその後の関西地区の右傾化に貢献したかもしれない。笹川ギャンブル財団と維新の関係などだが、翻って現在を眺めてみると、岸田文雄も中山太郎の二の舞であることが理解できる。

 

 無知無能の倅を強引に後継者に擁立しているが、中山の二番手になるかもしれない。政治の世襲は、社会の進歩を阻害する。有澤志郎秘書を外した中山のツケは、間違いなく出てくる。宏池会の伝統・理念を放棄した岸田の罪は軽くない。広島の護憲リベラルの旗手・溝手顕正を落馬させた岸田の裏切りは今では天井知らずといえる。古賀誠は知っている。

 「非戦の9条改憲はしない」と公約していた岸田の改憲強行論は、天に唾するものだ。一握りの安倍・清和会に心を捧げた岸田を、野党や新聞テレビが見過ごしても、天は必ず見ている。池田勇人・前尾繁三郎・大平正芳・鈴木善幸・宮澤喜一・加藤紘一の宏池会領袖らは許さないだろう。

2023年3月25日記(政治評論家・日本記者クラブ会員)