読売新聞 3月13日(火)7時52分配信『 大阪府立和泉高校の卒業式で、国歌斉唱の際、教職員が本当に歌っているかどうかを、校長が口の動きで確認していたことがわかった。
口が動いていなかった教員のうち、1人が歌わなかったと認め、府教委が処分を検討している。国歌起立条例を提案した地域政党・大阪維新の会代表、橋下徹・大阪市長は「服務規律を徹底するマネジメントの一例」と絶賛。しかし、その徹底ぶりに反発もある。 同条例の成立を受け、府教委は府立学校全教職員に、起立斉唱を求める職務命令を出していた。和泉高の中原徹校長によると、今月2日の卒業式では、教頭らが教職員約60人の国歌斉唱時の口の動きをチェック。その結果、3人の口が動いていないとして、個別に校長室に呼び、1人が「起立だけでいいと思った」と不斉唱を認めたという』
大阪府立和泉高校の卒業式で、国歌斉唱の際、教職員が本当に歌っているかどうかを、校長が口の動きで確認していたことがわかったと言うこの新聞記事を読み、下記の新右翼の民族派一水会顧問鈴木邦男氏の『「歌わない人間は困る」 「処分しろ」という発想になる。いやいや立っても「歌ってないじゃないか」と責める人がいる。「あら探し」が始まる。都内の高校で本当にあった話で、「実際に口を開けて歌っているかどうか」を写真に撮って歩いている人間がいるという。教育委員会や保守派の議員だ。やだね。法律ができるとこんな人間が出てくる。でも、写真を撮っている人間は少なくとも歌っていない。じゃあ、そいつが一番「君が代」を侮辱している「国賊」だよ。違いますかね。。」』の御指摘通りのようなことが、大阪府立和泉高校で、教育現場でも現実に起こったと思います。2006年12月16日朝日新聞朝刊に私立清風中学・高校平岡英信校長は、中学校では『家族の価値や重要性についてきっちり書いてある』などの理由で、日本の伝統を重視する「新しい歴史教科書を採用。毎朝授業前に般若心経の読み上げを生徒に課すなど、規範意識や「心の教育」重視してきた。一方で、平岡校長は、愛国心の強制は、反対だ。『郷土を愛する心や愛国心は、自然に湧き上がってくる素朴な感情であり、無理やり持たされるものではない。』は長年教育現場に携われて来た経験に基づく教育者の意見と思います。未曾有の世界恐慌と金融危機で、世論の不安煽り、国家社会主義者や独裁者が、美辞麗句と詭弁で、脚光を浴び現れると言うことは歴史から学べは、歴史的事実です。今の世相も正しく判断出来ます。風見鶏で、右顧左眄する見苦しいマスコミと今の民主党野田内閣の責任です。『歴史は繰り返す。』と言われた。京都大学名誉教授西洋史井上智勇先生の亡くなられる前に言われた至言です。鈴木邦男さんに大阪府立高校の社会科担当の先生として、実際に教壇に立って貰うのが良いと思います。
2008/3/29(土) 午後 5:27本の紹介その他政界と政治活動 Yahoo!ブックマークに登録
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愛国者鈴木邦男、「日の丸・君が代」強制を叱る。。。
「これまでに何千回と日の丸を掲揚し、君が代を歌ってきた。私こそは世界一の愛国者」と豪語する、新右翼の鈴木邦男氏の最近の著書に、『愛国者の座標軸』(作品社)というのがある。 『彼のホームページや「オーマイニュース」に連載されていたモノの中から選りすぐった56本の文章をまとめた大作だ。2003年から2007年までのものが収録されている。
なかなか読みきれなくて、半分あたりまできたところだが、ちょうどその半分近く、「君が代と日の丸」と題する文章の中に、面白いところがあるので、抜粋・引用してみたい。
しかし、不思議だね。国旗・国歌が法制化された時「これは強制するものではありません」と政府や(当時の)文部省は言っていた。つまり、「日本の旗は日の丸ですよ。日本の歌は君が代ですよ」と確認するだけだ、と言っていた。しかし、法律を作ると、急にそれを拡大解釈しようとする人が出る。
「じゃあ、国旗・国歌にふさわしい扱いをしよう」 「じゃあ、公立の中学・高校では生徒に歌わせよう」となる。さらには、「全員で歌った方がいい」となる。全員が立ち上がり、全員が口を開けて歌う。そこに「統一美」を感じるんでしょうな。また、それが「愛国心」だと錯覚する。いかんですな。
さらに、「歌わない人間は困る」 「処分しろ」という発想になる。いやいや立っても「歌ってないじゃないか」と責める人がいる。「あら探し」が始まる。都内の高校で本当にあった話で、「実際に口を開けて歌っているかどうか」を写真に撮って歩いている人間がいるという。教育委員会や保守派の議員だ。やだね。法律ができるとこんな人間が出てくる。でも、写真を撮っている人間は少なくとも歌っていない。じゃあ、そいつが一番「君が代」を侮辱している「国賊」だよ。違いますかね。
さらに「口を開いて、歌っているフリだけしている人間がいる。だから、本当に声を出しているかどうかを調べよう」という人もいる。つまり、音声を計るわけだ。いやだね。よくこんなことを考えつくもんだ。
これじゃあ、君が代がかわいそうだ。ただ「強制」の道具にされているだけだ。左翼教師や「内心の自由」を持った教師を苛めるための道具にされている。「国歌」として大事にされていない。尊重されていない。まるで「拷問の道具」だよ。「踏み絵」だよ。
それに「何でもいいから歌え!」と言っているだけだ。いや「何でもいいから」なんて言っていない、と「強制派」の人は言うかもしれない。しかし、違う。「君が代」を今まで5000回は歌ってきた私が言うのだから間違いない。
・・・・・・・
ここで思った。よし、私は、これから教師になってやる。今から大学に入り直し、教職課程をとり、公立高校の教師になる。それで、入学式や卒業式の時、君が代で起立しない。当然、処分される。しかし、今まで5000回、君が代を歌ってきた「愛国者」である私を、誰が処分できるのか。そう言ってやりますよ。「じゃあ、あなたは何回君が代を歌いましたか?」と。20回ですか? 30回ですか?その程度で「君が代を愛していると言えるんですか」。20回しか歌わん人が、5000回歌った私を処分できるんですか? と。
いやぁ、実に、痛快な文章です。
とくに、「でも、写真を撮っている人間は少なくとも歌っていない。じゃあ、そいつが一番「君が代」を侮辱している「国賊」だよ。違いますかね。」ってところ、あたしゃ、腹かかえて笑ってしまったさ。
「わが日本は、こうやって、国民に国歌を歌わせ、また、国旗に対する礼節を強制することによって、愛国心を育んでおります!」と言って、教育委員会が奮闘する様子を収めたドキュメンタリー映像を、外国メディアに自信をもって披露できるものだろうか。そんなことできないよねぇ。そんなことしたら、「クレイジー・ジャパニーズ」って言われてしまう可能性が大きいもんね(苦笑)
教育委員会の面々は、「日の丸・君が代」は強制するものでない、ということについて、鈴木邦男氏から、レクチャーを受けるべし。お前たちこそ、再教育処分が必要だ。。』。
清風学園では、「徳・健・財」を身につけ、社会の全てから安心、尊敬、信頼される人間を 育てるという方針のもとに、仏教を基盤とした教育を実践しています。21世紀を迎え、 かつてない激動が世界に起こる時代。そんな中にあって、私たちは、これからの日本を ...