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教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

歌手の安藤裕子、娘の頭にぶつけて鼻骨骨折 ライブイベントはトークのみに

2016年03月15日 20時48分03秒 | 芸能ネタ
14:45
鼻を骨折した安藤裕子 【報知新聞社】
(スポーツ報知)、
 シンガー・ソングライターの安藤裕子(38)が15日、公式ホームページ(HP)で鼻骨を骨折したことを発表した。
このため、16日に予定していた福岡でのラジオ出演はキャンセル。また19~21日に予定されていたwebサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」とのコラボレーションイベントは、19日のライブ&トークイベントがトークのみに変更となった。
 HPによると、骨折したのは今月12日。医師の診断では数日の間は絶対安静で、患部に直接ギブスができないため、現在は安静にしながら回復を待っている状態だという。
安藤はHPにメッセージを掲載。「娘の頭にぶつかり鼻骨が折れてしまいました。整復術後炎症が増してしまい、人様の前に立つ事も難しく、この度色々とキャンペーンスケジュールに変更が出てしまいました。関係者の皆様、ラジオや歌唱を楽しみにしてくださるファンの皆様。本当にごめんなさい。元気になってまたお会いできたら嬉しいです」とファンに謝罪している。
 安藤は2003年に歌手デビュー。05年に日本酒「月桂冠」のCMに「のうぜんかつら(リプライズ)」が起用され話題に。13年には映画「四十九日のレシピ」の主題歌も手掛けた。今月2日には9枚目のアルバム「頂き物」をリリースしている。』

関西では、鼻を打ったと言います。娘さんの頭に当たったのでは、仕方がありませんね。
大難が、逃れれたと思ってください
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ニュース エンタメ 故・中村富十郎さんの16歳長男・鷹之資が映画デビュー、「天王寺屋」精いっぱい頑張る

2016年01月04日 19時52分11秒 | 芸能ネタ


05:45スポーツ報知

故・中村富十郎さんの16歳長男・鷹之資が映画デビュー、「天王寺屋」精いっぱい頑張る
「顔が大きくて」と照れる中村鷹之資。どんどん父親に似てきている 【報知新聞社】
(スポーツ報知)

 歌舞伎俳優の中村鷹之資(たかのすけ、16)が、山田洋次監督の新作「家族はつらいよ」(3月12日公開)でスクリーンデビューする。99年に歌舞伎の人間国宝だった父・中村富十郎さん(享年81)が、69歳のときにもうけた長男。父が逝って5年。11歳で“家長”となり、踏ん張ってきた。映画初挑戦とともに、この5年間、何を思いながら過ごしてきたのかを聞いた。

 富十郎さんは、山田監督とも交流が深く「男はつらいよ」シリーズを愛し、「学校2」(96年)に校長役で出演も。鷹之資も監督に「大ちゃん(本名から)」とかわいがられ、2年前に突然「映画に出てみないか」と言われたという。

 「まさか実現するとは。テレビで見る方が一堂に。撮影所も初めてで。最初は倒れるんじゃないか、と思うほどの緊張で」。今作で中心となる夫婦役の橋爪功、吉行和子の孫を演じた。

 「食べる演技もうまくできない。人とぶつかってこけるシーンでは監督に『下手だ。研究、研究』と言われ。意識するほどギクシャクして。普通にすることがいかに難しいか学びました」。少年野球の場面があると聞き、絶句した。「運動は苦手。体育の先生に素振りを教わって臨みましたが走るだけでした。映像を見て恥ずかしかった。俺ってこんな変な走り方してたんだ、と思って」

 最愛の父が旅立ったのは、5年前の1月3日。当時11歳の小学生。父のことを「オウ」と呼んでいた。「家族を守ってくれ、一番大きな師匠でした。いまも踊りのときなど『オウがいれば、ここを聞けたのに』と思う。芸の世界は、映像が残っていても体の中に残されたものまで、全て天国に持っていっちゃうのですね」

 おそらく富十郎さんは、歌舞伎を愛する気持ちを何より大事にしてほしかったのだろう。「自分が先に亡くなると悟っていた父は、たくさんの愛情を僕と妹に注いだ。でも舞台で具体的な指導は何も。聞いても『目を輝かせて』『体操みたいに右足を出せばいいんだよ』と言うくらいで」

 歌舞伎界では珍しく、学習院(高等科)に通う。父の“遺言”だという。「理由は不明なのですが、僕が生まれてすぐ学習院に決めたらしく。父のたっての希望。いろんな思いがあったのでしょう。4年で(卒業は)無理でも大学に進みたい」

 11歳で「天王寺屋」を継ぐことを決めた。初代「鷹之資」の芸名は鷹の羽八ツ矢車の定紋(家紋)から父が考えてくれたもの。「いい名前で誇り。天王寺屋は、いまウチだけ。僕がいなくなれば、終わり。反抗期の時期、反抗する間も余裕もなくきましたが、精いっぱい頑張ってみようと思っています」(内野 小百美)

 ◆家族はつらいよ 「男はつらいよ」シリーズ以来、山田監督の21年ぶりの本格喜劇。橋爪功、吉行和子、妻夫木聡、蒼井優ら、13年に公開された「東京家族」の主要キャストが勢ぞろいし、同じ家族構成で出演。「熟年離婚」をテーマに、ある一家が大騒動となる姿を、人情たっぷりに面白おかしく描く。

 ◆中村 鷹之資(なかむら・たかのすけ)本名・渡邊大。99年4月11日、東京都生まれ。16歳。5代目中村富十郎の長男。01年初舞台。05年11月に「鞍馬山誉鷹」の牛若丸で初代鷹之資を披露。好物はいちご大福。座右の銘は「無常観」。03年8月生まれの妹(愛子さん)がいる。現在、新橋演舞場「初春花形歌舞伎」に出演中。屋号は天王寺屋。

99年に歌舞伎の人間国宝だった父・中村富十郎さん(享年81)が、69歳のときにもうけた虎の子です。
天国からお父さんが、見守り応援されていると思います。
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有沢比呂子さん43歳心不全で急死 舞台などで活躍

2015年12月19日 11時36分59秒 | 芸能ネタ
10:24
 『サスペンスドラマや時代劇などに数多く出演した女優有沢比呂子(ありさわ・ひろこ)さんが今月11日に心不全のため急死していたことが18日、分かった。43歳だった。
 関係者によると、11日に都内の自宅で倒れているところを発見され、搬送先の病院で死亡が確認されたという。警察の調べで自殺などの可能性はなく、病死と判断された。葬儀は「静かに送り出したい」という遺族の意向で、近親者のみの密葬で行われた。
 有沢さんは最近も普通に仕事をしていた。来年1月の東京・明治座「伍代夏子 藤あや子新春特別公演」の第1部「日本橋春秋」に芸者役で出演予定だった。14日に伍代、藤ら出演者が集まる「顔寄せ」で全員で黙とうしたという。
 ◆有沢比呂子(ありさわ・ひろこ)1972年(昭47)9月10日、千葉県生まれ。90年にサンミュージックオーディションに合格。翌91年「有沢妃呂子」でビデオ映画「キャント・バイ・ミー・ラブ」で女優デビュー。同年、吉田栄作主演の映画「代打教師 秋葉、真剣です!」で人気になり、CM、ドラマ、時代劇や舞台などで活動。00年になかにし礼氏の長男と結婚。08年に改名。』

人間の寿命は、神様のみがお知りになっていると言うこです。改名しても未だ人間の力や最新医学でも左右出来ない人間の命です。御冥福を心からお祈り申し上げます。
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「鬼平」27年の歴史に幕 吉右衛門「溌剌と演じられるうちに…」

2015年12月16日 09時16分35秒 | 芸能ネタ
05:01デイリースポーツ
「鬼平」27年の歴史に幕 吉右衛門「溌剌と演じられるうちに…」
 
「鬼の平蔵」を演じてきた中村吉右衛門(左から3人目)
(デイリースポーツ)
 1989年7月に歌舞伎俳優の中村吉右衛門(71)主演でスタートしたフジテレビ系時代劇「鬼平犯科帳」が、2016年末から17年初頭に放送予定のシリーズ第150作「鬼平犯科帳スペシャル」(前後編)をもって終了することが15日、分かった。故・池波正太郎さんの時代小説を原作にした人気シリーズは今月18日放送の第149作「-浅草・御厩河岸」(後9・00)と合わせ、残り2作となった。
 平成の年号とともに産声を上げた名時代劇。物語の長谷川平蔵の年齢と同じ45歳の時から26年にわたり“鬼の平蔵”を演じ続けてきた吉右衛門は「四半世紀、大変魅力的な“鬼の長谷川平蔵”という役に、真摯に、そして一生懸命に向き合って参りました。私が常に意識しておりましたのは、原作で描かれる平蔵自身の行動力、生き生きと切れのある立ち回り、市中を駆け巡る軽やかさ、そして静かな中に見せる人情味でございます。それこそが“鬼平犯科帳の神髄”」と作品にかけた思いを明かした。
 作品に出演した江戸家猫八さん、高橋悦史さん、蟹江敬三さんらが他界。「改めて月日の流れを感じます」と振り返り、「鬼平を溌剌と演じられるうちにフィナーレを迎えるのが最善と思い、来年の撮影で記念の150作となるのを期に決断した次第です」と説明した。
 ドラマは89年から01年まで連続ドラマとして放送。05年から単発の特別ドラマとして放送を続けた。
 終了の要因には制作の苦悩もあった。これまで「原作にないものはやってくれるな」という原作者・池波氏の遺言を守り、複数の原作を組み合わせるなどアレンジを加えながら放送を続けてきたが、近年はその作業にも限界が見えた。節目の第150作で有終の美を飾りたいとの思いも強く、149作放送前に決断した。
 吉右衛門にとっては親子で縁のある役柄だった。父・八代目松本幸四郎主演「鬼平犯科帳」(NETテレビ=現・テレビ朝日)で平蔵の息子・辰蔵役で出演。40歳の時に「鬼平-」の出演依頼があったが、年齢的に若かったこともあり、「できません」と一度は断った。45歳の時に再び依頼され、快諾した。
 16年夏予定の撮影が最後の現場となる。「有終の美を迎えられるよう、これからも精進して参ります」。四半世紀以上演じてきた役柄に最後まで全身全霊で向き合っていく。』


今の日本は、「適者生存の競争社会」で所得格差が拡大し、庶民の日々の暮らしが苦しくなり、子供から大人までこころが荒び人の命を軽んじる結果殺人事件や放火、強盗と凶悪犯罪やお役人の汚職も輪をかけたように増え、外国人の日本国内での犯罪も以前に比べ増加しています。乱れた今の御時世ですから火盗改めの「鬼の平蔵」は必要です。
このような状況を招いたのも政治家の責任が、大とも言えます。
中村吉右衛門さんも体力と気力の有る内に今が「吉所」と決断されたのと思います。人は、出処進退の潔さが一番大切です。
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阿藤快さん(69)が死去

2015年11月16日 09時50分04秒 | 芸能ネタ

 

 俳優の阿藤快さんが、15日に亡くなったことがわかった。69歳だった。

 

人間の寿命は、神様しか分かりません。怖いもの知らずで、偉ばって、他人を馬鹿にし、地位を傘にいじめても無常の風が拭いてくれば、全てお終いです。

明日に何が誰にも起こるか分からない今の御時世です。

俳優の阿藤快さん、長患いで寝込まず、苦しまずあっと言う間の人生の終演です。

阿藤快さんらしい最期では有りませんか。

天国で、写真のように笑っていると思います。

 

 

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田中邦衛 「老人ホーム入居」で妻・娘と歩む「復帰への道」

2015年10月16日 09時54分19秒 | 芸能ネタ

2015年10月16日(金) 8時4分掲載

 

 テレビドラマの名作『北の国から』(フジテレビ系列)の主役・黒板五郎役をはじめとして、数々のヒット作に出演してきた名優・田中邦衛(82)。ここ数年、テレビやスクリーンから遠ざかり、健康不安説も出ているが、実は自宅から老人ホームに居を移し、“もう一度、家族のもとに帰る”との強い決意を胸に、懸命のリハビリ生活を送っていた。(NEWS ポストセブン)

リハビリで、頑張られ奇跡の復帰を果たし、個性的な一生懸命な演技見せてください。心からお祈り申し上げます。
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古谷一行 川島さんに最後の失言悔やむ

2015年10月02日 18時16分01秒 | 芸能ネタ

2015年10月1日

通夜に参列した古谷一行=東京・青山葬儀所(撮影・田村亮介)

通夜に参列した古谷一行=東京・青山葬儀所(撮影・田村亮介)

  『古谷自身は2011年に肺がんを公表し、治療に専念。その時は川島さんから励ましのメールをもらったという。毎回、自身の舞台を川島さんが観劇し てくれ、今年の6月に会ったのが最後となった。この時、川島さんが痩せ細っていたため「痩せ過ぎじゃないか。それじゃ色っぽくないよ」と話した。励ますつ もりだったが、結果的に最後に交わした言葉になったことを悔やんだ。 「失楽園」での共演時を「もう1歩(前に)行きたいと、作品にかけている様子だった」と振り返り「入院したときにメールを送ったら、いつもはすぐ返ってくるのに返ってこなかった…」と一点を見つめながら話していた。』
 
病気と寿命は、別だと言われていますが、癌はまだまだ不治の病ですね。病気に掛ると人相が変わるとよく世間では言われていますが、癌に掛ると痩せて顔立ちも変わりますね。川島さんが痩せ細っていたため「痩せ過ぎじゃないか。それじゃ色っぽくないよ」と古谷さんが話したのは感じたまま話されたので失言ではないと思いますが。言葉は力なりで、俳優は言葉を話すのが仕事ですから、元気付ける言葉を掛けられず後悔されたのでしょうね。人間一生のうち、一生健康で元気な人はいません。皆必ずや病気をすると言う避けがたい事実です。川島なおみさんの御冥福を心からお祈り申し上げます。
 
 
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川島なお美さん、抗がん剤治療拒否 最後まで女優としての人生全う

2015年09月25日 11時58分26秒 | 芸能ネタ
2015年9月25日(金) 8時6分掲載

 女優の川島なお美さんが24日午後7時55分、胆管がんのため都内の病院で死去した。昨年1月に腹腔(ふくくう)鏡手術を受け、仕事復帰もしていたが、今月7日のイベントでは痩せ細った姿が見られた。抗がん剤治療を拒否し、女優として再び舞台に立つことはかなわなかった。女優と恋とワインに生きた人生だった。(スポニチアネックス)

生身の人間は、いつ病気をするか分かりません。明日のことも一時間後どうなっているのかも人間には予測出来ません。子供も五人産み元気で健康だと思い込み暴言を吐いても人を苦しめ、いじめても、有る日突然癌になり、病気になッ足り事事故に遭遇し死ぬかは、いつ無常の風が吹いて来るのか誰にも人間には予言出来ません。明日までの命かも分かりません。人間の寿命は、現代医学で治療する医師でも左右出来ないものです。神様のみぞ知っていることでは有りませんか。抗がん剤治療を拒否し自分の信念のもと女優としての美しさにプライドを持ち最期まで生き抜いた川島なお美さんは、ワインに喩えると癌と闘われた最高の日本の銘柄のワインです。御冥福を心からお祈りして、川島なお美さんにワインで乾杯です。

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初代林家三平「肉弾特攻要員」だった…二代目取材で判明

2015年09月18日 19時11分13秒 | 芸能ネタ
 
毎日新聞2015年9月18日(金) 17時10分掲載

 

 昭和の爆笑王、落語家の初代林家三平さん(1925~80年)が、陸軍に徴兵されていた第二次世界大戦末期、米軍との本土決戦になった場合、火薬を背負って突撃する「肉弾特攻要員」だったことがわかった。次男の二代目三平さんが参加したBS朝日の番組取材で明らかになった。初代三平さんは45年3月、19歳で陸軍に徴兵され、10月に復員。翌46年に父・七代目林家正蔵に入門し、落語家の道を歩み始めた。52年には 海老名香葉子さんと結婚し、2男2女に恵まれた。二代目三平さんによると、軍隊時代の話は「母にも僕ら子供たちにもほとんど話したことがなく、父の一生の 中で唯一、空白の歴史だった」という。 今回、初代三平さんが戦友たちと一緒に民放テレビ番組に出演した時の録音テープが、当時の上官宅で遺品を整理した際に見つかった。これを基に二代目三平さんと番組スタッフがゆかりの地を訪ね、当時を知る関係者から話を聞いた。  取材によると、初代三平さんは、本土決戦に備えて45年に編成された陸軍の第152師団に所属したとみられる。師団といっても、武器や食糧が満足に支給さ れない状態。現千葉県銚子市の農家に泊まりながら、土木作業に連日従事させられていたという。そして、米軍が近くの九十九里浜から上陸した時には、肉弾特 攻をするよう命じられていた。だが、本土決戦はないまま、8月15日に終戦を迎えた。 取材した二代目三平さんは「映画や小説で時に美しく 描かれる特攻隊とは全く違う、みじめでつらい特攻だったことがわかった。だから父は話さなかったのだと思う。今年は戦後70年。今一度、何のための戦争 だったのか考えてほしい。そして、こうしたことを次の世代にも伝えていかないといけないと思う」と話す。 BS朝日の「昭和の爆笑王林家三平 いま明かされる戦争秘話」は、20日午後9時から放送される。【油井雅和】

 

米軍との本土決戦になった場合、火薬を背負って突撃する「肉弾特攻要員」だったは、初代三平さんに取っては良い思いでは無く、嫌な辛い体験だったので、ずっと公の場で話されなかったのではないでしょうか。そんな方は多いと思います。

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<安保関連法案>「芸能界でタブー」超え主張始めたタレント

2015年09月16日 12時14分46秒 | 芸能ネタ

ここから本文です毎日新聞 9月15日(火)19時58分配信

 『戦後の安全保障体制を根本から変える安保関連法案を巡り、著名なタレントたちが続々とテレビ番組やネット上で自分の立場を鮮明にしている。その大部分は 「法案反対」だ。「芸能界で政治色はタブー」(専門家)とされてきたが、法案への国民の関心の高まりを受けて、タレントたちが沈黙を破って訴え始めてい る。
 「普段、人間として(政治のことを)考えていても放送で言おうと思ったことは一回もない。(政治は)プロに任せればええって言うけど、もう任せていたらあかんと」
 8月8日に放映された東海テレビ「樹木希林ドキュメンタリーの旅」。録画放送だったが、ゲスト出演した笑福亭鶴瓶さん(63)は「政府がああいう方向に 行ってしまうというのは、止めないと絶対だめ」と発言。レギュラー出演するNHKの番組「鶴瓶の家族に乾杯」の名前も挙げ「(戦争になれば)そんな番組な くなる」と危機感を語り、視聴者に強い印象を与えた。
 フジテレビ系の情報バラエティー「ワイドナショー」では、高校生らの反対デモについて「ニュースに誘導されている」との見方を示したコメンテーターの 「ダウンタウン」松本人志さん(52)に対して、SMAPの中居正広さん(43)が「若い子が声を上げるのはいいことだと思う。僕はうれしかった」と反論 する一幕もあった。
 また、SHELLYさん(31)や渡辺謙さん(55)など、ツイッターで公然と安保関連法案を批判するタレントも少なくない。
 芸能評論家の肥留間正明氏は「ファンの支持政党はさまざまで、それに配慮し政治色を出さないのがタレントの道とされてきた。しかし今回は戦争に反対する という趣旨でスポンサー離れの心配もない上に、『平和だから芸能界で生きてこられたのだ』という思いもあり、発言せずにいられなかったのだろう」と見る。
 また、タレントもツイッターやフェイスブックなどのソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)で生活の様子をつづり、自由に意見を述べるのが当 たり前になったことで、「(思想的に)真っ白で可もなく不可もなく、というスタンスでは支持されないという損得勘定もあるのではないか」と分析する。【加 藤隆寛】

 

著名なタレントも有名俳優もファンは、皆支持政党も信仰している宗教も知っています。著名なタレントも特別扱いせずに最高法規の日本国憲法の第十九条の「思想及び良心の自由」、『思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。』 第二十一条「集会・結社・表現の自由」、『1. 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。2. 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。』が日本国憲法で保障されています。著名なタレント、俳優、芸能人も全て含めて安保関連法案の批判発言をタブー視するのは、基本的人権と「言論の自由」が認められている民主主義国家日本の戦前への回帰現象と民主主義体制の否定ではありませんか。芸能人だから政治に関心を持たなくて良いことにはなりませんし、マスコミも著名なタレントを特別扱いするのは、問題です。皆日本国民です。「自由と民主主義国」のアメリカのテレビ番組を良いところを見習い考え方や意見が違っても誓っても誓っても自由に物の言えるテレビ番組になって欲しいと思います。反対意見や少数意見に耳を傾け、尊重するのが民主主義です。問題になった放送法第四条の下位法『(国内放送等の放送番組の編集等)第四条 ・ 放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。  公安及び善良な風俗を害しないこと。  政治的に公平であること。  報道は事実をまげないですること。  意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。、放送事業者は、テレビジョン放送による国内放送等の放送番組の編集に当たつては、静止し、又は移動する事物の瞬間的影像を視覚障害者に対して説明するた めの音声その他の音響を聴くことができる放送番組及び音声その他の音響を聴覚障害者に対して説明するための文字又は図形を見ることができる放送番組をでき る限り多く設けるようにしなければならない。』が、最高法規の日本国憲法より優先し、法的効力が、上位で強いと考えるのは、日本国憲法の形骸化と法律的適用と憲法解釈を無視し、蔑ろにするものです。テレビ番組だから日本国憲法で保障されている「言論の自由」が制限されるのは、自由な民主主義国家とは言えません。戦前と変わらない法律よりも規則、命令が優先する戦前の命令主義によるの権力側の上からの国民への情報操作と統制の概念です。法の支配による立憲主義を否定するのは、民主主義のクライシスです。「第10章 最高法規第98条 【最高法規、条約及び国際法規の遵守】 第1項 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、 詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。 第2項 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。」日本国憲法の第十九条の「思想及び良心の自由」が保障されている法的根拠です。戦後70年立った今の日本は、未だ戦前との連続性が継続し、自由と民主主義の大切さの理念が、根付いていない現われと言えます。自由も平和も失って、初めて気が付く平和ボケした日本国民では取り返しが付きません。悲惨なことや大事なことは、二度経験しないと分からない思考停止した日本の大人ばかりでは、若い人たちを揶揄する資格など有りません。民主主義国家の日本にタブーが有るのがおかしいです。「物の言えば、唇寒し、ファシズムの秋」の日本にならないようにしなければなりません。ルドルフ・フォン・イェーリング『己の権利を明らかにすることは、すべての責任能力のある人間の自分自身にとっての義務である』の名言を書きました。

出典・ウィクペディア百科辞典

ルドルフ・フォン・イェーリング

 
ルドルフ・フォン・イェーリング, 1888

ルドルフ・フォン・イェーリング(Rudolf von Jhering、Iheringとも、1818年8月22日 - 1892年9月17日)は、ドイツ法学者。1872年に出版された『権利のための闘争(Der Kampf ums Recht)』の著者。近代社会学的な法学の礎を築いた歴史学派の学者として出発したが、後に法学者として方向転換する。


生涯

1818年8月22日アオリッヒで法学者の家に生まれた。彼の家系については、東フリースランド地方において、1561年まで遡る記録が存在する。1772年には、同地方のある町に、彼の先祖の一人に因んで、イェーリングスフェーンという名前が付けられている。

1836年ハイデルベルク大学に入学し、その後ゲッティンゲンミュンヘンで も大学生活を送り、1844年にベルリンで博士号を取得している。多く師事してきた中で、G.F.プフタ(Georg Friedrich Puchta)に受けた影響は大きかったようである。ベルリンでは博士号取得後も引き続き私講師として公開講座を担当した。そのときのテーマであったロー マ法の精神は、イェーリングの生涯を通しての研究対象であったといえる。

バーゼル大学(1845年)、ロストク(1846年)、キール(1849年)、ギーセン(1851年)で教授職を歴任した後、1868年にウィーンへ移り住んだ。かの有名な「権利のための闘争(原題:Der Kampf ums Recht)」なる講演が行われたのもウィーンである。この講演は、出版後2年間で12版を重ね、26ヶ国語に翻訳された。本文に拠ると、権利に関してこう書かれている。

「権利の生涯とは闘争なのだ - 民族の、国家権力の、階級の、そして個人の闘争である。実際、権利は衝突の表現としてのみ意味を持っており、人類が自らを飼いならそうとする努力の顕れな のだ。残念なことに、権利は権力・不正に対し、今日の理性的な世界ではあまり用いられることのなく、不快で卑しまれるであろう方法で対抗しようとした。と いうのも、権利が社会闘争を真に解決しようとしたことは、今までにただの一度もなかったのだ。それよりも、権利が目指したのは、ただ単に、最終的な決定が 下されるまでの間、どのように争われるべきであるかを規則に定め、それらの闘争を穏やかなものにすることであったのである。」

己の権利を明らかにすることは、すべての責任能力のある人間の自分自身にとっての義務であるとする彼の主張には、彼の確固たる性格、正義感の強さ、そして彼の方法論と論理が表れている。

彼の講義は、学生に限らず、さまざまな職種の社会人やかなりの高位にある官吏にいたるまで、大勢の聴講者が詰め掛けるほどの人気であった。その社会的地位は、ウィーンでは、オーストリア皇帝によって、末代まで続く貴族の称号(フォン)を受けるほどであった。

1872年、大都市での生活が次第に煩わしいものとなったらしく、招聘を受けてゲッティンゲン大学へと移り、その後ライプツィヒハイデルベルクからも招聘があったにもかかわらず、1892年9月17日に生涯を終えるまでゲッティンゲンで過ごした。

ゲッティンゲンでは、亡くなる直前まで活動を続けていた。彼の外見は、中背で髭はきれいに剃られ、着こなしは昔風、快活で人の良さがにじみ出ていた。彼の人柄が最もよく表れていたのは、彼が催す、身近な人々を自宅に招いての歓待の場であったようだ。

イェーリングは、民法のドグマの中で、契約以前に発生する賠償責任(通称Culpa in contrahendo)を“発見”した人間として知られている。

イェーリングが19世紀後半学術上もたらした功績は、方法論的には全く違ってはいるものの、同世紀前半のフリードリヒ・カール・フォン・サヴィニーのそれに近いものがある。

法学者としての方向転換

イェーリングの学術的発展に特別な寄与をしたとして特に強調されるのは、彼の法理論上の転換であろう。

未完で終わった『各発展段階におけるローマ法の精神』の初期の時点では、イェーリングは歴史学派の姿勢にのっとったシステムを提示しており、そこでは概念法学が決定的な役割を果たしている。しかし、この著作の3巻目に入るとすでに、イェーリングの視点は権利を社会学的に考察するものへと移行していく。イェーリング本人の弁によれば、ヴィントシャイトに触発されて同じ立場を採ったものであるというが[1]、当時のドイツ法学界は、まだサヴィニーのカルト的ともいえる影響下にあった。そのため、既存の法学に対し手付かずの分野を認識し、新しいシステムを構築するようにと説く、まだ年若い教授イェーリングの試みは、既存の学派からは横目で見られていた。

彼の新しい視点は『法における目的』(Der Zweck im Recht)の中でより詳細に解説されているが、この著作も未完に終わっている。彼の見方によると、法とは、秩序をもたらし、利益衝突の機会を最小にする ことで、個々人の、そして社会的な利益を守るという役割を果たす(利益法学)。『権利のための闘争』とともに、彼の知性、そして彼の個人主義的見解が色濃く表れている論文である。

しかし、彼の才能が余すところ無く発揮されているといえば、1870年に出版された『日常生活の法学』(Jurisprudenz des taeglichen Lebens)であろう。 )彼の講義の大部分はローマ法の問題点を扱っているが(プラクティカPraktika)、これをまとめたものが1847年初めに刊行された『判決文抜きの 民法事例集』(Civilrechtsfaelle ohne Entscheidungen)である。

そのほかの彼の著作としては、『所有論についての論文集』(Beitraege zur Lehre von Besitz. Jahrbuecher fuer die Dogmatik des heutigen roemischen und deutschen Privatrechts初出)、さらにこれとは別に『所有の意思』(Der Besitzwille)もあり、1891年に刊行された『国家学小事典』の中の「所有」に関する記事については、特にカール・サヴィニーによる概念を「所有」の定義とする陣営と対立して、当時大論争を巻き起こした。

主な著作

  • 『各発展段階におけるローマ法の精神』 - Der Geist des roemischen Rechts auf den verschiedenen Stufen seiner Entwicklung 全3巻、1852-1878
  • 『権利のための闘争』 - Der Kampf ums Recht ウィーンでの講演記録、1872
  • 『法における目的』 - Der Zweck im Recht 全2巻、1877-1883
  • 『法学における戯言と真剣』 - Scherz und Ernst in der Jurisprudenz 1884
  • 『所有の意志』 - Der Besitzwille 1889

参考文献

脚注

  1. ^ 勝田=山内(2008)329頁

外部リンク

 

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長渕剛さんの「10万人オールナイト・ライブ 2015 in 富士山麓会場」の規模感すごい(ねとらぼ)

2015年08月23日 17時20分06秒 | 芸能ネタ
 
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長渕剛ライブ 退場規制が話題

2015年8月23日(日) 13時28分掲載

長渕剛さんのオールナイトライブで帰宅困難者続出 訓練されたファンはそのままピクニック開始

 8月22日21時から23日早朝6時まで静岡県富士宮市のキャンプ場ふもとっぱらで行われていた歌手の長渕剛さんのコンサート「10万人オールナイト・ライブ 2015 in 富士山麓会場」からの帰宅が困難すぎるとネットで話題となっています。(ねとらぼ)

富士山麓の自然の中で一晩すごすのも、自然のよさが分かったのでは有りませんか。

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勝新太郎さん もう一つの“伝説の会見” 父の法要後の囲みで…

2015年08月16日 14時16分53秒 | 芸能ネタ

"勝新太郎さん もう一つの“伝説の会見” 父の法要後の囲みで…

スポニチアネックス8月16日(日)11時45分配信

勝新太郎さん もう一つの“伝説の会見” 父の法要後の囲みで

14日から2日間に渡って紹介した「戦後70年 著名人が選ぶ“私のベスト10”」。芸能界の伝説の記者会見部門は、俳優の勝新太郎さん(97年に65歳で死去)が上位2つを独占した。90年1月の「もうパンツはかない」発言と、96年11月のがん公表中の喫煙。これに加えて芸能界で「勝新3大記者会見」と呼ばれる伝説の会見がもう1つある。同年4月7日、父で長唄三味線方の杵屋勝東治さん(享年86)の四十九日法要後の囲み会見だ。


 当時の取材ノートを久しぶりに開いてみた。法要という、本来なら笑いが起きないはずの場。それなのに、取材メモには「芸能リポーター大爆笑」と書かれてある。

 『当日は、懲役2年6月の判決を受けたハワイでの薬物事件で、4年の執行猶予期間が満了する日でもあった。「今、何が一番したいですか?」の質問に、「まずハワイ行って…オレを捕まえた人たちを全部呼んでだね…まぁ、あれだね…一服吸ったりなんかして」と高笑いし、何かを吸引するポーズをとった
 薬物吸引ポーズかと勘違いした女性リポーターは慌てて「やめてください」。これを逆手にとった勝さんは「タバコを吸うのに、なんで?」と聞き返し、このリポーターに向かって「(薬物を)吸ったこと、あるんだろ?だから知ってるんじゃない?」と突っ込んで周囲を爆笑させた。さらに去り際には、テレビカメラの前でのやりとりについて「うまく編集しておいて」と付け加え、最後まで笑いを誘った。
 会見前の納骨式にも驚いた。規制線から勝さんら遺族までの距離は100メートルほど。撮影カメラの望遠レンズをのぞくと、妻の中村玉緒が墓前で白い歯を見せながら苦笑し、「やめなさいよ」とばかりに勝さんの背中を叩いている。勝さんが突然、遺骨を食べ始めたのだ。この時、「これで父ちゃんはオレの中に入った」と心の中でつぶやいていたという。
 破天荒なイメージが強いが、家族への愛情も深い。82年、母の八重子さん(享年70)が亡くなった時には「“オレを産んでくれたところ”に顔を埋めてキスしたよ」と明かした。兄で俳優の若山富三郎さん(享年62)の四十九日法要(92年5月)では、囲み会見で「もう、オレの悪口を言ってくれる人は誰もいない…」とポツリ。さびしそうな表情を見せたことを今でも覚えている。
 一方で、執行猶予期間中の96年3月、スイス旅行に出かけて話題に。あのハワイ以来の渡航だけに、成田空港に張り込んで帰国を待った。すると、勝さん側から「成田空港のVIP室をおさえたので、そこで取材対応する」。机の上には瓶ビールが並び、勝さんは「今回は無事に帰ってこれた。さぁ飲んでくれ。飲まないと取材には応じない」と条件を付けた。1杯いただいて「今回はパンツをはいて行かなかったんですか?」と質問をすると、「もう1杯飲め!」とビール瓶の先を向けてきた。』

酒好きで天衣無縫の破りの人物、せす是巣気前がよく取り巻きの他人にまで気前よく奢られたそうです。考え付かないような自分のしたいように突飛な行動をし、言いたい放題言ったのは、今の世の中故貴重な存在だった俳優の勝新太郎さんが評価されるのだと思います。

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クリント・イーストウッドの名言「戦争を美しく語るものを信用するな…」

2015年08月09日 15時39分24秒 | 芸能ネタ
 
 



『祖国のために戦った若者たちは、
戦友のために死んだ。

これが表のメッセージである。
しかし、
言葉になっていないもうひとつのメッセージを探すとすれば、
次のようなものであるかもしれない。

戦争を美しく語るものを信用するな、
彼らは決まって戦場にいなかった者なのだから。』


クリント・イーストウッドの名言

 

 

 

出典・クリントイーストウッド - Wikipedia

ja.wikipedia.org/wiki/クリント・イーストウッド
クリント・イーストウッド
Clint Eastwood
Clint Eastwood
本名 Clinton Eastwood Jr.
生年月日 1930年5月31日(85歳)
出生地 アメリカ合衆国の旗アメリカカリフォルニア州
ジャンル 映画(俳優監督製作音楽
活動期間 1954年-
活動内容 1954年:初出演
1967年:製作会社設立
1971年:映画初監督
1992年アカデミー監督賞受賞
2004年:2度目のオスカー受賞
2006年:『硫黄島二部作』監督
配偶者 Dina Eastwood(旧姓Luis)
主な作品
監督兼出演
恐怖のメロディ』『ガントレット
センチメンタル・アドベンチャー
許されざる者
パーフェクト・ワールド
マディソン郡の橋
スペース・カウボーイ
ミリオンダラー・ベイビー
グラン・トリノ
監督のみ
バード』『ミスティック・リバー
父親たちの星条旗
硫黄島からの手紙
アメリカン・スナイパー
出演のみ
ローハイド』『荒野の用心棒
夕陽のガンマン』『真昼の死闘
アルカトラズからの脱出
ザ・シークレット・サービス
ダーティーハリー』シリーズ
備考
ハリウッド名声の歩道
カーメル市長(1986年-1988年

クリント・イーストウッドClint Eastwood、本名:Clinton Eastwood, Jr.1930年5月31日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ出身の映画俳優映画監督映画プロデューサー作曲家政治活動家。公称身長193 cm(6フィート4インチ)。

俳優として数多くの西部劇アクション映画に出演。自身最大の当たり役であるハリー・キャラハン役を演じた『ダーティハリー』シリーズでスーパースターの地位を不動のものとした。監督としても『許されざる者』『ミリオンダラー・ベイビー』でアカデミー作品賞アカデミー監督賞を2度受賞するなど、現代のハリウッドを代表する人物と目されている。

履歴

生い立ちと初出演後の不遇

クリント・イーストウッドは父クリントン[1]・イーストウッド・シニアと母モーガン・イーストウッドの間に生まれる。スコットランドアイルランドドイツイングランドの4か国の血をひいている。家系はメイフラワー号の乗員で港町プリマスを統治したウィリアム・ブラッドフォードを祖とする名家であるが、幼い頃の生活は世界恐慌の煽りを受け苦しかった。

オークランド・テクニカル・ハイスクール卒業後、朝鮮戦争のさなかである1951年に陸軍に召集され入隊。2年後の1953年に除隊後、サウス・カリフォルニアに移住。アルバイトの傍らロサンゼルス・シティ・カレッジの演劇コースを専攻する。1950年代初めにユニバーサル映画と契約を結ぶが、当初は『半魚人の逆襲』『世紀の怪物/タランチュラの襲撃』といったB級映画の端役しか与えられないという、不遇の時代を過ごした。

TVシリーズ『ローハイド』、そして2人の師との出逢い

1959年からCBSで放映されたテレビ西部劇ローハイド』で、ロディというカウボーイを演じる。同作品は約7年間に亘り220話近く製作された人気シリーズとなり、イーストウッドの知名度と人気は世界的に高まった。1964年にはセルジオ・レオーネ監督にイタリアに招かれ、マカロニ・ウェスタンの嚆矢でありかつそれを代表する作品となった『荒野の用心棒』に出演。その後も『ローハイド』の撮影の合間を縫って『夕陽のガンマン』、『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』と都合3作のレオーネ作品に出演した。この3作品で名無しの男を演じたイーストウッドはレオーネを師と仰ぎ、レオーネの逝去まで交友を続けた。これらの映画の人気により、イーストウッドの映画俳優としての評価はヨーロッパが先行し、アメリカに逆輸入された形となった。

マンハッタン無宿』で出逢ったドン・シーゲルと再びタッグを組んだ『ダーティハリー』でイーストウッドは型破りな刑事ハ リー・キャラハンを演じた。これはシーゲル作品としてそれまでで最大のヒットとなり、イーストウッド本人もこの作品で人気アクション・スターとしての地位 を不動にした。現在においてもイーストウッドの俳優としての代表作として真っ先に挙げられるのがこの作品である。『ダーティハリー』シリーズは、この後4 作品が製作されている。

監督業の成功

1968年に映画制作会社マルパソプロダクションを設立。1971年に『恐怖のメロディ』で初監督。俳優業の傍ら『荒野のストレンジャー』『アウトロー』などの作品を立て続けに発表。監督業に進出した他の役者と違い、所謂「大作」や賞レースに 関わる作品には出演せず、自らのプロダクションで製作した小規模ともB級とも呼べる作品でのみ主演し、監督業と俳優業を両立しながら地位を確立した。80 年代までの監督作の中で『アウトロー』『ブロンコ・ビリー』などでは「壊れた家族」というモチーフ、疑似家族を得ることで人生の輝きを取り戻すストーリーという共通した要素が見いだせる。1987年の第45回ゴールデングローブ賞で、セシル・B・デミル賞を受賞。

1992年、師であるセルジオ・レオーネとドン・シーゲルに捧げた“最後の西部劇”『許されざる者』を監督兼主演で制作。第65回アカデミー賞監督賞作品賞を受賞、第50回ゴールデングローブ賞監督賞を受賞した。この頃から『マディソン郡の橋』『ミスティック・リバー』といった文芸性の高い作品も手がけている。

2004年の『ミリオンダラー・ベイビー』で2度目のアカデミー作品賞アカデミー監督賞の ダブル受賞を果たす。74歳という、最高齢での受賞記録を樹立したバイタリティは、アクション映画で培われたものであろうと驚嘆の元に迎えられた。アカデ ミー主演男優賞はノミネートにとどまったが、「単に監督もできる俳優」ではなく、「アクション映画から文芸映画まで幅広くこなせる、優れた監督兼俳優」と いう評価を確立した。

2006年に『父親たちの星条旗』・『硫黄島からの手紙』の2部作を発表。これはアメリカがかつての日米戦争において最大級の痛手を受けた「硫黄島の戦い」を、日米双方の視点から2作に分けて描くという方法で製作されている(同じような日米双方の視点による映画には真珠湾攻撃を扱った『トラ・トラ・トラ!』があるが、こちらは1本の映画の中に入れている)。『硫黄島からの手紙』は、ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞作品賞・第32回ロサンゼルス映画批評家協会賞最優秀作品賞を受賞し、同年の賞レース最大の目玉として注目を浴びていたが、アカデミー賞では音響編集賞のみの受賞にとどまった。2007年1月、『硫黄島からの手紙』でゴールデン・グローブ賞最優秀外国語映画賞を受賞。

2006年1月ごろ、南京事件 (1937年)を題材とする中国映画『南京・クリスマス・1937』の監督にイーストウッドが抜擢されたという中国官僚の発言が報道されたが、イーストウッド側がすぐに否定するという一幕があった。

今後の俳優活動について

2008年の『グラン・トリノ』をもって「もう積極的に役は探さない。いまの映画の役は、みんな若い役者向けに書かれているから。」と語り、実質的な俳優引退宣言を行った。今後は監督業をメインに活動するとスポーツニッポンのインタビューで語った。

しかし後に日刊スポーツのインタビューでは「演じたい役があれば(俳優に)戻ってくるかもしれない」ので、自身からは“ 引退 ”という発言は積極的に用いないという趣旨の発言もしており、揺れ動く心情を吐露している。

2012年には上記の発言を裏付ける様に、『人生の特等席』で老いたメジャーリーグスカウトマン役として、4年ぶりに映画に出演した。(スタッフ兼務ではない一演者としては19年ぶり)

政治

立場

政治活動への参加も積極的である。現在はカリフォルニア州公認の共和党員であるがリバタリアニズムを主張し、朝鮮戦争ヴェトナム戦争テロとの戦いイラク戦争などの外征戦争に反対している。また妊娠中絶同性結婚の選択権を擁護する。成立しなかった、憲法の男女平等修正条項案も支持している。民主党が映画の過激な描写を規制させる法案を制定させようとした際は、先陣を切って反対を表明している。

経歴

1986年カリフォルニア州西海岸にあるカーメル市市長に当選、1期2年間務めた。また、自ら資金を調達し、かつて支持していた第37代カリフォルニア州知事グレイ・デイヴィス民主党)へ退陣を迫る投票を行い、民主的な政治家の政治への参加を求めるテレビCMを製作した。2003年5月には、当時開戦したばかりのイラク戦争と、開戦を敢行した国家の双方を「極めて重大な過ちを犯した」と批判。同じく政治論争に積極的で『ミスティック・リバー』で主演に起用したショーン・ペンバグダードへ向かうのを説得して止めた。

2008年大統領選挙では共和党ジョン・マケイン候補を支持した。

2012年大統領選挙では、共和党予備選で当選確実となって久しいミット・ロムニーに対して2012年8月3日に支持表明した。フロリダ州タンパで行われた共和党大会では、無人の椅子にオバマ大統領が座っているものと見立てて一人芝居を展開した。

叙勲

2007年2月17日、監督としての功績が認められ、フランスジャック・シラク大統領(当時)からレジオンドヌール勲章を授与された。また2009年4月29日、「春の外国人叙勲」で日本政府より「映画製作を通じた日本とアメリカ合衆国との相互理解の促進に寄与」とした功績により、旭日中綬章を授与された。

 

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プリキュア上映館に爆破予告=「好きな気持ちが嫉妬に」―22歳大学生逮捕・警視庁

2015年08月05日 14時52分17秒 | 芸能ネタ

時事通信 8月5日(水)12時36分配信 『人気アニメ「プリキュア」シリーズの映画を上映する映画館に「爆弾を仕掛けた」などとインターネット上に書き込み、映画館の業務を妨害したとして、警視庁四谷署は5日までに、偽計業務妨害の疑いで、大学生の容疑者(22)=新潟県新発田市=を逮捕した。
 同署によると、大滝容疑者は容疑を認め、「映画のキャラクターたちが一生懸命で元気で明るく前向きなところがうらやましくなり、好きな気持ちが嫉妬に変わった」と話しているという。
 逮捕容疑は3月12日午後10時55分ごろ、自宅のパソコンからプリキュア映画の関係者が開設しているツイッターのアカウントに「映画館のフロアのあちこちに爆弾を仕掛けておいた」「トラックを直接映画館に衝突させて建物ごと炎上させてやる」などと書き込み、東京都新宿区にある映画館の管理者に警戒を強化させた疑い。
 爆発物は見つからず、上映時間の遅れなどもなかった。他のツイッターにも同様の書き込みがあり、同署は関連を調べている。」 

人気アニメ「プリキュア」シリーズの映画を上映する映画館に「爆弾を仕掛けた」などとインターネット上に書き書き込んでもすぐにバレます。大学生として、思慮分別が無さ過ぎます。何をしても今の社会は自由で罪に問われないと思っているのでしょうか。F2Cブログの止められた日本人代表のインターネット時代に愉快犯は減りませんと予測されたように悪い真似をする愉快犯が増えている今の日本の病める社会の実相です。弱い者虐めがまかり通り、誰もが生きがいを感じず、生きて行きにくい日本の今の御時世です。

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吉本興業「中小企業」に…資本金1億円に減資へ

2015年07月29日 13時55分11秒 | 芸能ネタ

読売新聞 7月29日(水)10時3分配信 『吉本興業(大阪市)が、事業の元手となる資本金を約125億円から1億円に減資することが28日、わかった。
 同社は3月末時点で利益剰余金が140億円のマイナスとなっており、取り崩した約124億円は資本準備金に回し、財務の改善を図る。9月1日付で実施する。
 減資をした場合、累積損失の解消に充てるケースが多い。同社は減資の理由を「総合的な財務戦略を勘案した」(広報)としている。資本金が1億円以下になると「中小企業」とみなされ、法人税や法人事業税の負担が軽減される。税制上の優遇措置を受ける狙いもあるとみられる。
 経営再建中のシャープも今年5月、1億円への減資を検討したが、政府などから批判が出て大企業とみなされる5億円への減資にとどめた。』最終更新:7月29日(水)10時3分

芸能界も失われた30年の不景気の影響と思います。消費税増税も応えたのでは有りませんか。吉本興業が、事業の元手となる資本金を約125億円から1億円に減資しますと当然「大企業」から「中小企業」の経営規模縮小になるのですから、所有している演芸場等の諸施設の売却処分もすると思います。吉本興業の社員や所属芸能人のリストラを実施しないと吉本興業今後経営が成り立たないのでは有りませんか。吉本興業も全盛期が、今は過ぎたのでしょうか。

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