息苦しい世の中で 自由に語り合える空間を

自由でも民主でもない この日本を もっともっとよりよく変えていくことができるように たくさんの知恵を語りましょう。

三十五年ぶりの無言の再会

2011年08月09日 14時48分03秒 | わたしごと
九州を巡っている合間に、昨年亡くなった大学時代の先輩の家に連絡をとりつづけました。
前にブログで書いたように、一つ上のサークルの先輩で、卒業後は、九州に戻り、長崎県で市(町?)職員として働いていたようです。
いつか会えると思いながら、年賀状だけのやりとりが続き、彼の奥さんから喪中のハガキをいただき、とうとう再会を果たせないことになってしまいました。
亡くなったのは昨年の1月27日。享年57歳。あまりにも早い死です。
うかつなことに、その喪中のハガキを、私の家が建て替えをして、仮住まいから戻る際に、段ボール箱にしまいこんでしまい行方不明に。
新しく家を新築したようで、大分県の住所になっていたのはわかっていましたが、それ以上のことがわからないままになっていました。
幸いに私の後輩から実家と思われる住所を聞き、それを手がかりに『先輩さがし』をしていたのでした。
104に問い合わせると、幸運なことに、まだ彼の名前で電話番号が登録されていました。
しかし、九州に滞在中、その番号に数日間、何回かけても、呼び出し音だけ。あいにくたまたま留守なのか、すでに誰も住んでいないのか。
九州を去る最後の日。半分諦めた心境でかけてみる。と、繋がったのです。まさに間一髪でした。
奥さんが受話器をとったようです。
大学生のときにサークルで一緒だったこと、訃報をいただいたこと、九州に来ているのでせめて墓参りをしていきたいことなどを説明しました。
奥さんは、私の名前を覚えていらっしゃって、いたく感激され、最寄り駅に車で迎えにきていただくことに。
彼の家は、博多から日豊本線で一時間半、宇島というところにあります。
福岡県の南、もうすぐ大分県といった土地です。

まだ納骨をされていないとのことで自宅に伺うことになりました。駅から車で約20分。水田が広がる穏やかな田園地帯の中に、彼の家はありました。

仏壇に笑顔で写っている彼の写真は、かつての大学生のときのまま。髪は真っ白でしたが、もう一万日時以上もときを経たと思えないくらい、私の記憶の彼の顔でした。素敵な歳の重ね方をしたのでしょうね。
奥さんとは長崎時代に知り合ったということ。まだ嫁いでいない娘さんが二人いること。新しい家も建て『さあこれから』というときの死だったこと。肺ガン、見つかって亡くなるまで八ヶ月、肺の奥にある病巣で手術ができなかったこと、若いだけに進行が予想よりずっと早かったこと。死ぬ三日前まで体温や尿の回数、見舞客などをきちんとノートに書き続けていたこと(私も見せていただきました。几帳面な字は昔と変わりませんでした。さすがに最後の三日間は字が乱れていました。辛いなかで書いたに違いありません)

私たちのサークルは『差別』をテーマにした研究サークルです。みな正義感が強く、仲間を大切にする伝統を持った集団でした。ですからそこを巣立った仲間は、みな出世や金儲けなどは眼中になく、ひたすら『人のために尽くす』ことを、また理不尽なことには黙っていないメンバーばかりです。弁護士、教員、労働組合の関連の仕事につく人が多いのもこの理由でしょう。
彼も労働組合に入り、奮闘していたようでした。

『受け継いだ、この新しい家をしっかり守らないといけないですね』と穏やかに笑いながら、これからの生活に対し、ぽつりとつぶやきました。

初めてお会いしたにもかかわらず、たくさんのことを語り合いました。

ホリ、まっちゃん、ポンタ、そして『じゅんちゃん』の名前も出てきました。(そう、じゅんちゃんは美人でモテたという記憶。ウエキさんがカッサラッタのではなかったかな?)

少し雨が降る中を、再び車で宇島まで送っていただき、半年以上くすぶっていた先輩の『墓参り』(焼香だけでしたが)がようやくひと区切りとなりました。

時の流れは残酷です。いまの年齢になって、恥ずかしいことにあなたの死を知って、ようやく『いま話さなければならない人とは、いま話さなければならない』ことに気づきました。 時はいつまでも待っていてはくれないものですね。
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捜索開始

2011年08月07日 15時17分36秒 | わたしごと
大学のサークルで、一年先輩の墓探しを始めました。
昨年に亡くなったハガキを、彼の奥さんからいただいたのに、引っ越しの最中に紛失。
幸いに実家(たぶん)の住所と電話番号がわかったので、九州にきているのを、いい機会に探り出すつもりです。
実家は福岡県、そして墓はたぶん大分県にあると思います。 卒業して、年賀状のやりとりだけで、とうとう一度も会うことのなかった先輩でしたが、当時は一緒に笑い、一緒に泣いた、すばらしい同志でした。
待っていてください。
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文章から読み取れる人格 教科書採択に関連して

2011年08月05日 23時46分21秒 | 奇妙な風景
「横浜市教育委員会は4日、定例会を開き、来春から4年間、市内147校の市立中学などで使用する歴史と公民の教科書として、育鵬社(東京)の教科書を採択した。
育鵬社は、かつて「新しい歴史教科書をつくる会」と協力した扶桑社(東京)の教科書を継承する子会社で、国を愛する心の育成などを重視する編集方針を掲げる。横浜市によると、市立中の全生徒数は1学年約2万7千人と、同一教科書を使う人数では全国最多。
育鵬社版に反対する市民団体は「戦争を正当化する教科書を多くの学校現場に押しつけるのは許せない」と反発している」(共同通信)

過去に目をつむり、「日本はすばらしい」的な教科書が採択されています。
過去の暗い側面だけを強調する歴史の教科書を「自虐」と言うなら、こちらの教科書は「無反省」「偏狭な国家主義」的なものと言えるでしょう。
勝手に他の教科書の年表を盗用するような「薄汚さ」「狡猾さ」も、この教科書を使ってほしくない理由です。

ネットでこの問題を調べていると、私の考えと対極にあるブログを見つけて、少し読んでみることにしました。

中身もさることながら、この人の文章は、あまりにも粗野で偏見に満ちて、しかもレッテル張りの連発です。
こんな文章を書いている人は、いったいどんな人格を持っている人なのか、こんな雑な文章が、はたして影響力をもって流布しているのか、もしそうだとしたら、これは由々しきことだと・・・様々な思いがわき起こりました。


わかる範囲で、文意を損ねない範囲で部分的に引用させていただきます。

「自由社と育鵬社の教科書採択を妨害している横浜教科書採択連絡会とかいうキチガイ馬鹿左翼の集団がある。」
 →この出だしの文章だけで、きめつけと差別意識のかたまりの方だと確信してしまう。「キチガイ」を平気で使用しているだけでも、勉強していないことが判明してしまう。

「こいつらが横浜市の学校で来年度使用される教科書採択において自由社と育鵬社の教科書を採択しないように妨害活動を行い、署名10万人分を集めたらしい。」
 →自分の考えと相容れない人は、すべて「こいつら」です。

「大東亜戦争という名称はそもそも戦時中に使われていた名称だ。太平洋戦争という名称は戦後になってからGHQによるプロパガンダの一環として使うように強要されたものだ。つまり日本は大東亜戦争を戦ったのであり太平洋戦争は戦っていない。このくらい少しでも歴史の本を読めばわかるものだ。本来の名称を使っている教科書を批判する奴らの頭の中などたかが知れている。」
 →この方は、いったいどんな歴史の本を読んだのでしょうか。内容のいい加減さよりも、「読めばわかるものだ」としている、この人の考えが、どう形成されてしまったか興味あります。

「むしろ日本の防衛や東日本大震災で大活躍した自衛隊のことを「違憲の疑いがある」などと記述し小馬鹿にしている東京書籍のほうがよっぽど偏向した教科書だ。むしろ自衛隊の役割や日本国憲法の欠陥をひたすら隠し続けるほうが子供たちに害を与える。」
 →「意見の疑いがある」ことは「小馬鹿にしている」とどうつながるのか。さらにそれがなぜ「偏向」になってしまうのか。それに「憲法の欠陥」というのは、この人の価値からしての「欠陥」であって、「反対意見」「違った考え」ではだめなのか。このことは、自分と違う考えに対しては、すべて「バカ」呼ばわり、「偏向」と決めつけてしまう。

「たかがバカ左翼相手に教科書採択を妨害されることなどあってはならない。」
 →こんな言葉を使う人が、周りの賛同を得られるのだろうか。

すべてけんか腰ではなく、冷静に、そして対等に論議できるといいのですが。これではねえ。
ついでに言うと、こんな粗雑な考えが蔓延する世の中には、絶対になってほしくない。




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誕生日に

2011年08月05日 09時58分05秒 | わたしごと
肉体は 精神の仮住まいであって欲しいと 切に思う
しかし 残念ながら わたしの精神が 前代の肉体から引き継がれた記憶はないし わたしがまさか初代ということも ありえない話だ
『転居』ごとに精神がクリアされるのであれば なんの意味も持たない
やはり 肉体と精神とは 一心同体なのだろう 本当に残念ながら


精神はこんなにみずみずしいのに
鏡に映るわたしは 歳相応に老いた いや朽ちかけたと言っても差し支えないほどの崩れようである
こんな日に鏡など見なければよかった
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突然の嬉しさ

2011年08月04日 17時46分46秒 | わたしごと
今日は日直。
一日三回の巡回以外は、ずっと職員室にいなくてはならないので、二学期に行う研究授業の指導計画やら学芸会の台本やらを進めていました。
長い長い時間が経ち、さて最後の巡回と思ったとき、隣の担任の先生が、汗びっしょりになり、息を切らせながら職員室に走り込んできて、『お誕生日、おめでとうございます』と私に言ってくれました。
一日早いバースデーですが、明日から休みをとる私に間に合うようにと、今日来てくださった(あ、急に敬語にf^_^;)ようです。
プレゼントはサーティワンのアイスケーキ。職員室の皆さんと一緒にいただきました。
一学期は保護者との関係で苦労した彼女。『みんな私が種をまいていますから』と、自分を責めすぎることが多い性格。少しは居直れる器になれるように期待しています。
突然の喜び。
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地震あり 自信なし

2011年08月02日 00時57分44秒 | わたしごと
昨日の夜中、一昨日の明け方と、たてつづけに地震がありました。

震源地が福島、静岡と、あちこちに分散していることも不気味です。

いきなり揺れるのですから、構えができない。
子どもたちも「トイレに入っているときだったらどうしよう」「用を足して、トイレットペーパーで拭く前だったら、チョー恥ずかしい」「お風呂にいたら、裸で飛び出すんだよね」と、よく私に話します。
たしかに、そんなときは困ってしまいますよね。

大人だったらさしずめ「ラブホテルで裸でいるときに・・・」といった類のものなのでしょう。

昔は、震度4でも、1年に1回あるかないかの頻度だったと思います。
最近は、5でも驚かないくらい。

やはり、まだまだ「余震」「連鎖」は続きそうです。

みなさん、ご自愛を。
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