息苦しい世の中で 自由に語り合える空間を

自由でも民主でもない この日本を もっともっとよりよく変えていくことができるように たくさんの知恵を語りましょう。

小林千代美衆院議員よ お前もか・・・

2010年03月03日 22時55分01秒 | 奇妙な風景
「民主党の小林千代美衆院議員(北海道5区)は2日、国会内で記者団の取材に応じ、北海道教職員組合(北教組)による違法献金事件で自身の陣営の会計責任者など4人が政治資金規正法違反容疑で逮捕されたことについて「大変遺憾で、衆院選で応援していただいた多くの皆さんに本当に申し訳ない」と陳謝した。

 議員辞職など今後の進退については「(逮捕事実の)内容をしっかりと確認するのが先だろうと思う」と述べ、言及を避けた。選対事務所の財政状況が悪化していたことに対する認識を問われると、「今は申し上げることは控えさせていただきたい」と語った。」
                     (毎日新聞)

※彼女、大学では私の後輩にあたるのですね。(当然、年代が親子ほど違いますが)
 まだ、責任問題についてはコメントをしていませんが、小沢流に「私の知らないところで起こったことです」程度のものしか出さないような予感がしています。
この手でいけば、司直の手にかからないことを、議員のみんなが教訓として学びましたから。
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パラオの国旗の由来から

2010年03月03日 21時43分51秒 | コメントさんに答えます
「児童、生徒たちには「パラオ共和国」の国旗についても教えてあげてください。
その成立、選定理由についても。」

コメント、ありがとうございました。
この、パラオの国旗について、たくさんの授業を、私も見てきました。

※パラオは、一時期、日本に占領されていたにもかかわらず、日本に対しては「親日」として、友好関係を持っている。
※国旗は、色は違うものの、日本の日章旗のデザインをもとに作られたものであり、円がやや左に位置するのは、「日本に失礼だ」と考えた、パラオの人々のやさしさに他ならない。
※戦後、日本は青年海外協力隊など、海外援助に力を入れ、それによっても、日本に対してパラオの人々は信頼や親しみを持ちつづけている。
※一時期、首長に「コバヤシ」という日系人がなったときもあり、その親日ぶりがうかがえる。

といったもので、「法則化運動」(現在は、「toss」というホームページで、授業の情報交換を行っています)と言われた運動団体の若い教師たちが、好んで、この授業を行っているようです。

私も、あの残虐な侵略戦争の中にあっても、占領した土地の住民に対して、密かに食糧を渡したり、逃亡を見て見ぬふりをしたり・・・と、やさしい日本人がいたことを、否定もしませんし、また、そんな日本人のことをたくさん「発掘」して紹介できたらなと思っています。

ただ、私は、この授業については、かなり懐疑的です。
この「公開授業」(いずれも道徳でした)を見たあとの協議会で、
「円を左にずらした理由が、真ん中では日本人に失礼になるからとありましたが、それはどのような資料に基づいて、こどもたちに紹介したのですか?」
とう質問をしました。また、
「パラオの国旗は、公募されたと聞きますが、このデザインになった背景に、日の丸が大きな影響を与えた、というのは、同じくどの資料から得られたのですか?」
という質問も、授業者にしてみました。

二つの学校の授業者とも、同じ回答でした。
「これは、すでにすぐれた授業として紹介されたものを、私なりに作り替えたものなので、出典や資料には当たっていません」とのこと。

私は、家に帰り、このパラオの国旗に関する指導案を検索して調べてみました。
結果は、どの指導案にも、この授業の根拠となるべき、資料も、パラオの人々の発言も、まったく紹介されていませんでした。

つまり、本当かもしれないし、そうでないかもしれない、それが、今の時点での、国旗制定の由来なのです。

私たちがあることを教える場合、その内容について、かなり慎重に対処しなければならないことは言うまでもありません。

この授業の実践者は、「日本人の気概」を教えたいと熱望するあまり、自分の希望や憶測を優先させて、こどもたちに教えてしまったのです。

気持ちはわかりますが、これこそ、えまのんさんが「論理的」だと崇拝する方のホームページで執拗に批判している「洗脳教育」そのものではありませんか?

国を愛する気持ちを育ててほしい、そんな希望に熱くなっている方は、少なくないことでしょう。私も、半分は、そんな気持ちの持ち主です。(半分は、以前にも書きましたが、「シンボルなんて愛国心の育成にはいらないのでは・・・」という考えです)

非科学的なもの、根拠の乏しいものを、さも「事実」だとして教え込む教師が、たくさんいたら、戦前の日本やドイツ同様に、ファシズムに繋がってくことでしょう。現在の北朝鮮も、おそらくはそんな教育(特定の価値観や思想があって、教育がそれに従属する)なのでしょう。

ついでに、私は日本という国が好きです。日本に生まれてきてよかったと思っています。
ですから、だからこそ、あの侵略戦争で、帝国日本のシンボルであった、現在の歌と旗とを一掃して、新たに国民が納得するものを生みだしてもらいたいのです。
それによって、「日本は生まれ変わった」としてもらいたいのです。
私には在日朝鮮人の友人がいますが、やはり「今の君が代、日の丸は、意味合いが変わったのだというけれど、私たちは、やはりこだわりがあるし、感情として、ねじれがあるのです」と言われます。
これも、無視できない思いです。

えまのんさんのコメントからそれました。

パラオの国旗の件が事実だといいですね。しかし、これを安易に教室に持って行くことには、現時点で私は反対です。
さらに、これが事実であったとても、大局的な歴史の事実、日本が、特にアジアに対して行ってきた侵略行為自体の免罪符には、とうていならないことも、認識しなければなりません。


国のレベルで行ったことと、個々人で行ったこととは、しっかりと区別してかからないと、とんだ誤りをします。
「小泉首相は、規制緩和により、国民を「貧困への自由」に導く先導を果たした。しかし、彼も家庭では、よきパパであった。だから、そんなやさしい人を責めてはいけない」
という論理が通用しないのと同じように。





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大学時代の思い出(1)

2010年03月03日 19時58分39秒 | 思い出を語る
必死に勉強した思い出があまりないのが残念。いまもし、大学に行けるとしたら、おそらく、当時よりも問題意識を持って講義に臨めたろうにと後悔しています。(だれもが同じ願望を持っているのかもしれませんね)
法学部に入った私は、特に法曹界で身を立てようなどという志などまったくありませんでした。一浪していましたから、駿台予備校の模試の結果、偏差値で、受かりそうな大学、学部で選んで受験しただけです。
予備校時代に、ベトナム戦争の所謂「北爆」が激しくなり、また五月には沖縄が日本に返還され、否応なしに国民の政治的な関心が高まっていた時期だったのでしょう。
私も、予備校で反戦ビラを撒く予備校生といつしか話すようになり、「ベトナム反戦委員会」という組織に入ることになりました。 アメリカがベトナムの全港湾に機雷を沈めて、海路を封鎖したときです。
私はすぐにビラを作るように頼まれ、今はもうない「ろう原紙」に鉄筆でない知識を総動員して作成しました。
ベトナム戦争については素人同然の私でしたから、ビラはまちがいだらけであったと思います。
見出しから「アメリカが全港湾を機雷封鎖!」を「アメリカが金港湾を機雷封鎖!」と書いたことは、恥ずかしい思い出として今でも記憶に残っています。私はベトナムに「金港湾」という湾があると思っていたのでした。大学紛争も下火になりつつある時期、ノンポリの私がそこにいること自体、おかしな光景だったに違いありません。
そう、大学のことを、でした。
中央大学は、現在の多摩ではなく、御茶ノ水にあり、広いキャンパスとは縁遠い、薄汚れた鉄筋のビルで四方が囲まれた空間です。校庭の真ん中に立つと、空は四隅を切り取られたような長方形。地味というよりも、かなり不健康な環境です。
私の入った法学部法律学科のクラスは、45人。女子は5人だけです。
中学、高校と男子校だったので、はなやかな大学を夢見ていたのですが、やや失望。
講堂での型通りの入学式のあと、その「区切られた校庭」に繰り出すと、様々なサークルが勧誘が私に声をかけてきます。
「テニスを楽しみませんか?」「旅行の研究を一緒にしましょう」「応援団に入らなきゃ、男じゃない!」など、隙を見せると、可愛い女の子が、いかつい学生服の男子学生が、身を寄せてきます。
偶然のなせり業です。しつこい勧誘の波に疲れてきた私は、校庭北側の右から三番目の「出店」に、長椅子があるのを認め、ちゃっかりとそこにへたりこみ、休むことにしました。
そして、そこにしばらく座っていると、
「少し話をしてもいいですか?」と、髪の毛の長い女子学生に話しかけられました。
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定数半減でどうなる?

2010年03月03日 07時05分51秒 | 奇妙な風景
名古屋市議会で、議員の定数を半分に削減する動きがあると聞きました。
おそらく「人件費の節約」がメインの理由だと思うが、その裏に政略があるとかんぐりたくなるような動きもある。
無駄遣いをなくすこと自体には異論はない。
しかし定数を半分にし、どの選挙区も定数が1か2になったとしたらどのような結果になるのだろう。 以前、小選挙区制度の誤りについて述べたが、相対的に多数の支持を集めている、民主党、自民党の圧勝になることは容易に予想できる。
つまり少数意見は国政同様に無視されていく構造になっていく。
有権者の動向は、とりあえず勝ちそうな候補者に投票しようとするベクトルが働くであろうから、ますます「少数派」「泡沫候補」は除外されていく。
二大政党の寡占状態になった市議会に、もはや民主主義はない。
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