息苦しい世の中で 自由に語り合える空間を

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出会いと別れと

2010年03月30日 22時46分52秒 | 教育を考える
明日は31日。
学校では、本校で退職、本校から異動する教職員の最後の出勤日となります。

今日は、あわただしく卒業アルバムの原稿の整理や、台紙への貼り付けなどで、丸一日を費やして、きっと「別れ」の感慨を深くしている先生たちには、なんとも申し訳ないと思いました。

教師生活40年というK先生も、やや体調が悪いのに、荷物整理や文集作りで無理矢理出勤している様子。口数がいつもより少ないのは、体調のせいももちろんあるのでしょうが、これまでの長い教師生活を、じっくりと振り返っていることにも、その理由がありそうです。
おそらくは、まだまだ気持ちは萎えることなく、こどもたちと一緒に学んでいたいという願いは強いのでしょう。
組合員として、なかなかなり手の少ない役員を引き受けてくれたり、ともすると管理職と「甘い関係」になりやすい私を叱咤激励してくれたりと、けっして「自分だけ」の世界にいない先生でした。

自分の手持ちの仕事で精一杯だったり、また「自分の仕事」にとことんのめり込んだりという職員が、だんだん多くなっているというのが実感です。自分の働いている職場をよくして、みなさんが働きやすくしようと奮闘している人は、確実に少なくなってきています。

教師たるもの、他人に無関心であってほしくない。
さらに言えば、自分も含めた職場で、おかしいと思ったことには黙っていないで、怒り、冷静にそれを解決させる努力を惜しまないでほしいと思うのです。(その「おかしい」ということすら気づかない人もいるのですが)

退職されるK先生、本当にお疲れ様でした。

また、異動される先生方。
「当たり」「ハズレ」の学校は、確かにあるとは思いますが、ハズレの学校でも「当たり」になるように、その職場を作りかえててください。もちろん1人では難しいものです。しかし、必ずそんな思いをしている人は1人や2人はいるものです。
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それはまずい オウムを犯人と記者会見

2010年03月30日 21時20分38秒 | 奇妙な風景
今日時効を迎えた警視庁長官銃撃事件。 警視庁公安部長が「オウムによるテロとしか考えられない」と、異例の記者会見。

オウムだから何を言ってもいいというものではない。立件できなかったので事件は時効を迎えたのである。捜査の力不足、問題点を棚にあげて負け惜しみを言っているとしか考えられない幼稚な会見である。

会見はすべきではなかった。

単純な理由からである。クラスで盗難事件が起きた。あれこれ調べてみたが、最終的に誰がやったのはわからなかった。担任は「みんなに聞いたけど結局わかりませんでした。でも」

「ふだん友達の鉛筆や消しゴムを借りて、返さない○○君が怪しいだと考えています。しかしこれは済んだことです」
と話すことと同じことではないか。

犯人扱いされた彼は、そのあと、どうやって身の潔白を明かしたらよいのだろう。

オウム真理教に対する、国民の異常なまでのバッシングが背景にあり、公安部長は気軽に会見をしてしまったのだろう。
警視庁の人権感覚はこんな程度のものである、と世に知らしめた会見だったと思う。

足利事件同様に、予断や偏見が満ちあふれている者に、安心して治安を任せるわけにはいかない。
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