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よい子のクラスを目指す教師

2009年11月18日 22時52分48秒 | 教育を考える
教師は総じて真面目である。
いい意味でも、そして悪い意味でも真面目である。

かつて、こんなことがあった。
専科の時間に、子どもがけがをする事故があった。
授業の半ばで、ほとんどのこどもたちは、課題の作業が終わり、残る子は6人となった。専科の先生は、「じゃ、終わった人は、まだ終わっていない子の手伝いをしてあげなさい」と指示。つまり、1人当たり4人の子が応援に回ることになる。
当然、手伝う子と、そばにはいても遊んでしまう子が出ることになる。

一部の男子は、先生の目を盗んで、互いにちょっかいを出し合い、ついには追いかけっこ。最後に、追っている3人の子が、相手の子をタッチ(突き飛ばし)して、机の角に顔面を打ち、前歯を折ってしまった。

授業のあり方については、ここでは言及しない。
その後、専科でその事故が話題になり、
「このクラスは、いじめがあるのではないか」ということになった。

つまり、「多数が1人を追いかけるということは、陰湿ないじめに他ならない」「周りが見て見ぬふりをしていたのだから、クラスの雰囲気が、このいじめを容認しているのだ」

担任には、何も聞かず、相談もせず、この事故は「職員会議」「生活指導部会」で報告される。「これは見過ごせない、大変な事件である」と。

この子が、この3人との関係でけがをしたのは初めてのことであり、また、日常的に、この4人がいつも遊んだり、関わったりしている記憶もない。
私から見れば、「じゃれあい」が高じて、追いかけっこになっただけと思えるのだが。

専科の教師は、職員会議で、こう言った。
「どんな小さなことにも、その背景や理由かあります。ですから、なにかあったときは、よくクラスやこどもたちを観察して、その根源となるものを取り除かなければなりません。今回のことも、単なる追いかけっこと考えないで、そこから、いじめをはじめとする人間関係を突き止め、クラスでの指導方法を改善していくことが必要です。」

とても立派な発言。

しかし、「どんな小さなことも・・・」教師が、一心不乱に指導していくとすると、私たちは確実に潰れてしまう。

また、担任にこどもたちの様子を聞くこともしないで、「これは大変なこと」が先行してしまったことは、まったくもって迷惑千万なことである。

どのクラスにも問題はあるものである。
その担任は、まだ若かったため、このような論理で責められたら、返す言葉もないだろう。
案の定、その若い担任は、ストレスのせいだと思われる胃潰瘍となり、一ヶ月ほど学校を休むこととなる。


厳しい、熱心な教師はたくさんいるが、残念なことに、「子どもへの共感」のない指導をしていると思われる教師もたくさんいるものである。
「どんな小さなこと」にも容赦しない。どうしていけないかは「ルールだから」「授業中のこと、当たり前でしょ」の域を出ない。

その子は、朝お母さんとけんかをしたのかもしれない、体調がよくないのかもしれない、たまにははめを外したいこともある・・・そんなことは、一切考えようとはしない。

問題あってのクラス。なにも問題のないクラスは、成長もしないクラス。問題からクラスを変えていく・・・そんな発想もないのだろう。

静かによく聞き、集中して課題に取り組む。そんな「よい子」にしていこうと熱心に取り組む教師。「正論」だけで踏ん張っている教師。

人間には、裏も表もあるのになあ。

「遊び心」のわかる教師でいたい。




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不名誉な11年連続

2009年11月18日 18時54分14秒 | わたしごと
昨年の自殺者数は、3万2249人。
11年連続で3万人を上回っているとか。
毎日80人が自らの命を絶つ国、日本。
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