たかどのゝ灯影にしづむ若葉哉 蕪 村
「しづむ」がこの句の眼目である。他にちょうど正反対の現象を詠んだ、
窓の燈の梢にのぼる若葉哉
という句がある。こちらは「のぼる」が眼目となっている。
「しづむ」というのは、火影(ほかげ)が「落ちる」ことと、その中で、無数の若葉がひっそり「和む」こととを、一つにして表現したものであろう。
この句が、爽快な力強さと、調和ある落ち着きとの感銘を、同時に与えるのは、
たかどののほかげにしづむわかばかな
と、力強い「か」の音が、比較的規則正しい間隔をもって配置されており、さらにその間を縫って、静穏な「濁音」が同様に配置されていることに起因すると思われる。
季語は「若葉」で夏。
「高く造った殿舎の二階が一つ、闇夜に煌々とともってそびえている。
戸や障子はことごとく取り払われ、火影はあたりへ惜しみなく流れ
落ちている。その火影の区切った明るさの中には、さまざまの若葉が、
重なり合い、ひしめき合って、ひっそりと一つに和んでいる」
また生きめやも水芭蕉鉢植えに 季 己
「しづむ」がこの句の眼目である。他にちょうど正反対の現象を詠んだ、
窓の燈の梢にのぼる若葉哉
という句がある。こちらは「のぼる」が眼目となっている。
「しづむ」というのは、火影(ほかげ)が「落ちる」ことと、その中で、無数の若葉がひっそり「和む」こととを、一つにして表現したものであろう。
この句が、爽快な力強さと、調和ある落ち着きとの感銘を、同時に与えるのは、
たかどののほかげにしづむわかばかな
と、力強い「か」の音が、比較的規則正しい間隔をもって配置されており、さらにその間を縫って、静穏な「濁音」が同様に配置されていることに起因すると思われる。
季語は「若葉」で夏。
「高く造った殿舎の二階が一つ、闇夜に煌々とともってそびえている。
戸や障子はことごとく取り払われ、火影はあたりへ惜しみなく流れ
落ちている。その火影の区切った明るさの中には、さまざまの若葉が、
重なり合い、ひしめき合って、ひっそりと一つに和んでいる」
また生きめやも水芭蕉鉢植えに 季 己