時鳥むつきは梅の花さけり 芭 蕉
『赤冊子』に、
「此の句は、ほととぎすの初夏に、正月(むつき)に梅の花咲けることを
いひはなして、卯月なるが、ほととぎすの声はと、願ふ心をあましたる
一体なり」
といっているように、中七以下は、梅を例に引いて、時鳥(ほととぎす)に鳴くことをうながしている趣である。
一読、句意をつかめぬわかりにくさと、理屈ばったところが難である。けれども、これは談林から一歩踏み出そうとした『虚栗』時代の作品が、新しいものを生み出すための一過程として負わねばならなかったものであろう。
『虚栗』夏の部の冒頭に掲出。天和三年(1683)以前の作。
季語は「時鳥」で夏。「時鳥」は、『花火草』・『毛吹草』以下、歳時記ではすべて四月(卯月)とする。
「ほととぎすよ、もう鳴くべきはずの卯月になったのに、鳴かないのはどうした
わけなのかい。今年の春には、正月だというのに、いち早くもう梅があんなに
かぐわしく咲いていたのだから、すでに夏(卯月)になったからには、早くその
初音を聞かせておくれ」
夏立てり指より覚むる思惟仏 季 己
※(思惟仏):(シユイブツ)
『赤冊子』に、
「此の句は、ほととぎすの初夏に、正月(むつき)に梅の花咲けることを
いひはなして、卯月なるが、ほととぎすの声はと、願ふ心をあましたる
一体なり」
といっているように、中七以下は、梅を例に引いて、時鳥(ほととぎす)に鳴くことをうながしている趣である。
一読、句意をつかめぬわかりにくさと、理屈ばったところが難である。けれども、これは談林から一歩踏み出そうとした『虚栗』時代の作品が、新しいものを生み出すための一過程として負わねばならなかったものであろう。
『虚栗』夏の部の冒頭に掲出。天和三年(1683)以前の作。
季語は「時鳥」で夏。「時鳥」は、『花火草』・『毛吹草』以下、歳時記ではすべて四月(卯月)とする。
「ほととぎすよ、もう鳴くべきはずの卯月になったのに、鳴かないのはどうした
わけなのかい。今年の春には、正月だというのに、いち早くもう梅があんなに
かぐわしく咲いていたのだから、すでに夏(卯月)になったからには、早くその
初音を聞かせておくれ」
夏立てり指より覚むる思惟仏 季 己
※(思惟仏):(シユイブツ)