壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

茶も

2011年05月08日 22時30分00秒 | Weblog
        一とせの茶も摘みにけり父と母     蕪 村

 「茶も」の「も」を見過ごしてはならない。この一字によって、諸事万端、自給自足の生活であることが示されている。
 摘んだものが「茶」であることと、父と母とが二人だけで摘んだということによって、いわゆる富まずといえども貧しからざる、調和のとれた老後の生活ぶりが偲ばれる。
 子供たちは皆、巣立ちしているのであるが、それらの者がこの家を訪れたり、または心をこめた贈り物をすれば、この安定した生活の上へそれだけの賑わいを添えることさえ想像される。
 下五を「父と母」という言葉で切っているところに、安定と余情がある。蕪村の人柄の円満温雅な側面をあわせて偲ばしめるものがある。

 季語は「茶摘み」で春。

    「今は二人だけでつましく平和に暮らしている父と母である。二人が
     一年間に飲むお茶といったところでたいした分量ではない。それは、
     裏の畑かなにか、一並び植えてある茶の葉を摘めば十分ことたる
     のである。今年も父と母とは、もう手回しよく自分らでそれを摘んで
     整えてしまった」


      五月晴 女優が呼べば鯉さはぐ     季 己