――和歌は三十一音で完結した一個の作品で、一人の作者がすべてを作ります。
連歌は、和歌の三十一音を(五七五)と(七七)とに分け、そのいずれかを前句として与えられ、作者はこれに制約されます。
さらに連歌は、句数により歌仙・四十四・五十韻・千句・万句などの形式があります。ふつう百韻を基準とし、全体でまた一個の作品となるため、各々の句は、その一部として負うべき制約がいろいろあるのです。連歌の作者は、その着想、用語、構成などすべてにわたり、大きな制約を受けるのです。
このような制約は、一座の全員が、共通の問題を共通のルールで考えるための、必須条件であったのです。百句なら百句全体を通じて意味を一貫させるのではなく、連続する二句の間の付合や、全体の変化を楽しむ一種のゲームといってよいでしょう。今風にいえば、“脳トレ”、一座による脳のトレーにイングなのです、連歌は。
当時の、ゲーム感覚の連歌観を強く批判し、「和歌と連歌とは、一つの道である」と主張したのが、心敬です。
心敬にとって和歌・連歌の道とは、言葉にかかわる道であるよりも、まず「心のうち」のあり方にかかわる道だったのです。すぐれた句とは、「心より出たる句」であり、何よりも大切な修業は「心の修業」なのです。
俗世を超越したすぐれた人物である梵燈庵主が四十のころ、俗人と交わりはじめ、諸国を放浪し、六十あまりになり都に帰ってきました。
帰洛後は、その詞も優艶ではなく、詩心も失い、作品自体に精彩を欠き、付句するにあたっても、前句を忘れることしばしば、という状態でした。
「連歌は、座にいない時こそ、修業の時」というのは、衰残の身をかこっていたその当時の梵燈庵主の言葉です。心敬はこの話をたびたび記しています。よほど印象深い話だったのでしょう。
「三日も尺八に触れずにいると、尺八の音が出なくなる」というのも真実で、技術・技巧を伴う習い事に、中断は禁物です。精進を一日怠ると、二日分は間違いなく腕が落ちます。だから、不断の修業が大切なのです。
「心の修業」を重視する心敬は、「連歌は、座にいない時こそ、連歌修業の時」という梵燈庵主の言葉にも、大いにうなずくものがあったのです。
ここに、「歌作り」と「歌詠み」の違いが生じるのです。
詞(ことば)をもって技巧的に歌を作りあげる者を「歌作り」、心のうちから吐き出された言葉によって、飾ることなく歌を詠む者を「歌詠み」と、心敬は言っております。
この基準からすると、定家・家隆でさえ「歌作り」であり、慈鎮・西行こそが「歌詠み」であると言うのです。そして、西行が「不可説の上手」であるのは、彼の「世俗の凡情を離れた胸の内」のためである、と言っております。
「俳句は、つぶやき」とは、あけ烏師の言です。この場合の“つぶやき”は、辞書にあるような意味ではなく、「心のうちから吐き出された言葉」という意味です。
つまり、「俳句作り」になってはいけない、「俳句詠み」になれ、ということなのです。
日記代わりに、一日一句詠めば、一ヶ月に三十句は詠めるはずです。一ヶ月に三十句を詠むことは、俳句における最低限の修業です。
また、古典を学ぶなら、『去来抄』、『三冊子』、『万葉集』、『新古今集』の順で読むことをおすすめします。これも俳句修業の一つです。
そして最もおすすめしたいのが、「絵画鑑賞」と「音楽鑑賞」です。この修業は、非常に楽しく、俳句に役立つこと請け合いです。
俳句は、「絵を描くように、歌うように!」……。
道ばたになにかきくけこ薔薇ふえる 季 己
連歌は、和歌の三十一音を(五七五)と(七七)とに分け、そのいずれかを前句として与えられ、作者はこれに制約されます。
さらに連歌は、句数により歌仙・四十四・五十韻・千句・万句などの形式があります。ふつう百韻を基準とし、全体でまた一個の作品となるため、各々の句は、その一部として負うべき制約がいろいろあるのです。連歌の作者は、その着想、用語、構成などすべてにわたり、大きな制約を受けるのです。
このような制約は、一座の全員が、共通の問題を共通のルールで考えるための、必須条件であったのです。百句なら百句全体を通じて意味を一貫させるのではなく、連続する二句の間の付合や、全体の変化を楽しむ一種のゲームといってよいでしょう。今風にいえば、“脳トレ”、一座による脳のトレーにイングなのです、連歌は。
当時の、ゲーム感覚の連歌観を強く批判し、「和歌と連歌とは、一つの道である」と主張したのが、心敬です。
心敬にとって和歌・連歌の道とは、言葉にかかわる道であるよりも、まず「心のうち」のあり方にかかわる道だったのです。すぐれた句とは、「心より出たる句」であり、何よりも大切な修業は「心の修業」なのです。
俗世を超越したすぐれた人物である梵燈庵主が四十のころ、俗人と交わりはじめ、諸国を放浪し、六十あまりになり都に帰ってきました。
帰洛後は、その詞も優艶ではなく、詩心も失い、作品自体に精彩を欠き、付句するにあたっても、前句を忘れることしばしば、という状態でした。
「連歌は、座にいない時こそ、修業の時」というのは、衰残の身をかこっていたその当時の梵燈庵主の言葉です。心敬はこの話をたびたび記しています。よほど印象深い話だったのでしょう。
「三日も尺八に触れずにいると、尺八の音が出なくなる」というのも真実で、技術・技巧を伴う習い事に、中断は禁物です。精進を一日怠ると、二日分は間違いなく腕が落ちます。だから、不断の修業が大切なのです。
「心の修業」を重視する心敬は、「連歌は、座にいない時こそ、連歌修業の時」という梵燈庵主の言葉にも、大いにうなずくものがあったのです。
ここに、「歌作り」と「歌詠み」の違いが生じるのです。
詞(ことば)をもって技巧的に歌を作りあげる者を「歌作り」、心のうちから吐き出された言葉によって、飾ることなく歌を詠む者を「歌詠み」と、心敬は言っております。
この基準からすると、定家・家隆でさえ「歌作り」であり、慈鎮・西行こそが「歌詠み」であると言うのです。そして、西行が「不可説の上手」であるのは、彼の「世俗の凡情を離れた胸の内」のためである、と言っております。
「俳句は、つぶやき」とは、あけ烏師の言です。この場合の“つぶやき”は、辞書にあるような意味ではなく、「心のうちから吐き出された言葉」という意味です。
つまり、「俳句作り」になってはいけない、「俳句詠み」になれ、ということなのです。
日記代わりに、一日一句詠めば、一ヶ月に三十句は詠めるはずです。一ヶ月に三十句を詠むことは、俳句における最低限の修業です。
また、古典を学ぶなら、『去来抄』、『三冊子』、『万葉集』、『新古今集』の順で読むことをおすすめします。これも俳句修業の一つです。
そして最もおすすめしたいのが、「絵画鑑賞」と「音楽鑑賞」です。この修業は、非常に楽しく、俳句に役立つこと請け合いです。
俳句は、「絵を描くように、歌うように!」……。
道ばたになにかきくけこ薔薇ふえる 季 己