――世間一般が、カリスマなどといって称賛する作者を、すぐれた人
と言うべきでしょうか。
また、教養があり、能力もすぐれている人には評価が高いとか、
くだらない連中にはもてはやされない、などということは、評価に
かかわることなのでしょうか。
――先人も言っていることだが、だいたい時流に乗り評判をとった作
者は、カリスマなどと言われ、もてはやされているのは事実である。
けれども、一人でも、歌聖と仰がれるような人の眼にとまること
こそ、大切なことなのである。
思慮の浅い乱暴な連中に評判がよいのは、無益なことである。そ
んな人の眼には、鍍金も真鍮も、黄金の句との識別は、はっきりし
ていないのである。つまり、鑑賞したり、批判・理解する能力がな
い者に、いくらほめられても仕方がない、ということだ。
だから、能力があり、どんなにすぐれていても、世間的には存在
が薄いという人が、昔から多いのである。
定家卿は、自分の気に入らない歌を他の人がほめると、不機嫌な
顔色をなさったという。
土地の善人が皆ほめて、悪人が皆憎むような人が、本真物の人間
である。
徳の高い孔子ほどの人でも、時勢に合わず、顔回も真価を認めら
れず、不幸であった。
仏の存在でさえも、三億の人は知らなかった。
谷底に生えている松は、その立派さを人に知られることなく、空
しく老い朽ちるのが常である。 (『ささめごと』真の評価)
原発の地とよ皐月の花ざかり 季 己
と言うべきでしょうか。
また、教養があり、能力もすぐれている人には評価が高いとか、
くだらない連中にはもてはやされない、などということは、評価に
かかわることなのでしょうか。
――先人も言っていることだが、だいたい時流に乗り評判をとった作
者は、カリスマなどと言われ、もてはやされているのは事実である。
けれども、一人でも、歌聖と仰がれるような人の眼にとまること
こそ、大切なことなのである。
思慮の浅い乱暴な連中に評判がよいのは、無益なことである。そ
んな人の眼には、鍍金も真鍮も、黄金の句との識別は、はっきりし
ていないのである。つまり、鑑賞したり、批判・理解する能力がな
い者に、いくらほめられても仕方がない、ということだ。
だから、能力があり、どんなにすぐれていても、世間的には存在
が薄いという人が、昔から多いのである。
定家卿は、自分の気に入らない歌を他の人がほめると、不機嫌な
顔色をなさったという。
土地の善人が皆ほめて、悪人が皆憎むような人が、本真物の人間
である。
徳の高い孔子ほどの人でも、時勢に合わず、顔回も真価を認めら
れず、不幸であった。
仏の存在でさえも、三億の人は知らなかった。
谷底に生えている松は、その立派さを人に知られることなく、空
しく老い朽ちるのが常である。 (『ささめごと』真の評価)
原発の地とよ皐月の花ざかり 季 己