壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

みじか夜

2011年05月17日 22時51分26秒 | Weblog
        みじか夜や毛むしの上に露の玉     蕪 村

 おかしみと意識させない程度のおかしみが、うっすらと感じられ、夏の夜のあまりにも短いその「あっけなさ」が軽妙に表されている。
 一句全体が、説明に流れるとおかしみの方が際立ってくるが、そこを写生の的確さでぐっと引き締めているのはさすがである。首尾のはっきりしない小さな毛虫の体と、ビロードのように密生した細い毛とが、夏の夜の短さと蒸し暑さとを具現し、多毛ゆえに完全な形で保っている露の玉が、爽やかな感じを具現している。
 こういう微細な事物の上に、これほど克明な「写生眼」を働かしていることは、芭蕉時代には多く見られなかったところである。

 夏の夜は短く、明け易い。夜半すぎてまだいくらもたたないのに、東の空が白んできてしまう。このように明け易い夏の夜を「短夜(みじかよ)」という。
 季語は「みじか夜」で夏。

    「夏の夜の何と短いこと。あっけなくも、もう明るくなってしまった。
     しかし、いかに夜が短かろうとも、暁はやはり暁らしく爽やかで、
     ここにいるこの毛虫の密生した毛の中には、いつの間に結んだ
     のか露の玉がいくつも乗っているよ」


     はたた神降りて木彫の鬼となれ     季 己