壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

菜の花

2011年04月30日 20時31分33秒 | Weblog
          菜の花
        山吹の露菜の花のかこち顔なるや     芭 蕉

 和歌的な用語「かこち顔」を用い、漢詩文的口調をはたらかせて、山吹・菜の花の情趣をよみとろうとしたものであるが、その美しさの本質に迫りえず、単なる比較に終わって、理に落ちた句になっている。出典の『東日記』よりみて延宝九年(1681)以前の作。

 「かこち顔」は歎き顔とか、不平顔の意。

 「菜の花」が春の季語。「山吹」も春。

    「山吹に露がしっとり置いたさまは、まことに古来、詩歌に詠まれてきたとおり
     風情がある。しかし、同じく黄色の花でも、菜の花はひなびていて、朝露を帯
     びても誰にもかえりみられない。それで菜の花は、歎き顔なのであろうよ」


      母と子のしりとりあそび花菜風     季 己

「俳句は心敬」 (76)無心所著③

2011年04月29日 23時26分01秒 | Weblog
    D 糸きしませ解き物する夜なべかな
 夜なべの説明です。また、三段切れで調べが悪いのも欠点です。調べが悪いのは致命的。何度も声に出して、せめて調べだけでも整えることが大切です。

        夜なべせる老妻糸を切る歯あり     爽 雨
 老妻にまだ糸を切る歯が残っていた、と具体的に表現されているので、作者の感動が直に我々に伝わるのです。
 句の中に感動があれば、説明や報告の句にはなり得ません。作者の思い、発見、驚きがないから、説明・報告になってしまうのです。

    E 一筋の新涼の道背を正す
 「背を正す」といっても、景が見えてきません。ましてや、新涼も感じられません。季語である新涼が、道の修飾語、つまり、道の説明にしか使われていないのは、季語に対してあまりにも失礼です。

        新涼や白きてのひらあしのうら     茅 舎
 「白きてのひらあしのうら」と、自分の感性でとらえた「新涼」を持ってきた点を見習いたいものです。また、景がしっかりと見え、「し」のS音が心地いい。

    F 憑きものの落ちし如くに今朝の秋
 「憑きものの落ちし」が観念で実体がなく、季語の「今朝の秋」も実体がありません。ゼロかけるゼロはゼロですから、「如く」と比喩を用いても、まったく効果はありません。

 比喩は大別すると、直喩(明喩)と隠喩(暗喩)の二つになります。
 直喩は、「ような」「ごとし」あるいは「たとえば」「似し」などの語を用いて、直接に二つの物事を比較してたとえる方法です。

        あらためてものいふやうに梅が咲き     あけ烏
        百方に借あるごとし秋の暮         友 二

 隠喩は、「ような」「ごとし」などの語を使わずに、直接それだと言ってたとえる方法です。

        はこべらは田んぼの神の髪飾     あけ烏
        紅朝顔桑名女郎のなさけかな     あけ烏

 直喩は、内容が伴わないと「また如し俳句か、もうたくさんだよ」と言われがちです。
 それに対して、隠喩は、単刀直入で感覚的です。鑑賞者に比喩を感じさせない良さがあり、一段の迫力が出ます。ただ、難解な句が出来やすいので、独善に陥らぬよう、気をつける必要があります。また、鑑賞する際には、たとえば、「はこべらは田んぼの神の髪飾(のようだ)」のように、「ようだ」などを補って解釈すればいいのです。

    G 青りんご十七歳でどうしやう
 季語の「青りんご」が安易で、作者が何を感じたのかが、さっぱり伝わってきません。おそらく「十七歳でどうしやう」のフレーズが先に出来て、あとから季語をつけたものと思われます。こういう場合は、季語をよほど吟味しないと必ず失敗します。
 掲句を、「いなびかり十七歳でどうしやう」などとすれば、少女の微妙な心理が感じられ、面白い句になると思います。


      昭和の日 来た道かへる箒売り     季 己

「俳句は心敬」 (75)無心所著②

2011年04月28日 20時10分44秒 | Weblog
 「俳句は意味を述べるものではない。自然と我との関わりをうたいあげるものである」を信ずる私としては、「無心所著、大いに結構」というところでしょうか。
 けれども、大言壮語や美辞麗句は困りものです。また、本人はしゃれた言い方だとお思いなのでしょうが、そういう表現に出会うと、虫酸が走ります。

 すべての芸術に共通して大切なことは、感動だと思います。感動が失われた作品はもはや芸術ではありません。
 俳句も同じです。自分が感動したことを、いかに人々に伝えることが出来るか否かに、作品の良否はかかっていると思います。

 「芸術とは、見えないものを眼に見えるようにすること」とは、スイス生まれのドイツ人画家パウル・クレーの信念です。この「芸術」を「俳句」に置き換え、「俳句とは、見えないものを眼に見えるように表現すること」と、私は思っています。
 また、「最高の技術は、心からしか来ない」とも思っています。個人的な心の深みがいろいろと絡み合って、技術は個人的な領域の中で完成します。

 以下は、某句会の主宰選ボツの作品の一部です。なぜボツになったのか考えてみましょう。全作品に共通していえることは、感動が感じられない、ということです。

    A 快哉を叫びし良夜の月動く
 「快哉を叫びし」と力んでみても、それは良夜の報告に過ぎず、感動の表現にはほど遠いのです。どこがどう愉快なのか、自分が受けた感動を、眼に見えるように表現するのが俳句なのです。
        
        六月の女すわれる荒筵     波 郷
 この句に対し、山本健吉は次のように書いています。
 「……作者のイメージの焦点ははっきりしてくる。大胆に女と言っただけで、何の説明も加えていない。だが、それだけで、殺風景な茅屋にある匂いを発散させるのである。作者の眼は〈空缶に活けたオモダカ〉を目ざとく捕らえたのであるが、それも思い切って捨ててしまう。女そのものズバリでよかった。……」(『現代俳句』角川文庫)
 波郷は、「女すわれる荒筵」だけで、「六月」をみごとに活写しています。
 感動というものが、あらかじめあるのではありません。一人ひとりが自分の感性で、自分の個性でとらえるものなのです。

    B 視線浴ぶ我に罪なし草虱
 「知らずに、草虱(くさじらみ)をつけて歩いていたら、皆から視線を浴びたが、それは自分の責任ではない」と言いたいのでしょう。所詮、説明・報告の域を出ません。

        ふるさとのつきて離れぬ草じらみ     風 生
        兵の日以後駈けることなし草じらみ    波 郷
 いずれもそれぞれの感性で「草じらみ」をとらえています。「感動は自分自身でとらえるもの」ということが、よくわかると思います。

    C 越して行く友を招いてとろろ飯
 「越して行く友を招いてとろろ飯(を食べた)」という散文の一部、つまり、すべてを言い切ってしまった単なる報告です。とろろ飯に対する作者の思いがまったく感じられないのが、ボツの大きな理由だと思います。


      黄水仙みちのくに幸ただよへよ     季 己

「俳句は心敬」 (74)無心所著①

2011年04月27日 19時57分29秒 | Weblog
        ――和歌には、無心所著(むしんしょじゃく)という歌体が
          『万葉集』以来、連綿としてありますが、連歌では道な
          のでしょうか。

        ――この無心所著という歌体は、多くあると聞いておる。
          だいたい、和歌の世界において分類したいろいろな歌体
          は、連歌の世界においても、一つとして違うものはない。

             月やどる水のおもだか鳥屋もなし
              (月影を映すその水に生えるおもだか、鷹を飼う
               鳥小屋とてもない)

             花やさく雨なき山にかけまくも
              (恐れ多くも、花が咲いていることだ、雨の降ら
               ないあの山に)

          このような句などが、無心所著の随一であろうといわれて
          いる。 (『ささめごと』無心所著)



 ――『万葉集』巻十六に、「無心所著歌二首」として、次のような歌が載っています。

             わぎもこが額に生ふる双六の
               ことひの牛の鞍の上の瘡
              (女房の額に生えた双六盤の
                大きな牡牛の鞍の上の瘡)

             わがせこがたふさぎにするつぶれ石の
               吉野の山に氷魚ぞさがれる
              (亭主がふんどしにする丸石の
                吉野の山に氷魚が懸かっている)

 この二首は、相互に無関係の語をくっつけて詠み込み、わざと意味が分からないように作ったようです。
 つまり、一句一句には意味がありながら、全体として意味をなさない歌を、無心所著というのだと思います。

 無心所著は、和歌よりはむしろ連歌の方に多く、無心所著の成立事情やその複雑さも、和歌とは異なっていたものと思われます。
 連歌においては、前句との付合に寄合を主とすれば、言葉の縁の上では相互に関係があっても、前句との情趣と付句の情趣とは無関係の場合が起こります。
 また、付句を構成している各々の言葉も、前句のある言葉と縁があるだけで、一句のうちで何の連関もなく、したがって、意味の通じない場合も起こりえたのです。

 発句にしても、当時の流行として、さまざまな景物を一句のうちに多く取り込もうとして、由緒ある言葉や典雅な言い回しを、雑然と寄せ集めるだけで、一句として意味の通じない句も多かったはずです。
 例にあげてある二句は、そういう種類の発句なのです。
 「月やどる水のおもだか鳥屋もなし」は、〈月やどる〉と〈水〉、〈おもだか(沢瀉)のたか(鷹)〉と〈鳥屋〉という風に、各句が言葉の縁ではつながっているように見えて、その実、全体としては意味をなしていません。


      東京に径のぬかるみつくづくし     季 己

野中の日影

2011年04月26日 22時27分55秒 | Weblog
          野中の日影
        蝶の飛ぶばかり野中の日影かな     芭 蕉

 『笈日記』によれば題詠だが、春の日の光の満ちわたった、野の明るさのよく生きた作といえよう。野中は、ただ日の光がいっぱいで、そこを過ぎるのは蝶だけなのである。

 「ばかり」は、「のみ」・「だけ」の意。
 「日影」は、日の光をいう。

 季語は「蝶」で春。

    「ときたま無心に蝶の飛び交うばかりで、広い野原は、ただ春の光がみちあふれ、
     目をさえぎるもの一つない」


      初蝶や石灯籠の障子窓     季 己

春の暮

2011年04月25日 20時31分35秒 | Weblog
        山彦の南はいづこ春の暮     蕪 村

 近代の象徴詩は、この句よりずっと主知的なものであろうが、「意味のない意味」を詩の誕生の素因としている点では、この句など、なにかそれと交流するものがあるように思われる。
 象徴詩においては、その「意味のない意味」は、ただ言葉の生み出すリズムの感覚によってのみ、作者から読者へ直接に伝達される。
 この句においても、なぜこれが南に限られ、東・西あるいは北であってはならないかということは、春というものの性質と関連させて、ある程度まで論理的に説明付け出来なくもないが、それでは詩としての生命は消散してしまう。
 いくつかのかすかな山彦がかえってきた瞬間、方位の知覚をふと喪失したのである。その事実が、春の日暮れの情調となぜか一致しているのである。つづいて、せめて「南はいづこ」と思い定めようとした。その事実がまた、春の日暮れの情調となぜか一致しているのである。

 季語は「春の暮」で春。

    「春の日暮れがた、山中にあって山々に向かって声を放ってみた。と同時に
     あちらこちらからかすかな山彦がかえってきた。その瞬間、とりとめのない
     想念が念頭をかすめて去った。――自分はいったいどちらの方角に向か
     って立っているのであろうか、南はいったいどちらに当たっているのであ
     ろうかと」


      春雷や薬一錠てのひらに     季 己

牛にならばや

2011年04月24日 22時40分17秒 | Weblog
        喰ふて寝て牛にならばや桃の花     蕪 村

 「喰ふて」は、「喰うて」が正しい表記。
 牛は馬と違って、よく身を横にしてしきりと反芻をしている。それで、おさないこどもの礼儀を正すために世間では、「食事の後ですぐ寝ると、牛になってしまうぞ」と戒めていたのである。
 それを引いて、身辺に桃の咲き満ちた頃の、ことに食後の身を支えているのもものういような気持を、このように詠っておもしろがったのである。

 牛と桃の花との配合は、「牛を桃林の野に放つ」という故事から来ているのかも知れない。しかし、この一句は、軽い感興以外、全体の美しさは、明るい紅色の桃の花の中に、ドデンと横たわった漆黒の牛のイメージから生じていると思える。

 季語は「桃の花」で春。

    「物を喰ってすぐ寝っ転がると、牛になると世間ではいうが、満開の桃の花の中に、
     牛が寝ているのも悪くない光景だ。いま満腹でいい気持ちになった、ひとつ牛に
     なるために寝っ転がるとしようか」


      松山といふに松なく桃の花     季 己

「俳句は心敬」 (73)続・未来記

2011年04月23日 20時48分48秒 | Weblog
 ――俳句には、詠んではいけない風体などというものはありません。何をどう詠んでもいいのです。ただ、縁語や掛詞を駆使した俳句は、見かけませんが……。

 だいぶ以前のことです。ある句会で、
        白道のつるうめもどきうめもどき
 という句が出て、主宰特選になりました。
 ところが、「これでも俳句ですか。どういう意味で、どういう点がよいのか、さっぱり分かりません」という意見が続出したのです。主宰は、ただニコニコしているだけで、何もおっしゃいませんでした。

 俳句は、意味を述べるものではありません。季節と自分との関わりを、詠(うた)いあげるものです。問題の句は、もともと意味などを述べていないのですから、分からなくて当然です。

 選句は絵画鑑賞であり、また音楽鑑賞でもある、と私は思っています。
 句を読んで、一枚のすてきな絵画が浮かび、快いリズムが感じられ、しみじみとした季節感が味わえれば、それは◎です。もちろん、その季語の本質をとらえた句も◎です。
 さて、「白道のつるうめもどきうめもどき」の「白道」は、《びゃくどう》と読み、ふつう辞書には「二河白道」と載っています。

     [二河白道]水の河と火の河との間にある、幅四、五寸ほどの細長く白い道。
     どんなに水火におびやかされても、堅く決意してこの白い道を進めば、極楽の
     彼岸に到着するという。(『新潮国語辞典』)

 「白道」はなじみのない言葉ですが、字面から「白く清らかな道」程度のことは見当がつきます。その白く清らかに見える道に、つるうめもどきの濃い橙紅色の実や、うめもどきの紅熟した実が、葉を落とした枝々に点々と残って、日に輝いている、というのです。
 一句の中には「の」という助詞のほかは、名詞だけです。動詞は一つもありません。しかし、この句は、動詞や形容詞がないために、かえって、いろいろなことを読む者に想像させるのです。だから、これでも俳句と言えるのです。
 「白道の」の後に小休止があり、そこには、作者のさまざまな思いがこめられています。
 また、「つるうめもどき」と「うめもどき」の間には、限りない数のそれらの実が見えてきます。空間の広さと、動かぬ時間が感じられます。
 「白道」は、『清らかにあくまで澄んで、よこしまのない句を詠みたい』という、作者自身の願いでもあり、目指す俳句の道でもあるのでしょう。
 おそらく、作者の胸中には、芭蕉晩年の句、
        此の道や行く人なしに秋の暮
 が、去来していたことでしょう。


      うぐひすのほがらほがらと美術館     季 己

猫ねこ展覧会

2011年04月22日 22時45分30秒 | Weblog
 「猫ねこ展覧会2011」が、今日(4月22日)から松山庭園美術館で始まった。
 全国から120余名の猫を愛する作家の作品200点以上の競演である。猫好きの人にとっては、実にたまらない展覧会だと思う。
 かくいう私は、大の猫嫌い。子供の頃、我が家でも猫を飼っていたことはある。しかし、それ以後は飼ったためしはない。
 猫嫌いの理由は簡単。近所の猫が、わざわざ我が家まで出張ってきて、花や草を折り、おまけに大小便やゲロをしてゆくからだ。これが許せない。

 さて、こんな猫嫌いに、「『猫ねこ展覧会』に賞を出すことにした。ついてはその審査をしてもらえないか」という依頼が来た。依頼主は、『画廊宮坂』の宮坂氏。
 つまり、今度、「画廊宮坂賞」を『猫ねこ展覧会』に出すことにしたので、代わりにその賞を決めてくれ、というのだ。条件は「一番いい作品を選んでほしい」の一点だけ。
 画面にどんなに小さくても、犬・猫が描かれている作品は絶対に購入しない私。それを知っての宮坂氏からの依頼、面白いので受けて立つことにした。

 選をすることは、句会で慣れているので、200余点あまりの作品の選はまったく苦にならない。また、「一番いい作品を選べ」ということは、「盗んでも欲しい作品」、「大枚をはたいても欲しい作品」を選べということと解釈し、昨日、その責任を果たしてきた。
 「盗んでも欲しい作品」は、一点もなかった。といっても出品作が悪かったということではない。猫嫌いは、当然、猫の作品を盗む気にはならないからだ。
 気持を切り替え、俳句の選をする要領で作品を鑑賞したら、意外と短時間で四点にしぼることが出来た。

 「絵はがき・写真」的な作品は即ボツ。真正面からとらえた作品も、能がないからボツ。などとしていったら、十二点ほどの作品が残った。
 館長さんから、大賞にふさわしい作品を三点選んで欲しいと言われたので、その三点を選ぶためにもう一度観たところ、四点が残った。
 川畑作品が、猫の本性を描いて、これがピカ一。しかし、猫嫌いには選べない。猫好きの人なら飛びつき、多くの票が入るだろう。そう思って泣く泣く落とす。
 残るは、横江作品、美齊津作品、秋山作品の三点。この中から「画廊宮坂賞」を選ぶのだ。
 横江作品は、猫が点景の一つとして小さく描かれ、猫が気にならない。じっと観ていると、ほのぼのとした気持になり、非常に心安らぐ。この作品も多くの人に支持されるであろう。
 美齊津作品は、非常に個性が強く、猫が気にならない大きさで描かれているのがいい。
 秋山作品は、一見、こどもの描いた絵のように見えるかもしれない。これは、作者の心の中で猫を単純化した結果なのだ。この「猫パパ」の目を凝視するがよい。ここに作者の魂が込められている。また、この猫の唇の何と魅力的なこと。
 人が選ばない句を選ぶ私は、秋山俊也さんの「猫パパ」を「画廊宮坂賞」に決めた。
 「猫パパ」が、若き平成のクマガイモリカズのように見えてきた。


      すみれ咲くガンダ彫刻海に向く     季 己

「俳句は心敬」 (72)未来記

2011年04月21日 21時11分15秒 | Weblog
        ――和歌には未来記といって、詠むのを避ける風体があります。
         それは、連歌でも避けた方がよいのでしょうか。

        ――未来記に書いてあるような句は、どこの座においてもあると
         いうことである。いかにも、用心すべきことである、と言われ
         ている。

             ふかで世に天がしたがへ花の風
              (満開の桜を吹き散らす風よ、どうか吹かないで
               おくれ、天下太平の世にならって)

             ほととぎす鳴かずは秋の月夜哉
              (もし、ほととぎすが鳴きすぎさえしなければ、まっ
               たく秋の月夜としか思えない、この素晴らしい良夜
               の月よ)

          こうした類は、未来記の代表的なものである。用心に用心を重
         ねるに越したことはない。 (『ささめごと』未来記)


 ――和歌の世界では、表現や趣向に機知を働かせすぎ、不自然になったものを、未来記といって、避ける風潮がありました。
 『未来記』は、冷泉家に伝来したといわれる五十首ほどの、定家の和歌の一群をいいます。
 これは、将来を予言した書という意味で、末世に和歌が衰えてから詠まれるであろう歌様、つまり、極端な縁語や掛詞を用いた歌ばかり、五十首を集めたものです。

 心敬の師、正徹は、「歌には秀句(縁語や掛詞を駆使した歌)が大事に侍る也。定家の未来記といふも秀句の事を書きたる也」と言っています。
 けれども、弟子である心敬は、「この句、座々に聞こえ侍るとなむ。いかにも恐るべき事なりといへり」と、否定的な態度をとっています。

 王朝文化に異常な思慕の気持を示した十五世紀初めごろの、浪漫思潮のただ中にあって、独創の意欲に燃えていた正徹の念頭には、幾世代にもわたるおびただしい秀歌の数々が、重圧となってのしかかっていました。
 だから、よほど思い切った発想の転換と、表現をとらなくては、同類の歌を逃れることは出来なかったのです。
 しかし、心敬においては、足下に迫っている苛烈な現実は、そうした浪漫的な雰囲気を冷却し、表現の彩なす感覚的な美よりも、表現の主体たる精神の深さに眼を向けさせたのです。
 心敬の作品が平明になってきた理由の一つとしては、そういうような事情をまず考えなければなりません。

 集団文芸としての連歌が、何よりも他人に理解されることを不可欠の条件としたということを、根本に考える必要があります。連歌は、なんといっても新興の文芸であり、新鮮だということは、やはり連歌の生命であったはずです。
 そこで、連歌文学が本質的に有している新しさの要求と、即座に他人に理解できる平易性との兼ね合いが、貴族文学の伝統の中で行なわれていたために、心敬の連歌論の中に、「およそ秀句なくては歌連歌作りがたかるべし。さればいのちと申す也」というような、秀句の一応の尊重と、未来記の否定という結果をもたらしたものと思います。


      仰向きの恋猫を撫で猫嫌ひ     季 己

「俳句は心敬」 (71)感覚を捨てる

2011年04月20日 21時12分37秒 | Weblog
 俳句は、慎ましやかな性格の文芸です。表面をきらびやかに飾ったり、差し出がましく自分を前に押し出したりすることなどを嫌います。
 表現においても、美辞麗句に惑わされてはいけません。大言壮語を好まないのも、俳句は慎ましやかな文芸だからなのです。

        A 風止んできさらぎの空うるみけり
        B 風止んできさらぎの空ありにけり

 AとB、あなたは、どちらの句がすぐれていると思いますか。
 おそらくAの句を選んだ方が、多いのではないでしょうか。
 Aは、某氏の原句、Bは、恩師の岸田稚魚先生の添削句です。これについて、稚魚先生は、次のように述べておられます。

     大変単純化していて、句の姿はいいのですが、下五の感覚的把握が、却って
    句を甘くしてしまいました。一般的には或いは原句の方に軍配を挙げるかも知
    れませんが、折角、ここまで省略出来たのですから、思い切ってその感覚も切
    り捨ててみることです。かつて波郷は「俳句は感覚にあらず」と言われました。
    感覚が表面に出ると句は弱くなるからです。この俳句のプロパーが身を以て分
    かったとき、あなたは作家になれるのです。 (岸田稚魚『俳句上達の近道』)

 美辞麗句の粉飾が、句品を高くするのではありません。作者の高く美しい心持ちの、おのずからなる現れが、句品を高くするのです。
 ものを観る眼、興味の持ち方、どう言い回すか、どういう言葉を選び、どう斡旋するか等々に、おのずから作者の上品な心ばえが現れて、品格高い作品が生まれるのです。
 品は、考えて作れるものなのではなく、内なるものが、おのずから外に現れるものなのです。



      鳴く亀の手も足も出ぬ人の恩     季 己

「俳句は心敬」 (70)いりほが

2011年04月19日 22時51分38秒 | Weblog
        ――和歌には、“いりほが”といって趣向を深くしようとしたあまり、
         かえって表現に無理があり、独りよがりの句になるのを嫌ってい
         ます。連歌ではどうでしょうか。

        ――こうした“いりほが”の句は、いつもあることである。
          心(意味内容)の“いりほが”、姿(風姿)の“いりほが”の二つ
         があるという。

             木を切るや霜のつるぎのさ山風
              (木をなぎ倒す、霜のように鋭い剣にも似たそんな山風よ)

          こうした句は、巧みな手練(てだれ)の作者の句である。しかし、
         初めの五文字は、ちょっと穿(うが)ちすぎである。「さえにけり」
         などと直してみたところで、少々、間延びした感じがする。剣で木を
         切るという発想もよくないようだ。

             夏草や春の面影あきの花
              (みごとに茂った夏草。その茂りには春の面影が残り、
               秋の花の美しさの兆しも見える)

          この句は、姿の“いりほが”である。いささか穿ちすぎのように
         見える。だから、『論語』にも、「過ぎたるは及ばざるがごとし」と
         いっている。 (『ささめごと』 いりほが)


 ――表現の仕方や、趣向の立て方が、あまりにもその人にだけしか分からないほど、手のこんだ境地に入りすぎていることを、“いりほが”といいます。
 心敬は、“いりほが”を是認しているわけではありません。
 公正に見て、あまりにも手がこみすぎ、一句の詩趣を損なっているような句は、やはり“病”と認めています。
 ただ、手がこみすぎているから駄目というわけではなく、表現が複雑を極めていても、それはそれとして、ある種の情趣を表現することに成功していれば、それは秀逸と認めるべきだ、と考えていたようです。

 しかし、「木を切るや霜のつるぎのさ山風」は、「剣にも似た霜を吹きむすんで、、木を通り過ぎてゆく山風よ」という意味に、知的な面白さを持たせて、剣の縁語で「木を切るや」という表現をとったのですが、手がこみすぎて、こしらえ物という感が深いのです。
 身を切るような風の冷たさの実感は、かえって「冴えにけり」という単純な表現のうちにあるのです。

 「夏草や春の面影あきの花」を、姿の“いりほが”というのは、この句が、内容の面白さをねらっているよりも、春夏秋の三つの季節を一句のうちに詠みこもうとした、表現上の技巧に無理があるのを指しているのだと思います。


      東風吹けり親に逆らふ子を求め     季 己

日ぐれ

2011年04月18日 20時58分25秒 | Weblog
          野 望
        草霞み水に声なき日ぐれ哉     蕪 村

 前書の「野望」は、「野を望む」と読み、身の程を越えた大きな望みを意味する「野望(やぼう)」ではない。
 季語は「霞」であるが、一句の中心にはなっていない。春の日暮れのやわらかく美しい気分を、草と水とのありさまを借り、言葉の文なしで、一句全体の上に醸し出そうとしたのである。
 対象が実在の世界である場合にも、なお、それを蕪村自身の美意識の中に濾過して、うるわしい雰囲気の別天地に創造する、その「気分」の芸術家であることが、蕪村の大きな特色である。
 蕪村においては、その唯美主義、浪漫主義が、決して芸術家としての破綻に陥ることもなく、また病的に傾くこともなくてすんでいる。それは、教養によって内面界の洗練を怠らなかったと同時に、教養によって内面界の平衡を保持しつづけたためと思える。

 この句は、「草霞み」「水に声なき」と、やや自主的に表現したところに生気がある。
 「芳草万里」という語があるが、それが夕霞に全身をつつもうとするところに軟らかさがある。 「春水四沢に満つ」という語もあるが、それが今、満々としているがゆえにかえって音をたてないところに、豊かさがある。
 下五が「夕べかな」となっている本があるが、「日ぐれ哉」の、おだやかさとのどかさとにはかなわない。

 季語は「霞」で春。

    「遠く野面を望めば、草の果てはほのかに夕霞、身近の川もただ満々として
     響きを立てず、いかにものどかで豊かな気持の日ぐれである」


      春かすみ十国峠あたりかな     季 己

「俳句は心敬」 (69)同類④

2011年04月17日 22時36分08秒 | Weblog
 類句・類想から脱するために、京都や奈良を旅行したり、美術館・画廊めぐりなどもしました。とにかく美しいものに触れることは、心をリフレッシュするのに、とても役立ったと思っています。その当時の拙句を一つ。

        たらちねのためいき烏瓜の花     季 己

 二物配合の句です。季語あるいは季語を含むフレーズと、その他のフレーズを組み合わせ、あるいは衝撃させることにより、新しいイメージを構成しようというのがねらいです。
 五つに裂けた白い「烏瓜の花」を凝視して、母の溜息のようだと、わたしは直感したのです。そこで、とりあえず、《母の溜息のようだ、烏瓜の花は》としました。
 「……のようだ」「……のごとき」という形の比喩を、直喩(ちょくゆ)といいます。俳句で使われる比喩は、圧倒的に直喩が多いようです。

 直喩は、常識的なたとえではいけません。常識では考えられないような意外性や飛躍があって、しかも作者の独り合点や独善におちいっていない、そういうたとえでなければなりません。
 たとえられるものの本質を、じっくりとよく見極めてから、たとえるものを案出することが大切です。

 直喩よりいっそう難しい比喩が、隠喩(いんゆ)です。
 隠喩は、暗喩(あんゆ)ともいい、「……のようだ」「……のごとき」を省き、一切を読者の連想や判断に任せるので、「何のことかさっぱり分からん」という人がいても無理からぬことです。

 さて、掲句ですが、類句を脱するために、圧倒的に多い直喩を避け、隠喩を使うようにしたのです。
 《母の溜息のようだ、烏瓜の花は》を、隠喩にするために「のようだ」などを省いて、《母の溜息烏瓜の花》。しかし、これでは十五音で俳句になりません。そこで、「母」を四音で表せば一句になるので、「母」の古語である「たらちね」にかえました。
        《たらちねの溜息烏瓜の花》
 けれども、漢字がぶつかって見た目がよくないのと、烏瓜の花の雰囲気を出すために、「ためいき」と“ひらがな”にしたのです。
        たらちねのためいき烏瓜の花
 これでリズムもOK、どうやら完成、というわけです。

 難解と思われる句を理解するには、「……のように」や「……のごとき」を補ったり、季語を軸にして、さまざまな連想をひろげてゆくことが大事です。
 ただ、連想の拡がりには個人差があります。経験の多少や、自然とのなじみ具合で、季語から受ける刺激が違ってきます。その刺激の差が、連想力の差になるのです。
 類想の土台なしには、伝達性はありません。しかし、その類想を突き破り、飛躍した、新鮮でピチピチしたギャル、いや、句を作る努力は、必要だと思います。


      花過ぎの雲のおもたき日曜日     季 己

「俳句は心敬」 (68)同類③

2011年04月16日 20時04分18秒 | Weblog
 心敬の考えは、現代の俳句においても当てはまります。

    〈取り消し〉
    第○○回全国俳句大会賞の次の句を取り消します。
      牡蠣□□……けり

 このような記事の、何と多いことでしょう。
 では、どうしてこういうことが起こるのでしょうか。
 俳句は十七音、いや、季語を除けば十二音程度の短詩です。類想・類句が生まれるのは宿命のようなもので、仕方のないことです。
 もちろん、意識的に剽窃した盗作は、絶対に許されることではありません。他人が精魂込めて詠んだ句を、平気で自分の句にするとは、言語道断です。
 また、たとえ自分の句であっても同じ句を、A紙、B紙、C誌、D俳句大会などに投句する“二重投句”も、絶対にしてはいけません。

 問題は、たまたま偶然に似てしまった場合です。
 もし、類想・類句を指摘されたときは、素直にその句は捨てるのがよいと思います。「不勉強で、そのような句があるとは存じませんでした」と言って。
 正直言って、類句を恐れていては俳句は詠めません。けれども、類句を作らぬ努力は必要です。
 では、どのようにすればよいのか、非力なわたしに分かるはずはありません。
 ただ、長年の教員歴から言えることは、「俳句は学ぶものではない」ということです。
 “学ぶ”ということは、“真似をする”ということです。
 「歳時記をお手本として、それを真似て句を作れ」と教わってきた方が、かなりいらっしゃると思います。この長年の習慣が、類句を生み出す大きな原因の一つではないかと思います。

 俳句は自分自身のために詠むものです。俳句は自分ひとりのものであり、自分ひとりの努力によって生み出すものなのです。
 だから、類想・類句から脱出するためには、自分で、新しい自分を作ろうという覚悟が必要なのです。
 そのためには、まず、歳時記から離れることです。
 歳時記を読みあさり、その例句を下敷きにして句を作ってはいけません。なるべく多く自然と接することが大切です。
 自然は常に新鮮です。やわらかく、本当のものでもって、無言でわたしたちに教えてくれます。心を空しくして、自然を凝視するのです。自然の声が聞こえるまで、自然の命がつかまえられるまで……。
 そうすると、句ができなくなると思います。わたしがそうでした。それでも我慢してください。どんなに困って苦しくとも、その自然・風景から一歩も退かず、実景に即して詠むことが肝心です。


      春光の手を触れてよき彫刻展     季 己