壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

桜狩

2010年03月31日 23時04分19秒 | Weblog
        似合はしや豆の粉飯に桜狩     芭 蕉

 桜狩の際の、豆の粉飯(こめし)そのものに風趣を感じている、と言ったら言い過ぎだろうか。この不調和に見えるところに、俳諧的風情を感じとろうとしている。それが眼目なのである。
 元禄三年、伊賀上野での作という。

 「似合はしや」ということばはすでに、「似合はしや新年古き米五升」の例がある。
 「豆の粉飯」は、豆を挽いた黄粉(きなこ)をまぶした飯のことで、極めてひなびたものである。
 「桜狩」は花見のこと。これが季語で春。「桜狩」は、もちろん自分が花見に出かけるのだが、古典的和歌的な世界を発想の下敷きにする働きをしている。

    「桜狩というと、誰も酒や肴を用意して浮かれ立つところだが、自分は、豆の粉飯を
     持つだけである。これがかえって、風雅に身を置く自分にふさわしい感じがする」


      桜狩 杖より低き婆ふたり     季 己

古巣

2010年03月30日 23時30分26秒 | Weblog
          隣庵の僧宗波旅におもむかれけるを
        古巣ただあはれなるべき隣かな     桃 青(芭蕉)

 主が旅立っていなくなった隣家の様子を、鳥の巣立ったあとの空しさに比した発想であるが、その空虚な寂しい感じを予想することで、別れを惜しむ情をのべているのである。

 「宗波(そうは)」は禅宗(黄檗)の僧。江戸本所原庭定林寺の住職といわれる。例の『鹿島紀行』の旅に曾良とともに随行した人。『鹿島紀行』に、
        「一人は水雲の僧、僧は烏の如くなる墨の衣に三衣(さんえ)の袋を衿(えり)
         に打ちかけ、柱杖(ちゅうじょう)引きならして、無門の関もさはるものなく、
         天地(あめつち)に独歩して出でぬ」
 と書かれているのが宗波である。
 「古巣」は、鳥の巣立ったあとの古くなった巣のことで、ここは、宗波が旅に出て留守になったことを、鳥の巣立ったあとの古巣にたとえたもの。
 「隣」というのも宗波の庵と見てよいであろう。「古巣」も「隣」も、共に芭蕉の庵とみて、宗波の側からとる説や、一方を芭蕉の庵とみる説もあるが、一読して自然に解すれば、両方とも宗波の留守の庵のこととみるべきであろう。

 季語は「古巣」で、「鳥の巣」と同様に春。「古巣」そのものを詠んだのではなく、比喩的な使い方である。

    「隣の庵の主が旅立ってしまうと、その跡は、あたかも鳥の巣立ったあとの虚ろな古巣の
    感じと似て、ただただ心さびしいことになるだろう」


      解くや荷はガンダ彫刻 蝶の昼     季 己       

桜見せうぞ

2010年03月29日 21時26分18秒 | Weblog
          乾坤無住同行二人
        吉野にて桜見せうぞ檜笠     芭 蕉

 自分のかぶる檜笠の裏に記して、笠に呼びかける体に発想した風狂の作である。
 愛弟子(まなでし)の杜国(とこく)を連れての旅で、念願の吉野へ向かうのであるから、芭蕉の心は弾んでいる。このとき杜国も、
        吉野にて我も見せうぞ檜笠     杜 国
 と詠んで、芭蕉の心の弾みに和したのであった。
 『笈の小文』に、
    「弥生半ば過ぐるほど、そぞろに浮き立つ心の花の、我を導く枝折(しおり)となりて、
     吉野の花に思ひ立たんとするに、かの伊良湖崎にて契り置きし人の、伊勢にて出で迎ひ、
     ともに旅寝のあはれをも見、且つは我が為に童子となりて道の便りにもならんと、自から
     万菊丸と名をいふ。まことに童らしき名のさま、いと興有り。いでや門出の戯(たわぶ)れ
     事せんと、笠のうちに落書(らくしょ)す」
 として掲出。『蕉翁全伝』には、「吉野に立ちし朝、笠の書付」と前書きし、中七「花を見せうぞ」とする。これが初案らしい。貞享五年三月の作。

 「乾坤無住同行二人(けんこんむじゅうどうぎょうににん)」というのは、天地の間に流転して住(とど)まることなく、常に仏と共に二人相伴なう意。巡礼などの笠によく書きつけた文句である。これを転用して杜国(万菊丸)と自分を、同行二人と言ったのである。
 「桜見せうぞ」は、桜の花を見せようぞの意。
 季語は「桜」で春。

    「愛弟子の杜国とこれから、いよいよ旅立とうとしているが、あのみごとな吉野山の桜を、
     檜笠よ、お前にも見せてやろうぞ」


      伸行のショパンゆかしきリラの花     季 己

謡に似たる

2010年03月28日 22時23分41秒 | Weblog
          大和国草尾村にて
        花の陰謡に似たる旅寝かな     芭 蕉

 「花の陰」と身を置いた場所を示し、その気分が、謡曲の中にあるような趣であると、自ら興じたところが発想の眼目で、誦してみると、句調にもおのずから謡曲的な調子が感じられてくるところが妙である。
 前書きの「草尾村」は「平尾村」が正しい。季および制作場所から考えて、貞享5年『笈の小文』の旅の折の句であろう。
 平尾村は、奈良県吉野郡吉野町平尾。竜門の滝の南にあたる。謡曲「二人静」の舞台である菜摘(なつみ)川に近いところである。「二人静」に、
    「この山に、分け入り給ふ頃は春、所は三吉野の、花に宿かる下臥(したぶし)も、長閑
    (のどか)ならざる夜嵐に、寝もせぬ夢と花も散り……」
 などとある。したがって、この句も、その俤(おもかげ)を心にしたもので、そういう謡曲的な趣を「謡(うたい)に似たる」と言ったものであろう。
 また、『千載集』および謡曲「忠度(ただのり)」の
    行き暮れて 木の下陰を 宿とせば 
      花や今宵の あるじならまし (平忠度)
 あたりの気分も、芭蕉の心にあったものと思われる。

 季語は「花」で春。「花の陰」であることが、一つの謡曲的な旅寝の気分を誘い出したのである。

    「こうして花の陰に旅寝をしていると、謡曲の中の一人物になったような感じで、
     あこがれていた花の下臥の趣が感じられることだ」


      夕ざくらスカイツリーと水音と     季 己

雲の夢

2010年03月27日 23時12分30秒 | Weblog
          胡 蝶
        朝朝暮暮雲の夢みるや花の陰     惟 中

 『俳諧三部抄』(惟中編、延宝五年[1677]刊)所出。
 「朝朝暮暮」は、『文選』巻第十九に載る宋玉の「高唐賦」中の故事を踏まえたもの。楚の懐王が高唐に遊んだ時、疲れて昼寝をしたが、そのとき見た夢に一人の婦人が現れる。そこで王は、彼女を寵愛するが、去るにあたって婦人は、「妾(しょう)ハ巫山ノ陽(みなみ)、高丘ノ阻ニ在リ。旦(あした)ニハ朝雲ト為リ、暮(くれ)ニハ行雨ト為リ、朝朝暮暮、陽台ノ下(もと)ニアリ」と言ったという。したがって、「雲の夢」とは、男女の契りをさす。ここでは前書きに「胡蝶」とあるから、去っていった女蝶の夢を、男蝶が見ているのである。

 季語は「花」で春。漢詩文の知識を生かし、「高唐賦」を踏まえたところが作者の得意なところである。しかし、前書きがなければ一句の意味の不明なのが難点である。談林随一の論客、惟中らしい衒学的傾向の句。

    「花の陰で静かに羽根を休めている蝶は、朝も夕も、あの契りを結んだ女蝶のことを夢見ている」


      初ざくら婚ととのひし少女の眼     季 己

頑張らない

2010年03月26日 21時51分28秒 | Weblog
 ご心配をおかけしました。今日やっと、抗ガン剤投与OKがでました、5週間の間をおいて……。
 先週、異常に高かった肝機能の数値は、‘花びら茸(たけ)’粉末の服用をやめたせいか、正常値に戻りました。もちろん白血球その他も正常で、ゴーサインが出た次第。これも皆様の応援のおかげと、深く感謝申し上げます。ありがとうございました。これからも頑張らずに、一日、一日を大切に、いや、「今を大切に、楽しく、一所懸命」に過ごすつもりです。
 これまでずっと、子供たちに「楽しく、一所懸命」を説いてきましたが、今度は自分自身に言い聞かせております。ということは、これまでのことは、間違っていなかったということで、ホッとしているところです。

 人は、「頑張ります」・「頑張ってください」などと簡単に言います。「これ以上、何を頑張れというのだ」と、心の中で怒る人が大勢いるのも事実です。特に病をかかえた人の中には。
 頑張る人は、ものごとを先へ先へと考える人、とも言えます。先のことを思い煩っても、何もいいことはありません。
 癌(ガン)の場合、その進行の具合、副作用の種類や度合いは、個人個人みな違うのです。抗ガン剤投与もいつまで続くか、「神のみぞ知る」で、主治医にもこたえられないのです。「頑張れ、頑張れ」と言われても、何を頑張ればいいのでしょう。
 わたしの場合、ガンそのものは次第に小さくなっています。副作用は末梢神経障害です。具体的に言えば、手足のしびれです。冷気に触れると顔・手の指先・足の指先が、ビリビリときます。また鼻水がよく出てくれます。そして鼻血がにじむように、ときには鼻から垂れるように出ます。あと一つ、手足の指先の色素沈着です。指先が次第に紫色になってゆきます。
 末梢神経障害は、冷気に触れなければ出ないようなので、暖かくなるこれからは、心配することはないと思います。鼻水・鼻血も、投与を止めた5週目からは全く出なくなり、色素沈着も薄くなったような気がします。
 ただ今日また、抗ガン剤投与が出来ましたので、冷気に触れると顔と手がビリビリきます。鼻血はまだにじみ出ませんが、鼻水は時折ツーッと出てきます。
 こういう状態で、何を頑張ればいいのでしょうか。それよりも、楽しんでやれるものを一所懸命することのほうが、ずっと生き甲斐があるのではないでしょうか。
 人間は、「楽しい人生だった。ありがとう」と言って死ぬために生まれてきた、と思えばいいのです。肉体は滅びても、魂は永遠に不滅だと信じて……。
 「頑張ることの空しさ」というものもあることを、脳の引き出しの隅でいいですから、入れておいてほしいものです。


      花冷えの点滴ひとつづつ数へ     季 己

土産(つと)

2010年03月25日 22時41分42秒 | Weblog
          竜 門
        竜門の花や上戸の土産にせん     芭 蕉

 滝を養老伝説をふんだものとして、伝説では酒を土産にしたように、自分は花を土産にしよう、と解するのは、やや談林的に見過ぎた解であろう。
 滝に沿って桜の咲く美しさにひかれて、これは酒好きの友に見せたい眺めだ、この景を帰ってから語ってやりたい、と感じただけのこととみたほうが、穏やかではなかろうか。貞享五年の作。

 「竜門」は竜門の滝。奈良県吉野郡竜門村にあり、竜門岳を背にし、吉野川に面している。
 「上戸(じょうご)」は酒豪のこと。竜門の滝そのものは酒とは関係がないが、酒中の仙と自ら称した李白は滝を愛した人であったから、それを心にしての作であろう。
 「土産(つと)にせん」は、みやげ話にしようの意。折り取ってみやげとして持ち帰る意ともとれる。
 季語は「花」で春。

    「竜門の滝に来てみると、美しい滝を囲んで、桜の花が咲きほこっている。このような滝の
     ほとりの花は、滝を愛する上戸の友への土産話(みやげばなし)にして喜ばせたい」


      山彦よもどれ薄暮の花見山     季 己

2010年03月24日 22時29分24秒 | Weblog
        傘(からかさ)に押し分け見たる柳かな     芭 蕉

 刹那の軽い心の動きを把握した句である。傘に青柳の糸のふれる感触が、柔軟につかまれている。いわば気まぐれのどうということもない仕草を詠みとることも、「軽み」の一面であった。

 季語は「柳」で春。傘でおしわけてみるというところが、柳の実際をとらえている。

    「春雨の中に、大木の青柳が雫をこぼしつつ枝垂(しだ)れている。その風情にひかれて、
     おもわずちょっと、その柳を傘でおしわけてみたことだ」


      春雨のビルより冷えてハイヒール     季 己

畑打つ

2010年03月23日 22時48分51秒 | Weblog
        畑打つ音や嵐の桜麻     芭 蕉

 属目(しょくもく)吟、つまり、即興的に目にふれたものを詠んだものであろう。畑打つ音を耳にしつつ、芽生えて間もない桜麻に目をとめているのである。
 「音や嵐」と「荒し」という縁語的な発想が、曇りになっていることは否定しがたい。けれども、繊細な感受力が働いている点は、見落とされるべきではない。
 「畑打つ音や嵐の」が、「桜麻」を修飾するかたちになっているが、「や」・「の」の助詞の用い方も、なかなか微妙なものをもっている。
 元禄三年三月十一日上野市(現在の伊賀市)荒木の白髭社での作。

 「桜麻」は麻の名。この名は、桜の咲くころ種を蒔くからだとも、また、麻の花が桜に似ているからだともいわれている。その花をもって夏季に入れる。別に、桜麻とは麻の雄花のことだともいわれる。

 「畑打つ」が季語で春。ここでは「嵐」と見立てられ、縁語的に桜麻に結びつけられている。

    「畑打つ音がしきりにしている。あたりの畑には、桜麻の芽が生えそめているが、風に吹き
     なびくさまを見ていると、この畑打つ音が、花に吹く嵐とも聞きなされてくる」


      畑打つ人かがよへり遠筑波     季 己

桜の開花宣言

2010年03月22日 22時45分14秒 | Weblog
        顔に似ぬ発句も出でよ初桜     芭 蕉

 『蕉翁全伝』の伝えるところによると、『続猿蓑』撰集の際、「句の仕方、人の情」などについて、土芳と意見を交わした際に生まれた作という。
 さらに、『三冊子』によれば、「顔に似ぬ発句も出でよ」という五七がまず発想され、それを承けて座五にすわる季語として、「初桜」が「位よろし」として決定されたものという。この五七は、後に述べるように、白楽天を意識においたものであろうが、そのことを超えて、いわゆる呼びかけをふくんだあたりに、俳諧特有の心のはずみを生かそうとしたものであったと思う。
 「顔に似ぬ」も、ここにあるユーモアを感ずべきである。そうした五七の心のはなやぎに対して、「初の字の位よろし」ということがいわれているわけなのである。

 「顔に似ぬ……」は、白楽天の「巫女廟ノ花ハ紅ニシテ粉(ほほ)ニ似タリ 昭君村ノ柳ハ眉ヨリモ翠ナリ 誠ニ知ンヌ老イモテ去(い)ンデ風情ノ少キコトヲ 此ヲ見テハ争(いかで)カ一句ノ詩無カラム」(和漢朗詠集)を踏まえる。

 季語は「初桜」で春。その春はじめて咲く桜のことで、連歌以来の季語であるが、この句の「初」には、初めて咲く意のみでなく、初々しい感じをふくめて賞美の心がこもっている。
 ちなみに、今日22日、東京に桜の開花宣言が出た。昨年より一日遅く、平年より六日早いという。

    「初桜のういういしく咲き出でた、この景色に対していると、老いに向かっているこの
     人々の、その顔に似ない、若々しい発句もひとつ生まれてほしいものだ」


      父の顔はるかに遠し彼岸寺     季 己

天性のまこと

2010年03月21日 22時32分46秒 | Weblog
        草麦や雲雀があがるあれさがる     鬼 貫

 『仏兄七久留万(さとえななくるま)』(鬼貫編、享保十二年〈1727〉序)所出。
 「草麦(くさむぎ)」とは、出穂前の青々とした麦をいう。春の田園風景ののどかな感じがよく出ている。鬼貫の句は、即興性の句の多いことがひとつの特色となっているが、その場合、表現は多く口語調の形をとっている。
 鬼貫は、『仏兄七久留万』の自序で、
        乳ぶさ握るわらべの花に笑ミ、月にむかひて指さすこそ天性のまことにハあらめかし。
        いやしくも智恵といふ物いでてそのあしたをまち、その夕べをたのしとするより偽のは
        しとハなれるなるべし。
 と述べ、幼童純真の境に「天性のまこと」を認めている。
 同書によれば、この句は、鬼貫三十九歳ごろの作と推察されるから、晩年に唱えた童心主義は、このころ既に作品として具現化されていたと見てよいだろう。
 童心にかえって雲雀(ひばり)の動きにうち興じているこの句には、「句整(ととの)はずんば舌頭(ぜっとう)に千転せよ」(『去来抄』)と芭蕉が説くような、厳しい言語彫琢の跡は認められない。また、一句の誠を責め抜いた作品のみに感じ取れる、芸術的な香気も感じられない。
 だが、一句として成功しているのは、作者の無邪気な感動が、「雲雀があがるあれさがる」という一見、無造作に見えながら、じつは雲雀の習性を正確に捉えた表現で詠い出されているからであろう。

 季語は「雲雀」で春。

    「うららかに照っている春の日、あたり一面、青々と伸びている麦畑の中で、雲雀がさえ      
     ずりながら空高く舞い上がっていったかと思うと、もうせわしげに舞い降りている」


      松林図観てさへづりの中にをり     季 己

これも類か

2010年03月20日 22時37分19秒 | Weblog
          桜をばなど寝所にせぬぞ、
          花に寝ぬ春の鳥の心よ
        花に寝ぬこれも類か鼠の巣     芭 蕉

 ネズミが天井裏などで騒いでいたのであろう。春の夜、その巣を空にして騒ぎまわるネズミの姿から、ふと『源氏物語』の一節がおもしろく浮かんで、「花に寝ぬこれも類(たぐい)か」というつぶやきとなったものと思う。ネズミの上に『源氏物語』の世界が感じとられるところに俳諧がある。ひとり興じている姿であるが、興じつつ実は孤独な姿が感じとれる。

 「桜をばなど……」は、『源氏物語』若菜の巻上に、
          いかなれば 花に木づたふ 鶯の
            桜をわきて 塒(ねぐら)とはせぬ
        春の鳥の、桜ひとつにとまらぬ心よ、あやしと覚ゆることぞかし。
 と柏木が口ずさんだ、ということがあるのによったもの。「春の鳥の、桜ひとつにとまらぬ心よ」というのは、源氏(鶯)が女三の宮(桜)だけを、ひたすらに愛することをせず、紫の上のほうに通われることを言ったもの。
 「花に寝ぬこれも類か」は、「これも『花に寝ぬ』たぐひか」の倒置。

 季語は「花」で春。「花」そのものの趣に焦点を合わせたものではなく、古典を使った俳諧化の契機として用いられたもの。

    「おやおやネズミが巣を抜け出て、寝ようともせず浮かれ騒いでいるよ。『源氏物語』には、
     鶯があちこち木伝いして、桜ひとつに落ちつかないで移り歩いているとあるが、ネズミもそれ
     と同じたぐいなのであろうか、何ともおもしろいことだ」


      江戸彼岸 墓のひとつの樹木葬     季 己

永き日

2010年03月19日 20時54分56秒 | Weblog
          草庵を訪ひけるころ        
        永き日も囀り足らぬ雲雀かな     芭 蕉

 雲雀(ひばり)の囀(さえず)りつづける性格を生かして、いかにも永き日の感がとらえられている句である。

 「永き日も」は、永き日をも、の意。「永き日」は日永(ひなが)のことで、「永日(えいじつ)」ともいい、春の季語であるが、ここでは「雲雀」が季としてはたらいている。

    「春の日の遅々たる空に、雲雀の声が終日きこえている。この日永の一日をいくら囀っても
     囀り足りないように鳴いていることだ」


 春分から少しずつ日が伸び始める。日中ゆとりもでき、心持ちものびやかになる。だが、今日は魔の金曜日、いや、楽しい楽しい金曜日。抗ガン剤投与の日である。
 前回の三月五日は、風邪気味のため投与は中止。そして本日ということになったのだが、今回は血液検査の結果、またまた投与中止ということになった。肝機能のASTとALTの数値が異常に高いのだ。ASTの正常値は12~32なのであるが、それが114、ALTの正常値7~43に対して125もあるのだ。
 主治医の先生は、首をひねりながら、
 「この2週間の間に、風邪薬か何か飲みましたか」
 と尋ねる。
 「いいえ、先生が処方してくださった風邪薬以外は飲んでいません」
 と私。
 「おかしいなあ、クスリ以外に考えられないんだが……」
 「あのう、花びらたけがガンに効くというので、花びらたけの粉末を毎日スプーン1杯ほど飲みました」
 「ああ、それだ。漢方薬の中には、肝機能障害を起こすものがあるんです。申し訳ないが、飲むのをやめてもらえませんか。そうして一週間後にもう一度検査をしましょう」
 ということで、抗ガン剤投与は26日に延期になった。
 はたして、肝機能障害の原因は‘花びらたけ’なのだろうか? それが問題であるが、そんなことを思い煩ってもしようがない。一週間後には結論が出るはずなのだから。

      永き日を花の木の花咲きにけり     季 己

春もやや

2010年03月18日 22時54分28秒 | Weblog
        春もややけしきととのふ月と梅     芭 蕉

 画賛として発想された作と考えられるが、春のほのかな充実への推移が、たしかな観照の眼でとらえられている。冬の気分から、丹念に見据えられていた季節の呼吸が感じられ、悠揚せまらぬ位を備えて口調もまた優雅である。
 しかし、このたおやかな調子は、観照の裏づけを欠いた場合には、月並のゆるみへ転落する危険を蔵していることも否定できない。
 元禄六年一月中旬、許六亭における俳画の遊びの際の画賛であろう、といわれている。

 「やや」は、時間的推移をふくめて、ようようというほどの意に解したい。
 「けしきととのふ」とは、春らしい気色がととのってきた感じをいう。深い観照に裏づけられた把握である。
 「春」・「梅」ともに春季をあらわすが、「梅」がよくはたらいている。

    「冬の名残の著しかった春も、うるんだ月や咲き初めた梅によって、ようよう春らしい感じが
     ととのってきたことだ」


      おもひ出のやうに像あり花固し     季 己

まことの花見

2010年03月17日 23時12分08秒 | Weblog
          路通(ろつう)が陸奥(みちのく)におもむくに
        草枕まことの花見しても来よ     芭 蕉

 弟子の路通へのはなむけの句であるから、路通の人柄を一応心におく必要があろう。
 路通は、乞食の境涯から芭蕉に拾われて、風雅の道に入るようになった。しかし、性格がわがままでしまりがないため、容易に真の風雅を体得できなかったもののようである。そういう路通に対してはなむけした「まことの花見」は何を意味したか、なかなかおもしろいところだ。「しても来よ」の「も」は、含みのある言い方である。
 
 元禄三年四月十日付、此筋・千川宛書簡に、「路通、正月三日立ち別れ、其の後逢ひ申さず候。頃日(けいじつ)は用事之有り、江戸へ下り候よしにて、定めて追つ付け帰り申すべく候」とあるが、『勧進牒』などによれば、路通はそのまま陸奥に下った。前書きは後に付されたものであろう。

 路通は蕉門俳人。斎部(いんべ)氏(忌部とも、また八十村ともいう)、露通・呂通とも書く。漂泊の僧として乞食生活をしていたが、貞享二年ごろ芭蕉に入門、『おくのほそ道』の旅で、芭蕉を敦賀に迎え、以後数ヶ月その身辺にあって親炙に浴した。奇行多く驕慢心があり、しだいに人々の非難を浴び、ついには芭蕉の勘気をも蒙った。『俳諧勧進牒』・『芭蕉行状記』の編著がある。

 「草枕」は、旅または旅寝の意。草を束ねて枕としたことから、もと「旅」の枕詞。
 季語は「花見」で春。やや具象性を欠いた用い方で印象が薄いが、芭蕉の思想をうかがうたよりにはなる。現実体験としての花見ではなく、風雅を象徴する観念的な使い方。

   「遠い陸奥での労苦の多い旅寝の間に、真の花見をして、風雅のまことをぜひ体得して来なさい」


      花冷えのべっ甲眼鏡の男かな     季 己