壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

寒椿

2008年01月31日 21時45分00秒 | Weblog
 木偏に春、と書くように、椿は、春の代表的な花木である。所によっては、秋ごろから咲くものもある。とくに寒中に咲く早咲きのものがあり、これを寒椿という。冬椿または早咲きの椿とも呼ばれる。暖かい地方では、普通の品種でも開花が早いといわれる。
 学問上の「カンツバキ」は、小型の樹で、八重咲き。散るときにガクがいっしょに落ちて、枝先が裸になるそうだ。めったになく、私も実際に見たことはない。
 
 木偏に春は<つばき>、木偏に夏は<えのき>、木偏に秋は<ひさぎ>、木偏に冬は<ひいらぎ>…などと、頭の中で遊びながら、荒川自然公園を出る。
 日没までは十分、時間がある。

 日暮里富士見坂に着いたときには、かなりの人が集まっていた。やはりカメラを持った人が多い。ビデオカメラを担いでいるのは、TBSや荒川ケーブルテレビの人たちだ。
 西の空の雲が、切れるどころか、しだいに厚くなっていくように感じられる。
 4時55分、ついにダイヤモンド富士は現れなかった。北西の空は、夕焼け空なのに。

 帰りも歩くことにする。
 途中、水泳の北島選手の実家、北島肉店でメンチカツを買う。
 

      ぬけぬけと生きる身内(みぬち)の寒椿

ダイヤモンド富士

2008年01月30日 22時01分57秒 | Weblog
 JR「西日暮里駅」近くに、「関東の富士見百景」に選ばれている坂がある。日暮里富士見坂である。
 都心にある16の富士見坂のうち、唯一、この坂からだけが、富士山の姿を望むことが出来る。春から秋にかけては霞んでしまうが、秋から冬の、空気の澄んだ晴れた日は、美しい富士山の姿が見られる。
 1990年頃までは、富士山の左右の稜線まで、よく見えた。けれども、今では山頂の平らな部分と、その右稜線がわずかに見えるだけ。
 本郷通り沿いの、13階建・高層マンションのために、左稜線は、全く見えない。
 2004年に景観法が公布されたが、はたしていつまで、日暮里富士見坂から富士山を望めるのだろうか。
 日暮里富士見坂を、風景遺産として後世に伝えていくために、「富士見坂からの眺望が、区民、いや、国民共有の資産である」という、共通認識が必要であろう。
 <富士の見えぬ富士見坂>ばかりでは、それこそ“偽”である。都心に<富士の見える富士見坂>を、一つくらい残しても、いいのではなかろうか。

 さて、そんな日暮里富士見坂が、年に2回、人波で埋まることがある。ダイヤモンド富士だ。
 ダイヤモンド富士とは、富士山の頂に太陽が重なる現象をいう。
 富士山頂から太陽が昇る瞬間と、夕日が沈む瞬間に、まるでダイヤモンドが輝くような光景が見られることがある。この現象をダイヤモンド富士というのだ。
 富士山と、光輝く太陽とが織りなす光景は、まさに自然の芸術。
 富士山が、東か西の方向に見える場所で、気象条件がよければ、年に2回、ダイヤモンド富士を見ることができる。

 日暮里富士見坂では、1月30日前後と、11月11日前後に、ダイヤモンド富士が見られる。もちろん晴れていれば、だ。
 富士山をころがるように夕日が落ち、沈んだあとに浮かび上がる富士山のシルエット。この美しい光景が見られるチャンスは明日、31日(16:50~17:00)。
 夕方、晴れていたら、どうぞ日暮里富士見坂にお出かけを!


      寒雲の束の間ダイヤモンド富士     季 己

水鳥

2008年01月29日 21時09分48秒 | Weblog
 日本野鳥の会を退会してから、どのくらいになるだろうか。
 入会前は、雀と烏しか知らなかった、と言ったらウソになるが…。
 俳句を詠むうえでは、さほど必要性を感じないが、バードウオッチングにあこがれて入会したのだと思う。30年ほど前のことなので、記憶は定かでない。
 20年近く在籍したが、会長人事をめぐり、上部で内紛があり、そんな姿を見るのがイヤで、退会した。
 会の中でゴタゴタが起きると、いつも、さっさと逃げ出すのが私だ。流れに乗って、うまく振舞えばいいものを……。

 そんなことを思いながら、時折ぱらつく小雨の中、不忍池の遊歩道を歩く。
 不忍池は台東区の上野公園にある。そう、上野動物園のあるところだ。
 冬になると、北からの渡り鳥たちの越冬地として有名である。
 もともとは一つの大きな池であったが、今は弁天堂を中心に遊歩道で、三つに分けられている。
 三つのうち一番北の部分は、上野動物園の園内にあるので、今日はパス。
 二つ目は、ボート池の部分。貸しボート場になっているので、枯蓮がなく見通しがよい。野鳥の数は少なく、分散している。
 三つ目は蓮池。一面に蓮が生い茂るので、蓮池と呼ばれている。今はすっかり枯蓮状態だ。大部分の水鳥は、餌を待っているのか、周辺部に集まっている。

 俳句では、水に浮かぶ鳥をまとめて水鳥という。川や湖などで水鳥を見かけるのは冬が最も多いので、冬の季語とされた、という。
 かたまって浮くもの、一羽二羽と離れているもの、水中に潜るもの、飛び立つものなど、凍りつくような寒さの中、水の上にさまざまな姿を繰り広げる。
 浮寝鳥も冬の季語だが、これは、水に浮いたまま寝ているものをいう。

 ざっと見回したところ、オナガガモが最も多く、次いでキンクロハジロ、わずかにホシハジロもいる。
 カモは水鳥なので、一日中、水の中にいるのがふつうだ。たまに陸に上がることはあっても、人が近づけば警戒して、水に逃げる。
 けれども不忍池のカモは、人がいても逃げずに、堂々と歩道を闊歩し、人間に餌をねだる。これは、餌付けの影響だと言う。
 東京都では、<餌やりの自粛>を、看板やポスターなどで呼びかけているが……。


     水鳥の水にならむとゆらぎゐる     季 己

殿様ねぎ

2008年01月28日 21時08分42秒 | Weblog
 “日暮の里”は、かつて文人墨客のサロンであった。
 その一つ、西日暮里3丁目の養福寺へ行く。
 養福寺の見どころ№1は、宝永年間の建築と伝える仁王門であろう。
 裏側には四天王のうちの、広目天・多聞天の二像が安置されている。
 この仁王門は、『江戸名所図会』の「日暮里惣図」にも描かれている。

 文学碑では、「談林派歴代の句碑」、「自堕落先生の碑」、「柏木如亭の碑」が有名である。
 あまり知られていないが、珍しく貴重な石碑、「姸斎落歯塚」がある。(詳しくは、当ブログの12月の項をご覧願いたい)

 旧暦でいうと、今日は、12月21日。姸斎・津富の祥月命日である。つまり、落歯塚の主、姸斎・津富の210回目の祥月命日なのである。
 「姸斎落歯塚」の前で、般若心経、観音経、光明真言などを唱える。
 これが今日、養福寺を訪ねた理由だ。

 養福寺を出て、明日から三日間、ダイヤモンド富士が見られるという富士見坂を下り、武関竹篭店を覗く。
 谷中界隈を目的もなく歩き、そのまま徒歩で自宅まで帰る。いい散歩だった。

 郵便受にハガキが2枚入っていた。差出人は2枚とも、春日部のSさんだ。Sさんは画家である。
 なんで同時に2枚?
 裏返して、思わずニッコリ!
 縦に二枚ならべると、みずみずしく、うまそうな下仁田葱(ねぎ)になるのだ。
 表には、「寒~い毎日ですので、下仁田ネギであったか~くなって下さい」とメッセージが添えてある。
 下仁田葱は、群馬県下仁田町特産で、丈が短く、太い。生では辛味が強いが、煮るとやわらかくなり、まろやかな甘みがでる。鍋ものには欠かせない葱だ。
 
 葱には二つの系統がある。
 一つは、主に白い部分を食べる根深葱で、関東に多い。
 東京の千住葱、千葉の矢切葱、埼玉の深谷葱、群馬の下仁田葱などが知られている。
 もう一つは、緑の葉の先端部まで食べられるやわらかい葉葱で、京都の九条葱が有名。
 昔から、「関東は白、関西は緑」を食べる、といった食文化が出来上がっていた。
 近年は、人の移動や輸送方法の発達により、東西自慢の葱を、料理にあわせて使い分けるようになった。
 千住葱は古くから、根深葱の代表格であるが、味自慢のブランド葱の横綱格は、下仁田葱。徳川幕府に献上して、天下一とほめられ、“殿様ねぎ”とも言う。
 葱には、身体を温め、疲労回復する作用、ビタミンB1の吸収力を高める働きがある。
 

     絵手紙の葱あつたかくなりなされ     季 己

雪明り

2008年01月27日 23時33分56秒 | Weblog
 10メートルの氷柱をテレビで観た。すごい!の一言。
 雪国では、屋根や軒に積もった雪が、少し融け始めてきたり、雪下ろしをした残りが、一塊となっていたりすると、軒の方にしずり出てくる。
 そのうちにまた、強く凍てつく夜が続くと、雪の融けた雫がつぎつぎと凍っていって、長い氷柱となって軒下などに下がってくる。
 昼間は少し融け、夜に凍てつくと、氷柱はますます長くなる。
 一塊の雪から、十数本の氷柱が伸びるのは珍しくない。けれども、長さ10メートルの氷柱は珍しい。(影の声:珍しいから、テレビで放映するのだ)

 それにしても、この一週間は寒かった。
 ニュースは、雪、雪、雪、の雪景色のオンパレード。

 雪の句で有名なのは、
    是がまあつひの栖か雪五尺      一  茶
    いくたびも雪の深さを尋ねけり    正岡子規
    降る雪や明治は遠くなりにけり    中村草田男
 などであろうが、わたしは
    雪明り一切経を蔵したる       高野素十
 が、最も好きである。
 雪明り、というのは月もない夜、地に降り敷いた雪が唯一の明りであることをいう。
 一面雪に覆われた大寺院の境内が、ぼんやりと雪明りをただよわせ、その清澄な明りが、全宇宙の真理を説いた一切経を蔵している、という句意である。
 寺とか境内とか経蔵とか、それら決まりきったものを一切省略して、雪明りと一切経とだけを示している。これ以上省略のしようがないほど、省略の利いた句である。
 「俳句は省略」の、よい見本であり、素十の透徹した宇宙観、宗教観が感じられる。


      雪だるまこころおきなく月恋へり     季 己

寒復習(かんざらい)

2008年01月26日 23時45分04秒 | Weblog
 第4土曜日は、篠笛の稽古日。
 朝、練習をしてみたのだが、寒すぎるせいか、音にならない。
 わたしの部屋には、暖冷房の設備はない。ストーブも置かない。 

 部屋が暖まってきた、昼過ぎから再び練習を始める。
 篠笛は、ほんとうにデリケートで、厄介な楽器だ。微妙な差で、音が出たり出なかったり。
 稽古を積んで、自分自身で会得するしかないだろう。
 そう考えて、今日は音を出すことに集中する。美しい音を探りながら。
 30分以上たったころ、管尻から水滴がこぼれ落ちた。かまわず練習を続ける。
 畳が濡れている。ちょうど管尻の下のところだ。あわてて手ぬぐいで拭き、そのままそこへ手ぬぐいを置いておく。
 こんなことは、寒くなるまで考えられなかった。
 歌口から入ったあたたかい息が、寒気のために冷やされ、笛の中で水滴になるのであろう。ということは、息はかなり笛の中に入っているはず。

 気づいたら3時半。急いでカルチャーセンターに行く。
 やはり、顔と肩に力が入りすぎて、音が出ない。
 「うまくやってやろう」という、いやしい心根があるからに違いない。赤ん坊のような無邪気な心になれれば、緊張感がなくなることは、頭ではわかっているのだが……。
 それでも一つだけ、高音の“ラ”に、いい音が出せたのは収穫だった。
 こだわらず、とらわれず、地道に一歩一歩、進むしかないだろう。

 武道を習っている者が、寒の30日間、早朝や夜間に道場などで、稽古に励むことを寒稽古という。厳しい寒さの中でこそ、心・技・体が鍛えられるということであろう。
 篠笛などの芸事の場合は、“寒復習(かんざらい)”という。


      管尻の下に手ぬぐひ寒復習     季 己

逆遠近法

2008年01月25日 23時32分12秒 | Weblog
 あたたかいご飯に、寒卵を落として食べる。
 寒中に、鶏が産んだ卵を、寒卵という。寒中は鶏の産卵期にもあたり、栄養分が多い。
 朝の寒さの、張りつめたような空気の中で、卵を割ると、まろやかな黄身が、ポッと灯るように現れて、心が和らぐ。

 仏間から香煙が、かすかにただよってくる。
 毎朝の、祝詞と読経は、集中力のバロメーター。
 祝詞であれ、読経であれ、<心ここにあらず>であげると、必ず間違える。
 つとめて平常心であげるのだが、考え事をして、どこまであげたかわからなくなること、しばしば。もちろん、経本などは手にしているのだが……。
 
 夕方、富士山が見たくて、扇大橋へ行く。ここは、我が家から最も近い、富士山のビューポイント。ビルやマンションに邪魔されず、かなり裾まで、はっきり見える。
 残念ながら今は、ガスっていて見えないが、日が沈めば必ず見える、と確信して待つ。
 4時50分ごろ、シルエットの富士山が見えてきた。人間の存在がいかに小さいかを、思い知らせるように。
 北斎の『富嶽三十六景』に、シルエットの富士があったろうか。
 頭のファイルを探ってみたが、まったく思い出せない。
 すぐに覚えられるのだが、思い出す力が弱いのだ、昔から…。

 北斎はしばしば、逆遠近法で富士山を描く。
 眼で見たまま描けば、近くのものは大きく、遠くのものは小さくなるはず。それを逆に、つまり、遠くにあっても、大きく観じたものは大きく、近くにあっても、小さく観じたものは小さく描く手法を、逆遠近法という。
 これは『源氏物語絵巻』にも見られる古典的手法だが、自分の心がとらえた風景を表現する手法なのであろう。
 富士山の前では、さすがの北斎も、己の存在が米粒のような、頼りないものにしか感じられなかったに違いない。
 逆遠近法には、日本人の生命観、自然観、美意識などといったものが、凝縮されていると言われるが、全くその通りだと思う。


      仏壇の奥の金いろ寒卵     季 己

画家・翠川 真 

2008年01月24日 21時51分57秒 | Weblog
 体調が、ようやく戻ったようだ。
 「美術館・画廊めぐり」の虫が、騒ぎ始めている。
 急性腸炎のため、予定が狂ってしまった。ヨシ、今日は画廊宮坂だ。

 そう心に決めて、篠笛の練習をする。
 まず笛をあたためる。寒いと笛も音を出してくれないのだ。
 「赤とんぼ」、「竹田の子守唄」、「浜辺の歌」、「コンドルは飛んでゆく」と練習を進める。
 「コンドルは飛んでゆく」が、一番難しい。歌えないからであろう。なにしろこの曲は、路上パフォーマンスでしか聞いたことがないのだ。

 昼食後、銀座へ。9日ぶりだ。
 画廊宮坂で、「翠川 真」展を観る。
 入口のところから、全作品を見渡す。すがすがしい“気”が流れている。
 つぎに一点ずつ、じっくりと観させていただく。
 また、全体を見渡してから、気になる作品をもう一度観る。

 翠川 真さんは、1965年、長野県生れ、東京芸大大学院修了の若手画家で、デザイン会社の社長でもある。
 さて、肝心な作品であるが、簡単に言うと、金箔の上に押花をのせたもの、木の葉に金箔をのせ葉脈を浮立たせたもの、と二通りある。もちろん絵具も用いている。
 やがて朽ち果ててゆく花びらや葉に、永遠の命を与えているのだ、金箔を用いて。
 おそらく、“母なる自然”と一体化することを望んでいるのであろう。

 どの作品にもいえるのだが、観ているだけで、優雅でリッチな気分になる。
 アルコール過敏症の私は、コーヒーをいただきながらリッチな気分に浸れたが、ワインなら最高では?
 優雅な気分になれるのは、作品から音楽が聴こえてくるからではないか。最初は気づかなかったのだが、題名はすべて音楽用語。
 「プレリュード」「アリア」「メヌエット」「オラトリオ」「モデラート」「コラール」「トレモロ」「カンタービレ」「カデンツア」など…。

 技術的なことはわからないが、“大変な仕事”を、いとも簡単にやってのけた、と見えるところが実にすごい。金箔をこれほど自在に操るのは、至難の業だ。それを鑑賞者に強いないのも、潔く、気持ちがよい。これは作家の人間性であろう。

 翠川さんの“画道”も、片岡球子さんと同じく“我道”ではなかろうか。つまり、独自性があるということ。あとは完成度だけだ。
 道は見えているのだが、しっかりと定まってはいない、宇宙遊泳の状態と、ご本人は思っているかもしれない。
 自分の心持を託すのに最適な花を見つけ、世界中にもない、自分自身の花を咲かせるよう、更なる研鑽を積み、より完成度を高めて欲しい。

 かなりの作品が、売約済になっているのは、まことに喜ばしい。
 残っている作品で特に好きなのは、「アリア4」と「プレリュード6」。
 この2点は絶対のおすすめだ。持っていても、値上がりは望めないが、生涯、心豊かに、優雅でリッチな気分でいられることは請合う。
 また、懐が豊かな方には、「カデンツア」がおすすめ。

 26日(土)午後5時まで、開催中。
 詳しくは、画廊宮坂のホームページを、ご覧願いたい。


      絵のなかの葉っぱにひそむ春の歌     季 己       

観光ボランティアガイド

2008年01月23日 23時19分28秒 | Weblog
 目覚めると、部屋がしんしんと冷えている。いつにない静けさ。
 「雪だ」。昨夜、用意しておいた毛糸の帽子をかぶり、外へ出る。
 積もってはいないが、たしかに雪は降っている。
 期待したお地蔵さんの“綿帽子”は、もちろん見られない。

 午後、小雪の中、区の観光振興課へ出向き、「荒川区観光ボランティアガイド登録証」の交付を受ける。
 交付の日付は、今日、平成20年1月23日だ。
 ムム…、ということは、今までのプロフィールは偽り?
 でも、10回の講習と実地トレーニングを受け、12月19日に「修了証」をもらっているので、“偽”にはならないだろう。
 今日から晴れて、「荒川区観光ボランティアガイド」と名乗れるぞ。

 荒川区へお越しの節は、ぜひ、ボランティアガイドをご利用ください。
 原則、5名以上のグループからOK、もちろん無料です。
 お問合せは、荒川区産業経済部観光振興課  電話 03-3802-4689

 ご利用、お待ち申し上げます。心よりおもてなしいたします。


      降る雪の兆しは枕辺の帽子     季 己

面構

2008年01月22日 23時43分19秒 | Weblog
 日本画家の片岡球子さんが、103歳で亡くなった。
 2、3年前までは、院展の会場などで、車椅子に乗った片岡球子さんを、お見受けしたものだった。

 片岡さんは、小学校教諭、女子美大、愛知芸術大教授など、教育者でもあった。
ことに愛知芸術大では、長年にわたり主任教授として、後進の指導に当たられた。
 片岡さんの教育に対する情熱には、感服させられる。お住まいの藤沢から名古屋まで乗用車で通勤され、最後まで学生の教育に心から当たられた、と聞く。
 
 片岡さんの作品で最も好きなのは、昭和61年、第71回院展出品作、『面構(夢窓国師と天龍寺管長関牧翁大老師)』だ。
 初めてこの作品の前に立ったとき、しばらく動くことが出来なかった。そのうち画面の中から、何ともいえぬ“あたたかい気”が湧き出て、わたしの全身を優しく包み込んでくれた。

 「遅咲き…型破りの画風」と言われるように、肖像画の連作「面構」をライフワークと決めたのは、還暦を過ぎた頃だ。
 さまざまな資料を集め、厳密な人間考証をして、イメージを固め、大胆な色と形で描いた。そうして自己の芸境へのいっそうの沈潜が、「面構」を代表作にまで高めたのだ。

 日本画に限らず秀作の条件は、完成度と独自性という。
 若い頃の片岡さんは、その独自性が“ゲテモノ”扱いされ、“落選の神様”とまで言われた。
 血を吐くような辛酸と研鑽は、後に、雄渾にして装飾性をも備えた独自の人物画・「面構」、風景画・「富士山」に開花した。
 晩年の「めでたき富士」には、ひまわりと梅が共に咲き、なお燃えさかる生命力を宿していた。


      紅梅や己れ知りたる面構     季 己

散歩

2008年01月21日 22時41分54秒 | Weblog
 やはり降っていなかった。
 予報で、積雪3センチと言っていたので、植込みのお地蔵さんの頭に、綿帽子が載るのを、楽しみにしていたのに……。
 ただ、土産の水仙が、かすかにふるえているだけだった。
 雪が降らなかったのは、通勤、通学の人にとって、よかったのだ。

 どうやら腹のほうは、おさまったようだ。
 午後、4日ぶりに散歩に出る。
 ベルトの穴一つ、細くなったのは結構なのだが、歩き始めは、足がふらふらし、まるで宙を歩いているよう。
 いつもより自転車が、非常に怖く感じられる。

 N商店街を歩く。
 二軒並んで、シャッターに「テナント募集」の真新しい貼紙。
 『また一つ「テナント募集」春よ来い』という、俳句もどきが浮かぶ。
 いつの間にか、隣町まで来ている。

 歩くことは、考える時間でもある。
 歩きながら、俳句や、blogのネタを探し、文の構成を考える。調子がよければ、この段階で、文が完成することもある。

 親鸞も道元も、生涯で二千キロを歩いている、という。そして二人は、それぞれ『教行信証』、『正法眼蔵』を著している。
 歩くことで、何かが見え、また歩くことで、思索を深めたに違いない。

 奈良や京都に住み、毎日、散歩が出来たら最高だ。
 だが、東京の下町でも、意識を持って歩けば、何かしら効用はあるだろう。
 そう思って、これからも散歩を続けることにしよう。


        水仙のあさき夢見し海のいろ     季 己 

女正月

2008年01月20日 23時48分11秒 | Weblog
 下痢は止まり、いくらか食欲が出てきた。
 用心のため、外出は控え、家で冬篭り?をする。

 昼ごろは晴れていて、雪になるように思えなかったが、天気予報では、夜から雪だと言う。

 そういえば、昼から「全国男子駅伝」の中継を観たが、広島は、雨から霙に変わっていた。悪天候の中で頑張った選手の皆さんに、心の底から「お疲れ様」と、ねぎらいたい。
 東京の住人ではあるが、訳あって、福島と長野を応援した。
 その長野が優勝し、福島は、一区の高校生ランナーが大活躍。今日は、“女正月”ならぬ男正月の気分。

 “女正月”は、本来は“おんなしょうがつ”と読むが、今は“めしょうがつ”と読む句の方が多い。
 “女正月”は、文字通り、女性の正月で、1月15日のことであるが、地方によっては、1月20日とするところもある。

 夜、NHK「新日曜美術館」で、[名門貴族・近衛家の名宝]を観る。
 東京国立博物館・平成館で、2月24日まで開かれているので、観にいくつもりだが、今月中に行く気はない。
 「新日」で放映されると、オバ様がたのグループで混雑し、そのうえ、嫁や近所の悪口を聞かされるから。

 つづけて「N響アワー」で、ベートーベンの第八番、他を堪能する。
 こんなに、テレビを見たのは、正月の「箱根駅伝」以来だ。 
 
 いま窓を開け、確かめてみたが、雪はまだ、降ってこない。


     晴れてゐて夜は雪といふ女正月     季 己

俳句の世界

2008年01月19日 23時31分57秒 | Weblog
 今日も絶不調。昨日と同様、何もする気が起きない。
 雪の中での「センター試験」の様子を、テレビニュースで見る。
 夕方、受験生のことを思い、気を取り直し、外へ出て、天を見上げる。
 俳句をやっていなければ、こんな絶不調のとき、天を見上げることなどしなかったろう…。

 ふだん我々は、目に見えるものしか見ていない。これは、人間が天を見上げることをしなくなったからだ、という。
 俳句をはじめると、今まで漠然と見ていた自然ではなく、山川草木に至るまで、我々に微笑みかけ、語りかけてくる不思議な経験をする。この経験が持続することが、俳句を詠むには大切なのだと思う。
 俳句の世界では、一木一草といえども生きている。ただ生物として生きているというのではなく、我々に語りかけてくる存在なのだ。
 俳句の世界というものは、天地宇宙、森羅万象との生きた「対話の世界」であると思う。


     忘れゐし天見上ぐれば寒茜     季 己

急性腸炎

2008年01月18日 23時49分27秒 | Weblog
 急性腸炎が、はやっているという。
 この冬一番の寒さという今日、わたしも流行に乗ってしまった。

 今朝6時過ぎ、便意をもよおし、トイレに駆け込んだ。下痢だ。
 食欲は全くなく、4時間に6回、トイレに通う。まるで大腸検査の下剤を飲んだように、茶色の水だ。
 こんなことはなかったので、近くのかかりつけのクリニックへ行く。
 いま、ちょうど3人目の内視鏡検査が終わったところ、ということですぐに診察してくれた。問診、触診の結果、細菌による急性腸炎と思うが、レントゲンを撮ってみましょう、と言う。
 結果は、その通りで、脱水症状まで起こしていた。
 休養室で点滴をしてもらい、1時間ほど、うとうとした。先に内視鏡検査を受けた患者が2名、休養していた。

 ここのT先生は、物腰が柔らかく、懇切丁寧に説明してくれ、こちらの質問にも面倒がらずに答えてくれる。まことに有難い先生だ。

 処方箋を持っていき、薬局で三日分の薬を受け取る。
 ここの薬剤師さんも、非常に親切だ。「わたしも暮れに、急性腸炎になり、下痢のほかに嘔吐があったので、大変でした。苦しみは、よくわかります」とも言ってくれた。
 こう、優しく言われると、よけい美人に見えてくる。

 帰宅後、2階の自室に戻らず、トイレに近い部屋で、コタツにもぐりこむ。
 食べる意欲がわかないので絶食し、コタツとトイレの往復を20回以上して一日を終わる。

 このような訳で、俳句も詠めず、旧作も旧作、20数年前の句を最後に記す。
 これは8時間に及ぶ手術の、数日前に詠んだもので、原句は、「手術ためらふ心責むかに寒の星」であったものを、岡本眸先生が添削してくださったものである。
 この、眸先生の添削により、<俳句は愛>であることを、強く教えられた。今でも感謝している。


      手術ためらふ心励ます冬銀河     ひでき

夜スペシャル

2008年01月17日 21時56分07秒 | Weblog
 杉並区立和田中学校(藤原和博校長)が計画する塾講師による有料の夜間授業「夜スペシャル」について、都教育委員会が同区教委に対し、「生徒が教員より塾講師を信頼するようになったら、公教育が破壊されるのでは」など、5項目の追加質問をしていたことが、明らかになった。
 両教委によると、このほかに回答を求めているのは、「帰宅時の安全確保や不祥事が起きた時の責任の所在」「講師と生徒がメール交換など、私的な関係に発展しないよう、誰が管理・監督するのか」「講師の経歴を誰が確認するのか」。
 今月10日、都教委がメールで質問したという。都教委は「想定される懸念や問題について、事前に整理してもらうために追加で質問した」と説明している。


 以上は、<「教員より講師信頼」懸念>と題した、読売新聞、今日の朝刊の記事である。これを読み、みなさんは、どのようにお思いだろうか。

 あきれて物が言えない、とはこのことではなかろうか。
 “教員より塾講師信頼”の懸念があるなら、教員が信頼されるよう、対策を練り、教員を指導するのが、教委の役目の一つであろう。それをせず、“臭い物に蓋をする”ように、夜スペシャルを潰そうというのは、職務怠慢も甚だしい。

 塾講師が、教員より信頼されるのは、当たり前だ。実績、つまり、生徒の成績を上げなければ、塾講師は、飯が食えなくなるのだ。そのために、大変な努力、自己研鑽をするのである。
 わたしも長年、塾講師もしてきたが、常に“生徒の20倍以上の力”を維持できるよう、研鑽を積んできた。

 ダメな教師には、塾講師の授業を参観させ、教え方など学ばせるぐらいの指導は出来ないものなのか。
 言い訳をせず、塾講師に負けない立派な教師になれるよう、教育委員会は、しっかり責任を果たして欲しい。「ダメ教委だから、ダメ教師を採用した」などと言われぬように……。


       塾の子がコロッケ食べて夕おぼろ     季 己