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壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

画に鳴け

2011年05月16日 21時19分43秒 | Weblog
          紫野に遊びて、ひよ鳥の妙手を思ふ
        時鳥画に鳴けひがし四郎次郎     蕪 村

 前書の「紫野」は、京都・大徳寺のこと。
 「ひよ鳥の妙手を思ふ」は、ヒヨドリの鳴き声を巧みに真似る者のいたことを思い出したとの意にも、花鳥画のひよどりを描く名手であった狩野元信を思い出したとの意にもとれる。
 しかし、句中では、ひよどりではなく正面から時鳥に呼びかけているところからすれば、紫野の大徳寺で、元信の時鳥の襖絵(ふすまえ)でも見て、同時にヒヨドリの声をさながらに生かしてみせる者のあったことをあわせて思い起こしたのであろう。
 「四郎次郎」は、元信の俗名。

 「四郎次郎」を、東の空が「白じろ」と明けかかることに掛けて洒落ているのである。機知から生まれた句であるが、このような材料によって、時鳥の「気勢」を作品中に具現しようとしたもくろみは、一応遂げられている。
 名画の霊気凝って時鳥となり暁天に鳴く――という想念が、「第二の現実」として、かなりの美しさと真実さとを与えている。

 季語は「時鳥(ほととぎす)」で夏。

    「霊妙の技に接すると、あっぱれ夜が明ける思いがする。時鳥よ、汝は
     たとえ画中のものであろうとも、汝を描いたのは天下の狩野元信四郎
     次郎だ。東の空が白じろと明けかかるとき、画中に生を得て、せめて
     一声だけでも鳴いておくれ」


      ほととぎす花びら茸をすすめられ     季 己

「俳句は心敬」 (84)親句と疎句⑤

2011年05月15日 22時26分55秒 | Weblog
 心敬は、疎句を重んじています。しかし、それにかかわらず、心を無にして、いや、無にしているということさえ意識せずに詠んだのです。いや「詠む」というより、「つぶやき」といった方が正しいと思います……

 あけ烏師は、「俳句は作るものじゃないんだなあ、唱(とな)うもの、つぶやきなんだよ」と、よくおっしゃっていました。この段も、あけ烏師に「俳句は心敬」と言わせる、重要な段ではないかと思います。
 俳句においては、親句は「一物仕立て」の句、疎句は「取合わせ」の句と言えましょう。

        しろがねの日の渡りゐる枯野かな     あけ烏
        三椏の枝をころがる霰かな          〃
        春の海透けて水深二尺ほど         〃
        菜の花の行方に鳥居見えにけり       〃


 以上の四句は、一句の内容が誰にでもすぐにわかります。そして散文に近い形をしていますので親句です。これに対して、

        一生は束の間野蒜摘みにけり     あけ烏
        炉塞ぎや雀にもある風切り羽      〃
        きちきちの飛びぬ鉄道記念の日    〃
        さうか三島忌か千枚漬の石       〃


 この四句は、一句の内容がすぐにはわかりません。そして、二つのものを取り合わせていますが、二つのものの関係がすぐにはわかりません。もちろん、ベテランの方にはおわかりでしょうが。したがって、この四句は疎句です。

 俳句の詠み方は、「一物仕立て」と「取合わせ」の二つしかありません。
 「一物仕立て」は、散文に近いので、初心者にとっては詠みやすいのですが、ほとんどが報告や説明になりがちです。
 また、そのものの本質、命をつかみ取らなければならないので、この点を考えると、非常に詠みにくく、類句・類想におちいりやすいことを心してください。
 「取合わせ」の句は、何と何を取り合わせるか、その取り合わせ方は無数で、その二つのものの関係が疎であるほど、深い味わいのある句が詠めます。けれども、失敗すると、訳のわからぬとんでもない句になってしまいます。
 いずれにしても、俳人である以上は、「一物仕立て」の句も「取合わせ」の句も、徹底的に学び、何の意識することなく、無心で詠めるよう、いや、「つぶやき」が出るよう、お互い精進したいものです。


      かたつむり三尺ほどの高みより     季 己

「俳句は心敬」 (83)親句と疎句④

2011年05月14日 20時08分17秒 | Weblog
 ――親句と疎句①②の段では、主として親句と疎句の実例を示したにすぎないので、③の段で、さらに詳しく説明しているのです。
 この段においても、心敬の重んじているのは疎句の方です。
 これを、教に対する禅、不了義経(方便のために教えを説いた経典)に対する了義経(真実究極の道理をそのまま説いた経典)に比したのも、疎句における前句と付句が、現象的なものでかかり合っているのではなく、微妙深甚な観念または情緒のうえで、かかり合っているのを指しているのです。
 また、「疎句の歌境を目指して修業しなくては、どうして歌道の奥義をきわめることができようか」とは、そうした仏道における大悟の境地にも比すべき疎句の歌を目標にして修業を重ねてこそ、はじめて歌道の奥義を体得できる、というのです。
 しかし、いったん疎句の歌の深甚な境地を体得できたなら、そこにばかり止まっていてはならない。なぜなら、親句は、疎句の精神が形をとって現れたものに他ならないので、親句といえどもおろそかにはできないからです。
 結局、親句あるいは疎句の一方の境地にだけとどまらず、臨機応変、融通無碍であるのが真の歌人だというのです。
 疎句の重んずべき所以を説く一方、それにのみ固執することの誤りをも指摘しているのです。

 心敬の思想と芸術を理解するには、格好の段ですが、仏教用語のオンパレードで、非常にわかりにくいと思います。
 この段の結論を簡単に言えば、「心敬の文芸理念の基盤にある仏教思想の中枢は、大乗仏教の根本である空の理念である」ということなのです。

 心敬は、疎句を重んじました。それは、疎句の連歌が、色や形にとらわれない真理そのものであるからです。
 そして、疎句の応用、つまり、色や形をまとったわかりやすい表現形態として、親句を位置づけたのです。
 色や形をまとった表現、わかりやすい表現である親句は、理解しやすいけれども意義が十分に説き示されていません。
 色や形を持たない表現、深奥な部分で響き合っている疎句は、理解しにくいけれども、意義が完全に解明されたものなのです。

 つぎに「大悟」ですが、これは菩薩の悟りのことです。
 菩薩の悟りを目指して修行しなければ、生死を離れることはできないということです。
 しかし、「一切空と観ずる悟りをひらいた」だけでは不十分だと、心敬は言うのです。それは「空」ということにとらわれているからです。

 立原道造の詩に、『のちのおもひに』というのがあります。

        夢はいつもかへつていつた 山の麓のさびしい村に
        水引草に風が立ち
        草ひばりのうたひやまない 
        しづまりかへつた午さがりの林道を

        うららかに青い空には陽がてり 火山は眠ってゐた
        ――そして私は
        見て来たものを 島々を 波を 岬を 日光月光を
        だれもきいてゐないと知りながら 語りつづけた……

        夢は そのさきには もうゆかない
        なにもかも 忘れ果てようとおもひ
        忘れつくしたことさへ 忘れてしまつたときには

        夢は 真冬の追憶のうちに凍るであらう
        そして それは戸をあけて 寂寥のなかに
        星くづにてらされた道を過ぎ去るであらう
                       (立原道造 『萱草に寄す』)

 詩中の、「忘れつくしたことさへ わすれてしまつたとき」が、「大悟」に当たると思います。つまり、無心、無我、無意識の状態をいうのです。 


      白牡丹くづるる怒つたらあかん     季 己

「俳句は心敬」 (82)親句と疎句③

2011年05月13日 22時33分11秒 | Weblog
        ――仏法でいえば、親句は聖人の教え、疎句は心から心へ伝える
         禅である。
          親句は、煩悩愛着を起こさせる現象世界、疎句は、現象世界
         を超絶した絶対空、真理である。
          親句は、方便のための教えを説いた経典、疎句は、真実究極
         の道理をそのまま説いた経典。
          仏道における大悟の境地にも比すべき疎句の歌境を目指して
         修業しなくては、どうして歌道の奥義を極めることができようか。

          仏法には、一切空と観ずる悟りをひらいた者の心をも、なお
         空の理にとらわれているといって非難する。しかし、天台の一
         切空と観ずる真理と相互に一体化する仏の教えでは、輪廻する
         迷いの十界も、凡夫と聖者の区別も、結局は同じ融通する一如
         の実相である。
          法華経にも、一切の真理は絶対空無を基にしているとある。
          仏陀の五十年間にわたる説法も、そのうち三十年間は、万有
         一切が空であることを説いている。

          そうではあるが、学び初めの時は、浅いところから次第に奥
         深いところに入り、一度奥義に到達したなら、今度は深いとこ
         ろから浅いところに出てくる。これが諸道の肝要な点である。

          あらゆる事象・現象は、原因は結果を生み、その結果は次の
         原因となっていく。
          有相に当たる親句の歌道にしても、無相である真如法身、つ
         まり疎句の歌の応用化現(けげん)したものである。いずれに
         しても、あだおろそかに考えてはならない。

          泥や木で作った仏像は、すぐれた仏の知恵から生まれ、紙に
         墨で書かれた経巻は、一切真理の法界から流れ出たものである。
          仏が衆生を救済しようと、この世に出現された最も大切な因
         縁は、自分だけの救済得悟を目的とした小乗から発している。
          しかし、執着愛憎の虚妄の法で人を教え導くことは、三千世
         界の無数の人の目を抜いて愚鈍にするよりも罪科がある、と説
         いている。 (『ささめごと』親句・疎句)


      忍辱といふ鬼の像 聖五月     季 己

「俳句は心敬」 (81)親句と疎句②

2011年05月12日 20時08分25秒 | Weblog
            同じく疎句体の和歌
          鷺のゐる池の汀の松古りて 都のほかの心地こそすれ
          (鷺がじっと立っている汀の松も古木となって、都を遠く離れた
           ところにいるような心地がする)
          かすみたつ峰の桜の朝ぼらけ くれなゐくくる天の川浪
          (霞の立ちのぼる峰の桜咲く朝ぼらけの風景は、真紅の絞り染め
           の中を流れる天の川の波のようだ)
          思ふことなどとふ人のなかるらん 仰げば空に月ぞさやけき
          (悩み苦しむ自分を訪ね慰めてくれる人は、どうしていないのだ
           ろうか。振り仰ぐと大空には澄みきった月が、さやさやと輝い
           ている)
          真菰かるみ津の御牧の夕間暮れ ねぬにめざますほととぎす哉
          (み津の御牧の夕暮れ時、啼いて血を吐くといわれる時鳥の声を
           聞くと、はっと眼が覚めるような衝撃を受ける)
          桐の葉もふみ分けがたくなりにけり 必ず人を待つとなけれど
          (散り積もる桐の落葉で、すっかり通い路もなくなってしまった
           ことだ。必ずしも訪ねてくる人を待っているわけではないのだが)
          椎の葉のうら吹きかへす木枯に 夕月夜見る有明のころ
          (夜明けごろ、椎の葉の白い裏葉を木枯が吹き返してゆくさまに、
           ふっと夕月夜の淡い夕べを感じることだ)
            だいたい、これらの風姿が、疎句の歌であると言えようか。
                              (『ささめごと』親句、疎句)


 ――和歌の上の句と下の句の続き具合の密接なものを親句、上の句と下の句が一見それぞれ別のことを表現していながら、内面において深く連関しているものを疎句といいます。
 つまり親句は、上の句とのつながりが言葉の取合わせや、景物の具体的な関連などに明らかに見て取れるものをいいます。

 和歌における上の句と下の句の関係は、あくまで一首のうちの部分を出ないので、場合によっては、上の句と下の句の区別がなくても差しつかえありません。したがって、調べも上の句から下の句にかけて、一気にうねってゆく方が大きな感動の動きを表現できることも多いのです。
 けれども、連歌の場合は、前句と付句はそれぞれ別個に独立したものであり、各々が深く相連関しなければならないので、疎句体である方が面白い上、また困難でもあります。

 疎句は、前句とのつながりが一見明らかでなく、具体的な関係が見えないのですが、実は内奥にある情趣において深く呼応するものをいいます。
 心敬は、親句よりも疎句を重んじています。
 取合わせの妙や、機知に富んだ技法の面白さよりも、明瞭な表現を用いずに、面影や余情を浮かびあがらせる手法を好みました。真にすぐれた歌人だけが理解する、幽遠の句を理想としていたからです。
 とは言っても、心敬は必ずしも疎句を固守したわけではありません。親句にも疎句にもとらわれず、一巻の連歌に変化あらしめようとした自由な広い全体的な見地に立っていたのです。

 さて、親句、疎句を俳句の世界で言うと、何に当たるでしょうか。
 親句が、上五から結句にかけて一気にうねってゆく「一物仕立ての句」、疎句が、内奥で深く連関している「取合わせの句」と言えると思います。
 大まかに言えば、俳句の作り方は、「一物仕立て」と「取合わせ」の二つしかありません。


      パソコンの昼の灯くらし走り梅雨     季 己

「俳句は心敬」 (80)親句と疎句①

2011年05月11日 20時36分00秒 | Weblog
        ――和歌の世界には、親句と疎句ということがあり、さまざまに
         取りざたされております。連歌の世界では、あり得ないことな
         のでしょうか。

        ――昔の人は、こうおっしゃっている。
          まことにこの親句と疎句の区別がはっきりつかないようでは、
         もろもろの句の付け様は理解できないだろう。
          和歌には、一首のうちの上の句と下の句との親句、疎句のこ
         とが、もっぱら説かれている。序詞や枕詞を長々と置き、下の
         句でその理由や意味を言い表している歌は、上の句は疎句、
         下の句は親句である。
          また、各一首ずつに関しても親句、疎句の歌があるという。
          上の句と下の句のつながりが緊密で理解しやすく、すべてを
         言い尽くしているのは親句の歌である。また、上の句と下の句
         との意味情趣だけが通じ合っていれば、別の変わった事象を、
         各々が自分の思うとおりにつなぎ合わせたものでも、それは疎
         句の歌であるという。

          定家卿は、「秀歌は疎句の歌に多く、親句の歌には稀にしか
         ない」とおっしゃった。
          連歌にも、親句と疎句の付け方は必ずあるという。この覚悟
         や修業が最も大事である。

              疎句の連歌は、大略、
             かへしたる田を又かへすなり
             (一度耕した田を、また鋤返しているよ)
            あし引きの山をふす猪の夜出でて
            (山に寝ていた猪が、夜になって起き出してきて)
             はじめも果ても知らぬ世の中
             (その初めも終わりもどうなっているか分からない
              世の中である)
            朝夕に寄せてかへれる沖つ浪
            (朝から晩まで、休みなく寄せては返す沖の白波)
             これや伏屋におふるははき木
             (これがみすぼらしい家に生えるという帚木なのか)
            いなづまの光に見ゆる松の色
            (稲妻の瞬間の光に、ちらっと見える松の緑の美しさ)

          前句の持つ風姿や表現修辞を無視して、もっぱら意味合いや
         情趣だけで継ぎ合わせた、こうした有名な句は多数ある。
                                    (つづく)


      竹皮を脱いではつかに癌小さく     季 己
            

選者を恨む

2011年05月10日 22時41分05秒 | Weblog
        行春や選者を恨む歌の主     蕪 村

 平忠度(ただのり)が、一門の都落ちに従う途中から、わざわざ引き返してまで俊成に依頼した自分の歌が、『千載集』に「詠み人知らず」として載せられたのを恨んだ、という故事がある。
 また、公任卿の家の歌会で、長能(ながよし)の作品が公任に咎められ、これを苦にして長能は翌年、病没した、という故事もある。 
 しかし、この句の主人公を忠度あるいは長能と限定する必要はない。

 作者が選者を恨むということは、一種の逆恨みであるが、そういう架空の人物の姿を描いて、過ぎ行く春に対する「恨」と言ってもいいような、理由のたたない「侘びの情」を具体化して見せたものと思う。この具体化する、ということが俳句では大切で、しっかり見習いたい。

 余談になるが、選者を恨む前に、選者のことをしっかり調べなさい、と言いたい。これは俳句大会に限らず、絵画の公募展などにも言えることである。
 賞をねらいたいなら、まず選者に合わせることが重要である。選者の力量を越えた作品は、選者には当然、選ぶ力はないのだから。
 だが、これは空しいことで、やはり自分が敬愛する作家が選者である大会なり公募展に、自分の渾身の作を出すのが正道であろう。

    「春も過ぎ去ってゆこうとしている。もう今さら恨んでも仕方がないのに、
     ある人が、自分のあれほど素晴らしい作品が、選にもれたと言って、
     歌の選者を悪し様に言ったりしている」


      韓服の裾ゆれ初夏の三河島     季 己

めがね

2011年05月09日 20時43分12秒 | Weblog
        ゆく春や眼にあはぬめがねうしなひぬ     蕪 村

 「ゆく春」といえば、
        ゆく春やおもたき琵琶の抱ごころ
 の方が有名である。
 が、掲句は、身辺あるいは眼前に久しく存在していたものが、どこかへ姿を消してしまうことに、蕪村は、春が過ぎ去ってしまうはかなさの情を託しているのである。
 また、蕪村の連句の中にも、
        合はぬ眼鏡のおろか也けり
 の句があって、それほど愛着を感じていた品物ではないが、長く所持してきたために、いま紛失したとなると、それ相応の物足らなさを感じる。
 それを、春の行くことを軽くあきらめつつもあきらめきれない気持に通わしたのであろう。
 ただ、なぜこれが「眼にあはぬめがね」でなければならないかは、厳密には論理を超越している。これもまた、直観を主とする「意味のない意味」に属する。いかにも蕪村は「近代の詩人」であることを、思わずにはいられない句の一つである。

 季語は「ゆく春」で春。

    「もう春が過ぎ去ろうとする頃、ふと眼鏡がなくなってしまったことに気が
     ついた。度の合わない眼鏡だったので、それほど惜しいわけではない
     はずなのだが、やはりなんだかはかないような気持がした」


      ゆく春の彩をかさねて千羽鶴     季 己

茶も

2011年05月08日 22時30分00秒 | Weblog
        一とせの茶も摘みにけり父と母     蕪 村

 「茶も」の「も」を見過ごしてはならない。この一字によって、諸事万端、自給自足の生活であることが示されている。
 摘んだものが「茶」であることと、父と母とが二人だけで摘んだということによって、いわゆる富まずといえども貧しからざる、調和のとれた老後の生活ぶりが偲ばれる。
 子供たちは皆、巣立ちしているのであるが、それらの者がこの家を訪れたり、または心をこめた贈り物をすれば、この安定した生活の上へそれだけの賑わいを添えることさえ想像される。
 下五を「父と母」という言葉で切っているところに、安定と余情がある。蕪村の人柄の円満温雅な側面をあわせて偲ばしめるものがある。

 季語は「茶摘み」で春。

    「今は二人だけでつましく平和に暮らしている父と母である。二人が
     一年間に飲むお茶といったところでたいした分量ではない。それは、
     裏の畑かなにか、一並び植えてある茶の葉を摘めば十分ことたる
     のである。今年も父と母とは、もう手回しよく自分らでそれを摘んで
     整えてしまった」


      五月晴 女優が呼べば鯉さはぐ     季 己

松風の落葉か

2011年05月07日 23時17分14秒 | Weblog
        松風の落葉か水の音涼し     芭 蕉

 水の音の涼しさによって、松の落葉を感じているのである。
 「か」は疑うこころであるが、耳を傾けて松落葉の音と聞きなされる水音の涼しさを感じとっている趣である。
 「か」の「涼し」にひびいてゆくはたらきが大切で、ここをしっかり学びたい。
 『蕉翁句集』に貞享元年(1684)とする。

 季語は「涼し」で夏。ごく素直に「涼し」が生かされている。「松落葉」も夏の季語であるが、「涼し」がはたらく。

    「松風にはらはらとこぼれる松落葉の音か――ふと、そう聞きまごうばかりに
     水音が涼しくひびいてくることだ」


      夏に入るコップに透いてパンダの絵     季 己

時鳥

2011年05月06日 22時37分17秒 | Weblog
        時鳥むつきは梅の花さけり     芭 蕉

 『赤冊子』に、
      「此の句は、ほととぎすの初夏に、正月(むつき)に梅の花咲けることを
       いひはなして、卯月なるが、ほととぎすの声はと、願ふ心をあましたる
       一体なり」
 といっているように、中七以下は、梅を例に引いて、時鳥(ほととぎす)に鳴くことをうながしている趣である。
 一読、句意をつかめぬわかりにくさと、理屈ばったところが難である。けれども、これは談林から一歩踏み出そうとした『虚栗』時代の作品が、新しいものを生み出すための一過程として負わねばならなかったものであろう。
 『虚栗』夏の部の冒頭に掲出。天和三年(1683)以前の作。

 季語は「時鳥」で夏。「時鳥」は、『花火草』・『毛吹草』以下、歳時記ではすべて四月(卯月)とする。

    「ほととぎすよ、もう鳴くべきはずの卯月になったのに、鳴かないのはどうした
     わけなのかい。今年の春には、正月だというのに、いち早くもう梅があんなに
     かぐわしく咲いていたのだから、すでに夏(卯月)になったからには、早くその
     初音を聞かせておくれ」


      夏立てり指より覚むる思惟仏     季 己

        ※(思惟仏):(シユイブツ)

鳴く鳴く飛ぶ

2011年05月05日 20時02分37秒 | Weblog
        ほととぎす鳴く鳴く飛ぶぞいそがはし     芭 蕉

 『続虚栗』に「ほととぎす鳴き鳴き飛ぶぞいそがはし」とあり、中七に異同がある。
 「鳴き鳴き」よりは、「鳴く鳴く」の方がずっとよい。
 「鳴き鳴き」では、のべつに鳴いているような、俗な感じになってしまう。
 けれども、「鳴く鳴く」という中古の語法であると、鋭さもあり、一度飛び去ってから再び激しく鳴く感じも、なかなかよく出てくる。ほととぎすをあわれむ心も出る。

 季語は「ほととぎす」で夏。ほととぎすの鳴きながら飛ぶせわしさがつかまれているが、写生的ではない。

    「時鳥(ほととぎす)が鋭い声で鳴く。声が聞こえたので急いで仰ぐと、もう
     飛び過ぎている。そして飛びながらまた鳴く。その感じがまことにいそが
     わしいことだ」


      風の子の人語たのもし柏餅     季 己

「俳句は心敬」 (79)付句の呼吸③

2011年05月04日 20時30分18秒 | Weblog
 ――「連歌の道は、ことに風体を第一に心がけるべきである」と、二条良基はその著『僻連抄』で述べております。
 人間の心が、時代時代によって変わるように、連歌の道も、時代により、所にしたがって風体も変わるものなのです。

 心敬は、篇・序・題・曲・流の五つが、連歌にとって最も重要である、と言っております。この五つが、連歌の生命である一巻の変化に深く関係してくるからです。
 一巻の変化の基本をなすのは付合であり、篇・序・題・曲・流は付合の呼吸を説いたものに他ならないからです。

 救済の「罪もむくいも」の句は、その前句の七七の部分に、どんな罪も、どんな報いさえも恐れぬ異常な心理状態を示しており、そのような心理が何によって生じたかを、次に期待せしめています。
 こうして付句の五七五の部分では、残月に一面の雪景色が淡く照らし出された狩場の朝の、清々しい光景が展開されるので、付句の叙景は、前句の異常な心理状態と相まって、さらに奥深いものに変じてくるのです。

 善阿の句では、「かへしたる田を又かへす」というところに、付句を期待する奇怪な気持があり、付句の「あし引の山にふす猪の夜は出でて」で、謎にも似た気持ちがさらっと氷解します。

 これは順覚の「氷とけても」の句も同様で、以上の三句は、七七の部分に趣向を凝らし、五七五の部分に期待をかけているような点で、また、五七五の部分で今までの緊張が解かれて、全体が優美な情趣のうちに包まれてしまうような点で、付句の五七五が優秀であればあるほど、二句のうちの力点は、前句の七七にあることがはっきりしてくるのです。

 ところが、良阿の「面影の」の句は、先の例とは逆に、五七五の部分に意趣を尽くして、七七の部分は、ただその意趣を深めるにすぎません。しかも、七七の部分が優秀であればあるほど、五七五の部分の意趣がさらに深められるのも、前の例とはちょうど逆なので、その関係は、信照の「まへうしろ」の句の場合もまったく同様です。

 つまり、連歌においては、それぞれの句がそれだけでは思想の完結性を有しないので、各々の句は一見独立しているようでも、それぞれは他を予想し、二者を合わせてはじめて各自が生きてくるのです。
 この場合、五七五と七七のいずれかの一方が充実しているときには、他方はそれを助けるだけの働きしかないような構成をとる必要があります。そうすることにより、前句と付句の各々が飛躍的に生きてくるのです。


      避難所のいま鯉のぼり風が欲し     季 己

「俳句は心敬」 (78)付句の呼吸②

2011年05月03日 22時26分34秒 | Weblog
          上の句、下の句のうちに、必ず一句は意味合いを言い残し、意味を
         言い流して、前句にその意味合いを言わせ、完結させるのである。
          他人の詠んだ前句を、自分の句のように十分理解含味して、付句す
         ることが大切である。たとえば、下の句に曲の心があったら、上の句
         は篇・序・題の気持になして、句の意味を前句が言い表しているから、
         付句で言いかけたり、言い流したりするのである。

             罪もむくいもさもあらばあれ
              (どんな罪、どんな報いを受けてもかまいはしない)
           月残る狩場の雪の朝ぼらけ     救 済
            (有明の月が淡く、一夜明けた狩場には初雪が降り積もっている)

             かへしたる田を又かへすなり
              (一度耕した田を、又すき返していることよ)
           あし引の山をふす猪の夜出でて     善 阿
            (裾野引く山に住む猪は、夜、出てきて荒らして)

             氷とけても雪は手にあり
              (氷はとけても雪は手に降っている)
           散りかかる野沢の花の下わらび     順 覚
            (桜の散りかかる野沢一面の花びらの下から掌のような蕨が萌え出る)

          この三句は、前句に曲の心があって、主旨を言い表しているので、
         付句の上の句の付け方を篇・序・題の心持で言いかけ、言い残して、
         前句に意味の完結を譲るのである。

             面影の遠くなるこそかなしけれ
              (あの方の面影が次第に遠く消えてゆくのは悲しい)
           花見し山の夕暮れの雲     良 阿
            (さっきまで花見の興をつくしたあの山は、夕闇の雲に覆われていく)
          
             まへうしろ戸の二つある柴の庵
              (前と後に戸口が二つある草庵である)
           出でて入るまで月をこそ見れ     信 昭
            (月が出て西の空に入るまで一晩中、月を興じられるよ)

          この二句は、前句の上の句に曲の心があって理由を言っているの
         で、下の句をば篇・序・題の心になして、前句の上の句に理由を言
         わせて、付句では言い残している。

          連歌は必ず、上の句に意味を言い残して、下の句に言い果てさせ
         たり、下の句に言い残して、上の句に譲って言い果てさせたりして、
         両句を一緒にして上下の意味が明瞭になり、情感・情趣がわくよう
         に作るものという。
          このことを篇・序・題・曲・流といっている。各々一句ずつに意
         味を言い果てたのでは、各句の意味が続かず、ただ並べて置いただ
         けのものにすぎなくなる。 (『ささめごと』篇序題曲流)


      歌声が湧きて八十八夜なる     季 己 
         

「俳句は心敬」 (77)付句の呼吸①

2011年05月02日 20時41分11秒 | Weblog
        ――和歌では、篇・序・題・曲・流という五つのことを、表現上の
         形式として、上の句と下の句をつなぎ合わせる要素としています。
         これは、連歌の世界には、あってはならないことなのでしょうか。

        ――先賢が話しておった。このことは、連歌を作る上で最も重要な
         ことである。この配慮が十分でなければ、どんな素晴らしい秀逸
         な句を作り得る作者でも、代々の勅撰集の趣意・味わい、また他
         人の詠んだ歌・連歌の真意や意図は理解できないだろう。
          だから、『古今集』仮名序などにも、主として論じている。
         定家卿の『明月記』などにも、懇切丁寧に説明されているという。

          自分の詠句を巧みに作るより、他人様の句を理解し鑑賞するこ
         とが、はるかに難しいことである。技巧を尽くして秀逸を作る作者
         は多いが、真に人格的修行のできた人は少ない。
          だから、自分が他人に理解されないのを悩み苦しむより、自分
         が他人を理解していないことを心配せよ、と『論語』にも言って
         いる。

          篇・序・題・曲・流というのは、五つの歌の作り方をたとえたもの
         である。
          篇とは、人を訪ねるのに、まだその軒先に佇んでいる状態である。
          序とは、取次の者に、主人の在宅の有無や取次を尋ねている頃合
         いのことである。
          題とは、訪ねてきた理由を述べている段階である。
          曲とは、用向きの主旨をはっきり説明することである。
          流とは、いとまごいをして、その家を出るさまである。

          この五つの様式を、連歌の上の句と下の句を一緒に詠み合わせ
         て、意味や表現が適当に通じ合い、情感が自然と表れるように、
         古来の名歌の各句の継ぎ様、修辞をしっかり見分けて、連歌の上
         の句、下の句を連結すべきである。
          この用心のない人の句は、いつもいつも、頭にする冠を足に履い
         たり、沓を頭に載せたりして、一句の構成や配列を誤ることが多い
         という。
          この心構えのない作者は、技巧的な趣向仕立ての句でさえあれば、
         修辞がばらばらで、ぎくしゃくして文飾の過ぎた句をも正当である
         と考えている。
          おおらかに言い流したり、意味や味わいを言い残しなどした点を、
         軽々しいとでも思っているのかも知れない。


      コカリナを吹けば五月の風きたる     季 己