びいと啼く尻声悲し夜の鹿 芭 蕉
元禄七年九月八日、支考・惟然・次郎兵衛らとうち連れて、芭蕉は奈良に入った。その夜の三更(午前零時)ごろ、猿沢の池のほとりを逍遥した折の作である。
鹿の啼きように聴き入り、「びいと」という擬声語や、「尻声」のような俗語を駆使して、古来、和歌に詠まれた優雅な鹿の情趣を超えた、新しいもの悲しさを引き出したところが眼目になっている。そこに〈軽み〉の実践もあったのである。
月光の冴えた神苑のあちらこちらに鹿が妻を呼ぶ、糸を引きのべるような細くもの悲しい尻声を引いているのが、健康の衰えのいちじるしい芭蕉の身に、ひとしおあわれに響いたものであろう。「夜の鹿」であるから、鹿の姿は視覚には入っていないので、いっそう、その声の哀切さが加わるのである。
「尻声」は、あとへ引く声。「物売りの尻声高く名乗り捨て―去来」(猿蓑)の例が参考になる。
季語は「鹿(の声)」で秋。『篇突』に、
「鹿と云ふ物も歌の題にて、俳諧のかたち少し。びいとなく
尻声の悲しさは、歌にも及びがたくや侍らん。南都の鹿は、
紅葉踏み分くる姿は少し。……」
とある。「妻呼ぶ鹿」そのものの情感を、その夜に即して把握したところが、この句の発想の眼目である。
「牡鹿の、びーいと声を長く引いて牝鹿を呼ぶ声が、闇夜の彼方から
まことにもの悲しく聞こえることよ」
剥落の秘仏拝むや鹿の声 季 己
元禄七年九月八日、支考・惟然・次郎兵衛らとうち連れて、芭蕉は奈良に入った。その夜の三更(午前零時)ごろ、猿沢の池のほとりを逍遥した折の作である。
鹿の啼きように聴き入り、「びいと」という擬声語や、「尻声」のような俗語を駆使して、古来、和歌に詠まれた優雅な鹿の情趣を超えた、新しいもの悲しさを引き出したところが眼目になっている。そこに〈軽み〉の実践もあったのである。
月光の冴えた神苑のあちらこちらに鹿が妻を呼ぶ、糸を引きのべるような細くもの悲しい尻声を引いているのが、健康の衰えのいちじるしい芭蕉の身に、ひとしおあわれに響いたものであろう。「夜の鹿」であるから、鹿の姿は視覚には入っていないので、いっそう、その声の哀切さが加わるのである。
「尻声」は、あとへ引く声。「物売りの尻声高く名乗り捨て―去来」(猿蓑)の例が参考になる。
季語は「鹿(の声)」で秋。『篇突』に、
「鹿と云ふ物も歌の題にて、俳諧のかたち少し。びいとなく
尻声の悲しさは、歌にも及びがたくや侍らん。南都の鹿は、
紅葉踏み分くる姿は少し。……」
とある。「妻呼ぶ鹿」そのものの情感を、その夜に即して把握したところが、この句の発想の眼目である。
「牡鹿の、びーいと声を長く引いて牝鹿を呼ぶ声が、闇夜の彼方から
まことにもの悲しく聞こえることよ」
剥落の秘仏拝むや鹿の声 季 己