壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

「俳句は心敬」 (35)批評精神

2011年02月28日 20時05分09秒 | Weblog
 「褒貶(ほうへん)の歌合」といって、一座の者が、人々の作った歌をその場で批評する歌合があるように、批評なくしては、作品の向上は有り得ません。
 したがって心敬は、真の意味の批評を拒否していません。むしろその逆に、本当にその道に専心しているならば、批評精神は常に念頭を離れず、またそうなくては作品の向上は望めない、と説くのです。

 心敬はここで、『法華経』を引用していますが、菩薩が衆生を教化する過程に託して、批評精神こそは、この国土に真の風雅の道を普及するものであることを、説明しようとしたものだと思います。
 人様の作品を批評するときは、我が「心行を清浄にし、さらに教えを説」くことが大切だ、というのです。
 作品を批判することは結構ですが、作者の人格を批判することは、絶対に慎むべきことだと思います。

 九十八歳で亡くなられた、国語教育者の大村はま先生が、「私の好きな話」として、次のような話を披露されたことがあります。

    「車を引いた男がぬかるみにはまった。汗びっしょりになって引っ張るが動かない。
     見ていた仏様がちょっと指で車に触ると、車はすっとぬかるみから出て、男は元気
     に引いていった。男は仏様に助けられたことを永遠に知らない。こういうのが一級
     の教師なのだ」(「読売新聞」平成17年6月7日付夕刊)

 なんともいい話です。一隅の一教師であった私も、「仏様のように教えたい」と実践してきたつもりですが、はたしてどうでしょうか。
 作品の批評、添削もぜひ、こうありたいものです。

 ところで、「仏法を誹謗して地獄に落ちる」云々は、どういうことでしょうか。おそらく、世間で一流と言われている人の優れた作品であっても、無条件でひざまずき、拝む必要はない、ということでしょう。
 作品の前にひれ伏すことは、むしろ、これを誹謗するにしくはなしということです。真の理解の上に立った批評ならば、どんなに熾烈であってもよいのです。
 いかに高い境地にあっても、そこに安住し、停滞して、一つの立場を固執するに至れば、それを迷妄と見なす仏教的な諦観に導かれたものであることは言うまでもありません。その迷妄を破るためには、熾烈な批評も必要、と言っているのです。
 批評の本質が、迷妄を破るためだとすると、人は熾烈な批評によって、いったんは深く傷ついても、それによってまた真に立ち上がることが出来得るのです。
 だから、批評は、それを受ける人の立場からいっても、まことに貴重なものなのです。

 ここで、「魏の文王は」云々を説明しておきましょう。

 魏の文王は、自分は賢王だと思って、臣下に向かい、「朕(ちん)は賢王であるか」と問いたもうたところ、一人の大臣が「君は賢王ではございません」と申し上げた。
 文王が「なぜ賢王でないのか」と問うと、「天が与えた王位を受けたなら、賢王と申せますが、君は、力ずくで王位にお就きになったので、賢王とは申せません」と答えた。
 文王は怒って、その大臣を追放してしまった。
 つぎに、もう一人の大臣に、「朕は賢王であるか」と問いたもうた。大臣は「とてもとても賢王とは申せません」と答えた。
 すると王は、「どういうわけでそのように申すのだ」と、問いたもうた。
 「賢王には必ず、賢臣が生まれるものです。君が追放されたあの大臣ほどの賢臣が、君のおそばにいれば、君は賢王と申せましょう」と、大臣は答えた。
 大臣のこの言葉に、王は大変恥じて、追放した大臣をまた召し返して、政治を正し、賢王の名を得たということである。

 以上が話の概略です。「賢王には必ず、賢臣が生まれる」というのが主意でしょう。


      来世また教師と生れむ春の雪     季 己

「俳句は心敬」 (34)批評の意義

2011年02月27日 22時38分03秒 | Weblog
        ――片田舎の風流人の中に、他人の和歌・連歌を批評する仲間を、出過ぎ
         て生意気だと、話し合っている者がおります。
          といことは、その一座において、他人の句の良し悪しは、念頭に浮かべ
         てもいけない、ということなのでしょうか。

        ――先達の言葉を、ひもといてみよう。
          真に批評する仲間を悪し様に言う人は、その道に専心していない輩で
         ある。和歌・連歌の道だけでなく、どの道においても、自分の心に響かぬ
         陳腐な技芸は、その場限りのものとして、念頭にも浮かべず、忘れ去る
         のが世の常である。
          しかし、その道に専心すればするほど、批評意識は常に念頭を離れず、
         また、そうなくては作品の向上は望まれない。

          仏道においても、経論の法文について互いに議論し、また、参禅者が、
         古人の公案について論難陳弁し合い、磨き上げることは、悟りの境地に
         至る手段として大切なことなのである。
          菩薩が大願を発して、おのが浄土を成就しようとして、心行を清浄にし、
         さらに教えを説いて、衆生を導き恵みを与える。このことこそ、大乗仏教
         の大要である、と『法華経』に書いてある。
          仏法を誹謗して地獄に落ちることは、無限の仏を供養することよりも
         優れていることだ、と『沙石集』にある。
          仏法を誹謗するというのも、仏法を聞いて心にとめていればこそで、
         仏法を知っているということが、いつかは解脱の因となるのである。

          雨風に、地に倒れ伏した草花も、また日が照れば、地より起きあがる
         ように、痛烈な批判を浴びて、その作品の価値が一見、失われたように
         見えるが、実は、それが真の作品を生む契機となり得るのである。

          「良薬は口に苦し」といっても、薬は病を治す。
          曲がった木も、墨縄を当てて削り直せば、まっすぐな用材となる。
          主君も、臣下の諫言(かんげん)にしたがえば、賢君となる。
          切れ味の悪い剣も、研げば切れ味鋭くなる。
          瓦も磨けば、宝玉のように美しくなる。
          魏の文王は、大臣の任左が賢臣であることを、同じく大臣の耀黄の
         諫めにより、お悟りになられたとか。
          大臣は、禄が減らされることを恐れて、主君を諫めず、小臣は、罪を
         恐れて何も言わない。これは、何をか言わんや、である。

          あらゆる物事は、その本質においても実体がなく、空(くう)である。
          ただ、もろもろの条件のもとに、そのような物として成り立っているだ
         けなのである。
          本来、観念の上では、一刹那は、無限の時間であり、無限の時間は、
         一刹那である。つまり、悠久の時間も一瞬の間も、観念の上からは等し
         いのだ。

          『法華経』に、「我、如来の知見力を以ての故に、彼の久遠を観ずる
         こと猶今日の如し」とあるように、長年の誤った稽古を悔い改め、真実の
         境地に入った瞬間、いま、ひとかどの風流人と言われている人と同じに
         なり得るのである。
          自説を翻すのに、何のためらいがあろう。他人の批判にしたがって誤り
         を改めるのに、早いか遅いかは、問題にならないのである。
                                   (『ささめごと』批評の意義)


      白梅を見しより湯島天満宮     季 己

「俳句は心敬」 (33)続・四つの楽しみ

2011年02月26日 21時21分50秒 | Weblog
         ③主宰の講評を聴く楽しみ

 選句の次に大切なことは、主宰あるいはその句会の指導者の講評を、熱心に聴くことです。漫然と聞いているのはだめです。しっかりと「聴く」のです。以下のことに重点を置いて、熱心に聴いてください。
      ア、自分には分からない句の講評
      イ、良さの分からない句の講評
      ウ、講評を通しての俳句本質論
      エ、自分も採った句を、どう評価し、どう鑑賞するか

 自分の句が一句も選ばれないと、講評に耳を傾けないどころか、隣の人と私語をはじめ、熱心に聴く人の邪魔をする輩がいます。
 これは結局、採られたか、採られないかだけのことで句会に来ているだけで、人様の句の講評など聞く気のない者です。こういう人は生涯、中途半端なベテランで終わるので、心敬ならずとも、友としたくない人です。

         ④俳句の情報を知る楽しみ

 句会では選句が始まるまでは、おしゃべりも許されるし、冗談も言い合えます。この自由な時間を利用して、俳句の情報を交換するのも、また楽しいことです。
 先輩に、句作の上での悩みを相談するもよし、スランプの抜け出し方を聞くのもよし、話題は際限なくあるものです。
 もし、時間がなくなったら続きは、句会終了後の飲み会でしましょう。もっと盛り上がり、楽しくなることでしょう。

 私にとっての句会は、主宰との真剣勝負でした。
 結社賞を頂いた頃から、主宰の特選はおろか、並選にも採られなくなったのです。句会後の飲み会で理由を尋ねたところ、「H(私のこと)の句だと分かったから採らなかった。出来は悪くないよ」とだけおっしゃったのです。
 あるときまで、私も主宰の作品を採れたことに喜びを感じていました。しかし、そのうちに主宰の作品だなと感じると、わざと採らないようにしていたのです。そして「先生の作品だと分かったので、採りませんでした」と、平然と言ったものでした。

 それからの私は必死でした。何とかして、一句でも主宰に採らせよう、主宰の句は一句でも採るまい……と。
 そうしてまた、主宰に並選、特選と採られたときの喜びを、そして主宰の句を採らされてしまったときの喜びを、今でも忘れません。

 虚子に、次のような言葉があります。
    「私は多くの人が選んだ句を独り選ばない場合が多い。そういう場合に其の人は
     私に感謝の言葉をよせたことを余り聞かない。が、実はその場合こそ私の選を
     信頼して私に感謝の辞をよせるべきかもしらぬ。句を選ばない親切が分かるよ
     うになれば一人前である」
 何とも凄(すご)い言葉です。


     大観の篝のごとき山火かな     季 己

「俳句は心敬」 (32)四つの楽しみ

2011年02月25日 22時38分19秒 | Weblog
 友を選ぶべきことに関連して、句会のお話をしましょう。
 句会には、四つの楽しみがあります。
      ①俳句をつくる楽しみ
      ②選句をする楽しみ
      ③主宰の講評を聴く楽しみ
      ④俳句の情報を知る楽しみ

           ①俳句をつくる楽しみ

 句会に出るには、句をつくっていかなければなりません。もちろん、席題で句会をする場合は別です。
 たいていの句会は、当季雑詠、五句投句が多いようです。すると、少なくともその二、三倍の、十~十五句ほどつくらねばなりません。そしてその中から自選して、五句を投句するわけです。
 私自身は怠け者ですので、句会がないとなかなか俳句をつくる機会を持てません。句会に出ることにより、句をつくる楽しみが得られ、自選するというおまけの楽しみも得られるのです。
 俳句をつくる楽しみ、と言いましたが、以前、私は題詠、つまり席題や兼題が好きではありませんでした。むしろ、感動がない、興味本位などとうそぶいて、毛嫌いしていました。

 「俳句は、つぶやき」、「対象を凝視し、心にひびいたものを、絵を描くように、歌うように表現する」というのが、私の俳句に対する基本姿勢です。ですから、題詠で句をつくるということは、自分の理念に反することとして避けたのです。
 今は、題詠も俳句修業の一手段として、認めております。
 一つの題によって、詩情をしぼり、あるいは過去の思い出の世界へ羽ばたき、想像をめぐらすことの楽しさ、および、その感動を表現すればよいことに気づいたからです。

           ②選句をする楽しみ
 「選は創作なり」という虚子の名言があるように、句会で最も大切なことは、選句だと思います。一句の良し悪しを直感的に識別する選というものは、底知れぬ活力と上達を与えてくれる、と言われております。
 作家の力量は、その人の作品を見るより、選句を見たほうが分かる、とも言われております。

 選句には、大事なことが二つあります。

 まず第一に、自分はどのような句を選ぶべきか、自分の選んだ句は、誰の、どのような句であったかをよく考えることです。そして、主宰や幹部同人の選と、どれくらい隔たりがあるかを考えることも大切です。
 主宰や自分の尊敬する作家が、どのような句をつくったかを見るとともに、どのような句を選んだかを見ることも忘れてはなりません。

 第二に、自分のどのような句を、誰が選んでくれたかを確認することが大事です。主宰や幹部同人が選んでくれたなら、素直に喜び、感謝すべきです。
 初級、中級クラスの方たちは、主宰選を絶対的なものと考えるべきです。しかし、誰が自分の句を選んでくれたか、そして、その人の句はどんな句であったかを知ることも大事です。
 もし、お互いに採りあっていたなら、自分とその人との感性はより近いものであり、常にその人の作品に注目して、佳句を覚えるくらいになってほしいものです。


      春一番ひかり寄せくる大廂     季 己

「俳句は心敬」 (31)人間愛

2011年02月24日 21時04分13秒 | Weblog
 連歌のように集団で、しかも気分に重きを置く文芸において、一巻を統制する原動力になっているのは、一座の人々を暗黙のうちに支配している一種の「気合い」です。
 「気合いだ!気合いだ!気合いだ!」の気合いです。そうした気合いの一致を見なければ、優れた作品は生み出せません。
 連歌はもともと、志を同じくする同好の士の、社交的な集いを中心に発達してきたものです。こうした性格は、後代に至るまでずっと保持されてきました。
 したがって、たいていの場合、一座の顔ぶれが決まっており、そういう風雅の士同士が、連歌の一座を場面として、おのおのの自己を形成していったのです。

 心敬が引用した『智度論』にある「因縁生の故に自性なし」、つまり、「すべてのものが因と縁によって生ずるものだから、物それ自体の本性はない」という句は、そうした友人関係が、自己に及ぼす影響の深さを説いたものです。
 人は誰と〈めぐりあうか〉によって、どのようにでも変わるのです。そのような実例は、『画廊宮坂』の宮坂祐次氏著『画廊は小説よりも奇なり』をお読みいただければ、ごまんとあります。

 俳句もそうですが、他人の批評を受けて切磋琢磨するということが、真の作品を生む重要な条件となります。そういう環境は何にもまして求められなければなりません。
 だから心敬は言うのです。「風雅を愛し、真実に思いをひそめ、人間愛に富んだ人こそ、友とするにふさわしく、その道の助けになる。しかし、そうでない人とは交わるのではない」と。



 ――大急ぎで『創画展』(日本橋・高島屋)を観てきた。
 『小嶋悠司展』の清澄な、あまりの居心地のよさに、つい「画廊宮坂」で長居をしてしまったからだ。

 小嶋悠司の「生…凝視」は、村上華岳の仏画に匹敵するような深い感動を受け、全身があたたかくなり、目頭が熱くなった。
 この他で秀作と感じたのは、滝沢具幸、石本 正、烏頭尾 精、海老 洋、武田州左。
 また、計らい、つまり、こういう作品にしようという計算づくの心が見えなくなったら素晴らしいと思ったのは、清水 豊、重政啓治、小池一範、三木 登、目黒元、宮いつき、石股 昭。


      生きてゐる方がよささう春の声     季 己

「俳句は心敬」 (30)友を選ぶ

2011年02月23日 22時48分47秒 | Weblog
     ――それでは、友人に尋ね、批評を受けて学ぶのはどうでしょうか。

     ――何事も思う通りにならないのがこの世である。
       心正しくない人と付き合わねばならないのも、仕方のないことではある。
       だが、はなはだ荒々しく、嘘で飾り立てた心の浅い輩(やから)と交際し
      なければならないのは、何ともつらく残念なことである。
       心を澄ませ、もっぱらその境地に没入すべき座にも、この世の無常を思い
      しめていない人が、一人二人いると、その席はまったく興ざめなものとなっ
      てしまう。ことに末頼もしい若者らは、特に気をつける必要がある。

       麻の中の蓬は、力を加えなくても自然とまっすぐ伸びる、というたとえが
      あるように、どんなに拙い心の持ち主であっても、善き友と慣れ親しんでい
      ると、自然と、素直で心正しい人になるものだ。

       王子猷は、雪の降った夜、はるかの波に棹をさして、興を求めて戴安道を
      尋ねたところ、山の端に月が隠れてしまった。
       「友と一緒にこの月を楽しもうとやってきたが、もう興ざめだ」といって、
      友人に逢わずに、その友人の家の門から帰ってきてしまった。なんと、艶の
      深いことであろう。

       孟子の母は、子を思うが故に、三度、家をかえたという。

       琴の名手 伯牙は、友の子期が亡くなったと聞き、「もう、真に聴いてくれ
      る人がいなくなってしまったから」といって、琴の弦を断ち切ってしまった。
       琴の音を聴き知る友に逢いがたきことを、嘆き悲しんだからである。

       思いやりがあり、私心のない人は、心の底から人を愛することができ、また、
      人を憎むこともできると、かの孔子も言っている。

       その父親のことを知りたければ、その子を見れば分かる。その人のことを知
      ろうと思うならば、その友を見よという。

       善き友が身近にいることが一番だと、仏法にもある。
       万物すべてが、因と縁の作用によって生ずるものゆえ、そのもの独自の本性は
      本来は存在しないのだ。つまり人は、身近にいる人、あるいは出会う人によっ
      て、どのようにでも変わる、ということだ。それゆえ、軽く話を交わすような友で
      あっても、よくよくその人を選ぶべき必要があるのだ。

       風雅の道に長(た)けた人は、桜の花の下でほんの半日もてなした客や、秋
      の月の夜にたった一夜だけ出会う友であっても、優しく美しい心を持った友は、
      忘れがたく、思い出に残るものである。

       我が師、清岩和尚は常に語っておられた。「雨風の強い日、月や雪が美しい
      夜も、今頃あの人はどうしているだろうと、和歌の道の友のことだけを思い、
      偲び明かしている」と。なんと情の深いことであろう。

       また、つまらぬ連中は、和歌・連歌の道に限らず、どの道においても邪道に
      陥り、人を誹謗することが多い。
       じわじわとくるような悪口や、肌身に受けるような痛切な訴えには、人は動
      かされやすいものだ。だが、よく判断できて、それらが通用しないようなら、
      聡明といってよいだろう。そういう聡明な友を持ちたいものである。
                          (『ささめごと』 友を選ぶべきこと)


      片減りの靴のうしろを猫の夫     季 己
       

一霞

2011年02月22日 23時05分14秒 | Weblog
        大比叡やしの字を引いて一霞     芭 蕉

 一休禅師が叡山に遊んだとき、衆徒が大字を書くことを望んだので、禅師は坂本の里まで紙を継いで、しの字を引き捨てたとある逸話(『一休咄(ばなし)』によったもの。
 一休の逸話を暗示しつつ、見立ての手法を駆使するところにねらいがあった句。このころのものとしては、口調が一気に通っていて、大景を想像させるだけの効果が上がっている。
 『六百番俳諧発句合』に「霞」と題してあり、『江戸広小路』にもあるので、延宝五年(1677)ごろの作と思われる。

 「しの字を引いて」は、縦に引くべき「し」の字を横に引いたように、の意。昔は「し」の下を曲げない書き方が多かった。
 「一霞(ひとかすみ)」は、謡曲に見られる語で、一気に霞がたなびいている感じである。

 季語は「霞」で春。

    「大比叡山に霞がずっと横にたなびきかかっている。昔、一休禅師は叡山から
     坂本まで『し』の字を縦に引かれたというが、この光景は、『し』を横に一文字
     に引いた感じがおもしろい」


      凝視する不動明王 鳥雲に     季 己

梅白し

2011年02月21日 22時42分17秒 | Weblog
          京に上りて、三井秋風が鳴滝の
          山家を訪ふ   梅 林
        梅白し昨日や鶴を盗まれし     芭 蕉

 秋風の別荘に梅林があったので、主人を、隠士 林和靖(りんわせい)に比した挨拶の句。
 梅の白さに心ひかれ、自ずと隠士 林和靖が連想され、さらにそこから鶴に発展してゆく想の流れは、談林的な古典の扱いからはるかに踏み出して巧みである。

 「三井秋風」は、三井六右衛門時治。京都の富豪で、文学に心を寄せ、梅盛門、後 宗因門。鳴滝に別荘を持っていた。
 「昨日や鶴を盗まれし」は、林和靖の故事を踏んでいる。林和靖は宋の高士、西湖の孤山にすみ、梅を妻とし、鶴を子とした。小艇を湖上に浮かべて遊ぶときも、留守に客があれば、童子が鶴を放って空に舞わし、これを見て帰るのが常であったという。

 季語は「梅」で春。

    「梅林の梅が白く咲いていて、かの隠士 林和靖の隠棲(いんせい)にも比すべき
     住居である。しかし、林和靖ならば常に伴うはずの双鶴が見えないのは、もしか
     すると昨日あたり盗まれたものであろうか」


      寒梅の影 唐紙に日の移る     季 己

「俳句は心敬」 (29)正しい教え

2011年02月20日 22時13分55秒 | Weblog
 ――一いったい連歌は、この道を真に体得した古人について学ぶべきものなのでしょうか、
   それとも、連歌の一座で、その場その場の経験によって、修業してゆくべきものなので
   しょうか。

 この問いに対して心敬は、正しい教えを受けることなしには、いかに経験を重ね、修業を積んでも無駄だというのです。
 連歌のような集団の文学では、古書を友として、ひとりで修業することは、初学の場合ほとんど不可能です。だから、一座に同席して、経験を重ねてゆくのが自然の形です。できることなら、堪能の士と同席して、経験を積むのが理想的な稽古の仕方なのです。
 しかし、心敬は『ささめごと』の巻末においても、その頃の連歌会の混乱ぶりを説いて、慨嘆のあまり絶望的な言葉を述べているくらいですから、聡明で徳の高い人の一座する連歌の座が、あちこちに存在するとは思っていません。
 したがって、はなはだ遠回りの方法のようでありながら、やはり断固として、古人を師とすべきことを説いているのです。

 「ふるきを尋ねて新しきを知れ」とは、広辞苑に「昔の物事を研究し吟味して、そこから新しい知識や見解を得ること」とあるように、「古人の求めたところを学んで、新風を開拓せよ」ということです。しかし、それはまことに困難な道です。
 連歌においては、主として集団の気分によって自己の形成が行なわれ、環境の力が決定的です。誤った環境では、誤った自己しか形成できません。そして、そのことは極力避けねばなりません。ですから、古人の懐紙を友とし、古人の精神に触れることによって、自己をつくりあげてゆくべきだ、と心敬は言うのです。

 さて、俳句の場合はどうでしょうか。
 たいていの場合、どこかの結社に所属するのがふつうです。結社は、主宰を中心に、結社誌を発行し、句会を開きます。結社は、創作と発表の場であると同時に、俳人の養成機関でもあるのです。ですから、俳句の師を選ぶということは、結社を選ぶということにもなります。
 現在どこかの結社に所属されている方は、そのままその結社で勉強されるのがよいでしょう。始終、結社を代えることはおすすめできません。
 「石の上にも三年」というたとえがあるように、少なくとも三年間は懸命に学んでください。仕方なくではなく、懸命にです。それでもその結社(主宰)が嫌でしたら、また考えましょう。

 どこの結社に行けばよいのか分からない方は、図書館へ行ってください。そして最新版の『俳句年鑑』などを借りましょう。
 年鑑には百花繚乱、何千という句がひしめき合っています。その中に、「これはいいな」とか、「こういう句を作ってみたい」と思われるような句があったでしょうか。あれば、その句の作者が所属する結社へ入るのがいいでしょう。
 ただ、その結社が、あなたのお住まいからあまりにも遠すぎるのは考え物です。というのは、遠すぎると句会や吟行会に出席できないからです。俳句の力は句会によって決まる、といっても過言ではありません。結社誌にただ投句しているだけでは、なかなか上手にはなれません。
 句会に出て、先達、つまり主宰や幹部同人の方たちに直接教えを乞うのが、俳句上達のコツだと思います。

 私自身のことを申し上げれば、結社誌の編集をしたことが、一番為になったと思っております。毎月、三千~四千句に眼を通し、千句近くの主宰の添削をじかに見ることが出来るのです。こんな幸せはなかったと、今でも感謝しております。

 自分が目指す俳句、自分が求める俳句を理解し、導いてくれる指導者がいる結社、それが最高だと思います。


      春寒の炬燵に母の無想かな     季 己

「俳句は心敬」 (28)良き指導者

2011年02月19日 20時43分00秒 | Weblog
 人生はすべて邂逅(かいこう)、つまり「出会い」だと思います。
 「会」には、「合・逢・遭・邂」の同意語がありますが、それは同音の「愛」にも通じます。愛のない出会いは、邂逅ではありません。愛(友情といってもいいでしょう)によって、はじめて邂逅となり、心を伝え合うことが出来るのです。
 わたしたちの一生は、限られた短い時間ですが、その間にどれだけの人と、どれだけ心が深く触れあい得たかで、生き甲斐が決定されるのです。だから、良き教え、良き友に出会わねばならないのです。

 「古人の跡を求めず、古人の求めたるところを求めよ」という言葉があります。
 良き師とは、自分の得た限りの知識体験を教える人ではなく、自分の求めて求めて求めあぐんでいるところを明らかにして、この道を究めようという誘惑者だと思います。
 人間である限り、道を究めつくすということはありえません。迷いをより明確に指摘してくれる人、それが良き指導者なのです。
 良き弟子とは、指導者のそういう気持を察して、その跡ではなく、その人の求めんとしているものを求める人のことで、ここにはじめて友情感が生じ、この暖かさが、かえって真の師弟道を成就させるのです。
 冷たい指導者、冷たい仲間、これは冷たい戦争以上に人間を荒廃させてしまいます。そうなっては悲劇です。

 習い事をするときは、必ずその道の一流といわれる師について最初からひたむきに習って、むさぼるように吸収することが大切です。
 『歎異抄』に、「たとひ法然上人にすかさせまひらせて、念仏して地獄に落ちたりとも、さらに後悔すべからずさふらう」という言葉があります。
 これは親鸞の有名な言葉で、「たとえ、法然上人がおっしゃったことがでたらめであり、法然上人にだまされて、念仏をしたために地獄に落ちたとしても、私は少しも後悔しません」といった意味です。法然上人というのは、もちろん親鸞の師です。
 師を選ぶということは、このような覚悟が必要なくらい、大切なことなのです。


      春の画廊いまさらをとこをんなかな     季 己

「俳句は心敬」 (27)師を選ぶ

2011年02月18日 22時51分49秒 | Weblog
      ――和歌や連歌の道は、先達の作品や言論を、問い尋ねて学ぶべき
       ものなのでしょうか。それとも、自分が参加した連歌などの、各会席の
       人々の批判の言葉を受け入れるべきなのでしょうか。

      ――なんと、ばかばかしいことを…。もちろん、指導者を選んで、その
       教えを学ぶべきである。
        『論語』にも、「古きを尋ねて新しきを知れ」と書いてある。
        先達から、その道についての正しい教えを受けていない人の稽古
       修業は、無益というより、むしろ害になる。
        誤ったことや、考えがひどくなった後では、どんな名人上手に会って
       教えを受けても、もはやどうしようもないだろう。
        一度悪い癖がついた後では正しくなり得ない、ということで人間の心
       を漆桶にたとえることがある。
        また、白い糸筋などにもたとえられる。染められる色を待って、さま
       ざまな色に変わるからである。
        『法華経』にも、「良き指導者を得ることは、すなわち、悟りをひらく
       機縁である」とあり、「一切の真理には、それ自身定まった性質があ
       るわけではない。仏果を得るための因は、縁によって起こってくるも
       のなのである。だから、どのような人でも仏縁に会えば、仏種を生ず
       べきはずのものなのである」とも言っている。

        近頃、尺八の上手の何某という者に、ある人が、「尺八を学びたい
       のですが……」と申し出た。
        「もうすでに、尺八をお吹きなさいますか」と尋ねたところ、
        「少しは稽古して、吹いております」と言う。
        「それでは、お教えすることは出来ません」と、断ったという。
        これこそ、あらゆる分野に通ずる原則であると、興味深く思われた。
       ほんの少しでも、邪道に陥った心を正道に戻すことは、非常に難しい
       ことを理解すべきである。 (『ささめごと』 師とすべき人について)


      どくだみ茶にほふ身ほとりおぼろかな     季 己

 ――おかげさまで、今回も四週目で抗ガン剤治療を受けることが出来ました。多くの皆様の応援のお陰と、心より感謝申し上げます。転移した癌は若干ではありますが、小さくなっているとのこと。どうぞご安心願います。
 私の場合、癌が暴れているわけではなく、現在の状況のままでも、日常生活に何ら影響はありません。ただ、副作用として脱毛し、爪がわれやすく、鼻水が出やすい、ということはあります。
 以上、御礼とご報告まで。ありがとうございます。
        

花にかまはぬ

2011年02月17日 19時59分30秒 | Weblog
        樫の木の花にかまはぬ姿かな     芭 蕉

 この樫の木の姿は、富豪、三井秋風の別荘に身を置いた芭蕉の心を強くついたものであろう。
 自分の身の純朴なのをいった句だという説がある。しかしそれは事実を曲げたもので、そういう意図的なものではないと思う。事実は秋風を樫の木に比した挨拶の句かと思われる。目に、そびえた樫の木をそのまま詠じたために、把握が確かなものとなった。つまり、目に映ったものを感じたまま詠じたために、結果として芭蕉の感懐が浸透してきているのである。
 貞享二年(1685)旅中、三井秋風の別荘における作。

 「三井秋風」は三井六右衛門時治。京都の富豪で、文学に心を寄せ、梅盛門、のち宗因門。鳴滝に別荘を持っていた。

 季語は「花」で春。

    「この樫の木は黒々としていて、折からのあたりの花にもかまわぬ無骨な姿で、
     自分そのものの骨頂を守り、ぬっとそびえ立っていることよ」


      春の月おもしわが影濃しやさし     季 己

旅烏

2011年02月16日 22時41分11秒 | Weblog
        旅烏古巣は梅に成りにけり     芭 蕉

 故郷に身を置く喜びが、ほのぼのと出ている。画賛の句らしいが、挨拶の心がこめられているようである。「旅烏」という比喩は、臭みを持ちそうな表現だが、それがないのは素直な発想のためであろう。

 「旅烏」は、旅に身を置く自分を比していったものである。
 「古巣」は、旅烏の縁でいったもの。いわゆる縁語で、芭蕉の郷里、伊賀をいったもの。

 季語は「梅」で春。梅の季感が素直に浸透してきている。「(鳥の)古巣」も春の季語。

    「旅烏が古巣に戻るように、長い漂泊の身をもって故郷の伊賀にもどっていると、
     折から梅の花の時期となり、なつかしい梅の香にかこまれたことだ」


      白梅のうしろに夕日廻りゐて     季 己

「俳句は心敬」 (26)心敬の幽玄

2011年02月15日 22時35分22秒 | Weblog
 「漢詩にも…」において諸本は、「孟浩」を「孟浩然」としますが、『祭柳子玉文』に「郊ハ寒ク島ハ痩セ」とありますので、私は、「孟郊」を「孟浩」と誤ったものと見ています。孟郊・賈島(かとう)ともに中唐の詩人です。

        遊 子 吟(ゆうしぎん)     孟 郊(もうこう)
   慈母手中線   慈母手中の線        慈悲深い母は、手にある糸で、
   遊子身上衣   遊子身上の衣        旅に出る息子のために衣服を縫う。
   臨行密密縫   行くに臨んで密密に縫う   息子の旅立ちに際し、母は一針一針に
                             思いをこめて縫う。
   意恐遅遅帰   意は恐る遅遅たる帰りを   心中、帰って来るのが遅くなりはしな
                             いかと、心配しながら。
   誰言寸草心   誰か言う寸草の心の     一寸の草のように愛を受けて成長した
                             子が、   
   報得三春暉   三春の暉に報い得んとは   春の陽光のような母の恩に報い得るな
                             どと、誰が言えようか。

 この詩は、暖かいおだやかな作品ですが、孟郊の本領はむしろ思考をとぎすまし、鬼気迫るふうに歌いあげた作品にあります。一例として、彼の五言古詩「峡哀十首」のうちの第四首の一部分の口語訳を掲げておきます。

   険阻な三峡には、死者のこわれた魂が一点、二点と、
   数百年もの間、ひそかに凝り固まっている。
   峡谷にさす日の光は、いつも薄暗くて、昼になったことがないようだ。
   険しい峡谷は、犠牲者を待って、飢えたよだれをたらしている。

 寒々とした詩風により、友人孟郊と並び称せられた賈唐は、あるとき、「鳥は宿る池中の樹、僧は推す月下の門」という対句を得、「僧は推す」がよいか、「僧は敲(たた)く」がよいかと思いあぐね、推したり、敲いたりする仕草をして歩くうち、韓愈の行列にぶつかりましたが、非礼を許され、「敲の字がよい」と評された。この話は、「推敲」の故事として名高い。

        渡 桑 乾(桑乾を渡る)     賈 島(かとう)
    客舎幷州已十霜    幷州(へいしゅう)に客舎して已に十霜(じっそう)
    帰心日夜憶咸陽    帰心日夜(きしんにちや)咸陽(かんよう)を憶(おも)う
    無端更渡桑乾水    端なくも更に渡る桑乾の水
    却望幷州是故郷    却(かえ)って幷州を望めば是れ故郷
  幷州での旅暮らしも、すでに十年になった。
  その間、日ごと夜ごとに帰心はつのるばかりで、都の長安を思いやってきた。
  ところが今、思いがけずまたもや桑乾の流れを渡り、別の任地に旅立つことになった。
  幷州を望みやれば、仮の宿りと思ったその町が、かえって故郷のように懐かしまれる。

 芭蕉の「秋十年(ととせ)却つて江戸を指す故郷」は、賈島の詩想ばかりかその口調まで学んでいます。そして、その詩の中に入り込んで、その詩の世界を、自分の境として感じとろうとしています。そこが我々に新鮮な感じを与えるのでしょう。

 「大きくなったときは…」は、『無名抄』にみえる祐盛法師の説です。
 大昔、外道を信ずる妙荘厳王という父に、仏教を信奉する二人の子、浄蔵と浄眼がいた。この二人が神変を釈するのに、「大身を現ずれば虚空に満ち、小身を現ずれば芥子の中に入る」と、ふつうは言っているが、忠胤という人は、「大身を現ずれば虚空にせはだかり、小身を現ずれば芥子の中に所あり」と説法した話を引いて、このように言い古されたことに色を添えて珍しくとりなすのが、すぐれた和歌の風情だと語った、ということを伝えているのです。

 心敬は心ならずも、「優美で素直になおかつ柔和な歌体」を、歌連歌の本筋だと認めざるを得ませんでした。優美を本質とする点で、幽玄体と相通じる面が多かったからでしょう。
 しかし、心敬の幽玄は、あくまでも心の持ち方にありました。したがって、歌の姿や用語に優美を求めて、そういう歌だけを正しい風体だと考える立場はとらないのです。
 さまざまの歌の姿をあげているのを見ても、一体を固守せず、自己の本性にかなった風体で詠むことをすすめているのがわかります。
 つまり、心敬は、素直でおだやかな詠みぶりが、歌の本体であることを認めましたが、それは艶なる心の現れとしてのみ意味があるのです。単なる形式的な一定の規範を墨守することに終始して、独創の意欲を欠き、その結果として、平凡で俗悪な風体に堕することを、何にもまして嫌ったのです。


      翔んでゆくものに二月の空やはし     季 己

    

「俳句は心敬」 (25)行雲流水

2011年02月14日 20時52分12秒 | Weblog
 雲は何ものにもとらわれずに無心に、時には峰に止まって山に風光を添え、添えたことさえ忘れていずこかに去ってゆく。
 水も特定の型にはなじまぬが、必要とあれば方円の器にしたがい、その場に充実して生きる。
 このように無心無相に、その時その所に生き、その時その所を活かしていく生き方が、「行雲流水」なのです。
 行雲流水は、また無常の姿でもあります。けれども、自然のたたずまいだけに無常を感じるのでは不十分です。自分自身の無常を感じるよすがとして、行雲流水を凝視しなければなりません。

 さて、「古人、歌の姿どもをおほくの物にたとへ侍り」として、心敬はさまざまな歌の姿をあげています。
 まず第一に、「寒く清かれ」をあげていますが、これは、心敬の幽玄の境「冷え寂び」と同列に考えていいでしょう。
 「冷え寂び」というのは、冷厳一徹ということではありません。「艶なるもの」(執着がなく、世間の無常を深く悟り、強い報恩の心をもっているような清澄な境地)を追求してやまない精神が、虚飾を去って、清く厳しく静寂な趣を帯びているのを指しているのです。
 ところで、原文の「水精の物に瑠璃をもりたる」は、「水晶の器具にガラス玉を盛り合わせる」などと通釈されておりますが、はたしてそうでしょうか。
 心敬は、とりわけ水に心を寄せていたのですから、ここは「清澄な瑠璃色をした水」と解するのがよいと思います。こう解してこそ、「寒く清かれ」という評語は、『ひとりごと』における「清涼なる」という評語と同一であり、また、心敬の抱いている「冷え寒し」とも一致する、ということがわかります。

 心敬は、「水精の…」について、「寒く清かれ」といった解釈を下しただけでは物足らず、日本と中国における文学事実についての伝聞のなかから、記憶に残っている「寒し」の具体例として、紀貫之の歌と、賈島と孟郊の詩をあげたのです。
 正岡子規は、「貫之は下手な歌詠み」と紀貫之を罵倒しましたが、この「思ひかね妹がりゆけば冬の夜の 川風寒み千鳥鳴くなり」の歌だけは、貫之の歌で見られるものとしました。
 いかにも屏風絵の情景にはかなった歌ですが、格別の秀歌とは私には思えません。
 「思いあまって恋人のもとへ通うと、冬の夜の川辺には木枯らしが吹きすさび、千鳥がさびしく鳴いている」という意味ですが、道具立てが整いすぎていて、感はさして深くありません。


      春風や楠の観音掌の中に     季 己

 ※ 春の風は美しい。色彩があり、光があり、そして人なつっこい。
   そんな春風をタイトルにした「日本画四人展」が、今日から、東京銀座の『画廊宮坂』で
  始まった。和歌にさまざまな歌体があるように、絵画にもさまざまな画風がある。
   若き四人の女性の画風を、ぜひ見比べて欲しい。

       春風(しゅんぷう) ―日本画四人展―
         2月14日(月)~2月19日(土)
          午前11時~午後6時(最終日5時まで)
        (小畑 薫、新生 加奈、波根 靖恵、渡辺 悦子)
          中央区銀座7-12-5 銀星ビル4階
             「画廊 宮坂」
          ℡(03)3546-0343