近所の大型スーパーに買い物に行った。何もかも高くなった、とぼやきながら、特売の心太(ところてん)をつい買ってしまった。心太はやはり夏の食べ物であると、しみじみ思う。特売品にしてはおいしかったが、初島で食べた心太が、最もおいしいと思う。「ところてん祭り」を行なうだけあり、心太は初島に限る。
心太草(ところてんぐさ)を略して天草と言うそうだ。
その天草を海から採取して、天日に干したものをよく洗い、寒夜にさらしたものを寒天と呼ぶ。その寒天を煮溶かして、麻袋でゴミを漉し取り、きれいになった煮汁を凝固させて、冷たい水の中に冷やしておき、これを心太突きで細長く突き出して食べるものを心太という。
「ひとつき十円で過ごす方法なあんだ」「ところてん」「あたり」とは、ガキのころによくやったナゾナゾ遊びである。
関東では、心太を酢醤油で食べるのがふつうである。
聞いた話によると、他の料理に先んじて、お酒のつまみ物として、心太を客に供する風習があったという。だから今でも、最初に酒のつまみ物として出す小鉢の品を、一般に「つき出し」と言うのだそうだ。
つまり、心太の突き出しが、その語源なのである。
一方、関西では、心太は料理ではなく、糖蜜をかけて食べる間食とするのが普通であった。それが、より工夫を凝らしてえんどう豆などを添えた蜜豆になったということだ。
それにしても、「心太」と書いて、「ところてん」と読むのはどうしてなのだろう。
古くは、これをその文字通りに「こころぶと」と読んでいたことが、『和名類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)』に見える。
図々しい人を江戸っ子は、「太い奴」いや「ふていやつ」と言う。これと同じように、「こころぶと」が、「こころふてい」になり、さらに「こころてい」となり、それがなまって「ところてん」になったのではなかろうか。
このように、自分なりに語源を推理してゆくのも、なかなか楽しいものである。
港より徒歩一分の心太 季 己
心太草(ところてんぐさ)を略して天草と言うそうだ。
その天草を海から採取して、天日に干したものをよく洗い、寒夜にさらしたものを寒天と呼ぶ。その寒天を煮溶かして、麻袋でゴミを漉し取り、きれいになった煮汁を凝固させて、冷たい水の中に冷やしておき、これを心太突きで細長く突き出して食べるものを心太という。
「ひとつき十円で過ごす方法なあんだ」「ところてん」「あたり」とは、ガキのころによくやったナゾナゾ遊びである。
関東では、心太を酢醤油で食べるのがふつうである。
聞いた話によると、他の料理に先んじて、お酒のつまみ物として、心太を客に供する風習があったという。だから今でも、最初に酒のつまみ物として出す小鉢の品を、一般に「つき出し」と言うのだそうだ。
つまり、心太の突き出しが、その語源なのである。
一方、関西では、心太は料理ではなく、糖蜜をかけて食べる間食とするのが普通であった。それが、より工夫を凝らしてえんどう豆などを添えた蜜豆になったということだ。
それにしても、「心太」と書いて、「ところてん」と読むのはどうしてなのだろう。
古くは、これをその文字通りに「こころぶと」と読んでいたことが、『和名類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)』に見える。
図々しい人を江戸っ子は、「太い奴」いや「ふていやつ」と言う。これと同じように、「こころぶと」が、「こころふてい」になり、さらに「こころてい」となり、それがなまって「ところてん」になったのではなかろうか。
このように、自分なりに語源を推理してゆくのも、なかなか楽しいものである。
港より徒歩一分の心太 季 己