五月の青空に泳ぐ鯉のぼり。
青葉・若葉の薫る風を、いっぱいにはらんで、高く低く、身を翻して泳ぐ鯉のぼり。
ぱくぱくあいている口に、思わず、柏餅を入れてあげたくなる鯉のぼり。
からからと鳴る矢車が、さんさんと降り注ぐ初夏の太陽を照り返して、絶え間なく金色の光の矢を放っている。
五月五日は、今は「こどもの日」であるが、「端午の節句」ともいう。
「端」は初めの意で、もともとは中国で、月の初めの午の日を「端午」といった。のちに「午」は「五」と音が通じるなどの理由で、五月五日を「端午の節句」というようになった。
古代から朝廷において、いろいろな行事があり、明治の初めごろまで続けられた。
矢車・鯉のぼり・吹流し・武者飾り・菖蒲葺く・菖蒲湯など、男の子の日にふさわしい民俗行事が繰り広げられる。
以前は旧暦五月の行事であったが、今は新暦で行なわれるため、立夏か、時にはその前日に当たることになる。
江戸っ子は 五月(さつき)の鯉の 吹流し
口ばかりにて 腸(はらわた)はなし
という狂歌があるが、実にさばさばして気持がいい。
もともと鯉のぼりは、武家の吹流しから始まったもので、軍(いくさ)の陣に用いた旗印をまねたものである。
江戸時代になって、町方の家でも、武家にならって、紙で作った鯉の吹流しを立てることとなり、鯉のぼりという言葉が生まれた。
それにしても、青空高く鯉を泳がせるとは、何とも素晴らしいアイディアではないか。
ことに、男の子が生まれて、初めて迎える初節句には、初幟といって、親類縁者などから贈られたお祝いの幟が立てられた。
今はこういう風習も少なくなり、村起しや町起しのために、川の両岸にワイヤーを張り、それに不用になった鯉のぼりを集めて吊るす、「鯉のぼりの川渡し」が風物詩となりつつある。
まことにのどかな風景ではあるが、値上げ、値上げの続く昨今、さぞかし鯉のぼりも音をあげていることだろう。
村起しの いま鯉のぼり風が欲し 季 己
☆ 悼 リンリン
上野動物園にいる唯一のパンダ「リンリン」が、30日午前2時ごろ、天国へ。
青葉・若葉の薫る風を、いっぱいにはらんで、高く低く、身を翻して泳ぐ鯉のぼり。
ぱくぱくあいている口に、思わず、柏餅を入れてあげたくなる鯉のぼり。
からからと鳴る矢車が、さんさんと降り注ぐ初夏の太陽を照り返して、絶え間なく金色の光の矢を放っている。
五月五日は、今は「こどもの日」であるが、「端午の節句」ともいう。
「端」は初めの意で、もともとは中国で、月の初めの午の日を「端午」といった。のちに「午」は「五」と音が通じるなどの理由で、五月五日を「端午の節句」というようになった。
古代から朝廷において、いろいろな行事があり、明治の初めごろまで続けられた。
矢車・鯉のぼり・吹流し・武者飾り・菖蒲葺く・菖蒲湯など、男の子の日にふさわしい民俗行事が繰り広げられる。
以前は旧暦五月の行事であったが、今は新暦で行なわれるため、立夏か、時にはその前日に当たることになる。
江戸っ子は 五月(さつき)の鯉の 吹流し
口ばかりにて 腸(はらわた)はなし
という狂歌があるが、実にさばさばして気持がいい。
もともと鯉のぼりは、武家の吹流しから始まったもので、軍(いくさ)の陣に用いた旗印をまねたものである。
江戸時代になって、町方の家でも、武家にならって、紙で作った鯉の吹流しを立てることとなり、鯉のぼりという言葉が生まれた。
それにしても、青空高く鯉を泳がせるとは、何とも素晴らしいアイディアではないか。
ことに、男の子が生まれて、初めて迎える初節句には、初幟といって、親類縁者などから贈られたお祝いの幟が立てられた。
今はこういう風習も少なくなり、村起しや町起しのために、川の両岸にワイヤーを張り、それに不用になった鯉のぼりを集めて吊るす、「鯉のぼりの川渡し」が風物詩となりつつある。
まことにのどかな風景ではあるが、値上げ、値上げの続く昨今、さぞかし鯉のぼりも音をあげていることだろう。
村起しの いま鯉のぼり風が欲し 季 己
☆ 悼 リンリン
上野動物園にいる唯一のパンダ「リンリン」が、30日午前2時ごろ、天国へ。