壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

夜やいつの

2011年07月31日 00時00分07秒 | Weblog
        夜やいつの長良の鵜舟曾て見し     蕪 村

 事実は簡単であって、普通の正常な順序で表現すれば、
        曾ていつの夜にか長良の鵜舟見し
 であって、何の変哲もないはずのものである。
 それなのに、「夜や」と夜に中心を置き、さまざまの部分を倒置して、このように変化をつけて表現すると、幼年時代の思い出でもあるかのような、しっとりとした懐かしさの情が全体に添ってくるから不思議である。
 しかし、いたずらに奇を好んで無秩序に表現を乱したのではない。その証拠に、この一句を意味の上から区分づけてみると、
     よや(2)・いつの(3)・ながらの(4)|うぶね(3)・かつて(3)・みし(2) 
 と、前部後部が整然としたシンメトリーの態をなしている。
 言葉と表現の魔術師めいた蕪村の真骨頂が、ここにも明らかである。

 季語は「鵜舟」で夏。「鵜舟」は鵜飼をする舟。鵜飼と関係づけて季語とする。

    「ああ、確かにそういう夜があったなあ。いつの年のいつの夜とも今では
     定かに記憶していないが、あの長良の鵜飼舟が篝火を掲げて往来する
     さまを見たことが、確かにあった」


      獅子頭ひとのきげんの中にあり     季 己

        ※ 獅子頭(ししがしら)は金魚の一変種。「らんちゅう」が
         老成し、頭部全体に紅色のこぶを生じたもの。夏の季語。

忍冬の花の

2011年07月30日 00時06分24秒 | Weblog
        蚊の声す忍冬の花の散るたびに     蕪 村

 昨日の「古井戸や」の句と同様、必ずしも夕方とするにはあたらない。
 垣根などであたりを囲まれ、草木が繁って、小暗く死んだように大気の動かない場所であろう。
 古花といってもしぼむのではなく、色だけが黄色くなって新花と一緒に長く蔓についている。それが散るには、あちらこちらから突如、誘い合わすようにして散る。その忍冬(にんどう)の落花の特性も巧みに把握されている。

 「忍冬」は、蔓草で、「すいかずら」ともいう。垣根や木の枝などにまつわり、初夏に弁の長い白い小花を次々と開く。古花は黄色に変化するので、新花と一つにして、中国では「金銀花」という。冬になると寒さに身を縮める人のように、葉が内側に巻くために「忍冬」などといわれる。

 「蚊が鳴いたほどにも思わない」と世間でもいうように、「蚊の声」、正確に言えば蚊の羽音は、耳のあたりに来ない限り、ほとんど意識されないくらいにかすかなものである。それが一回一回、終始を尽くして聴き取れるところに、あたりの大気のいかに澄みきって静穏であったかが想像される。しかし、それ以上に、蕪村自身の危ういまでに極度に鋭敏な神経と感覚とが痛感される。

 芭蕉は、自己と造化との生命を統べる一元の気に対しては、極度に謙虚であった。しかし、蕪村のこの句のように、具体的な自然界そのものの、このような微細な息づかいまでを、直接に感覚的に体得していたとは言い得ない。
 この句は、芭蕉における場合とは性質と意味とを異にした「感覚のみによる」自然の生命への、ある種の悟入であると言い得るのである。

 中七が、「忍冬の花」と「の」の一音だけ余分になっている。この「の」の添加によって気分にゆとりが生じている。また、「かこえす」「にんどうはな」と、「の」の音を重ねることにより、一種の「侘び」と「いとしみ」の気分が強められているのである。
 自然の生命の直接帰依の句として、蕪村の作品中でも珍しい一句である。

 季語は「蚊」で夏。

    「忍冬があたり一面に繁り、新花の中に混じって残っていた古花が、
     時折、思い出したように散る。かすかに他の花を打ったり、葉を
     かすめたりして落ちる。その花の落ちる音に混じって、花の落ち
     る道筋に潜んでいたらしい蚊が、あるかないかのかすかな驚きの
     声を立てるのがはっきり聴き取れる。しばらくすると、また花が
     ほろほろと落ちる。また、かすかな蚊の声がどこからか生まれる」


      眼科医が路掃いてゐるアマリリス     季 己

2011年07月29日 00時07分32秒 | Weblog
        古井戸や蚊に飛ぶ魚の音闇し     蕪 村

 蕪村の連句にも、「釣瓶に魚のあがるあかつき」の句があるように、昔は、水中の微生物を食べさせて水をきれいにするため、井戸の中へ鮒などを放したものである。その魚が、人が住まなくなって何年になるかわからない井戸の底に生きていて、井戸の主(ぬし)となり、しきりに活動しているらしい有様を、かすかな物音から意識させられるところに気味悪さがある。

 「魚の音闇(くら)し」の表現には、芭蕉の「海暮れて鴨の声ほのかに白し」の影響があることは無視できないが、この場合、魚の音により井戸の中の世界の暗さが、ひとしお強く意識させられる事実に基づいていて、実感があり無理がない。
 この句は、夕方とするよりも、白昼とする方が凄みが増す。

 季語は「蚊」で夏。

    「廃屋に近いような空き地の片隅に、雑草に閉ざされて古井戸がある。
     井筒は朽ち、内部にも忍の類がしげって、水面は見えないが、底の
     方で時々ごくかすかに水を乱す物音がしている。今でもこの井戸水
     の中に生きている魚があって、それが井戸の底の真昼の闇にひそむ
     蚊を追って飛び立つのであろう。その音を聞いていると、ことさらしん
     しんと井戸の中の闇が意識される」


      余生とは藪蚊のこゑの泣き笑ひ     季 己

蓼(たで)

2011年07月28日 11時08分51秒 | Weblog
        砂川やあるひは蓼を流れ越す     蕪 村 

 「あるひは」という語調の強さが利いている。
 「あるひは」は、この句においては、二重の意味を同時に達成するように活用されている。
 「ある時には」と、時間的な意味に働いて、水の増減によって河床に蓼の生えた時があり、またそれを水の流れを越している時もあることを示し、さらに「ある箇所では」と空間的な意味に働いて、狭い幅で何の変化もなく真っ直ぐに走っている砂川ではあるが、こんな情景の見られる箇所もあることを示している。
 砂の白に、蓼の花の紅と葉の緑を加えて、すべてを、濡れ色の鮮明さで整った調子にしている。

 季語は「蓼」で夏。「蓼」は、水辺などの湿地に生え、夏の末から秋の初めに、粟の穂に似た淡紅色の細花をつける。葉がぴりりと辛いことから「蓼食う虫も好き好き」の諺(ことわざ)になっている。

    「平坦な野の中に、小川が、真っ白な細かい砂床の上を浅い水が澄みきって
     流れている。いかにも穏やかで曲折のないさまであるが、それでも、水のよ
     り少ないときに砂の高まったところへ、自ら生えたらしい蓼の幾株かがあって、
     それを今では、水がひたし、なびかしながら流れ越しているというような箇所
     もある」


      声もたぬ蟬に生まれてみ空あり     季 己 


   [お詫び]  「夕涼み」は、2010.8.3に「破風」と題して、発表していますので、
       削除しました。誠に申し訳ありません。お詫びして、書き換えさせて頂きます。

三井寺

2011年07月27日 00時00分12秒 | Weblog
        三井寺や日は午にせまる若楓     蕪 村

 「午にせまる」が実にいい。「午にちかき」であったら、時間の説明に過ぎない。「午にせまる」なので、旺盛な日の光が、直接に目に映ってくるのだ。
 三井寺そのものが、琵琶湖に近い高みにあるので、正午の日は今、真上からただこの三井寺のみを直射しているような感じを受ける。
 初夏の日を真上に掲げることによって、あたりの建物の豪壮感を倍加せしめたのである。その上、三井寺は歴史上しばしば戦の中心地となったこともあって、その連想もこの句に力を与えるゆえんとなっている。
 若楓は、肉が薄く黄色に富み、葉脈なども消え果てるほどに、よく光を通す明るさの点では無類である。

 季語は「若楓」で夏。

    「琵琶湖の大景を俯瞰し、堂塔伽藍の壮大を極めた三井寺の境内。初夏の日は
     中天に近づき、今や刻んでいって正午、盛んな光が真上から若楓を打つように
     激しく照らしている。壮大なるがゆえに、やや暗い堂宇の側面などを背景として、
     若楓は、まるで青い焰のように明るく澄んで輝いている」


      窯元のものごし氷白玉か     季 己

酒十駄

2011年07月26日 00時25分27秒 | Weblog
        酒十駄ゆりもて行くや夏木立     蕪 村 

 「酒十駄」は、酒荷を負った馬十頭の意。荷を負った馬一頭を一駄という。
 「ゆりもて行くや」となっているので、酒荷よりも、それを負った馬の姿の方が中心となっている。馬子たちの姿は、ひとまず考える必要がない。
 馬も十頭とあれば、白、黒、栗毛とさまざまであろう。見送っていると、たくましい馬の尻が打ちつづき、尾が振られ、蹄(ひずめ)の音がこだまし、いななくものもあって、木の根の多い道を、山のように積んだ荷を高く低く揺らしながら、一心に進んで行くのである。
 ことに、負っているものが芳醇な酒荷であることが、この夏らしい一景を活気づけている。

 季語は「夏木立」で夏。

    「両側は亭々たる夏木立。その一本道を、菰被りの酒の荷を負った馬が十頭、
     長い列をかたちづくって進んで行く。その荷をてんでに小止みなく揺り上げ
     揺り下げ、左右の茂りへも触れながら、勇ましく進んで行く」


      天変地異すつと忘るる罌粟の花     季 己

礫(つぶて)

2011年07月25日 00時00分11秒 | Weblog
        いづこより礫うちけむ夏木立     蕪 村

 例の、静中に動を点じて静を強調したものである。「礫(つぶて)」に迫害の意を見出す必要はない。子どものいたずらと見てもよい。ただ、突然、礫の音がして、それを打った者の姿が見えず、その後、物音一切が消え去っている、気味悪いほどの静寂感が必要なのである。
 現に蕪村には、
        動く葉もなくておそろし夏木立
 の句がある。この「おそろし」は、極度の静寂に対する「おそろし」の感である。

 季語は「夏木立」(葉の茂った夏の木立)で夏。

    「枝葉がうっそうと茂り、たくさんの幹が白じろと立ち並んでいる中を、
     物思いにふけりながら放心状態で歩いていると、突然、葉を打ち幹に
     はじける強い物音がした。礫である。はっと、足を止めて辺りを見回し
     たが、物影一つなく、礫がどこから打たれたかさえさだかでない。木の
     葉一枚揺れることなく、夏木立は森閑と静まりかえっている」


      かなしみは砂に吸はせて浜おもと     季 己

汐煙

2011年07月24日 00時01分30秒 | Weblog
        汐煙きえて山より日は涼し     蕪 村

 前に海をひかえ、後に山を負った、塩田地方の夕涼の景が、的確に描かれている。
 古来、和歌などで、「汐焼く煙」が、弱々しい感傷の具にされつづけてきたことを思えば、蕪村の感覚の強靱さと、作者としての積極性が明らかとなるわけである。
 「夕べ」という字を使わないで、句全体から「夕べ」であることを読み手に悟らせている。
 「山より日は涼し」も、思い切った省略であるが、一句の中に据えてみるとき、少しの無理もない。事実、海辺地方では夕べとともに、海の方向へ山から風が吹き下ろしはじめるのである。

 蕪村は、ものがある状態から他のある状態へ推移しようとする、その接触点に立つ情景をとらえるにすぐれている。この句も、炎暑から晩涼へ移ろうとする微妙なひとときの景を描いているのである。
 従来あまり問題にされなかったことが不思議である。

 季語は「涼し」で夏。

    「一望の塩田は照り返し、いくつもの塩屋からは、汐を焼く煙がもこもこと
     立ちつづけて、日中は暑熱灼くがごとしであった。しかし、夕べとなった
     今は、塩屋の煙は途絶え、日さえ山に没しようとして、弱々しい紅い光
     となり、そちらから吹き下ろしてくる夕風と一つになって、涼しくさえ感じ
     られる」


      握手する手を篆刻に薄暑光     季 己

風の薫(かおり)

2011年07月23日 00時00分55秒 | Weblog
        さざ波や風の薫の相拍子     芭 蕉

 『笈日記』に、「去年(こぞ・元禄七年)の夏、又此のほとり(注 膳所)に遊吟して、遊刀亭にあそぶとて」と支考の前書を付し、「納涼二句」として掲出。

 「さざ波や」は、大津、志賀、長等、比良など湖南地方の地名に冠して、枕詞のように用いられることばである。
 「相拍子」は、相の手を入れること。
 「遊(正しくは辶ではなく氵)刀(ゆうとう)」は、近江膳所(ぜぜ)の人で、垂葉堂と号し、能太夫であったという。

 主の遊刀が能太夫であるところから、「相拍子」というような能の用語を用い、主への挨拶としたもの。軽やかな調子を生かした、即興の軽い味のものである。

 季語は、「風の薫」が「風薫る」・「薫風」を意味し、夏季。

    「琵琶湖のさざなみが、規則正しく波音を立てて寄せているが、折からの
     薫風がこれとよく調子があって、あたかも相拍子を入れているようで、
     涼しく爽やかな感じである」


      夏盛んモネの睡蓮見に行かん     季 己 

夏の月

2011年07月22日 00時00分15秒 | Weblog
          五月六日大来堂興行
        堂守の小草ながめつ夏の月     蕪 村

 この句の初案かと思われるものに、
        殿守のそこらを行くや夏の月
 がある。
 明るいけれども余情がなく、つつぬけにひらけているさまの夏の月の特性は、これらの主人公のくつろぎつつも孤独なやり場のない有様には、ふさわしい配合物であろう。
 「小草(おぐさ)」というのは、猫じゃらし・カヤツリグサの類であって、それが丈の高くない穂を月に白く光らしているのである。
 芭蕉にも、
        昼顔に米搗きすゞむあはれなり
 の句があって、似通った情景を扱っている。しかし、蕪村は芭蕉にくらべ、より傍観的な態度を持している。

 季語は「夏の月」で夏。

    「それほど大きくもない御堂の番人が、昼間はそれでも何人かの参詣人が
     あって気が紛れていたが、夜に入るとともに、することは一切なく、話相手
     もなくて、退屈なあまりに涼みがてら端居をしている。堂のあたりには、踏
     み固められた庭の一隅にわずかに伸び出ている草があって、夏の月の光を
     受けて輝いている。それを、堂守は所在なげに眺めるともなく眺めている」


      まだ書けるまだまだ書けと夏の月     季 己

掴(つか)む

2011年07月21日 00時00分11秒 | Weblog
        夕立や草葉を掴むむら雀     蕪 村

 「つかむ」は、「つかんだ」ではなく「つかもうとする」の意である。周囲に身を避けるための何物もない野面の夕立なのだ。
 大(夕立)と小(雀)との対照であって、夕立の猛威の前にさらされた、雀という小さなもののうろたえ騒ぐさまは、眼前に躍如たるものがある。
 「草を掴む」と言わず、「草葉を掴む」としたところに、身を託しきれない感じがはっきりと出ている。
 写実眼と気迫と、両要素の均整のとれている渾然たる名吟である。

 季語は「夕立」で夏。

    「だしぬけに地軸を覆(くつがえ)すような激しい夕立が襲来した。眼前は
     突風とともに狂いまわる真っ白な雨の幕。雀の一群が、逃れようとしても
     雨に飛び立てず、潜(ひそ)もうとしても風に薙(な)ぎ立てられ、地上
     二、三尺のあたりに、腹を前にして空しく羽打ち、昇りつ落ちつ、せめて
     草の葉をつかんで足場をさだめようとしても、大波のようにうねる草にか
     えって打ち払われ、ただチーチーとやかましく鳴きたてるのみ……」


      合掌の十指ひらいてうなぎ食ぶ     季 己

夕日の嵯峨

2011年07月20日 00時14分44秒 | Weblog
        若竹や夕日の嵯峨となりにけり     蕪 村

 京都・嵯峨は、おだやかな風光と歴史上の古蹟に富んでいる。ことに俳人にとっては、芭蕉の『嵯峨日記』などによって忘れられない地となっている。蕪村もしばしばこの地を散策したものであろう。
 この句は、「若竹や嵯峨は夕日となりにけり」というように、ただ一日だけ嵯峨野を歩んで、その太陽が夕刻に近づいたことを表しているのでは決してない。
 嵯峨野には藪が多く、『嵯峨日記』にも、
        嵐山藪のしげりや風の筋     芭 蕉 
        ほととぎす大竹藪を漏る月夜     芭 蕉
 などの名吟がある。
 小道の両側の竹垣一つをへだてて深い藪であり、頭上をおおった竹の葉を越す日光は、真昼でも月光のように澄みきっている。
 そういった藪へ、夕日が深々と射し込むと、若竹は、その独特の美を十分に発揮するのである。
 若竹――今年竹――は、幹の色もいわゆる「ろうかん色」であって、古竹の鈍い黄色を帯びたのとは全く異なっている。また、節ごとに胡粉のように真っ白な筋を巻いていて鮮やかである。
 梢も古竹のように重々しく茂らないで、「藪穂」といわれるように鋭く細く突き立っていて、それが風になびき日に輝く。
 蕪村は、「斜陽の美」を強く意識していたように思われる。

 季語は「若竹」で夏。

    「到る処の藪に若竹が生い伸びて、この頃では、嵯峨という地は、夕日の
     刻こそ最も趣深い地だと言い得るようになった」


      積上げし書の冷えびえと昼寝覚     季 己

ありやなし

2011年07月19日 00時23分11秒 | Weblog
        わかたけや橋本の遊女ありやなし     蕪 村

 「橋本」は、淀川の沿岸、山城男山の麓にある宿場である。昔、対岸の山崎へ通じる山崎橋がここにあったので橋本という。昔から遊郭があって、それゆえに名高かった。
 「ありやなし」は、『伊勢物語』の業平が隅田川で詠んだ
        名にし負はゞ いざこと問はん 都鳥
          わが思ふ人は ありやなしやと
 を踏んでいる。

 「ありやなし」の語は、ただ情をやるための雅語として利用したのであって、業平のように特定の懐かしい人を念頭においているのではない。今年竹が、古竹を圧倒するばかりに生い栄えているのを見るにつけ、人間界の栄枯盛衰を、ほのかに思いやっているのである。
 事実としては、橋本の遊郭は衰微しつつも、蕪村の時代には残存していた。当時は淀川の三十石舟によって、伏見から浪華へ下るのが普通であった。したがって、この句は舟中から沿岸を望んでの述懐であろう。

 季語は「わかたけ」で夏。

    「このあたりは橋本の宿場であると聞いている。だが、打ち眺めたところ、
     藪が到る処に茂っているばかりで、ひどくさびれている。今年の若竹が
     瑞々しく伸びて競い立っているのを見るにつけて、昔あれほどまでの繁
     華さで、《橋本の遊女》の名に唱われたものであるが、今日ではせめて
     名残くらいはとどめているのかしらと、懐古の気持に誘われる」


      健診の予約破棄する医者いらず     季 己

はつかに白し

2011年07月18日 00時00分57秒 | Weblog
          眺 望
        更衣野路の人はつかに白し     蕪 村

 上五の「更衣(ころもがえ)」は、一般的に更衣の季節であることを述べたもの。したがって、野路に眼をやる人自身も、白い衣に更(か)えているのである。
 おのれ自身の一新した気持が基となって、微細な一点の白をさえ、白衣の人影であることを思いやるのである。
 みどりの中のはるかな白一点によって、天下すべて衣を更える時候であることを、力強く表現しているところが技倆である。もっとも、みどりの中に遠く白を点出したことは、持統天皇の、
        春過ぎて 夏来るらし 白妙の
          衣乾したり 天の香具山
 の御製あたりから暗示を得ているのかも知れない。
 また、「はつかに白し」の手法は、
        海暮れて鴨の声ほのかに白し     芭 蕉
 にならっているもののように思われる。
 「はつかに」は、「わずかに」の古語。

 季語は「更衣」で夏。

    「みんなが衣を更える時節である。野路をはるかに眺めると、一面の
     緑の中の遠方にただ一点白いものが見える。ふだんなら人影とは
     わからないほどの遠さなのだが、やはり白いものに更えていると見
     えて、はっきりと動くのさえ見える」


      七月の海ひかる窓 雨の後     季 己

涼しさ

2011年07月17日 00時00分14秒 | Weblog
          雪芝亭
        涼しさや直ぐに野松の枝の形     芭 蕉

 野松の素直に伸びた形の涼しさをほめ、間接的に雪芝(せつし)の家をほめた挨拶の句である。
 松の形(なり)がそのまま、主人の嫌みのない人柄に通ずるというわけである。

 「雪芝」は、伊賀上野の人で酒造業。土芳には父方の従弟にあたり、この句の縁で野松庵と号した。
 「直(す)ぐに」は、野松の枝がまっすぐに伸びているさま。「ただちに」の意とする解もある。

 季語は「涼しさ」で夏。挨拶の句であるから、ほめる心も含まれた使い方である。

    「このお宅の庭前には、折しも松が植えられたばかりだが、枝ぶりも
     自然のままに、まっすぐに伸びた野松のさまで、涼しさが湧いてくる
     ように感じられる」


      七月や雨後の女のほつれ髪     季 己