壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

川手水

2011年05月20日 22時41分13秒 | Weblog
        短夜や同心衆の川手水     蕪 村

 「同心」は、江戸幕府の諸奉行などの配下に属し、与力の下にあって庶務・警察のことをつかさどった下級の役人。ここの「同心衆」も、幕府直属のそれであろう。
 「手水(ちょうず)」は、「テミズ」の音便で、手や顔を洗う水のこと。また、社寺など参拝の前に、手や顔を洗い清めること。転じて、厠(かわや)、また、厠に行くこと。大小便などの意がある。

 この句は、『季語+や+中七+名詞』の型で、中七と下五が一つのフレーズになっている。また、二つの助詞で三つの名詞を結びつけることによって、成立している。
 蕪村の句は、しばしば季題とそれに配合する事物と、さらにその事物の性質・動作・状態の説明と、この三要素から成り立っている。
 この句は、その三要素がことごとく名詞の形をとって具象化されているとともに、一句の生命が作者の真の抒情から遠ざかり、やや固定化しようとする相を帯びているものである。
 蕪村の配合法は、だいたいこの三要素の活用が基本をなしているものと考えてよい。
 明治時代においては、蕪村の「絵ごころ」とこの手法とが主に踏襲されて、ついには一般的マンネリズムに陥りさえしたのである。
 だが、現代の「や・かな・けり」の切字を嫌う風潮の中にあっては、逆に新鮮にさえ見える。初心者にとって、おすすめの型であることに変わりはない。

 季語は「短夜」で夏。

    「早くも夏の夜は明けてしまった。昨夜、何か事件があって、それに出向いた
     後なのか、あるいはここで張り込んでいたのか……同心長屋のほとりの川
     辺では、腰に朱房の十手を差した同心衆が立ち出て、がやがやと川水で顔
     を洗ったり、口をすすいだりしている」


      点滴に遠き空あり水中花     季 己