壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

更衣

2010年05月31日 21時39分41秒 | Weblog
        更衣世に逆はず虔(つつま)しく     福田蓼汀
        更衣へ晩年の計ほどほどに      角川源義

 「更衣」と書いて「ころもがえ」と読む。更衣は元来、平安時代に始まった宮中の儀式の一つであった。陰暦四月一日に、天皇はじめ貴族たち百官が、「もろもろの御装束・御殿の御帳のかたびらまで、夏の御よそほひに」あらためられた。江戸時代になると、幕府が制度として決め、一般人はこの日に綿入れを袷に着替えた。名字に「四月一日」と書いて「ワタヌキ」と読ませるのもこれによるという。
 陰暦四月一日に、綿入れを脱いで袷に着替え、五月五日の端午の節句に、袷から帷子(かたびら)に着替えるようになった。
 十月一日にはまた、夏の衣装から冬の衣装に替えた。十月の更衣を「後の更衣」という。
 現在はいっせいに更衣をする風調はうすれ、六月一日と十月一日の更衣を守っているのは、学生の制服とサービス業関係の制服が中心のようである。

 今朝、玄関の絵を、小嶋悠司先生の「陽」から花岡哲象先生の「六月の屈斜路湖」に、飾り棚の東田茂正先生の「瀬戸黒茶碗」を、同じく東田先生の「黄瀬戸茶碗」に、それぞれ替えた。これが、我が家の更衣といえるかも知れない。
 奇しくもその直後、東田先生からお電話をいただいた。先日のブログを読まれて、心配してくださったのだ。そのうえ、かねてからの念願である「茶碗をつくりに来ませんか」というお誘いも……。
 こうした多くの方々との関わり合いのおかげで、今、ここにこうして生きていられるのである。
 “おかげさま”で元気にしております、と縁ある方々に感謝せずにはいられない。


      更衣すれど脱毛手のしびれ     季 己

世を旅に

2010年05月30日 22時23分11秒 | Weblog
          かけい方にて
        世を旅に代搔く小田の行き戻り     芭 蕉

 初案は、上五「世は旅に」のかたちであった。
 制作事情から見て、「かけい」への挨拶の意が含まれているはずであるが、それは目立たない。それにしても、「今度もまたこうしてご厄介になります」というくらいの気持は、「世を旅に」の底を流れていると見たい。
 「代搔(しろか)く」は単なる比喩ではなく、旅中眼前に見てきた代掻きに、同じ街道を行き戻りして旅に生きる、自分の境涯を思い合わせた実感である。
 旧交の人々に再会した喜びよりも、旅の中に流転する自分の姿をひとり観じているような、言いようのない寂しさが揺曳(ようえい)し、挨拶の句らしい弾みが影をひそめて、つぶやきに似てきている。
 初案の「世は旅に」を、「世を旅に」とすることによって、より自分に引きつけた発想となった。
 「世を旅に」は、生涯を旅に過ごして、というほどの意。
 「かけい」は山本氏(1648~1716)。医を業とした名古屋の蕉門。芭蕉七部集の『冬の日』・『曠野(あらの)』・『春の日』の編者。晩年、反蕉風的な動きを示し、連歌に転じた。

 季語は「代搔く」で夏。
 「代搔く」は、稲を植える前に鋤(す)きおこした田へ水を入れて、牛馬を使って行きつ戻りつ掻きならすのをいう。

    「自分は生涯を旅に迎え旅に送ってきた、それはちょうど今あの農夫が田を掻くのに、
     小田の中を行ったり来たりしているさまと同じような、流転して定まらぬものであった
     ようだ」


      東京の人来て田植はじまれり     季 己

裏見の滝

2010年05月29日 23時39分41秒 | Weblog
        ほととぎす裏見の滝のうらおもて     芭 蕉

 ホトトギスのしきりに鳴く声が、滝の裏でも表でも盛んに聞かれる、という意にもとれるが、そうではなく、ホトトギスの瞬間の声と解したい。声だけで姿がたしかめられない「恨(うら)み」を、滝の名の「裏見(うらみ)」に寄せた発想であろう。「うら」と頭韻を踏んだところにも技巧が出ている。現代なら当然、写実を主にした方法になるところだが、それとは性格を異にし、いわば興じた発想なのである。
 元禄二年四月二日、陽暦では五月十六日の作。

 季語は「ほととぎす」で夏。「ほととぎす」そのものを生かしたのではなく、その声をしかと聞きとめられぬことを恨みとする諧謔を交えた発想。

    「裏見の滝で、ほととぎすの声を耳にしたが、その声が滝の音にまぎれ、あるいは
     裏からとも、あるいは表からとも感じられ、確かめられないのが残念である」


      羽抜鳥群れを抜け来て憂さ晴らし     季 己

夏衣

2010年05月28日 22時30分07秒 | Weblog
          卯月の末、庵に旅の疲れをはらすほどに
        夏衣いまだ虱を取り尽くさず     芭 蕉

 大きな旅を終えて、芭蕉庵に身を休めた安らぎの気分が出ている。
 『野ざらし紀行』の最初の句、「野ざらしを心に風の沁む身かな」に相対して、ホッとした思いが、芭蕉の心をひたしていることが感じられる。決意によって立ち向かった旅を、今やなしおえて、次に向かっていまだ動かざる姿である。
 貞享二年(1685)旅を終えて深川の庵(いおり)に帰ったときの作。

 「卯月(うづき)」は陰暦四月。十二支の卯の月、また、苗植え月(なえうえづき)の転ともいわれる。「卯の花月」ともいう。
 「はらす」は、「払いのける」・「心をせいせいさせる」の意だが、ここでは、(疲れが)「まだとれない」の意。
 「夏衣」は、夏に着る単衣(ひとえもの)のこと。
 「虱を取り尽くさず」は、旅衣のままで、旅中負った虱も、まだとりきっていない、というのである。旅の疲れのまま、日を送っている気持を述べたものである。
 「夏衣」というあらたまった言い方に、古来中国で、隠逸(いんいつ=世俗を逃れ、隠れ棲んでいる人)につきものとなっている虱を出すことで、俳諧味を効かせたものと思う。
 「夏衣」が季語。

    「旅を終えてわが庵に帰って来たが、旅疲れのままに、旅中着ていた夏衣もそのまま、
     虱もまだ取り尽くすまでに至らず、もの憂い日を過ごしている」


 抗ガン剤投与のため駒込病院へ行き、血液・尿検査を受けた。その結果、白血球の“NYU数”が、これまでの最低値750で、本日の抗ガン剤投与は中止となった。この数値が1500以下の場合、投与は中止となる。ちなみに、前回は2470であった。
 前回から受け始めた「ゼリリ+ベバシズマブ療法」は、白血球数を減らすとは聞いていたが、こんなに急激に減るとは思わなかった。
 副作用も、以前10回受けた療法とはかなり違う。
 例えば、脱毛。ただでさえ少ない髪の毛が、ごっそり抜け落ちるのだ。髪の毛をちょっと引いただけで、ねこそぎ抜けてしまう。まるで田植えの際の苗束のように。
 また、指先の指紋部分が、常にビリビリの軽いしびれ状態。
 その他、しゃっくりが出ると4~5日続いたり、膨満感で食欲が落ちたり、下痢気味になったりと……。
 癌をやっつけるためには仕方がないのだろうが、身体の健全な部分が、蝕(むしば)まれてゆくような気がしてならない。
 投与と投与の間の期間をもう少しあけてもらうなど、自分の身体の調子を考え、自分でコントロールすることが大事だと思う。

      息抜きの画廊に逢ひし夏衣     季 己

烏賊売りの声

2010年05月27日 21時37分30秒 | Weblog
        烏賊売りの声まぎらはし杜宇     芭 蕉

 同じ季節のものを取り合わせて、市中生活の中から風雅を見つけた発想である。江戸市井の生活の中における芭蕉の姿がよく出ていて、杜宇(ほととぎす)という和歌的な風物が、市井の烏賊売りの声と絡み合うところに俳諧があり、これも芭蕉の求めていた軽みの句といえよう。

 季語は「杜宇」で夏。現在、「ホトトギス」は「時鳥」と書くが、「杜宇」のほかに「杜鵑」・「子規」・「不如帰」・「蜀魂」・「杜魂」という表記もある。
 「烏賊(いか)売り」は呼売りで、これがまぎらわしく感じられるのは、時鳥の声への関心が強いことを表す。そこに庶民生活の中の時鳥が生かされたのである。

    「時鳥の声を聞こうと待ち望んでいると、折から烏賊売りが、売り声高く売り歩いている。
     まことに耳についてまぎらわしく、肝心の時鳥の声を聞き漏らしてしまいそうである」


      蠅ふたつみつつ廃品回収車     季 己

風の筋

2010年05月26日 22時59分47秒 | Weblog
        嵐山藪の茂りや風の筋     芭 蕉

 『嵯峨日記』四月十九日の条に、昨日の「うきふしや」の句につづけて、
    「午半(うまなかば)、臨川寺に詣づ。大井川前に流れて嵐山右に高く、松の尾の里に
     続けり」
 とあり、この散策中の属目吟であろう。自然を大づかみに、しかも動的にとらえ、色彩的にもゆたかな効果をあげた句である。

 「茂り」は、夏の木の枝葉がうっそうと重なりあって、生い出でたさまである。「茂(繁)り」とは、場所いっぱいを占めて、密に生え伸びていること。これが「茂し」になると、草木以外に、抽象的に、空間的に隙間のないことや、時間的に絶え間がないことにも使う。ただ、『歳時記』の例句となるような「茂し」の句は、不勉強ゆえ知らない。
 「風の筋」は、風が吹き通る道筋。竹藪の秀(ほ)のそよぎから視覚的にとらえていったもの。現代にも、中村汀女の「ややあれば茂り離るる風の筋」の秀句がある。

 季語は「茂り」で夏。繁茂した季節感のみならず、柔軟な竹藪の穂のなびきやすい質量感をとらえた使い方がみごとである。

    「嵐山の方を眺めやると、ずっと竹藪の茂りが連なっている。その藪の秀の上を風の
     吹き通ってゆくのが、一本の筋となって望まれることだ」


      潮満ちて島静かにも茂りたる     季 己

佳人の果て

2010年05月25日 20時27分10秒 | Weblog
        うきふしや竹の子となる人の果     芭 蕉

 『嵯峨日記』四月十九日の条に、
    「松尾(まつのを)の竹の中に小督屋敷(こごうやしき)といふ有り。……墓は三間屋
     の隣、藪の内にあり。しるしに桜を植ゑたり。かしこくも錦繍綾羅(きんしゅうりょう      
     ら)の上に起臥(きが)して、終(つい)に藪中(そうちゅう)の塵芥(ちりあくた)となれ
     り。昭君村(しょうくんそん)の柳、巫女廟(ふじょびょう)の花の昔もおもひやらる」
 とあって、この句が出ている。

 佳人の果てをあわれむ思いが、眼前の竹の子の姿に結びつけられたのであるが、佳人の果てが、竹の子となるというところに、たいそう俳諧的な味があり、ここに貞門談林とは異なった、蕉風の新しい笑いがあるといっても過言ではない。
 上掲の『嵯峨日記』の文に頼って読むと、「昭君村の柳」「巫女廟の花」という異国的な古典美に対して、「小督屋敷の竹の子」という新しい俳諧美を生かしていることがわかる。

 「うきふし」は、「竹の節」と「世の憂き節」とをかけた技巧で、竹の子の縁で、こう言ったもの。
 「人」は小督をさす。小督は、高倉院の寵遇篤かったが、平清盛に憎まれて宮中を逃れ、嵯峨に隠れ棲んだ。勅命によって源仲国がこれを追う。小督の弾く琴の音によって尋ねあて、宮中に連れ帰ったが、清盛の憎しみがつのり、小督はついに二十三歳にして尼にされ追放された。
 これは『平家物語』(巻六、小督)の有名な一章であるが、芭蕉の場合には、直接には謡曲「小督」を心において発想しているものと思う。
 出典の『嵯峨日記』は、元禄四年四月十八日から五月四日まで、十七日間、嵯峨の去来の別荘‘落柿舎’に滞在したときの芭蕉の日記である。

 季語は「竹の子」で夏。いきいきした竹の子に、悲劇の人の面影を重ねて偲びやる、俳諧的な生かし方である。

    「かつては宮中の奥深く栄耀をほこった身も、有為転変の例にもれず、運命にもてあそばれて
     はかない最期をとげ、その跡も今は、竹の子の生い出づるところとなってしまった。おもえば
     この世の憂き節しげき人の身が、この竹の子となり果てたところに、うかがわれることよ」


      竹の子のおのれ知りたる目鼻立ち     季 己

竹の蟻

2010年05月24日 23時12分27秒 | Weblog
        夕立にはしり下るや竹の蟻     丈 草

 夕立に見舞われたときの、一種 不安な緊迫感がとらえられている。よく見ると、蟻の動作はいかにも人間的だが、これを「夕立に‘うろたへ’下る」と擬人化すると、浅薄になってしまう。
 「はしり下るや」は、もとより蟻が一目散に駆け下る様子を言ったものであるが、襲い来る雨脚の気勢をも響かせている。

 この句は、『篇突(へんつき)』(元禄十一年)に「五老井の納涼」と前書して初出する。
 作者の丈草は、蕉門四哲の一人。寛文二年(1662)、尾張犬山藩士 内藤源左衛門の嫡男に生まれた。通称、林右衛門、遁世して丈草と号した
 元禄二年、芭蕉に師事し、同四年刊行の『猿蓑(さるみの)』に初入集した。しかも、其角・尚白・史邦らに次いで多く、発句十二を数え、漢文で後序を執筆するなど、一躍名をあらわした。

 季語は「夕立」で夏。小動物のあわただしい姿態を鮮明に描出しながら、沛然(はいぜん)たる夕立のもたらす涼味を示唆している。

    「暗緑色のつややかな竹の肌を、夕立におびえ、節につまずきながら、一匹また一匹と
     懸命に駆け下る、黒い大蟻の足どりよ」


      雷鳴と競ひ心経あげにけり     季 己

軽み

2010年05月23日 20時01分57秒 | Weblog
        卯の花や暗き柳の及び腰     芭 蕉

 初夏の夢幻的な夜景を詠んだ、属目即興の吟と思われる。
 遠路を隔てた人への挨拶吟で、相手を卯の花に、自分を柳に比したとする説には、賛成できない。一種の擬人化的発想であるが、感覚による裏付けがあるので、初夏の匂うような夜気をただよわせていることは感じられる。「軽み」の一つの試みが、うかがわれるようである。
 晩年の芭蕉が、力をこめて唱道したのは、この「軽み」であった。一切の巧みや虚飾を去り、俗談平話をもって物の真実を描き、日常卑近な生活の中に詩を見つけ出そうとするものである。この晩年の風調に至って、俳諧は真に庶民の詩として結晶することになる。
 「高く心を悟りて、俗に帰るべし」という有名な言葉も、つまるところ、この境地を言ったものに他ならない。

 「及び腰」は、手を前に伸ばして届きかねる物を取ろうとするときの、腰を曲げた不安定な姿勢。へっぴり腰。ここでは柳の幹の屈曲あるいは傾斜したさまをいったものであろう。
 
 季語は「卯の花」で夏。「柳」(春)は、季語として働いていない。元禄七年、つまり芭蕉が亡くなる年の初夏の作。

    「卯の花が夜目にもしろじろと、今を盛りと咲いている。その傍らの夏柳は、繁った枝を
     その上に垂れ、まるで及び腰のようにその幹をくねらせている」


 人間国宝・林駒夫氏のギャラリートークを聞きに、「伝統工芸人形展」(日本橋・三越)へまたまた出かけた。始まるまでに5分ほど時間があったので、どれくらい作品が売れたか調べてみた。出品作品68点中、売約済みはゼロ。非売品もあるが、ほとんどに値札が付いていたので、売れた作品は全くなかったということか。
 この出品作とは別に、即売用の小品が数十点、陳列されている。こちらは17点に赤札が付き、総額200万円ほどの売り上げがあったようだ。

 さて、林駒夫氏のギャラリートーク、各作家の制作意図の紹介が主であったが、合間合間の氏の感想が、非常に興味深かった。人形作家も俳人も、つまるところ、心構えは全く同じである、とつくづく感じさせられた。氏のお話の中から、‘入賞’するには、どうすればよいかが見えてきたので、それらを列挙してみよう。
  ○自分の世界を持つこと。いつまでも師の真似ではいけない。自分の世界を持ちつつ、時には変化させる。(俳句の世界でいえば「不易流行」ということか)
  ○旧態依然の作では、どんなに美しい人形であっても入賞はできない。どこかに新し味がなければいけない。
  ○作者の制作意図が、見る者に素直に伝わる作品。
  ○見えない物・音・匂いなどを、目に見えるように表現した作品。
  ○正面からだけではなく、斜めから見ることも必要。
  ○人形を置く台にも配慮すること。単なる台ではなく、人形と一体と考えよ。
  ○汚い物でも美しく表現することが大事。
  ○うますぎても美しすぎてもいけない。きっちり作りすぎると標本になってしまう。
  ○重たい作品は不可。軽みが大切。楽しく、適度に遊びのある作品が好ましい。
  ○実だけでは面白くない。適度なウソ、虚が必要。
  ○省略して、抽象性を出す。
  ○今、あるいは時代が、はっきりわかるように表現する。時代不明は不可。

 もっと大切なことをおっしゃったかも知れないが、記憶に基づいて記したので、誤りがあったらお許し願いたい。

      寄り合ひて看取りの花か山うつぎ     季 己

五月(さつき)

2010年05月22日 22時32分00秒 | Weblog
          五月末、ある人の水楼にのぼる
        湖は晴れて比叡降り残す五月かな     芭 蕉

 琵琶湖の大観を詠んだものである。
 「湖(うみ)は晴れて」という「は」の字余りも、おおらかなひびきが流れて、快い効果をあげている。「ある人の水楼にのぼる」とあるので、湖水の見晴らしの利く二階などで詠んだもので、挨拶の意がこめられていよう。ある人はどういう人か、その伝は不明である。

 「水楼(すいろう)」は、水際に高く造った殿舎。
 「湖(うみ)」は琵琶湖。
 「比叡(ひえ)」は比叡山。
 「降り残す」は、まだ降りこめているの意。有名な「五月雨の降り残してや光堂」の場合とは異なる。

 季語は、句の表面上では「五月(さつき)」であるが、実質的には「五月雨(さみだれ)」である。夏。

    「ここの水楼から湖上を見渡してみると、五月雨もようやく上がろうとし、湖上は晴れているが、
     比叡山あたりはまだ降り残る雨があるらしく、雲がかかっていて、いかにも五月にふさわしい
     眺めがほしいままにできることだ」


 やはり来てしまった、『深沢軍治展』(「画廊宮坂」)に。一昨日、作品たちと名残を惜しんできたはずなのに。初日、四日目そして最終日と、これで三度目である。〈三度の武田〉ではあるが、「群れる1」は売約済み、「そのまわりに(青)」(30号)は、豚小屋には大きすぎるので……。
 「並の作品は、人を選ばないが、名作は人を選ぶ」と考える変人は、今回は、深沢先生の作品を持つ資格がなかったのだ、イヤ、身辺整理をせよと示唆してくれたのだ、と思いたい。
 今日、来たおかげで、画家の武田智束先生および写真家の窪田元彦先生と、ゆっくりお話ができ、至福の時を過ごせたことが何よりであった。

 ‘やはり’と言えば、一昨日同様、「伝統工芸人形展」へ寄ってしまった。「身辺整理、身辺整理」と呪文を唱えながら、青江桂子さんの作品「空」を拝見した。展示場所が、一昨日までとは変わっていたが、観れば観るほど魅せられてしまう。おそらく、手ではなく‘こころ’でつくっているからであろう。
 「虚実皮膜」という言葉があるが、「空」は、現実から一寸ほど離れた作品だと思う。これが、より虚に近づき、実から一尺離れた作品を、一日も早く観られることを祈りたい。

     犬好きが犬を欲しがる五月晴     季 己

非売品

2010年05月21日 20時24分57秒 | Weblog
 初日に行ったときに、「非売品です」といわれた作品に、昨日またお邪魔したら‘赤ピン’が付いていた。赤ピンとは、もちろん、売約済という印である。
 ではなぜ、「売約済みです」と言わずに「非売品」と言ったのだろうか。思うに、私のためを思って、あえてウソを言ってくれたのだ。「自分のことをしっかり考えなさい。身辺整理を早く始めなさい。もう絵を買う年齢ではないでしょう」と、暗黙の中にささやいてくれたのだ。
 ウソをついても、一枚でも多く売りたいのが、ふつうの画廊である。それを「もう買うな」というのだ。何とも不思議な画廊である。
 「少年のころの夏空このブルー」という句を詠んだが、それが、この「非売品」である。この作品と同様にしびれたのが、30号の大作である。この作品は、いくらしびれても置き場所はないし、第一、年金暮らしの身にとっては……。だが、宝くじにでも当たったら、絶対に欲しい作品である。
 おいしいコーヒーとお菓子をいただきながら、心ゆくまで作品たちと名残を惜しんだ。
 
 都営浅草線で、日本橋へ。三越で、「第25回 伝統工芸人形展」を観る。これは、日本工芸会人形部会が開催する人形作家の全国公募展である。公募された作品の中から、厳重に鑑査をを経て選ばれた入選作70余点が、本館1階中央ホールに展覧されている。
 この人形展も2度目である。1度目に来たときに、傍へ置きたいと思った作品が3点あった。
 秋山信子の「宴」の気品と、凛とした美しさ。残念ながら?これは「非売品」。
 平城遷都1300年を祝福するような、林駒夫の「青丹よし」。しかし、二百ウン十万円では、手も足も出ない。
 東京都教育委員会賞の「空」(青江桂子)は、シンプルかつさわやか。あまりにもシンプルなので、逆に鑑査委員に大きな拍手を贈りたい。「よくぞ、このシンプルな作品に賞を与えた」と。以前の鑑査委員では考えられないことである。
 作品は、白シャツに青いジーパンの少女が、防波堤に腰掛け、伸びをしている、といういたってシンプル。そのシンプルさが、さわやかさを醸し出すのかも知れない。
 題の「空」は「そら」と読むが、作品を観ているうちに「クウ」の心になってくる。故・高田好胤師の唱えた般若心経の空(くう)の心だ。
    かたよらない心
    こだわらない心
    とらわれない心
    広く、ひろく、もっと広く
    これが般若心経‘空’の心なり
 仏教でいう「安心立命」のような、安心しきった少女の顔が、何ともすばらしい。
 1度目より2度目の方が、より強く心惹かれた。もう一度逢いに行きたいが、そうすると……。
 そうだ、「身辺整理、身辺整理」と呪文を唱えながら、観ればいいかも知れない。


     伸びをする青きジーパン聖五月     季 己

センス

2010年05月20日 22時15分12秒 | Weblog
         使至塞上(使いして塞上に至る)   王 維

       単車辺(たんしゃ へん)を問わんと欲して
       属国居延(ぞくこく きょえん)を過ぐ
       征蓬漢塞(せいほう かんさい)を出で
       帰雁胡天(きがん こてん)に入(い)る
       大漠弧烟直(だいばく こえん す)ぐに
       長河落日円(ちょうがらくじつ まど)かなり
       蕭関候騎(しょうかん こうき)に逢えば
       都護(とご)は燕然(えんぜん)に在りと

      たった一台の車で、辺境を視察しようとして、
      典属国を拝命した私は、匈奴の地、居延のあたりにさしかかった。
      風に吹かれ、転がっていく蓬(よもぎ)は、漢の砦(とりで)を出発し、
      北へ帰る雁は、異国の空の下に入って行く。
      大砂漠の彼方には、ただ一条(ひとすじ)の煙がまっすぐに立ち上り、
      遙かに流れゆく大河の果てに、まあるい大きな太陽が沈んでいく。
      蕭関で斥候(せっこう)の騎馬兵に出会ったら、
      都護どのは、燕然山まで前進しておられるとのことだ。


 この詩は737年、王維(おうい)が節度判官(せつどはんがん)に転任となり、初めて塞外(さいがい)へ出たときの印象を詠じた、一種の辺塞(へんさい)詩である。したがって、通例のごとく、漢代に時代を借りている。
 この詩の見どころは、なんといっても王維の画家としての抜群のセンスにあろう。広大な砂漠地帯の風物を、一幅の近代的かつモダンな幾何学模様の絵画に構成している、3・4行目と5・6行目の対句部分である。
 3・4行目では、地上を転がる蓬と、天空を飛ぶ雁の上下の対比、同時に「出」と「入」の対比により、奥行きがとらえられる。
 5・6行目では、まず際限もなく広がる砂漠と、真っ直ぐに上る一条の煙。面の広がりと直線の構図。この「直」の字が、絵でいえば、画面の中央にスーッと描かれるように、この詩のアクセントになっている。
 つぎは、長河とまあるい落日。幅のある横の線と円である。そしてこれは、モノクロームではない。原色の世界である。黄色というより、黄金色の砂漠、真っ赤な夕日、青い煙、白い河。こういった組み合わせは、強烈な印象を持つ立体的幾何学模様の極致を示すといえよう。雄大にして迫力あるパノラマを見る心地がする。王維の情熱の一端を垣間みる作品でもある。
 

      狛犬の阿吽に夕日 楠落葉     季 己     

風の香

2010年05月19日 22時36分29秒 | Weblog
          盛信亭
        風の香も南に近し最上川     芭 蕉

 盛信(せいしん)の家居の涼しげな風情を褒め称える、挨拶の心がふくまれていよう。
 「風の香も南に近し」は、蘇東坡の「薫風 南より来たる」あたりを念頭において、「風の香も」と発想したものと思う。
 「南に近し」は、「風の香も」をうけ、また「最上川」にかかり、上下に働いた据え方となっている。曾良の『随行日記』によれば、元禄二年六月二日の作。

 「盛信亭」は、盛信の家にて、の意の前書。盛信は、新庄の富豪、渋谷九郎兵衛。

 季語は「風の香」すなわち「風薫る」で夏。「風薫る」は、「薫る風」・「薫風」などともいい、水の上や青葉・若葉を渡ってくる風の、匂うような感じをいう。
 『増山井』に、
 「風薫(かをる) 南薫 六月に吹く涼風也。薫風自南来(クンプウミナミヨリキタル)と古文前集にいへり」
 とある。

    「ここにいると、いかにも初夏の南風らしく、かぐわしくさわやかに風が吹き渡って
     くるが、これは南に、近く雄大な最上川が流れていて、その流れを越えてきた南
     風であるからであろう」


      薫風や画廊に赤きピンいくつ     季 己

山賤(やまがつ)

2010年05月18日 21時26分05秒 | Weblog
          甲斐山中
        山賤のおとがひ閉づる葎かな     芭 蕉

 「甲斐山中」という前書にふさわしい句である。
 人に会うこともない山中で、ようやくにして会った山賤(やまがつ)も、怒ったような無愛想な表情をして、口を開きそうな気配も見えぬ、という力強い句である。
 山中、人懐かしさの念がきざしている折も折、はからずも会った山賤の風貌の、いかにも山人らしい厳しさに、驚き見つめている感じの句である。

 「山賤」は、樵夫(きこり)など、山仕事を生業(なりわい)とする者。
 「おとがひ閉づる葎(むぐら)」は、葎が山賤の頤(おとがい)のあたりまで茂っているさまととる説、雑草の高さにあきれて口を閉ざす意にとる説などがある。
 葎が繁茂している中で会った山賤が、都人などと違って、無愛想に口を閉じているさま、ととるのが面白いと思う。
 頤を隠すととると、「葎」は理詰めの把握になる。山賤が頤を閉ざすととった場合は、「葎」はこれをかこむ場になって、句が面白くなる。
 「おとがひ」は、頤で‘下あご’のこと。
 「葎」は、荒れ地や野原に茂る雑草の総称。たくましくはびこる雑草の代表としていったものであろう。これが季語で夏。

    「人も行かぬ、雑草の丈なす山中で会った山賤は、むずと口を閉ざして開こうともしない」


      八重葎かがみてよはひひしひしと     季 己

鳴く鳴く飛ぶ

2010年05月17日 21時31分17秒 | Weblog
        時鳥鳴く鳴く飛ぶぞいそがはし     芭 蕉

 「鳴く鳴く」が、さすがである。「鳴き鳴き」よりは、「鳴く鳴く」の方がずっとよい。
 「鳴き鳴き」では、のべつに鳴いているような、俗な感じになってしまう。「鳴く鳴く」という中古の語法だと、鋭さもあり、一度飛び去ってから再び激しく鳴く感じもなかなかよく出てくる。時鳥(ほととぎす)をあわれむ心も出る。

 季語は「時鳥」で夏。時鳥の鳴きながら飛ぶせわしさがつかまれているが、写生的ではない。

    「時鳥が鋭い声で鳴く。鳴いたので仰ぐと、もう飛び過ぎている。そして飛びながら
     また鳴く。その感じが、まことにいそがわしいことだ」


      少年のころの夏空このブルー     季 己

    ※ 「深沢軍治展」(画廊宮坂)、『群れる1』に深く感銘して……

      「深沢軍治展」
    5月17日(月)~ 5月22日(土)
       画廊 宮坂
    中央区銀座7-12-5 銀星ビル4F
     03-3546-0343