振舞や下座になほる去年の雛 去 来
この句は、私に思うところがあって作ったものである。
上五を、「古ゑぼし・紙衣(かみぎぬ)や」などとすれば、去年の雛が古くなったことを、さらに念押ししているようで、言い過ぎになる。
この季節の自然の景物を置いたのでは、景は見えても、下にこめた自分の気持が伝わらない。
そうかといって、「あさましや・口をしや」のたぐいでは、句意が見え見えで、句が浅くなってしまうので、今の「振舞や」を冠に置いて、先師の評を求めたところ、
先師は「上の五文字に深く心をこめようとしては、信徳の〈人の代や〉の句みたいになってしまうな。十分とはいえないが、〈振舞や〉で我慢しよう」といわれた。
痛む吾が腰に小春の日和かな 季 己
この句は、私に思うところがあって作ったものである。
上五を、「古ゑぼし・紙衣(かみぎぬ)や」などとすれば、去年の雛が古くなったことを、さらに念押ししているようで、言い過ぎになる。
この季節の自然の景物を置いたのでは、景は見えても、下にこめた自分の気持が伝わらない。
そうかといって、「あさましや・口をしや」のたぐいでは、句意が見え見えで、句が浅くなってしまうので、今の「振舞や」を冠に置いて、先師の評を求めたところ、
先師は「上の五文字に深く心をこめようとしては、信徳の〈人の代や〉の句みたいになってしまうな。十分とはいえないが、〈振舞や〉で我慢しよう」といわれた。
痛む吾が腰に小春の日和かな 季 己