壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

選者を恨む

2011年05月10日 22時41分05秒 | Weblog
        行春や選者を恨む歌の主     蕪 村

 平忠度(ただのり)が、一門の都落ちに従う途中から、わざわざ引き返してまで俊成に依頼した自分の歌が、『千載集』に「詠み人知らず」として載せられたのを恨んだ、という故事がある。
 また、公任卿の家の歌会で、長能(ながよし)の作品が公任に咎められ、これを苦にして長能は翌年、病没した、という故事もある。 
 しかし、この句の主人公を忠度あるいは長能と限定する必要はない。

 作者が選者を恨むということは、一種の逆恨みであるが、そういう架空の人物の姿を描いて、過ぎ行く春に対する「恨」と言ってもいいような、理由のたたない「侘びの情」を具体化して見せたものと思う。この具体化する、ということが俳句では大切で、しっかり見習いたい。

 余談になるが、選者を恨む前に、選者のことをしっかり調べなさい、と言いたい。これは俳句大会に限らず、絵画の公募展などにも言えることである。
 賞をねらいたいなら、まず選者に合わせることが重要である。選者の力量を越えた作品は、選者には当然、選ぶ力はないのだから。
 だが、これは空しいことで、やはり自分が敬愛する作家が選者である大会なり公募展に、自分の渾身の作を出すのが正道であろう。

    「春も過ぎ去ってゆこうとしている。もう今さら恨んでも仕方がないのに、
     ある人が、自分のあれほど素晴らしい作品が、選にもれたと言って、
     歌の選者を悪し様に言ったりしている」


      韓服の裾ゆれ初夏の三河島     季 己