上野公園で、千円で買った“照手桃”が、そろそろ見頃になってきた。
三月三日の雛祭を桃の節句というが、それならやはり、陰暦の三月三日でなければ、実感が伴わない。こんなことに気づいたのも、千円のおかげだ。
氏神様の「すさのお神社」の桃の花も、今が満開で、《桃まつり》が行なわれている。
春に先がけて咲く梅、春たけなわに開く桃、過ぎ行く春と共に散る桜。同じくバラ科に属する木の花であるが、それぞれに異なった味わいを持っている。
ただ桃の花は、梅や桜にくらべて、ぽってりと肥えた感じのする花びらと濃厚な色彩とから、やや中国趣味に感じられる。その上、グルメ時代の近頃では、その果実のおいしさゆえに、花を愛でる人は少なくなったようだ。まさに「花より果実」である。
イザナギノ尊がイザナミノ尊の怒りに触れて、黄泉の国から地上へ逃げ帰ったとき、黄泉平坂(よもつひらさか)で、追手の鬼に投げつけたのが三個の桃だった。
中国の古い伝説に見える、三千年に一度実る西王母の桃などというのも、桃の実のおいしさから出た説話であろう。
しかし、桃の花の燃え立つような美しさも、決して捨てたものではない。
古代中国の民謡を集めた『詩経』には、
桃ノ夭夭タル
灼灼タル其ノ華
と、輝くような花の美しさを讃えている。
また、『万葉集』巻十九、大伴家持の、
春の苑 くれなゐにほふ 桃の花
下照る道に 出で立つ少女(おとめ)
の有名な一首は、豪華な春の眺めを描いた絵のようであるが、まるで気分が乗っていない気がしてならない。
明るくて暗くて雨の桃の花 季 己
三月三日の雛祭を桃の節句というが、それならやはり、陰暦の三月三日でなければ、実感が伴わない。こんなことに気づいたのも、千円のおかげだ。
氏神様の「すさのお神社」の桃の花も、今が満開で、《桃まつり》が行なわれている。
春に先がけて咲く梅、春たけなわに開く桃、過ぎ行く春と共に散る桜。同じくバラ科に属する木の花であるが、それぞれに異なった味わいを持っている。
ただ桃の花は、梅や桜にくらべて、ぽってりと肥えた感じのする花びらと濃厚な色彩とから、やや中国趣味に感じられる。その上、グルメ時代の近頃では、その果実のおいしさゆえに、花を愛でる人は少なくなったようだ。まさに「花より果実」である。
イザナギノ尊がイザナミノ尊の怒りに触れて、黄泉の国から地上へ逃げ帰ったとき、黄泉平坂(よもつひらさか)で、追手の鬼に投げつけたのが三個の桃だった。
中国の古い伝説に見える、三千年に一度実る西王母の桃などというのも、桃の実のおいしさから出た説話であろう。
しかし、桃の花の燃え立つような美しさも、決して捨てたものではない。
古代中国の民謡を集めた『詩経』には、
桃ノ夭夭タル
灼灼タル其ノ華
と、輝くような花の美しさを讃えている。
また、『万葉集』巻十九、大伴家持の、
春の苑 くれなゐにほふ 桃の花
下照る道に 出で立つ少女(おとめ)
の有名な一首は、豪華な春の眺めを描いた絵のようであるが、まるで気分が乗っていない気がしてならない。
明るくて暗くて雨の桃の花 季 己