秋の雨は風を伴なわず、しょうしょうと降る。わびしいものである。
芭蕉翁が旅の庵で聞いた音も、この音であったろう、とふっと思う。
天気図を見ると、梅雨前線とまったく同じものが、本州付近にへばりついている。
あたかも梅雨時のように、じめじめと降り続く秋の雨を、「秋りん」・「秋ついり」という。
今朝も、その雨が降りつづいている。
「読売新聞」を広げる。きょうも自民党、いや麻生総理をほめちぎっている。
変人には、目立ちたがりやの腕白坊主が、調子付いて喧嘩を売っているとしか思えない所信表明。イヤ、負け犬の遠吠え、と言ったほうがよいかも知れぬ。
日本一“公正中立”だと思って購読してきた読売新聞。それが最近、政府の御用新聞に成り下がったように思われ、心は「秋ついり」状態。
ちょうど予約した購読期間が切れるので、他紙に変更しようとした矢先、次の夕刊小説が、伊坂幸太郎の『SOSの猿』と正式発表。
10月3日(朝刊のみの地域は、翌4日)から、その連載が始まるというので、その連載が終わるまでは、購読を続けることにし、半年の予約継続をした。
すっかり売れっ子の人気作家になった幸太郎さん。ウルトラ真面目人間の幸太郎さんのことだ、かえってその人気が、重荷にならなければと秘かに思う。
自らは“不器用”だからと言っているが、彼の人間性・心のやさしさが、他の仕事を断り、『SOSの猿』の連載一本に全力を傾けるに違いない。そんな渾身の作品を、応援団の一人として読まないわけにはいかない。
午後、空が明るくなり、雨も小降りになったので、東銀座へ行く。
Mさんの陶展(笠間焼き)を見るため、G画廊に入る。笠間焼きも好きで、日常の食器に寺本守さんの作品を使っているので、Mさんの作品には食指が動かない。
それを見透かされたか、「お掛けください」とも言われなかったので、会場をじっくりと2回りしただけで、そそくさと退散。
画廊から案内状をいただき、最近の笠間の様子をMさんから伺おうと思っていたのだが……。まア、いいか。
今日の目的、「山高 徹 展」を観るため、歌舞伎座の前を通り、画廊宮坂へ向かう。
山高さんは、「家族を養うために、昼間、肉体労働をして、夜間、好きな絵を描いている」と、自嘲気味に話す。どの道でもそうだろうが、自分の好きなことだけしていたのでは、メシが喰えないのが日本だ。
山高さんのような人にこそ、生活の心配のない、画業一筋の画家になって欲しいと、切実に思う。
さて、山高さんの作品であるが、これまた独自のものである。キャンバスから自分で作るのだ。
板に発泡スチロールの一種(確か、スタイロフォーム?)を貼り、その発泡スチロールを削って曲面や凹凸をつけ、その上に石膏を塗ったものが、彼独自のキャンバスとなる。
風景画といえるが、ふつうイメージする風景画とは違う。高所から俯瞰した風景と言ったらよいだろうか。
特に地表面が緻密に描かれているため、一見、写真を元に描いたように見える。だが少々それは違う。
彼は心眼で対象の風景を凝視し、スケッチすると同時に胸中に焼き付ける。時によってはカメラで撮ることもあるだろう。問題はこの後だ。スケッチあるいは写真を参考に、胸中の風景を再構成する。再構成した風景が熟成したら、それを取り出し掌中に入れる。
いわば掌中の珠となった風景を、自作のキャンバスに描いているのだ、精魂を込めて。
今回の個展は、「~アキイロ・ソライロ~」と副題にあるように、秋の清々しい気持ちのよい作品ばかりである。
コレクターとしては、「かえりみち」・「ヒ・クレル」を手元に置きたい。ことに「かえりみち」は、作品はもちろんだが、タイトルがいい。並みの作家では、このタイトルはつけられまい。また、作品に添えられた詩がステキである。さらに落款がないのがいい。彼の作品にはサインは不要なのだ。誰が見ても、山高徹だとわかるのだから。
応援団としては、多くの方々に、彼の作品を持っていただきたいと願っている。先日の喜田直哉さんと同様に……。
「山高 徹 展 ~アキイロ・ソライロ~」
9月30日(火)~10月5日(日)
11:00~18:00(最終日は17:00まで)
「画 廊 宮 坂」
中央区銀座7-12-5 銀星ビル4階
℡(03)3546-0343
負け犬のそれも遠吠え 桐一葉 季 己
芭蕉翁が旅の庵で聞いた音も、この音であったろう、とふっと思う。
天気図を見ると、梅雨前線とまったく同じものが、本州付近にへばりついている。
あたかも梅雨時のように、じめじめと降り続く秋の雨を、「秋りん」・「秋ついり」という。
今朝も、その雨が降りつづいている。
「読売新聞」を広げる。きょうも自民党、いや麻生総理をほめちぎっている。
変人には、目立ちたがりやの腕白坊主が、調子付いて喧嘩を売っているとしか思えない所信表明。イヤ、負け犬の遠吠え、と言ったほうがよいかも知れぬ。
日本一“公正中立”だと思って購読してきた読売新聞。それが最近、政府の御用新聞に成り下がったように思われ、心は「秋ついり」状態。
ちょうど予約した購読期間が切れるので、他紙に変更しようとした矢先、次の夕刊小説が、伊坂幸太郎の『SOSの猿』と正式発表。
10月3日(朝刊のみの地域は、翌4日)から、その連載が始まるというので、その連載が終わるまでは、購読を続けることにし、半年の予約継続をした。
すっかり売れっ子の人気作家になった幸太郎さん。ウルトラ真面目人間の幸太郎さんのことだ、かえってその人気が、重荷にならなければと秘かに思う。
自らは“不器用”だからと言っているが、彼の人間性・心のやさしさが、他の仕事を断り、『SOSの猿』の連載一本に全力を傾けるに違いない。そんな渾身の作品を、応援団の一人として読まないわけにはいかない。
午後、空が明るくなり、雨も小降りになったので、東銀座へ行く。
Mさんの陶展(笠間焼き)を見るため、G画廊に入る。笠間焼きも好きで、日常の食器に寺本守さんの作品を使っているので、Mさんの作品には食指が動かない。
それを見透かされたか、「お掛けください」とも言われなかったので、会場をじっくりと2回りしただけで、そそくさと退散。
画廊から案内状をいただき、最近の笠間の様子をMさんから伺おうと思っていたのだが……。まア、いいか。
今日の目的、「山高 徹 展」を観るため、歌舞伎座の前を通り、画廊宮坂へ向かう。
山高さんは、「家族を養うために、昼間、肉体労働をして、夜間、好きな絵を描いている」と、自嘲気味に話す。どの道でもそうだろうが、自分の好きなことだけしていたのでは、メシが喰えないのが日本だ。
山高さんのような人にこそ、生活の心配のない、画業一筋の画家になって欲しいと、切実に思う。
さて、山高さんの作品であるが、これまた独自のものである。キャンバスから自分で作るのだ。
板に発泡スチロールの一種(確か、スタイロフォーム?)を貼り、その発泡スチロールを削って曲面や凹凸をつけ、その上に石膏を塗ったものが、彼独自のキャンバスとなる。
風景画といえるが、ふつうイメージする風景画とは違う。高所から俯瞰した風景と言ったらよいだろうか。
特に地表面が緻密に描かれているため、一見、写真を元に描いたように見える。だが少々それは違う。
彼は心眼で対象の風景を凝視し、スケッチすると同時に胸中に焼き付ける。時によってはカメラで撮ることもあるだろう。問題はこの後だ。スケッチあるいは写真を参考に、胸中の風景を再構成する。再構成した風景が熟成したら、それを取り出し掌中に入れる。
いわば掌中の珠となった風景を、自作のキャンバスに描いているのだ、精魂を込めて。
今回の個展は、「~アキイロ・ソライロ~」と副題にあるように、秋の清々しい気持ちのよい作品ばかりである。
コレクターとしては、「かえりみち」・「ヒ・クレル」を手元に置きたい。ことに「かえりみち」は、作品はもちろんだが、タイトルがいい。並みの作家では、このタイトルはつけられまい。また、作品に添えられた詩がステキである。さらに落款がないのがいい。彼の作品にはサインは不要なのだ。誰が見ても、山高徹だとわかるのだから。
応援団としては、多くの方々に、彼の作品を持っていただきたいと願っている。先日の喜田直哉さんと同様に……。
「山高 徹 展 ~アキイロ・ソライロ~」
9月30日(火)~10月5日(日)
11:00~18:00(最終日は17:00まで)
「画 廊 宮 坂」
中央区銀座7-12-5 銀星ビル4階
℡(03)3546-0343
負け犬のそれも遠吠え 桐一葉 季 己