奈良に出づる道のほど
春なれや名もなき山の薄霞 芭 蕉
『野ざらし紀行』(波静本)に所出の句であるが、異本その他には、下五「朝がすみ」とある。
故郷の伊賀を出て、奈良から京都へ上るつもりだったようで、その伊賀上野から奈良へ出る途中の吟であろう。
この句では、何より心静かに旅を楽しんでいる芭蕉の姿が見られる。これは故郷での生活が、芭蕉の心に潤いを与えたのと、奈良・京都へのあこがれの気持がおのずと心を和やかにしたためであろう。由緒ある山ではなく、「名もなき山」であるところに、芭蕉の心が動いているのである。下五「薄霞」は、むしろ初案と思われる「朝がすみ」に心ひかれる。
奈良は今年、平城遷都1300年。「はじまりの奈良、めぐる感動」をテーマに県内各地で、1300年の時空を超えた感動の「場」と「機会」が準備されている。
「春なれや」には、「春だなあ」と詠嘆に解するのと、「春なればこそだろうか」と理由を考えて肯(うなず)く気持に解するのと二説がある。「さすがに春だなあ」と、詠嘆説に従いたい。
季語は「薄霞」で春。
「静かに旅をつづけてゆくと、ふだんなら見過ごしてしまうような何の見どころもない山にも、
霞が薄くかかっていて、何となく心ひかれる趣がある。さすがに春だからなあ」
冬凪の川より海へ出るところ 季 己
春なれや名もなき山の薄霞 芭 蕉
『野ざらし紀行』(波静本)に所出の句であるが、異本その他には、下五「朝がすみ」とある。
故郷の伊賀を出て、奈良から京都へ上るつもりだったようで、その伊賀上野から奈良へ出る途中の吟であろう。
この句では、何より心静かに旅を楽しんでいる芭蕉の姿が見られる。これは故郷での生活が、芭蕉の心に潤いを与えたのと、奈良・京都へのあこがれの気持がおのずと心を和やかにしたためであろう。由緒ある山ではなく、「名もなき山」であるところに、芭蕉の心が動いているのである。下五「薄霞」は、むしろ初案と思われる「朝がすみ」に心ひかれる。
奈良は今年、平城遷都1300年。「はじまりの奈良、めぐる感動」をテーマに県内各地で、1300年の時空を超えた感動の「場」と「機会」が準備されている。
「春なれや」には、「春だなあ」と詠嘆に解するのと、「春なればこそだろうか」と理由を考えて肯(うなず)く気持に解するのと二説がある。「さすがに春だなあ」と、詠嘆説に従いたい。
季語は「薄霞」で春。
「静かに旅をつづけてゆくと、ふだんなら見過ごしてしまうような何の見どころもない山にも、
霞が薄くかかっていて、何となく心ひかれる趣がある。さすがに春だからなあ」
冬凪の川より海へ出るところ 季 己