壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

薬欄(やくらん)

2011年09月30日 21時40分09秒 | Weblog
          細川春庵亭にて
        薬欄にいづれの花を草枕     芭 蕉

 医師の家に宿ったので、亭主の棟雪(春庵)に対する挨拶を、薬草の縁で詠んだものである。即興的な作であるが、詩句は洗練されている。曾良の『随行日記』によれば、元禄二年七月八日の作。

 「細川春庵」は、越後高田の医師。俳号「棟雪」。
 「薬欄」は元来、薬草園の垣のことであるが、転じて、薬園の意で用いる。句としては「薬園」よりは「薬欄」とある方が味がある。
 「いづれの花を草枕」は、どの花を今宵の草枕として結ぼうか、という意。

 「草の花」という季語を、挨拶を意識して用いた言い方で秋。

    「ここは医師の家のこととて、薬草園が営まれている。折しも秋のことなので、
     くさぐさの薬草はみな花をもっている。さて自分は、今宵ここに旅寝をするの
     だが、この薬園のどの草花を枕として引き結んだらよいであろうか」


      やすらかやひたすら生きて草の花     季 己


 ――予想に反して、血液検査の結果は、腫瘍マーカーの数値が上昇。つまり、悪い方へ向かっているということ。体調・体感から考えると、信じられない結果ではあるが、しっかりと受けとめねばならないだろう。
 代替治療のFが、癌細胞にヒットしさえすれば、腫瘍マーカーの数値はかなり下がるはず。ヒットを念じつつFを飲み続けることにする。
 発売元の相談係に電話したところ、Fを飲んでいても腫瘍マーカーの数値は上下することが有り得るとのこと。また、Fが癌細胞にヒットした場合、癌は自滅し、その死骸は、血液・尿・便などと共に、体外へ出るという。癌の死骸の混じった血液がたまたま採血された場合、腫瘍マーカーの数値は上昇するとのこと。数値に一喜一憂せず、信じて飲み続けて欲しい、と言われた。
 そういえば、S先生は癌にヒットすることを念じて、三ヶ月飲み続けなさいと言われた。まだ、一ヶ月あるぞ!
 十月は、東田茂正先生の工房で、志野茶碗をつくらせていただくことになっていたり、K先生の祝賀パーティーにも出席したりで、おちおち死んではいられない。     

四角な影

2011年09月29日 17時31分16秒 | Weblog
        わが宿は四角な影を窓の月     芭 蕉

 『古今集』の
        わが庵は 都のたつみ しかぞ住む
          世をうぢ山と 人はいふなり (喜撰法師)

を契機としたものであろう。また、『毛吹草』に
        月丸し影はすみ入る窓の内     道 二
というのがあって、この発想の原型をなすもののようである。

 「四角な影を窓の月」というのは、窓から射し込む月光がそのまま畳の上に影を落とし、四角に見えているさま。「影」は月光のこと。

 季語は「月」で秋。

    「自分の宿は澄んだ月が窓から射し込んで、小さな部屋の隅々まで明るく
     照らしている。お大尽の家とちがって何の飾りもないが、四角な月影を
     置いたようで、まことに興味深い風情がある」  


      鰯雲しんじつとほき岸田稚魚     季 己



芋がら

2011年09月28日 21時30分53秒 | Weblog
        根は月に枯れて其の芋がらや雪の飯     芭 蕉

 芋がらが保存されて冬の頃、食事の菜に使われるのを見て、月の頃を想い起こしつつ詠むところに、天和風の詠嘆が感ぜられる。
 この句、真蹟短冊にのみ見え、「芭蕉散人」と署名がある。書体・発想ともに天和頃と推定されている。

 「雪の飯」は、雪の頃の飯の意と、白米の飯とを掛けている。

 季語は「芋がら」で秋。「芋がら」は、芋の茎の部分のこと。生のものは芋茎(ずいき)という。乾燥して貯え、和え物にしたりして食べる。

    「根の芋のところは、芋名月に月の供え物として掘りとられて枯れてしまうが、
     その芋がらは貯えられて、時ならぬ雪の頃に飯の菜となることよ」


      谷根千の一言多き木槿かな     季 己

曼珠沙華

2011年09月27日 22時40分16秒 | Weblog
        まんじゆさげ蘭に類ひて狐啼く     蕪 村

 真紅・凄艶な曼珠沙華は、歌題に詠まれなかったせいか、其角と許六、それに蕪村がよそよそしくこの句を詠んだだけで、まったく顧みられなかった。
 激情の人・芭蕉さえも、旅路に、この花の赤光に目を射られながら、ついに句にはしなかった。
 和歌から派生した連句を祖とする俳句の哀しい束縛のようなものの感じがする。
 この花に、極楽を荘厳するという赤花「曼珠沙華」の名を充てた人は、どんな人であったろうか。
 昭和に入ってから、俳人の目は拭われてきた。
        つきぬけて天上の紺曼珠沙華     山口誓子
        西国の畦曼珠沙華曼珠沙華     森 澄雄

などなど、絶唱ともいえる名吟が目白押しにあらわれて、しかもまだこの妖花の味わいは詠み尽くされていない。
 「彼岸花」と言いかえると、なつかしい道のべの童画の草花と化するのもいい。
 この鱗茎は搗いてよく水にさらすと、純白な餅やウエハースの原料にもなる。「死人花」「捨子花」の陰惨な名をもつこの毒草に、飢餓を救われた人々の数もまた少なくはない。

 季語は「まんじゆさげ」で秋。

    「曼珠沙華が妖艶に咲いている。蘭と狐は付合(縁のある言葉)であるが、
     その蘭ではないが、狐の啼き声が曼珠沙華にもよく似合うことだ」


      曼珠沙華茎にたましひ余しをり     季 己 

恥長髪

2011年09月26日 22時30分31秒 | Weblog
        白菊よ白菊よ恥長髪よ長髪よ     桃 青

 諺をふまえて、白菊の長い花弁を比喩的に詠んだにすぎない。「菊」と「髪」とは、しばしば連想のつながりをもった。

 「恥長髪」は、「命長ければ恥多し」という諺をふまえている。これは『荘子』天地篇の「寿ケレバ則チ多シ辱」から出た語。白菊の形を白髪に比べたものである。

 季語は「菊」で秋。比喩的な使い方で、滲透的な把握に至り得ていない。

    「白菊よ、白菊よ。お前は長寿に縁あるものとされ、そのように白い花弁を
     長い白髪のように垂れてながく盛りを誇っているが、命長ければ恥多し、
     というように人間の場合は長命と恥を重ねることが多いので、お前の長い
     花弁もまさに恥長髪とでもいわねばなるまいよ」


      スカイツリーうしろに雁来紅の雨     季 己

凋む

2011年09月25日 20時25分09秒 | Weblog
           朝顔寝言
        笑ふべし泣くべし我朝顔の凋む時     桃 青

 「朝顔寝言」という前書が、そのまま発想の意図をものがたっている。「寝言」というのは眠りの中でいう言葉のことだが、ここでは朝顔に託してのたわけごとというほどの意味であろう。
 『山之井』の朝顔の条に、
        「あさがほは顔にたよりて、露のたまれるをゑくぼといひなし、
         しぼめるをひたひのしわとも見なせり……」
とある系列の発想と思われる。どこか漢詩文にある文人的な擬態がうかがわれる。

 季語は「朝顔」で秋。朝顔そのものの季感は生きていない。

    「こうして目覚めてみると、すでに朝顔が凋(しぼ)んでいる。その
     あわれな姿は笑うべきだが、また一方、ようやく咲いたかと思う
     と一朝で凋んでゆく朝顔のはかなさには、人の世の定めもかえ
     りみられて、哀れを覚えずにはいられない」


      朝顔の瑠璃金剛の露今朝も     季 己

無寒暑

2011年09月24日 20時56分39秒 | Weblog
 「暑さ寒さも彼岸まで」の慣用語通り、彼岸に入ったとたん涼しくなった。「暑さ寒さ」といえば、『碧巌録』に「無寒暑(むかんじょ)」という話がある。
 中国の高僧・洞山(どうざん)禅師に、ある修行僧が問うた。
 「寒いとき、暑いとき、どうしたらその苦悩から脱し、心身が安らげるでしょうか」
 洞山は、こともなげに答える。
 「寒いも暑いもないところへ行ったらいいだろう」
 たずねた修行僧はこの答に、もちろん不満だ。
 「そんな結構なところがありますか」
 「寒いと思うこころは寒さで殺せ、暑いと嘆くこころは暑さで殺せ」
が、洞山の最後の答だった。

 洞山だって、夏は暑く冬は寒いにきまっている。それは現代人の私たちだって同じだ。しかし、私たちが好きでスキーやサッカーに熱中しているときは、寒さ暑さが苦にならないのはどうしたわけであろう。
 洞山のいう「殺せ」は、事実の否定ではなく、寒暑の概念を昇華せよとの示唆であり、寒暑に執着する観念を解けとの教えだ。寒暑をごまかすな、そこから逃げるな、向かっていけ――と。(わたしには「ガンから逃げるな、向かっていけ」と聞こえる。)
 禅者はただ一言「成り切れ(そのものに溶け込め)」と言う。この「成り切る」ことは、俳句においても非常に重要なことだ。対象と一体になることである。

 避暑や避寒は逃避行だ。冷暖房施設を積極的対策のように考えるが、穴の中にもぐっている退嬰生活に何ら変わらない。
 自然を改変するのを進歩とする人間の傲慢さに、そろそろ気づく必要がありはしないか。新しい生き方に目覚める時代だと思う。
 寒暑は自然の現象だけではない。私たちの人生も、血の涙や汗を流し心も凍る夏冬がある。
 「人生の無寒暑」をどこに求めたらいいのか、よくよく考えてみたいものである。


      秋彼岸 身辺整理などはせぬ     季 己

侘びてすめ

2011年09月23日 22時47分19秒 | Weblog
          月を侘び、身を侘び、拙きを侘びて、
          「侘ぶ」と答へむとすれど、問ふ人も
          なし、なほ侘び侘びて、
        侘びてすめ月侘斎が奈良茶歌     桃 青

 自分の生活の侘びしさに堪えかねている気持が前書に述べられ、その侘びしい気持に徹し入って、そこに生きてゆこうとする気持が句で詠われている。自分を風狂の茶人に仕立てて、それをいとおしみながら語りかけている趣がある。興ずる態度が全体に濃厚で、いわゆる風狂の体と称すべき句姿である。

 前書の心は、
        月を侘び、身を侘び、我が身の拙いことを侘びながら日を
       送っていて、もし誰かが問うてくれたら、「侘びている」と
       答えたいと思うけれども、その侘びしさを問うてくれる人も
       いない。それでひとしお侘びしさに堪えず次の句を詠んだ。
の意。

 「侘ぶと答へむとすれど」は、在原行平の
        わくらばに とふ人あらば 須磨の浦に
          もしほたれつつ わぶとこたへよ (『古今集』・雑下)
を踏まえたもの。
 「侘びてすめ」は「住め」の意であるが、月の縁で「澄め」の意を意識した表現。自分に言い聞かせているような響きがある。
 「月侘斎」は「ゲツタクサイ」と読むか「ツキワビサイ」と読むか、また実在の人名か、仮構の名か問題がある。前書が「侘」という語を中心としているのに照応させて「ツキワビサイ」と読み、茶人めかした仮構の名に自分自身を託しているものと見たい。月に侘びて住んでいる世捨人というほどの意であろう。
 「奈良茶歌」は、酒を飲んで賑やかにうたう歌に対して、奈良茶飯を食いながら侘びしく口ずさむ歌の意で、芭蕉の造語であろう。奈良茶飯は、奈良の東大寺・興福寺などではじめたもので、茶飯に豆・栗などを入れたもの。

 季語は「月」で秋。

    「月を侘びつつその侘びしさに住して、奈良茶飯を食いながらひそかに
     歌を口ずさむ月侘斎の侘びしい歌声は、その名にふさわしく侘びしく
     澄めよ」


      流れ星 母には言へぬこと一つ     季 己

愚案ずるに

2011年09月22日 20時45分43秒 | Weblog
        愚案ずるに冥土もかくや秋の暮     桃 青

 「愚案ずるに」に談林的なねらいがあった。こういう口調のおもしろさに興じつつ、内容的に深まる方向に向かっている。この時期における蕉門(桃青門)の漢詩文への志向がうかがわれる。

 「愚案ずるに」は、古書の注などに「愚按(あん)ずるに」などとある口調を生かしたもの。「わたしが思うに」というほどの意。
 「冥土もかくや」は、「冥土もこのようであろうか」の意。「かく」の内容は、秋の暮の寂しさである。
 「秋の暮」は、「秋の夕暮れ」の意であるが、用例を調べてみると晩秋の意をもつ場合もある。これが季語。

    「秋の暮の頼りなく心にしみこむような寂しさは、何とも言いようのない
     ものだ。思うに、死後にたどる冥土も、この秋の暮れのような寂しい
     ものであろうか」


      吉凶をパソコンにきく秋夜かな     季 己

術なきこと

2011年09月21日 15時26分45秒 | Weblog
        たらちねの母が手放れかくばかり
        術なきことは未だ為(せ)なくに (『万葉集』巻十一)


 「正述心緒(ただにおもいをのぶ)」という歌群の中の一首である。
 「たらちね」は、乳を垂らす女、また乳の足りた女、満ち足りた女の意などといわれ、「女親」、「母」、「ふたおや」、「父母」をあらわす。また、「たらちねの」は、「母」「親」にかかる枕詞。

 一首の意は、「物ごころがつき、年ごろになって、母の手を放れて以来、これほど切ないことは、未だしたことがない」というので、恋のやるせないことを歌ったものである。
 これは、男の歌か女の歌か字面だけではわからないが、母親の庇護の手を放れて、初めて恋愛する乙女の心持ちと見るほうが感に乗ってくる。
 「術(すべ)なきこと」というのは、どうしてよいのか仕方の分からぬ気持で、「術なきものは」、「術の知らなく」、「術なきまでに」等の例があり、共に心のせっぱつまった場合をいっている。
 下の句の切実なのは読んでいるうちに分かるが、上の句にもやはりその特色があるので、一首が切実になったのである。
 この歌は民謡的に成立したもののようだが、民謡の悪い方面は出ずに、初々しい調子の出ているのは、注意してもよい。

  
      台風の雨のしじまを妹(いも)来たる     季 己

内容過多

2011年09月20日 00時02分30秒 | Weblog
        追剝を弟子に剃けり秋の旅     蕪 村

 高僧の逸話にでも取材したのか、それとも純粋の空想になるものか、とにかくあまり成功していない句の実例である。
 蕪村における小説的構想の句においては、成功不成功は「季題」の情趣が十分に発揮されるか否かにかかっている。
 この「秋の旅」の句は、内容過多であり、道具立ての一応の説明に終わっており、何よりも「秋」であることの必然性が希薄である。つまりかんじんの季題が、季感の情趣を十分に発揮し得ていないのである。この句が失敗作である所以(ゆえん)を研究してみれば、同時に蕪村の芸の特性もはっきり認識できるのではなかろうか。

 季語は「秋の旅」で秋。

    「ある高僧が秋深い行脚(あんぎゃ)の旅にあったとき、ある場所で追剝
     (おいはぎ)に襲われた。しかし、もとより死生を超越した人物とて、
     ただねんごろに是非を説いて聞かせた。すると、追剝も過去の罪業を
     はじめて自覚し、今後は弟子として伴って行ってくれと懇願した。高僧は
     快く願いを容れて、その場で直ちに彼の頭を丸めて仏弟子としてしまった」


      敬老の日の集ひみな口あけて     季 己

茸狩

2011年09月19日 00時31分43秒 | Weblog
        茸狩やあぶないことに夕時雨     芭 蕉

 「あぶないことに」などという口語的な発想が即興的にとりいれられている。画の図柄によっては、画賛としてかなりおもしろみが出せる句であろう。

 「あぶないことに」は、「すんでのことで」といった意。

 季語は「茸狩(たけがり)」で秋。「時雨」は冬であるが、時折、降り過ぎる点が主に働いていて、それが茸狩帰りの一場面として生かされている。

    「茸狩を終えて帰ると、まるで待っていたかのように夕べの時雨が走りすぎた。
     ぐずぐずしているとすんでのことに、この時雨に濡れてしまうところだった」


      まだ生きてをるぞ底紅白むくげ     季 己

医師の一言

2011年09月18日 00時41分48秒 | Weblog
 ――「ああ今日も生きている」、いや、本当は生かされているのだろうが。生かされていることを神仏に感謝しながら、朝一番に、50℃の白湯を特大の湯飲みで並々一杯を飲む。
 この二週間ほどは、「もうそろそろかな…」、「いやそんなはずはない、まだまだ生きられる」との想いが交錯している。原因は、病院の主治医とかかりつけの医師の一言が、心の片隅に常に引っかかっていたからだ。

 「あなたに最適な抗癌剤の組合せは全てやりました。残念ながらあなたに最適な抗癌剤はもうありません。今日で治療は打切りです。今後は緩和ケアの方へ行って下さい。(余命は)三ヶ月は責任持てますが、それ以上は…」
と、主治医から告げられたのが六月十七日。
 このことを七月初旬に、かかりつけの医師に報告し、セカンドオピニオンを受けたいのだがと相談したところ、たちどころに、
 「セカンドオピニオンをやっても無駄です。あ、それから十月の区の健診の予約をキャンセルにしておきますね」
だと。若いから仕方ないかと妙な納得をする。それにしても「ことばの大切さ」「一言の大切さ」を、医師の先生方にもっともっと考えていただきたい。相手を思いやる心があれば、もっと違う言い方があるはずである。

 その三ヶ月の九月十七日を過ぎ、今、責任の持てない期間に入ることができた。これは代替治療のFを、七月二十日から飲み始めた効果だと思う。
 大阪のY医院のY先生の経験では、
 「163人の末期がん患者にF治療をやったところ、結果として2週間から1ヶ月の間にほぼ100%近いQOL(クオリティー・オブ・ライフ=生活の質)の改善がみられ、さらには癌腫瘍マーカー、LDH等の上昇率の低下および維持を認め、癌に作用していることは確実と思われます。これまでの症例を見る限り、臓器内腫瘍に限って言えばかなりの確率で休眠状態が認められる、と確信しています。Fが血管を通って腫瘍にいくわけですから、血管が通っているところであれば、間違いなく癌細胞に対するアポトーシス誘導を起こすと考えられます。」
とのこと。わたしが今こうして生きていられるのもFのお陰だと確信して……。


      花茗荷 余命三月のその日かな     季 己
 
 

玉や吐

2011年09月17日 00時29分43秒 | Weblog
        釣上し鱸の巨口玉や吐     蕪 村

 「つりあげし すずきのきょこう たまやはく」と読む。
 「巨口」は、蘇東坡の『後赤壁賦』の「巨口細鱗状如松江之鱸」から来ている。
 「玉や吐」の比喩は、
        閻王の口や牡丹を吐んとす     蕪 村
と似ているが、銀輪冷ややかな鱸としてはかなり自然な連想であって、「閻王の口」の場合ほどの奇想天外的な飛躍ではない。
 なお、全体があまりにも理想化され装飾化されようとする危険を、「釣上し」の現実感をもって十分に救い得ている。

 季語は「鱸」で秋。「鱸」はスズキ科の海産の硬骨魚。近海産で南日本に多く分布する。体長五〇~六〇センチ。鱗や歯は小さ口は大きい。背は薄い青色で腹は白色。夏は海より川に、冬は川より海に移る。稚魚から成長するにしたがって「せいご」「ふっこ」「すずき」と呼び名が変わる。

    「秋水の中から、いま釣り上げたばかりの水滴のしたたる鱸。細かく銀鱗は
     輝いて、その巨口からは今にも玉を吐くかと怪しまれるほどである」


      向日葵のうれしき刻は影をもつ      季 己

今や暮れぬ

2011年09月16日 00時28分05秒 | Weblog
        鷹の目も今や暮れぬと鳴く鶉     芭 蕉

 暮色のたちこめる中に、鶉が自分をとりもどしたような声で鳴いていることから、「鷹の目も今や暮れぬ」という感じを引き出したのである。「鷹の目も今や暮れぬ」という把握がなかなかおもしろい。
 鶉の声から周囲の暮色などをえがくという常套的な手法によらず、鶉の音色をとおして鶉の心に想い入っているような自在な詠みぶりである。

 「鷹」は冬季であるが、ここでは「鶉」が季語で秋。鷹狩の一つに「駈鶉(かけうずら)」といって馬上で鶉を駆り立て、鷹を合わせるのがある。ここはそれと限らなくてもよいが、そうした連想があったものと思う。
 「鶉」はもともと野生のもので、古来多くの歌に詠まれており、後年、声を賞したり、卵を取るため飼育されるようになった。もっともあわれふかいのは夕暮の鳴き声で、この句もそこに発想している。

    「あたりはたそがれそめて、さだかにものを見分けかねるまでになった。
     今はもう鷹の目も利(き)かなくなったというので、鶉があのように
     鳴きはじめたのであろう」


      我楽多の後生大事と蟬しぐれ     季 己