――歌・連歌の道は、世間に交わり、どうにかして一身の名誉・名
声を得たいと、念願すべきものなのでしょうか。
――先賢が話しておられた。
それは人によるので、一概にそうとも言い切れない。
ひたすら名声を念じ、一身の栄達を願う者もきっといるだろう。
また、道の境地が深まるにつれ、世俗を離れ、閑居幽棲の孤独
に徹し、ひたすら道を極めようと鍛錬する人もある。
定家卿は、子の為家の詠歌を諫めて、仰せられたという。
「和歌は、そのように朝廷出仕の服装のまま、燈火を明るくして、
酒肴などを食い散らしながらでは、とうてい詠めるものではない。
だから、そなたの歌はよくないのだ。
亡父、俊成卿の歌を詠まれるご様子こそは、まことに秀逸な歌が
できるのも当然である、と思われる。
父君は、夜更けに燈火を細く、あるかないかの薄暗さに向かって、
普段着の直衣のすすけたのを着流し、古い烏帽子を耳までおおう
ようになさって、脇息に寄りかかり、桐火桶を抱えながら、詠吟の声
は低く忍びやかに、夜も更け人も寝静まるにつけて、からだを折り
傾け、感極まっておいおいと泣き出された、ということである」
和歌の道に深き心をおかけになるお姿は、ほんとうに伝え聞くだ
けでも、何とも言えぬ妖艶な情感に堪えきれず、わけもなく出てく
る感涙を、抑えることができないほどである。
そのような生活・態度のせいであろうか、為家卿は、官位だけは
高くめでたかったのであるが、為家卿二十一歳の時の、仁和寺宮
道助法親王家の五十首和歌などにも、さまざまなことがあって作者
から除かれた、ということである。
定家卿が歌を詠まれる時は、わざわざ直衣を着替え、鬢をかき
直し、威儀を正しく整えられた、と伝え聞いている。
(『ささめごと』名声を得べきか)
梅雨に入る榛の木山に榛はなく 季 己
声を得たいと、念願すべきものなのでしょうか。
――先賢が話しておられた。
それは人によるので、一概にそうとも言い切れない。
ひたすら名声を念じ、一身の栄達を願う者もきっといるだろう。
また、道の境地が深まるにつれ、世俗を離れ、閑居幽棲の孤独
に徹し、ひたすら道を極めようと鍛錬する人もある。
定家卿は、子の為家の詠歌を諫めて、仰せられたという。
「和歌は、そのように朝廷出仕の服装のまま、燈火を明るくして、
酒肴などを食い散らしながらでは、とうてい詠めるものではない。
だから、そなたの歌はよくないのだ。
亡父、俊成卿の歌を詠まれるご様子こそは、まことに秀逸な歌が
できるのも当然である、と思われる。
父君は、夜更けに燈火を細く、あるかないかの薄暗さに向かって、
普段着の直衣のすすけたのを着流し、古い烏帽子を耳までおおう
ようになさって、脇息に寄りかかり、桐火桶を抱えながら、詠吟の声
は低く忍びやかに、夜も更け人も寝静まるにつけて、からだを折り
傾け、感極まっておいおいと泣き出された、ということである」
和歌の道に深き心をおかけになるお姿は、ほんとうに伝え聞くだ
けでも、何とも言えぬ妖艶な情感に堪えきれず、わけもなく出てく
る感涙を、抑えることができないほどである。
そのような生活・態度のせいであろうか、為家卿は、官位だけは
高くめでたかったのであるが、為家卿二十一歳の時の、仁和寺宮
道助法親王家の五十首和歌などにも、さまざまなことがあって作者
から除かれた、ということである。
定家卿が歌を詠まれる時は、わざわざ直衣を着替え、鬢をかき
直し、威儀を正しく整えられた、と伝え聞いている。
(『ささめごと』名声を得べきか)
梅雨に入る榛の木山に榛はなく 季 己