壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

「俳句は心敬」 (92)心を澄ます①

2011年05月27日 23時09分51秒 | Weblog
        ――歌・連歌の道は、世間に交わり、どうにかして一身の名誉・名
         声を得たいと、念願すべきものなのでしょうか。

        ――先賢が話しておられた。
          それは人によるので、一概にそうとも言い切れない。
          ひたすら名声を念じ、一身の栄達を願う者もきっといるだろう。
          また、道の境地が深まるにつれ、世俗を離れ、閑居幽棲の孤独
         に徹し、ひたすら道を極めようと鍛錬する人もある。

          定家卿は、子の為家の詠歌を諫めて、仰せられたという。

          「和歌は、そのように朝廷出仕の服装のまま、燈火を明るくして、
         酒肴などを食い散らしながらでは、とうてい詠めるものではない。
         だから、そなたの歌はよくないのだ。
          亡父、俊成卿の歌を詠まれるご様子こそは、まことに秀逸な歌が
         できるのも当然である、と思われる。
          父君は、夜更けに燈火を細く、あるかないかの薄暗さに向かって、
         普段着の直衣のすすけたのを着流し、古い烏帽子を耳までおおう
         ようになさって、脇息に寄りかかり、桐火桶を抱えながら、詠吟の声
         は低く忍びやかに、夜も更け人も寝静まるにつけて、からだを折り
         傾け、感極まっておいおいと泣き出された、ということである」

          和歌の道に深き心をおかけになるお姿は、ほんとうに伝え聞くだ
         けでも、何とも言えぬ妖艶な情感に堪えきれず、わけもなく出てく
         る感涙を、抑えることができないほどである。
          そのような生活・態度のせいであろうか、為家卿は、官位だけは
         高くめでたかったのであるが、為家卿二十一歳の時の、仁和寺宮
         道助法親王家の五十首和歌などにも、さまざまなことがあって作者
         から除かれた、ということである。

          定家卿が歌を詠まれる時は、わざわざ直衣を着替え、鬢をかき
         直し、威儀を正しく整えられた、と伝え聞いている。
                            (『ささめごと』名声を得べきか)


      梅雨に入る榛の木山に榛はなく     季 己